五十二夜 ダーナ卿
「ノルブリンカ姉様、お久しぶりです!」
「よう坊主! 盗賊の知らせをくれて以来だなあ、元気にしてたか!」
城館の知り合いとは、弟さんのことだったのか。
子犬みたいに駆けてきたのを、笑いながら抱き上げて振り回す。姉弟の仲良さに思わず頬が緩む。
「子供扱いはよしてください、僕はもうすぐ従騎士になるのですから!」
むくれる顔が、まだ少年である証明に思える。
護衛の騎士たちが少し離れて、なにやら困った顔でささやきあっていた。
「悪い悪い、それでダーナ卿までどうしたん?」
「お主立場を、忘れてやせぬか? 帰ってこぬから呼びに来たんだが」
ダーナ卿と呼ばれた男が苦笑して答える。
四角い顎に無精ひげ、やや乱れた長い総髪を揺らし、漆黒のマントをまとう。
そして腰に異質な剣――若干反りのある鞘に丸い鍔、柄巻きと言われるひし形の文様が浮かぶ独自の装飾。
「日本刀」に酷似した剣を、佩刀していたのだ。
13~14世紀は鎌倉幕府が弱体化したか、室町幕府が開かれた頃。容姿的には異国人だが、時代に準ずるなら月代を剃ってるはず。
少なくとも今旅をして、この地に辿りついた訳ではないだろう。
まあどう長生きしても16世紀最大の革命児、織田信長はお目にかかれない……いやそうではなく。
「異世界にも、日本はあるのだろうか」
期待と混乱が入り混じったぼくの呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。
「うおっ!? すっかり忘れてた、あたしサーガラに派遣中だっけ!」
「あだっ」
狼狽えて弟さんを振り落とす、本気で忘れていたのだ。
「そうではないかとブリハスパティ卿にも言われたのだが、お主なあ……」
ダーナ卿が顎をさすってうなる。
ノルブリンカは因果伯となる際に条件をつけた――それですら驚愕に値するが、闘技場の完成までは自由にさせて欲しいと。
ヴィーラ殿下はこの条件を飲み、ノルブリンカは忠誠を誓ったのだ。
無事に完成したのだから、今までみたいに留まり続ける訳にはいかない。国家の要たる因果伯、それは身分以上に重要な立場だった。
「でも面白くなってきたんだよな。そうだあっこの奇天烈な少年を監視してるってことで、なんとかごまかせない?」
「お主が殿下に、そうご報告できるのならな」
「あっうん、分かった……」
そのひと言で帰り支度が決定、さすがのノルブリンカも殿下には逆らえないか。
あっこの扱いでダーナ卿と視線が合い思わず会釈。正確には「因果伯」の皆さんとは、召喚の間で会ってはいる。
「アユム・カベウラ卿です、初めましてになりますか? ダーナ卿」
「そうだな、初めましてアユム卿。噂は聞いてる、よろしくな」
ダーナ卿が笑ってぼくに向き直り――その刹那、剣を抜き放った。
抜刀する気配も、剣が鞘走ったのも見えない。ただ小さく風切り音だけが鳴り、切先はぼくの喉元数センチ横で止まっている。
そして――。
「ダーナ卿、どういうつもりだ」
正面にジャーラフが立ち、右手の甲と左手のバグ・ナウで剣を押さえていた。
何事が起こったのか、完全に理解できた者はいなかっただろう。
☆
「ダーナ卿、どういうつもりだ」
その場に沸いたと思えるほど、ジャーラフは突如現れた。
遅れて空気が弾け、砂塵が巻き上がったと思えるほど。全員が疑問や批判より、状況の変化についていけず固まってしまう。
「驚いたなジャーラフ。お主の気配消しは一級品だったが、さらに腕を上げた」
ダーナ卿が刀を引き鞘に納めると、鈴を鳴らす音が周囲のに響く。
誰もが息を吐き、止まっていた空気が流れだす。
ジャーラフは自然に発生する『カルマ』をほぼ完全に閉じる。それは視認していても意識が向かないほどの、レベルに達していた。
以前横に座ってたのに、声をかけられるまで気がつかなかったことがある。
「答えろ……っそれいかんによっては、排除対象とみなす!」
怒気をまとったジャーラフの詰問は止まらなかった。その言葉にダーナ卿の目が据わり、再び薄氷を踏む静けさが訪れる。
刃先とバグ・ナウが当たる音はしなかった。
つまりダーナ卿は自ら剣を止めたのだ。だがジャーラフが盾となり現れたから、寸前で止めたとも解釈はできる。
分かるのは予感として、彼がその気ならジャーラフごとぼくの首は飛んでいた。
「ほう、面白い……」
ダーナ卿が口の端を上げ、漆黒のマントを外し――再び2人が対峙する。
ノルブリンカですら混乱し、状況を見守って動けない。
弟さんや騎士たちは、ダーナ卿の剣技に瞬時に現れたジャーラフに、驚愕の対象をどちらにすればいいのか絞れずにいた。
マーラさんは、笑っていたけど……。
シューズを履いているジャーラフの瞬発力は、影も残さない域に達している。
ダーナ卿の剣技は、素人目にも達人以上だと推測できた。
共に「力」を――『カルマ』を啓いた者の対立。
ノルブリンカとマーラさんの殴り合いとは違う、異様な気配が場に漂っている。
汗が伝う感触で鼓動の大きさに気がついた、息を止めていたのだ。
風の騒めきも、鳥の鳴き声すら聞こえない。きっかけがあれば瞬時に片がつく、誰もがそう理解しただろう。
ジャーラフが第二関節で握り猫の爪が光る、ダーナ卿が軽く腰を落とす。
きっかけがあれば――…。
「ジャ――ッ!」
カレシーがぼくの緊張に気がつき、鎌首をもたげ飛び出した。獣の咆哮にも似たコンプレッサーの振動音が、空気に呼応し周囲に響く。
ジャーラフは内心どうだろうと動かず、ダーナ卿は――。
「ぅひゃあああ――~っっ!!?」
叫び声を上げ、その場から飛び退いた。
「なっ蛇……んで、ヘ? ビぃい――~っ!?」
息荒くぼくを見ながらも目が泳いでいる、カレシーを見たくないのだ。
それに気がついたジャーラフが意地悪く笑う。
「カレシーやれ! こいつは敵だっ!」
「ジャッジャ――――ッ!!」
「ぎゃあああああ――――~~っっっ!!!」
カレシーが走り、ジャーラフが楽しそうに追従し、ダーナ卿が逃げ回る。
その騒ぎと先ほどの異様な気配に、兵士と市民が集まってきた。
「さっきのは一体なに……っ男!? 男がいる、盗賊か?」
「シーちゃんが追いかけてる、敵か!? 敵だな!」
「赤マントさんの敵はあたしらの敵!」
「よっし敵だあ――っ!!」
ダーナ卿が訂正も修正もできず、敵に認定されてしまう。
「ブォオ――ッッ!!」
衛兵が角笛を鳴らす――約2秒吹く適度気笛。鉄道の気笛合図を参考にしたこの報せは……「注意をうながせ」である。
鳥が慌てて飛び立ち、場はかつてないほど騒然となった。
剣を抜き放った兵士が、手斧や薪を握った市民らが走り回る。近くにいた少女が腰紐をほどき、石を拾って投擲の準備をしていた。
「ああよかった、少しは自信になったかな」
呆然としていたせいか、状況も忘れ独り言ちる。
人口の約1~2%が兵士の数と言われるが、1500名の村で7%。約100名――アマゾネスには中隊と呼べる規模の、傭兵が養成されていた。
衛兵として街の警備だけではなく、養蜂や農業の護衛なども業務にふくまれる。
他の市民も武器の扱いは心得ており、訓練は日常に取り込まれていた。農兵分離ではなく、国民皆兵といえるほど各住居に武器も置いてある。
まさしく戦闘部族、アマゾネスだった。
「まあダーナ卿なら標的になっても大事ないか、あたしらは風呂に入んない?」
「そうしましょう~いい訓練になるわね」
ノルブリンカが提案すると、マーラさんが同意してさっさと背を向ける。
「隊伍を組めっ! 逃がすな、殺っちまえ――っ!」
「アマゾネスを舐める奴ぁ、生きて帰すな――っ!!」
殺気だった兵士が包囲の輪を縮めるべく、物騒なセリフが飛びかっていた。
「いいの、かなあ……」
「部隊行動と個別の武勇は、違うと思いますよ」
養成所を見学させてもらった際、思わず口に出た言葉に質問攻めされる。
「個別に鍛えるのが、ひいては部隊の強さになるだろう?」
「剣もまともに扱えない奴が隣にいちゃあ、やる気も失せっちまうがなあ」
「騎士ならば必須でしょうが、軍隊とは個の『集合体』なのです。部隊の編成や、対応練度がより重要でして――」
迂闊な発言は控えるべきだと思ったが、止められなかった。
小さい女の子が手の平から血を滲ませ、泣きながら槍を突いていたのだ。盗賊が身近な世界、身を守るための当然ともいえる鍛錬。
実感として理解はしつつも、アカーシャの姿が重なり忍びなく……。
そこでイダム卿に伝えるのを失念していた、遠距離武器を製作した。
投石器「スリング」――紐の真ん中に石を置き、遠心力で投擲。
投槍器「アトラトル」――長いオタマに槍を掛け、てこの原理で投擲。
女性でも容易に扱える上、慣れれば100メートルの距離を超える威力となる。
槍投げの世界記録が100メートル前後。一般人が同質の力を得れると思えば、驚異的ともいえる武器だ。
使い方次第では鳥や魚なども狩猟可能。
例え傭兵とならずとも、山間に住むなら色々と応用ができるだろう。残念ながら遠距離攻撃に最適な弓は、技術や技巧が欠かせず長期の訓練が必要。
「まずなにか一つ」
ウールドも言っていた、得意を見つけて伸ばす。
子供でも大人に対抗する術を身につければ、自信に繋がるだろう。アマゾネスの市民は騎士ではない、名誉を重んじなくともいいのだ。
「どうか身を守り、幸せになって欲しい……」
女の子たちがスリングで変な方向に石を飛ばし、咲いた笑顔に未来を願った。
「なんだいそれ?」
的を用意し教えていたら、見慣れない武器にノルブリンカが反応する。
「いよっしゃあ! どうだい、ど真ん中――っ!!」
「うん上手い上手いさすがはノルブリンカ! ……でも的が粉々になってますし、子供たちに練習させてあげて」
「姐さん、次あたしがやるっ!」
「待て待て順番にやろう、次あたしね!」
他の兵士も集まってきたので、ぼくは「重要な仕事」を思い出す。
どうやらそのあとバンダが捕まって、器具を複製させられたそうだ。押しつけた形になったのを謝りに行ったら、女性に囲まれ幸せそうだった。
「おおっあんた器用だねえ、大したもんだ!」
「本当だ、男にしとくのはもったいない! なあ、あたしのも頼むよ!」
「はははっこんなんでよければ、俺に任せてくださいっス!」
☆
「――やり過ぎだった、すまぬっ!」
無事誤解がとけ、お風呂に感激したダーナ卿が湯舟に顔を埋め謝る。
あれだけの兵と市民に追い駆けられ、ケガ一つないのはさすがと褒めるべきか。
「言い訳にしかならぬが、お主がバジリスクを討ったと報告があってな。ぜひ一度立ち会うてみたかったのよ」
謝っておきながら、再び挑むように笑う。
ヴィーラ殿下の噂の拡散がこう及ぶのか……中々に興味深く、苦笑した。
「分かりました。詳しい話はのちほどしますが、今は顔をお上げください」
どうも「強さ」に、かなりの比重を掛けておられるようだ。
ぼくも日本刀に関して訊きたいけど、属性に関しそうだし皆の前では自重する。
「サーランバ卿も驚かれただろう、無理に同行していおいてご迷惑をおかけした」
みっともない姿も見せしたし、修行が足らんなと笑う。
自虐が混ざりながらも頭を下げる、カレシーに遺恨が残らずよかった。
「――いえっ! 素晴らしい剣技をこの目で見れて感動しております。僕も騎士になった折には、ぜひとも剣を高めたいと思ってますので!」
流れのままにお風呂に入り、打ち震えていた弟さんが我に返る。
頬の高揚は暑さだけではないだろう、お湯をかき別けダーナ卿に進み寄った。
男子ならば……ぼくとて強さへの憧れはある。騎士学校にいるのなら、想いはさらに大きいのではないだろうか。
しかしどうも先輩騎士たちは、その態度に眉を寄せているようだ。
「持っている剣も特『キャ――』殊ですよね、何処の国『キャ――』に伝わる流派『キャ――――~』なので……しょう、か……」
隣の騒ぎで声がかき消え弟さんがうつむく、大丈夫気持ちは伝わったと思う。
「女3人寄ればかしましいとはいうが、この街は3人ではすまないからな」
ダーナ卿が胸から湧き上がる笑いをこらえている。
「これでもまだマシになったんですけどね……ん?」
湯気に漂うアルコールの匂い。
「もしかして、お酒持ち込んでませ――ん!?」
木柵越しに大声で呼びかける、飲まないせいかアルコール臭には敏感だ。
「キャ――男の叫び声だあ、姐さん助けて――~っ!」
「くう――っアラヤシキでの1杯がこたえられないっ!」
やっぱりだ、もう以前も持ち込んで湯舟で寝てたんだから。
危険だからあれほど禁止って忠告したのに、本当に好きなんだなあ。
「ワインを蒸留すれば、アルコール度数が4~5倍のブランデーになりますよ」
なんて絶対教えれないな、大問題になりそうだ。
「ダメですよ――没収しますからねえっ!」
「来るなバカ――っ! 変態坊主だって殿下に言いつけるぞっ!!」
「ええっジャーラフ!?」
湯舟から出て隣に行こうとしたら、珍しい絶叫が響く。
今までお風呂場に来たこともないのに、入浴までしてる?
「ああ――~…アユムあたしがちゃんと見とくから、今回は見逃してくれ……っておいジャーラフ無理すんな! 風呂から上がれって、な!?」
ノルブリンカの珍しく焦った猫なで声。
「うぅボクは――~…監視と、してぇ……」
もしかしたら、さっきの騒ぎを反省してるのかな?
ぼくを守ろうとしてくれただけなのに……。
「素直じゃないのが、ジャーラフのいい所だよね」
「シ――~?」
水面を滑って泳ぐカレシーが、頭に巻き上って自己主張する。
ぼくが度々入浴するせいか、一緒にお風呂についてくるようになった。
「シーちゃんもいい子だよ」
気がつくとなぜか全員が、壁にピタリと張りついている。
手を伸ばし頬をなでる、こんなに可愛いのにね。
アマゾネスには「アラヤシキ」が2軒建てられた。
すでに両方にろ過装置と、薪ボイラーが設置してある。
市民や過客が使う通常の公衆浴場と、傭兵の養成所にいる者が自由に使用可能な――いわゆる露天風呂。
沢沿いの窪地に石畳を敷き、岩で囲いを作っただけの手軽さ。
衣服を置くスノコはあるが、街中に突然露天風呂があっていいのだろうか。
兵士は自分で薪をくべ給水すればいいと人気はあった。一応騎士であるぼくと、整備担当のセツとバンダも特別に利用を認められる。
しかし当初は、混浴だったのだ。
「毎日が目の抱擁だっ!」
2人はことの他喜んでたけど、よく考えてみて欲しい。
筋骨たくましい女性の集団に取り囲まれ、値踏みされる状況を――。
「ぼくはマナスルで似た怖い思いをし……軽いトラウマになりました」
速攻で木柵に囲われた、4畳半ほどの「男湯」が作られる。通常は逆だろうなと思いつつも、手を合わせて歓迎した。
「あっお湯が止まってる、次やろうか?」
「いよっしゃあ! あたしに任せとけ――っ!!」
「姐さんが行った――っ!」
「盛り上がってるなあ、きっとあられもない姿で……」
ここからでは木柵で見えないけど、ポンプに向かったのだろう。
左右の腕木を2人で上下し、その圧力で給水する――「腕木ポンプ」である。
どうやらノルブリンカは1人でやっているみたいだ。セツと設置実験した際は、2人で大汗をかき翌日筋肉痛に泣き笑いしたっけ。
それなのに早くも重い泡が弾ける音がする。
水がろ過装置を通り、薪ボイラーに繋がるパイプからお湯があふれ出したのだ。
「もう出た、さすがはノルブリンカ!」
やばいと口を押えたが遅く、ぼくの声は思ったより響いていた。
「姐さん、次あたしがやるっ!」
「待て待て順番にやろう、次あたしね!」
さらに大騒ぎになってしまった、今日も10数人は入浴してたしなあ。
アマゾネスの兵士は、皆負けず嫌いなのだ。
「アユム卿、姉様の街に井戸はなかったはずですが、あの『ポンプ』と呼んでいる見たこともない器具は、いったいなんでしょうか?」
弟さん――サーランバ卿が、木柵越しにポンプの方を向いて問う。
「それは拙者も思った、井戸だとしてもなぜわざわざ細い管にしたのか分からん」
「井戸掘りは大変高価な仕事だ、沢沿いに作る必要が果たしてあったのか?」
ダーナ卿が顎をさすり、先輩騎士たちも顔を見合わせ呟く。
「あれも井戸なんです――『打ち抜き井戸』と言います」
――国で掘る井戸を大型トラックとするなら、原付程度の手軽さ。
周囲を石壁で覆い、大きく掘り進める通常の井戸とは違う。水を排出する筒の分だけを掘り進めるやり方。
わざわざ細い管にしたのではなく、細い管だからこそ掘れるのだ。
直径10センチ、長さ50センチの鉄の筒の一方に三角形の刃をつける。掘った土を溜めるための返し弁と、側部に水を逃がす複数の小さい穴。
これにひと回り細い鉄の棒を連結させ「土を突く」ように掘り進める。
安全ハンマーを使い地面に打ち込み、鉄の筒から土を出す。また打ち込む……。
掘りながら銅パイプを連結して入れていく。砂礫層に当たると少しきついけど、10日で7~8メートルは掘り進めた。
水が出たら手押しポンプを入れて完成。
手押しポンプはホーマ親方作で、マナスルでは水車動力で水を汲んでいる。
こちらでも風車動力を利用する予定だったけど、ノルブリンカが試作しておいた腕木ポンプを面白がって離さなかったのだ。
「いい鍛錬になるし、手動でいいよ!」
まあそのお蔭で、場所を問わず水が得られるんだけど――。
「ここがカルスト山地なのは知っていました。雨などが地下に浸透し、湧き水自体は少ないけど地下水が貯留します。水源の確保は問題ないですね」
この山の周辺は水量の期待ができていたのだ。
街中店は豊富な地下水脈に当たり、自然と水があふれポンプすら使っていない。
水に苦労しないだけで幸せだと思えてしまう。
「水を汲み上げる……確かに井戸、ですね」
「信じられない……あれが、井戸とは」
「沢は日常の生活用にも使われています、枯れる心配はないと思いますけどね」
だけど万一に備え、やはり井戸もあった方がいい。
広い湯舟に水を溜めておけば、溜池としても流用できるだろう。
「水が確保できれば、この『公衆浴場』が造れるのですか!? ならばアユム卿、サーガラにも同じ施設を建てれませんか?」
どうやらサーランバ卿はかなり気に入ったようだ、先輩騎士たちも頷いている。
「悔しいがこの街は輝いて見えた。それが『側溝』のお蔭なら、無様と罵られても伏して教授を願うべきだ!」
「それに闘技場の白い一枚岩とも思える施工! いったいどんなカラクリを用いているのか、ぜひお教え願えないだろうか!」
先輩騎士3名が強く頷き、そろって頭を下げた。アマゾネスの発展が信じられないのだろうけど、そこまであらたまらなくとも。
それは願ってもない話なのです、サーランバ卿に先輩騎士方、しかし――。
「まずは水と設置場所の確保。排水用の側溝を掘って、薪ボイラーをマナスルから運ぶ必要があります」
アマゾネスは地形的に傾斜が多く、排水を意識していたので設置が容易だった。
「しかしなにより、全て領主であるサンガ伯爵の許可が必要となるのです」
「――っ!?」
街の大規模な改善が基本方針となっているのだ。
父親の名が出てサーランバ卿が口ごもる。想像できたのだ、「決断しない」方が未知なる工具を認めるかどうか。
立ち上がりかけていたのを座り直し、口元がお湯に浸かった。
薪ボイラーはマナスルでは常識なのか、側溝は溝を掘ればいいだけなのか――。
先輩騎士たちが詰め寄り熱心に訊いてくる。
サーガラの騎士が食いつかれ、ありがたくもかなりの手応えを感じれた。
領内にある街が発展し、領主であるサンガ伯爵の耳に留まる。直訴できるだけの業績となってくれればいいのだけど……。
「決めた――っ!」
ノルブリンカが叫び、スノコを踏みしめ近づく音が響く。
「お前いい加減にし……っアユム――目え閉じにょおっ!」
漆黒のマントを体に巻いたジャーラフが引きずられてくる。
ノルブリンカが男湯の扉代わりに使用していた暖簾にぶつかって、体にまとった姿のまま声高に宣言した。
「剣闘士競技会――開くぞっ!!」
「「うおおおおおお――――~っっ!!!」」
木柵の向こうで、絶叫と呼ぶほどの叫び声が上がる。
ノルブリンカ円形闘技場で開催される、養成所の花形競技会。恥じらいをたしなめるより先に、ぼくも気持ちが盛り上がった。
体験したことのない祭りに心が躍る。
褐色の女性 「そしたら大人しく帰るから、殿下には黙っといて!」
無精ひげの男性「……」