六夜 壁裏歩夢
壁裏歩夢は自覚していた。
同窓的に容姿端麗、色白で犬歯が長く独り静かに本を読んでいる少年。
社会的に成績はトップ、教師の覚えもよく将来の懸念などまるでない少年。
「ぼくの存在は、嫉妬の対象にほかならない」
小学生のころ、クラスで代表格の「彼」はやっかみの筆頭だった。
「彼」は足が速く、腕っぷしも強かったのだ。知性ではなく体力、口下手ではなく大声がただしい子供の世界。
子供には子供なりのプライドと意地がある。
女子に人気のあるぼくが気にくわない。なんとか屈服させるべく模索し、まずは不名誉なあだ名をひねり出した。
「ドラキュラ」――モンスターが登場する、漫画かアニメを見たのだ。
「彼」は木陰や日陰にいるぼくを目ざとく見つけだす。
「おい吸血鬼がいるぞ! ドラキュラだ、みんな逃げろ――!」
「ドラキュラには牙があるんだ、血を吸われるぞ――!」
休み時間も授業中も構わずはやし立て、ぼくの注意を引こうとした。
何かにつけ絡み、からかいの対象とする姿勢はいっそ涙ぐましい。清々しいまでの一途さは、周囲にも「空気」感染する。
「彼」と共に知恵を絞り、言葉をひねり、わき立つ嫉妬心に一矢報いて喜んだ。
先生に言わせれば「仲のよい遊び」は、毎日が新発見の連続だった。常にぼくに想いをはせ、想いが募り、未来さえも想い描く。
「せめてヴァンパイアと呼びなよ――」
ドラキュラは小説に登場するキャラの名で、吸血鬼全般を指すわけではない。
しかしぼくの反論内容を理解し、言及する者はいなかった。
「そっそんなのなんだって同じだろ!」
「いっつも女といっしょだもんな、血を吸ってんだ!!」
「ドラキュラ――ドラキュラ――~!!」
「彼」らは顔を真っ赤にし、むきになってぼくを屈服させようと努力する。
自分の意見を否定した奴がむかつく。
不愉快な感情の発露は議論を必要としないのだ。ぼくの予感はただしく機能し、より強い嫉妬と反発が生まれた。
それこそが望みだったから。
なにかと構ってそばにいてくれる「彼」に、大切な絆を感じていたのだ。
「嗚呼、なんて愛おしい日々……」
ぼくは「彼」のために校内に引きこもり、好んで暗がりで本を読んだ。
「ドラキュラ」と呼ばれ、構ってもらうために――。
そんな蜜月も小学生まで、中学生になると蜜が溶け月が欠ける。
異性を意識しだす年ごろ。
ぼくをからかう行為は、ぼくのファンを自称する女子に嫌われる。原因によって結果が生じると理解してしまったのだ。
「彼」の嫉妬心は達成されず、「彼」の手によって終止符が打たれた。
「変わらないままの『彼』で、いてほしかったのに……」
笑いと陽気な喧騒があふれるクラス。
先生の期待をこめた視線に、優等生然と応える。ぼくの一挙手一投足に狂喜し、遠巻きに見守る女性集団に手を振る空虚な日常。
静けさを求め、図書委員に立候補。
きっかけはどうあれ、影が射す図書室でページをめくるのは心地よかった。
そんな先生も生徒すらめったにこない学校の片隅に、希望が残っていたのだ。
なんとか図書室の利用者を増やせないか孤軍奮闘する――「図書委員長」との、一年半にわたる攻防戦が幕を開ける。
「各学年の志向を調べて利用者を増やすわよ! 壁裏くん、ついてきなさい!」
「彼」と異なり「図書委員長」には、上下関係がもたらす明確な征服欲があった。
常にぼくの前を往き、下僕を服従させて高笑う。
ぼくは命令を忠実にこなしつつ、不備を発見して反論する。秘書のように舞い、鬼のように指摘した。
「では十進分類法を基礎にし、部分的に三桁分類を活用します。書架整理をふくめ背当てを作成したり、面出しを工夫すれば効果が見こめますね」
「今のままでは動線が複雑で混乱します、利用者の推移を再検討しましょう」
「ジャンル別の配置を、もう一度やりなおす必要がありますね。検索しやすいよう閲覧テーブルや、新刊の棚を工夫すべきです」
「実在した文豪の未確定エピソードは歴史、文学、創作のいずれでしょう? 海外の舞台建造物は建築学、演劇、民族学なのか……定義づけがおろそかです」
所在記号ラベルの明記の仕方は――連日くり返される喧々諤々。
「図書委員長」は一歩も引かず持論を発展させ、より洗練された手段を講じた。
新刊を図書室入り口に配置し閲覧テーブルの位置変更など、先生に嫌みな視線を受けながら図書室の改革を推進する。
結果「図書室で何かやってる」噂が生徒内に流れ、想定以上によい効果を得た。
目に見えて利用者が増え、図書委員が返本整理に忙しく働く。
「ほらねっ! 私がただしい!」
「参りました――」
「図書委員長」は意地の悪い笑みを浮かべ、ぼくを罵倒する。
ぼくは一切を受け入れ、頭を下げて謝罪する。
歴史、文学、産業に技術、小説やライトノベルにいたるまで、あらゆるジャンルを網羅する図書室を股にかけた呉越同舟。
強固な主従関係を迫る「図書委員長」に、大切な絆を感じていたのだ。
「嗚呼、なんて幸せな日々……」
そんな幸せも始まりがあれば終わりがある。
三年生である「図書委員長」のご勇退――。
あれほど心をはずませて毎日通った図書室。二年生の三学期には、空虚さが我が物顔で居座っていた。
怒声も罵声も響かない、喜びがあったぶん物悲しい空間。
「もう怒られないですむんだね」
「私も毎日ビクビクしてた――~」
寂しさはほかの図書委員も同じだろうに、強がりを言いごまかしあっていた。
「あっ……壁裏くん、ここにいたのね!」
二年の教室前。隣の校舎の影で一部光が届かない、お気に入りの場所がある。
少し長くなった前髪をもてあそび思案していたら、すでに自由登校である三年の「元図書委員長」に、偶然呼び止められた。
主従関係は健在、ぼくはいっさい疑問を持たず心で跪き、喜んで命令を受ける。
「――っ要件があるの、放課後『影供の丘』にきなさい!」
図書室の窓側には西日をさえぎる、高さ三メートルの小さな丘があった。
頂上には二人掛けのベンチがあり、情景を楽しめる。二月~四月――丘の頂上に生徒が立つと、校舎の白い壁に影が映った。
「丘の頂上で告白し願いがかなうと、校舎に映る影がひとつになる」
そんな伝説があり、ゆえに「影供の丘」と誰ともなく呼ばれている。
卒業式を控えた時期の放課後。
西日が射す丘の頂上に二つの逆光がならぶと、図書委員の女子が声を荒げず叫ぶ芸当を何度か披露していた。
楽しんでいるのは、役者か観客か。
☆
――空気が乾燥し、肺が湿度を求めてあらがう音がしていた。
ひび割れた肌が針を刺す、いくぶん心地よい痛み。
西日が射す丘の頂上でベンチにふんぞり返りもせず、「元図書委員長」がすでにたたずんでいる。
ぼくの接近を察し、西日に背を向け表情を隠す。
風に揺れるスカートを軽く押さえるしぐさにも、少し違和感を覚えた。
「申し訳ありません、遅くなりました――でも突然すぎですよ」
謝罪につけ足し、不備に対しての反論も忘れない。
言うまでもなく、持論による発展を期待して。
「……めん、なさい」
消え入りそうな声が落ちる、それは謝罪の言葉だった。
それはぼくの言葉だったはず。
西日に鼓動が重なる。
図書室の窓に女子が張りつき、丘の頂上に立つぼくたちの逆光を凝視していた。
口元に手のひらを当て、なにかを身ぶりで伝える者。隣の袖を引き、ステップを踏んでいる者。胸元で両手を固く握りしめ、耐えている者。
小さく切り取られた窓に、さまざまな情景が演じられている。
「志望校の推薦合格が決定したそうですね、おめでとうございます」
「指導のかたわらともに働いた一年半は、ぼくの大切な思い出です」
「また図書委員として、ごいっしょできるといいですね」
それは本心、だった。
ぼくは口内の渇きを実感して、ごまかすよう多弁に努める。「元図書委員長」はかぶりを振ると向きなおった。
嗚呼どうか、そんなことを言わないでと胸中で願う。
肩口で切りそろえたまっすぐな黒髪。いつかぼくが好きだと話した、赤い髪留めがまたたいている。
西日で右半身がオレンジに染まり、頬まで幾分赤いのはなぜだろう。
皮肉と非難の視線を刺した瞳に、かすかな光が宿っているのは……嘲笑でぼくを切ったシャープな顎のラインが、微かに震えているのは……。
ぼくは初めてこの女性の顔を見た、そう気がついた。
謝るから、どうかお願いだから、あなたはそんなことを言う方では――。
今までの謝罪と、切ない告白がもれた。
言葉は見えない凶器となって心を裂く。
呆然と立ちつくすぼくの前で、全部話すと決めていたのか。あえぎながら心情を吐きだしている。
「強い言葉を使うと、あなたが反応してくれるのがうれしかったの」
「いつの間にかそれが当たり前になっていて、自分でも止められなくて……」
「やっぱり嫌だったよね? そうだよね、怒鳴られてうれしい人なんていない!」
「もっとちゃんと話をすればよかった、なぜかいつも――~…」
赤面し形のよい眉が下がっていた。そわそわと体を揺らし手を開閉させ、言葉で表せない心情をなんとか知らせようとする。
幼児がお菓子をねだっている姿に重なり、いっそかわいい。
「ごく普通の女性なんだ、ほんの少し、我と語尾が強いだけの」
ぼくにドラキュラとあだ名をつけ、なにかと構ってくれた「彼」と同じ。
そうだ……この人は、ぼくを踏んではくれない。ぼくが探しているのは、この人ではなかった――ただそれだけだ。
霞んだ幻想みたいに、校舎に映る二人分の影が揺れている。
「なんだ、影は消えないのか?」
「そうだろうな、ぼくの願いはかなわなかった」
自問を自答し、試行は錯誤する。現実と虚構が入り乱れて交差していく。
原因はなんだ、そして結果は?
今までのすべてと――ここにはいなかった。この先のすべて――ではどこに。
『此処ではない何処かに――』
心がざわつき、校舎に映ったぼくの影が、誘うように揺れる。
「……ああ、そうか」
はからずも気がついた、そこにおられたのですね――。
押し入れにいるのが楽しかった。
影法師を眺めてずっと歩いた。
影が射す図書室が好きだった。
「あなたはずっと、そこにおられたのですねっ!!」
自分の影に向かい両膝で跪く、歓喜の叫びが心を震わし突き抜けた。
倦怠感と浮遊感が同時に襲ってくる。
体が解けて自分の影に落ち混ざりあう……。
浮いて抜けだしはるか上空から見下ろし――。
――数瞬後、校舎に映る影は文字通りひとつになっていた。




