五十夜 アマゾネス
サーガラ領領主、サンガ伯爵のモットーは寛容と寛大である。
馬車で街を通るさい、市民が多くなればスピードを緩めるよう通達してあった。
飛び出したり倒れたりと、万が一の危険を回避するための配慮である。
どんなに急いでいてもゆっくり走り、声援に応え手を振るのだ。
さらに市民に泣いている子や押されて転んだ子がいたら、即座に馬車を止め頭をなでて抱き起こす。
これを計算やパフォーマンスではなく、ごく当たり前に果たしている。
「かっ閣下! 失礼かと存じますが、どうか話を聞いていただけませんか!」
なので城館の廊下で領主を呼び止める無礼な行為も、注意するのは衛兵や家令の大切な役目だった。
サンガ伯爵は皆に感謝し、どうしたのか話をしてみなさいと優しく問うのだ。
『領主が声を荒げ、感情のまま怒鳴る姿など見たことがない』
それがサーガラ領領主の、サンガ伯爵の評判であり偽りのない人となりである。
「愛する熱意……いや、アマゾネスか」
サンガ伯爵は耳慣れない街の名に記憶を探り、やはり聞き覚えがなかった。
「はいっ! まさに愛と熱意にあふれた、サンガ伯爵令嬢が治める街の名です!」
廊下で声をかける無礼な行為に恐縮しつつ、若い貴族は説明する。
娘の名が出て、サンガ伯爵の髭が誰も気がつかないレベルで上がった。
「ふむ……ノルブリンカがまた何かやらかして、迷惑をかけたのかな?」
しばらく大人しくしていたのにこれだ。父親の立場を考えてほしいと思うのは、過大な要望なのだろうか。
寛大な領主は心でため息をつく。
二か月近く前、城館に現れた「奇天烈な少年」のことは完全に失念している。
「いえ、とんでもございません! 市井の片方はむしろ喜んでいるといいますか、それにより混乱が生じてはと、失礼ながらお声をかけた次第です!」
手を振り汗を落とし、若い貴族は忙しげに目を泳がせた。
領主は会議の場で大きくはできない話――と察し、向っていた執務室に招く。
衛兵に廊下で警備するよう申しつけると、家令には飲み物を頼む。
若い貴族が佩刀してないとはいえ、領主が面識のない者と二人きりになるなど、安全管理において実に不適格と言わざるを得ない。
若い貴族は初めて入る執務室に緊張しながら語る。
「それで徐々に噂が広まったのです、アマゾネスはなんだかすごいと――」
「う――~…んアマゾネスのほうがうまかったなあ」
お客さんが奇天烈ドッグを頬張り、発したひと言からすべてが始まった。
サーガラで屋台を営む、コールマン髭のおじさんの時間が停止する。
「マナスルのほうがうまかった」
これは自分でもわかる、悔しいのでどうにか近づけたい。
「二軒隣にある屋台のほうがうまかった」
百歩譲ってこれなら努力もしよう。
しかし、聞いたこともない街のホットドッグのほうがうまい?
「アリエナイ!!」
コールマン髭が天に突き立ち憤る。
食品に携わり二十数年――行商のかたわら食べ歩き、味を模索した半生。ついに元王都マナスルで、自分が探し求めた味に出会ったのだ。
噂では料理職人になる夢を見た少年がマナスルにやってきた。ある日なりゆきで狼、猿、鳩をお供にしモルディブに向かう。魔獣を討伐し「絶品三食」のレシピを手に入れたのだという……。
「食材はみんなのために、みんなは胃袋のために!」
天に感謝した、ここまで洗練された料理はほかになかったと。
形こそ縦長だがすでにあるパンに、すでにあるソーセージを組み合わせる。
味気ないキャベツを煮こまず、生で食べるなんて誰が発想できた?
キャベツとパンに染みこむ、ソーセージがもたらす肉汁のハーモニー。それらを混然と一体化させ、増幅させる恐るべき濃厚なソース。
単純でいて複雑、簡単でいて複雑。
「パン、具、ソース……三味一体っ!」
だから特許使用料を払い、自分の力にしていずれ越えてやると、毎日試行錯誤し味を追求しているのだ!
今でもレシピを見てうなり、実地研修を振り返ってうなり……。
それがぽっと出の街のホットドッグに、味で負けるだと!?
「名を騙っているに違いないっ!!」
商人や屋台持ちは誰もが口をそろえた。
だが名を騙ろうと「うまい」のであれば、問題は違ってくる。
「つまりアマゾネスとやらの店は、俺らと同じく特許使用料を払ってる。そのうえで一歩先をいってるのではないか?」
「ほかの製品と違い、この料理は自由競争が推奨されている。認められてる以上、品質規定違反だと訴えるのは筋違い……か」
お客さんに迫り話を聞くと、「特許使用許可証」が掲げられていた記憶はない。
しかし幸いにも街までは、無理をすれば馬車で一日の距離。
「マナスルと違いそう遠くはない、皆で旅費を都合して確かめないか!?」
周囲で切磋琢磨している、同業者の屋台持ちたちに声をかける。小売商ギルドの加盟成員は行動が早かった。
即座に「絶品三食」のメンバー、「絶品三獣士」を選出しアマゾネスへ向かう。
襲いかかるように屋台に走り、獣の目つきで睨み注文し――ひと口。
「マナスルの……『本場の味』だっ!」
「久々に食べた、この心を揺さぶられる味は忘れようがない!!」
「以前に勝るとも劣らない、いやより練られてはいないか!?」
なんとしてでも再現してやると誓った味が、それ以上の味がここにあった。
コールマン髭がシナリとうな垂れる。
三人は屋台の前で、食べかけのホットドッグを交差させた――。
「い、いやまだだっ! 鶏の唐揚げ、それにお好みクレープも試さなくては!」
「絶品三獣士」は休むのも忘れ、口を押さえるまで胃につめこんだ。
潤む目は悔しさか食べすぎか。
翌日も食べ歩き議論を重ねるが、自分の屋台を閉めっぱなしは問題だし、報告を待ち望む同業者も放ってはおけない。
なにより一刻も早く「舌」に残る味の、試作に取りかかりたかった。
「絶品三獣士」は盛大に後ろ髪を引かれながら、サーガラへの帰路に就く。
「なんか……屋台の数減ってません?」
商人がギルドで腕を組み、発したひと言から噂は加速する。
どうやら近くの街で料理研究をしているようだ。
ギルド的には市場でもないのに、他領地での商売は認められない。けれど勉強であり食べ歩きなら何も言えない。
せいぜいアマゾネスの街に行きたいと渋る、行商人をいさめるだけである。
「アマゾネスって、あそこでしょう? 例の……そうそう闘技場の!」
商人も自分が口ごもっているのは自覚していた。
どうにも後ろめたい気持ちにはなる、しかし屋台が減っているのは事実。
「別にやましさなどありません――妻子がいるかどうかは関係ないでしょう!」
話を戻しませんかと、声をひそめ顔を寄せる。
「俺の勘ですが……商売に関わる重大な事件が起きている、つまり投機の話です。これは経済的利益を守る、ギルドの理念に基づいた正当な問題定義です」
平たく言えば、儲けをフイにするわけにはイカナイデショウ――?
親方層であるギルド役員に熱く語ってしまい、咳払いをして流す。
「仕方がないので俺が見てきましょう。だから俺があの街に行ったとか、ほかの奴にはけっして公言しないでください……ね?」
わかりました詳細は帰ったら詳しく教えますからと、袖の下をわたす。
そうして旅だった商人はなかなか帰ってこなかった。
ヤキモキして待っていたギルド役員は、ようやく帰ってきた商人につめ寄る。
「いやあ……極楽でしたねえ」
商人のひと言に、事態はさらに混然としていく。
「――それでは、何もわからないではないか」
長い話が終わり、執務室でサンガ伯爵が苦笑する。
手には家令が淹れた蜂蜜酒を持っていた。
「若い貴族が緊張するぞ」
笑って家令を下がらせる、だがそこまで重要な話ではなかったな……。
暖炉の炎が灯る対面で、若い貴族が緊張しつつ続けた。
「はい……その、サンガ伯爵令嬢の街は例の――しっ失礼しました! いささか、よその街とは違う部分がおありしましてですね」
若い貴族は持っていた蜂蜜酒を盛大に震わせ、居住まいをただす。
サンガ伯爵は気をつけつつも、憮然とした表情になっていたのだ。
ノルブリンカに勝手を許してしまったせいで、女性が中心となって運営する――常識を疑う領地となっているのだ。
どこを見ても女性がいて、目移りする街だと影でささやかれていた。
若い男性なら一度は行ってみたいと……興味を持つなとは言いがたい。税収入的にも今さら止めろと言えず、もっか悩みの種だった。
「街から帰ってきた男たちは多くを語らないのです。それでも酒場では噂が流れ、そしてどこへ行ってるのか察した妻や娘が……その、険悪になると」
気分的な問題もあるがそれ以上に、六月ともなれば農作業が本格化する。
休閑地の犂耕に飼料用の干し草刈り、羊毛刈りもせねばならず目の回る忙しさとなる時期に――家を空ける理由がそれかと。
若い貴族がなにを言おうとしているのか、サンガ伯爵はやっと理解ができた。
しかしさして重要ではなく、落胆を瞳の奥に隠す。
農作業で数日のずれなど、天候によって日常的に起こる。屋台や商人が減ろうと先日の市場も順調に進行しているし、税収入の減少も気になるほどではない。
いや娘の街で金を落としているのなら、態勢に変化はないと言えた。
「――なるほどよくわかった! 国の未来を憂いた、君の行動こそが誇りだ!」
「いっいえそんな! わっ私はただ……っ」
サンガ伯爵が椅子から立ち上がり、若い貴族の前まで歩み寄る。
両手をガッシリと固くつかみ、力をいれて上下に振った。
「私は領主として誓おう! 君の心根をけっして無下にはしない、ありがとう!」
熱い手のひらと紳士なまなざしを受け、若い貴族は感激のあまり涙するのだ。
印象により感情の起伏をとらえるのは、上に立つ者の重要な資質だった。なんら具体的な承諾をしなかったと、気がつかれることもなく。
「娘にも、困ったものだな」
緊張と感動で声を震わせた若い貴族が去ると、執務室に静けさが訪れる。
ため息をつくと市民がけっして見られない、眉の下がった表情が表れた。
「――そうですか? とても姉さまらしいではないですか」
衝立の影から若い貴族よりさらに若い、十歳をやっとこえた少年が現れ迷いなく領主に歩み寄る。
佩刀に慣れた立ち振る舞いから、生まれながらの貴族を感じさせた。
「ノルブリンカ姉さまは領地にも縛られぬ、自由な方ですから」
窓の外に流れる雲に姿を重ねてほほえむ。
「単なる貴族か、あるいは平民だったなら……それでもいいのだが。まあ取り立てるべき点はなかったな、今さらながら娘の道楽ぶりが知れただけだ」
残った蜂蜜酒を飲み干そうとして、それが娘の養蜂園産だったと思い出す。
「……おお、すまぬなサーランバ。騎士学校の生活を聞いてやりたかったのだが、塩田へ視察におもむかねばならん」
本来は息子とコミュニケーションを取る時間だった。
せっかく執務室に呼んでおいたのに、つまらぬ時間をとったと自嘲する。
「そうだサーランバよ、同行するかね? それなら馬車で話ができるし、なにより市井に姿を見せるのは領主の勤めだぞ!」
これはいいアイデアだと、サンガ伯爵は大いに盛り上がった。
「いやだなお父さま、ブリハスパティ兄さまを差しおいてそんなことできません」
少年が笑って小首をかしげる。
「――うむ、そうだな。兄を立てるのは、いいことだな……」
サンガ伯爵が表情を隠して扉に向かう。
幾分影が射したのは、見間違いではない。
「では視察でしばらく留守にする。話は今度聞こう、楽しみにしておるよ」
「ああそうですお父さま。代わりではありませんが、先ほど話に出た姉さまの街、アマゾネスに行ってみてもいいですか?」
少年が笑顔を作り背中に声をかける。
家令を呼び部屋を出ようとした父は、息子の意外な提案に振り返った。
「サーランパよ、内情はどうあれ今は騎士学校の生徒。おまえまでそう自由に振る舞うべきではない、そうしたいのなら――…」
「僕も数年後には従騎士となり、立派な騎士となります。姉さまがサンガ伯爵家の恥となっていては困るのです、それに……いずれは所領経営も学びたいですし」
胸を張ってはいるがどこか不安げで、少し陰のある視線が父親を見つめる。
佩刀した剣が光り、そこだけは若き騎士の姿に映っていた。
「ほう……ノルブリンカをいさめ、所領経営の実地研修……か」
そも代理とはいえ女の身で、領主をやっているのが間違いなのだ。因果伯の立場もあるし、集中させたほうが殿下の覚えもよかろう。
娘の街は確か市民千五百人ほど、サーランバが治めるには手頃だ。
まずは経験を積み、そしていずれは――…。
「大人になれば分別をわきまえ、騎士になるとは言わなくなろう」
それはとてもいいアイデアだと、サンガ伯爵は一人で何度もうなずいた。
「――ふむいいだろう、騎士学校には私から通達しておく、誰ぞ護衛にも回そう。どこの地であってもサンガ伯爵家を継――…の息子だと、忘れぬでないぞ!」
肩に手を置き、理解ある父親として若き息子を送り出す。
「ありがとうございます、お父さま!」
サーランバと呼ばれた少年は父を見送ると、息を吐いて執務室を出る。
廊下の奥、柱の影に話をしていた若い貴族が立っていた。
「あの……あれで、よろしかったのでしょうか?」
若いと言っても二十代。
頭ひとつ低い少年の気分を害さぬよう、ご機嫌を取っている。気遣わし気な姿が上流階級を匂わせた。
「はい、ありがとうございます。父もたいへん感謝をしておりました!」
半分以上は偽りのない本心である。盗賊の襲撃も騎士学校へ知らせてもらえた、おかげで姉さまに伝えられたのだ。
若い貴族は少年の笑顔の返答に、あからさまに胸をなでおろす。
「できればこれからも、よろしくお願いします」
杯を下げにきた使用人が執務室から出てきたのを見て、父の杯を受け取る。
蜂蜜酒が残されているのに気がついたのだ。
「ノルブリンカ姉さまの養蜂園から運ばれたと知って、飲み干さなかった?」
それは期待か、失望か。
ひと息に飲み干すと、少年は廊下を早足に歩き出した。
☆
「サーランバ卿、いかがした?」
騎馬を駆る五名が早朝サーガラを出立し、王道にひづめを鳴らして数刻。
少年が首を捻っているのに気がつき、護衛が声をかける。
「いえ……道がやたら走りやすいので、なぜかなと――ほらっあそこ!」
サーランバ卿の視線は石畳ではなく、舗装された「白い塊」に向けられていた。
問題なく通過し、振り返りながら今一度確かめる。
「実は以前通ったときはもっと荒れていたんです。全体的に古く寂れているのに、妙に走りやすくなんだか変だなと」
かつて姉の街へ訪れた記憶に照らしていたのだ。
人知れず整備された王道――「異変」は、すでにここから起こっていた。
「走りやすいのなら、問題ないのでは?」
意味が理解できず、護衛を任じられた騎士があくびをする。
サーランバ卿が小姓を務める騎士学校の先輩たち三名。気心の知れた騎士のほうがよかろうと、サンガ伯爵が気を回したのだ。
「しかし主要道の変化に気がつくなど、サーランバ卿は実に所領経営向きですな」
「うむっ貴重な資質だ、立場は違っても市井を守る騎士といえよう」
「いずれ彼の方と同じく、領民の生活を支える存在となるのが目に見えるようだ」
今のうちに顔を売っておくか――。
徒歩の過客を追い越し、太い笑い声が響く。
領主直々の命令とはいえ先輩騎士たちは気楽だった。女だけの街だと噂に聞き、田舎へ物見遊山にいく雰囲気すらある。
街の領主は主君のご令嬢であり、なにより「因果伯」の一人。
「あの……黄鬼が治める街」
サンフラワー色のプレートアーマーを指した、ノルブリンカの二つ名である。
女性名称の「オーグリス」としないところに、複雑な心理が見え隠れしていた。
「ふん……だがしょせん女に、なにができるものか」
騎士学校の出身なら、彼女の存在は痛いほど身に染みている。なのにそういった意識があったのは否めない。
声高に批判はできなくとも、所領経営は別だろうと――。
騎士学校には貴族や富豪商人の次男、あるいは庶子が送りこまれる。
長子は自宅に家庭教師を呼び、教育を受けるのが一般的だった。血縁であっても身分差が生じるのは、物心つく前からの常識である。
サーランバ卿も七歳のころに親元から離れ、いち小姓として騎士学校に入った。
先輩騎士の武具の手入れから、雑用に使い走りまで。領主の息子として何不自由のない生活から、使用人扱いされる生活へと変わる。
合間に読み書きの勉強もしなければならない。
すでに五年……寝食をともにしたかけがえのない同期たち。皆似通った境遇で、喧嘩をして仲なおりをし、泣き笑ったのだ。
あと二~三年がんばれば従騎士となる、先輩騎士の槍持ちとして戦場へいく。
こっそりと剣を構え槍を掲げ、英雄となるその日を夢見ていた。夢を見るしか、なかったから。
領地を拝領できなければ、残された道は兵士しかない。
サーランバ卿がO属性だと、判明するまでは。
姉の街に到着し、騎馬の五名は我が目を疑う。
「アマゾネス」は明らかに……認めたくはないが明らかに、サーガラより発展して見えたのだ。
文字通り輝いていたのは、夕暮れが近かったからだけではない。
街に近づき、見えてくるによって「異変」は増幅していった。完全に街の全貌をとらえたときには、「しょせん田舎」の願望は打ち砕かれている。
「サーガラのほうが……田舎に見える」
誰の私見か、しかし反論はなかった。
疑問を浮かばせ木柵と空掘りの市門を通る。五名は周囲を幾度も見回しながら、混雑の合間を縫い馬を進めていく。
「今日は市があったのでしょうか……?」
サーランバ卿の問いに答えはなかった、それだけ賑わっていたのだ。
通りを歩く頭巾をかぶった女性の、かすかに見える髪が光っていた。サーガラから来たのか男性が肩を組み、すでに千鳥足だ。
そこかしこから笑い声と、活気のある喧騒がこだましている。
風に乗っておいしそうな匂いがし、お腹が自己主張をくり返してしまう。
「屋台に駆け寄るか、宿屋を探すか!」
先輩騎士はあふれる気持ちと胃袋を、なんとかごまかすのに精いっぱいだった。
そしてどこからともなく流れてくる、料理とは違うよい香り――カレンデュラと呼ばれるハーブの香りであり、人々の肌から漂っているのだ。
熱気と湯気が街を包んでいた。
そうしてやっと気がつく、道が見たこともないほど美しいことに。
石畳が王道で見た白い塊で補修され、汚物は存在すらもしていない。主要道路の端には側溝が掘られ、木枠に水が流れている。
誰も「塊」を避けるそぶりがなく、踏まないように気をつける必要もなかった。
輝いて見える理由がわかったと、朧気ながら納得する。
そうして「ノルブリンカ円形闘技場」にたどりつく。
遠目に丸く巨大な建造物は圧巻で、さらにすべてが白くおおわれていた。見事なたたずまいは「白亜の豪邸」を連想させる。
「……漆喰?」
「何か」を塗装して見えるが漆喰ほど薄くはない。以前は完成前だったとはいえ、石を積み上げただけではなかったか。
見上げる壁は半円形状の、白い一枚岩にしか見えなかったのだ。
「サーガラが勝っているのは、街の大きさと石の城壁だけ……」
愕然とした重い空気が漂い、口を開けたまま石化する。
「どうしました? 馬の調子か、どなたかご気分が悪いのですか?」
「――はっ! あ、いや……ゴホン」
闘技場のそばで、乗馬したまま立ち止まっている集団。
巡回中の女性衛兵が声をかけると、先輩騎士は自然に礼で返した。衛兵は見事に規律が守られ、整然としていたのだ。
左胸に当ててしまった右手を振り、今の雇い主のサーランバ卿に顔を向ける。
「いえあまりにも街が立派なので、つい見とれていました」
少年の率直な感想に、認めたくない先輩騎士たちの表情は曇った。
「そうでしたか、ご覧のように過客で賑わってます。宿にかぎりがありますから、なるべく早く部屋を取ったほうがいいですよ」
にこやかな対応だったが、細部まで観察する目つきや厳格な雰囲気。サーガラの衛兵と遜色がない立ち振る舞い。
「使えそうな兵士だ――…っ!?」
先輩騎士は高い技量を把握し、相手は女性だったと思い返して混乱する。
「――あれ? やっぱり、サーランバ坊ちゃんですね!」
少年の声に反応し、巡回兵士の隊長格が振り向いた。




