四十五夜 高く飛ぶためには……
この時代、貧困層や使用人は裸足の者が多い。だが馬車で都市部を通ったとき、サーガラにも「塊」が散見していた。
そこでジャーラフに、「シューズ」をプレゼントする。
今までどうしていたのか知らない、でも女の子が裸足で歩くのは抵抗があり……ぼくのわがままだとは自覚している。
「だけどアユムの靴みたいに、妙な段差があるんだろ?」
「妙な……まっまあ気に入らなきゃ脱いでもいいからさ、試すだけでいいから」
ジャーラフは足元を見ながら、不承不承でうなずく。
衝撃吸収ブーツは召還した現代の製品。ぼくにとり靴の踵はあって当然だけど、生活習慣の違いが如実に表れる。
桶にお湯を用意してもらい、まずは石鹸で足を洗う。
くすぐったそうだ。スーリヤさまに背中を流してもらってたとき、ぼくもこんな顔をしていたのかな。
そういえば別に臭わないよなと鼻を近づけたら、無言で蹴られた。
「……ごめんなさい」
靴の踵が普及するのは、一七世紀である。
「短距離走者用スパイクシューズ・全天候型」
最軽量一〇〇グラム、スマホと変わらない軽さ。グリップ力が強く推進力に置き換える反発性、接地時の衝撃吸収性、摩擦に対するアウトソールの耐久性が高い。
希望もありより裸足に近い感覚を得られる、フラットな形状のソール。
ジャーラフの性質上ブラックを選択。
「どうかな、動きにくいとかない?」
「んん――~妙な圧迫感はある……かな」
初めて靴を履いたのか、眉をひそめ違和感を抱いている。
靴の先を床に何度か弾ませ、一瞬体重をかけた――とたんにかき消えた。
「ジャ……ええっ!?」
真正面にいたはずと、驚いて周囲を見回すがどこにもいない――窓から外へ!?
焦って振り返ったら、背後で声が響く。
「すごいなコレ! 何も履いてない、どころか壁に吸いつくよ!」
ジャーラフが壁の角、天井近くに張りつき驚いていた。
自然に発生する「カルマ」さえも閉じてしまう。
「完全に気配を消す術があると、バクティ卿から教わってはいた。でもこの距離で存在を見失うなんて……っ」
ほとんど瞬間移動だな。
どうやら彼女は対象者が向けている意識まで、感覚としてとらえているようだ。
右に意識を向けている者に左から寄る、瞬時に現れて見えるに違いない。
無意識にやってるにしてもこれは――「力」のある者に最先端技術まで贈ると、信じられないポテンシャルを引き出す。
「少し、怖いくらいだ……」
さしあたり問題はないようなので、もう一組召喚し手入れを教えた。
「クリーナーは……ないよね、ブラシで汚れを落として布で縫い目やシワを磨く。一足だけ使うんじゃなく、交互に履くのもいいね。日々のこまめなクリーニングが長持ちさせるコツで……ジャーラフ?」
さっきまで興奮してシューズを愛でたのに、なぜか急激に静かになる。
「やっぱりさ……こんなに便利な物は、ボクより殿下に……」
話してるときもなでるくらい気に入ってるのに、どこまでも殿下なんだな。
我慢している姿がかわいかった。
「これはジャーラフへの個人的プレゼントなんだ、ぜひ受け取ってほしい。それに殿下のそばには……誰がいるかわからないだろ?」
興味を持つだけではなく盗む、あるいは秘密を暴こうとする輩――。
ジャーラフは意味がわらず首を傾げている。
「そうだなあ……ジャーラフはこのシューズを売って、お金にしようとか思う?」
「はあ? そんなことするわけないだろ、こんなにすごいのに!」
すごいから、なんだけどね。
召喚した品をおいそれとは広められないけど、彼女なら心配はない。
「そういうところだよ、ジャーラフ」
なんだか面白くって、口内で笑ってたらお尻を蹴られた。
「そういうところだぞ、ジャーラフ……」
城館のホールで、市場に誘ったノルブリンカが待っていた。
少し遠いから馬車で――と話してたら、ジャーラフが走ると言いだす。
「昨日は走ったあとだから乗ったけど、馬車は窮屈で苦手なんだ。それにほらボクは監視だし、並走する義務がある!」
漆黒のマントにシューズを履き、楽しそうに軽く飛び跳ねている。どうも本音は別にあるようだ。
ずいぶんと気に入ってもらえて、それは本当にうれしいんだけど。
「んじゃあ、あたしも走ろうかな!」
ってなりますよね。
そして競争するジャーラフとノルブリンカを、見失わないよう必死に追う。
「監視とか、護衛とか、考えようよ――っ!」
ぼくの叫びは、青空に吸いこまれていった。
この二人といると嫌でも鍛えられるので、いいことなのだと己に言い聞かせる。
心の安らぎであるカレシーは、お腹でぐっすり寝ていた。
競争はどちらが勝ったのか、胸を張るジャーラフを見てあえて訊かなかった。
☆
市場はサーガラの中央広場で催される。
街中に旗が立てられ、開始の合図である教会の鐘が鳴り響く。待ちかねた商人と領民が広場にあふれていた。
日よけの天幕がたなびき、所狭しと品物がならべられる。
本日は週に一回の市場だった。街の商店や街頭商人だけではなく、他領地からも商人が集まってきたのだ。
通常は縄張りがあり、職人ギルド成員しか商売はできない。
それが市場の間だけは解放されるので、多様な賑わいをみせている。年に数回の大規模な定期市など、一か月も続く大騒ぎとなるそうだ。
歩くのも困難で、石畳が見えない大混雑。
市場が開催中は民家も仮宿屋となり、通行税が減額され、街に犯罪を取り締まる衛兵が目を光らせた。
「旗が立ったぞ――!」
それだけで市民の顔がほころぶのだ。
収穫祭と同様市民にとってのお祭りであり、娯楽をともなうイベントである。
「そうか向こうの世界でも商品の値札が当然となるのは、一九世紀からだっけ」
中央広場は騒然となり、呼び売り商人が口上香具師が大声で客を引く。客もなんだかんだと話しこみ、値段交渉に余念がない。
見慣れない雰囲気のなかさらに違和感があるのは、値札が掲げられていない点。
識字率の低さ……値札表示は「両者が字を読める」のが前提の習慣。この時代はすべてが口頭で、現在と比べ物にならないほど「会話」が重要だった。
「フフッ空気が違う――か、本当に異国だな」
サーガラはパシュチマ連合王国とも海上交易している。
市場にはマナスルにない食材や製品がならび、見ているだけで飽きない。領民は地元で手に入らない商品の説明を受け、交渉し、話のタネにと購入していた。
商人と客のやり取りを眺めるだけで、市場を堪能できるのだ。
「……差し迫った期限がなければ、だけど」
何かあるたびに立ち進まない現実に直面し、気分がめいってしまう。
「黄昏れる」しかなかったのだ。
「ほらアユム、向こうで大道芸人の笛の音がする。行ってみようか!」
ノルブリンカが気を使っているのか、腕を組んでなにかと話しかけてくる。
スーリヤさまに匹敵する、豊満な胸が当たって柔らかい。
「サンガ伯爵令嬢……伯爵のご息女とは、とても思えないなあ」
腕を引かれるままついていく。
いろんな意味で貴族には見えず、気楽さに心が和む。
「おお――――~!!」
「すげ――っ!」
音楽に合わせ、半身に羽の生えたハーピーが舞っていた。人にはおよそ不可能な動きに、市民も魅入って拍手を送る。
二足歩行の猫かと驚いたらケット・シー、見事な口上で舞台の説明をしていた。
リザードマンが雄たけびをあげ、樽をかついで喝采が弾ける。小柄で犬の頭――コボルトが舌を出し、ナイフでジャグリングを決めた。
軽やかなタンバリンの音色が心地いい。
「そういえばマナスルでは、亜人をほとんど見かけなかったなあ」
亜人はパシュチマ連合王国に、多くの街があるそうだ。大道芸人にまざって芸を披露しながら各地を巡ると聞く。
実り豊かで人が多く賑わう場所でなければ、娯楽商売は難しい。
今のマナスルなら亜人が立ち寄り、音楽が鳴り響く市場が開けるのではないか。
多種多様な種族が混然一体となる情景、ファンタジーに心が躍る。
「ねえお兄ちゃんは、なんの芸をするの?」
突然袖を引かれ、子供が話しかけてきた。
日中は暖かな陽気になり、コートをはおらず燕尾服を見せている。皆日に焼けてたくましいから、ぼくの色白が珍しく大道芸人に見えたのかな。
「お兄ちゃんは……そうだねえ、お話が得意かなあ」
「あっギンユウチジンなんだ――っどんなお話――?」
笑って訊いてくる子供に話を合わせてあげた。
「これ、なにしてるのこの娘はっ! 申し訳ございません、お邪魔をして……」
「いえ問題ありませんよ、またねお嬢ちゃん」
お母さんが血相を変えて引き取りにくる。何度も頭を下げては子供を引っ張り、そんなに恐縮しなくてもいいのにと手を振った。
ぼくはむしろ側溝通りで、子供たちに物語を話していたのを懐かしむ。
皆元気でやってるかなあ……今の娘みたいに、何度も話を聞きたがってたっけ。
「っほらジャーラフ、大きな牡蠣だ! マナスルじゃ食べられないね――!」
心を振りきれない自分が情けなくて、無理にでもはしゃいでみた。
同じように見て周っていたジャーラフに、振り返って声をかけ――…。
「えっと……ジャーラフ? どう、したの?」
なぜか漆黒のマントに黒い靄がかかり、目だけ青く輝いている。
気がつけば領民がぼくらを避け、周囲は完全に空間ができていた。やたらと歩きやすいな、佩刀していて身分がわかるせいかなと思っていたけど……。
ノルブリンカが豊かな胸を押しつけ、涙を流して爆笑している。
ジャーラフの黒い靄が増し、周囲の市民がさらに遠ざかった。
「……なぜ?」
ノルブリンカが言っていた、「面白いもん」の正体が判明する。
一段と混雑する屋台村の一角で、客引きの声がこだましていたのだ。
「アラヤシキクレープの列はここで――すっ!」
「マナスルで一番人気――奇天烈ドッグ――っ!」
ここまでは首を傾げつつもまだいい。
「アユム揚げ――アユム揚げ、次回分揚がったよ――っ!」
その名称はいかがなものか。
「噂」を広めてほしいとはお願いはした、でもまさかこうなるとは。
「二~三回前の市場からかな、やたらうまいって屋台が噂になってた。あのときの坊主が関係してるとはなあ」
ノルブリンカがアユム揚げを頬張り、笑いながら説明してくれた。
ぼくの護衛は、ほとんどウールドがやっていたそうだ。そうなると因果伯とは、召喚の間ですれ違っただけですからねえ。
連呼される名に頭を抱える、サーガラの市民には受け入れられてるようだ。
「それもどうかとは思うけど……」
味は――と気になり、列にならび買ってみた。
うん試行錯誤しているのが伝わる、いい傾向だ。
「前代未聞昼食会、のときのがうまかったな」
ジャーラフがペロリと舌を出し、奇天烈ドッグを吟味する。
昼食会にそんなタイトルが……そしてキミ、いつの間にか食べてたんだね。
「えっ? ジャーラフそれ食べて平気なの!? あっそうだ昼食会のポタージュ、あれにはタマネギも入ってたんだよ!」
「んっ……なにが?」
ほっぺをふくらませて奇天烈ドッグにかぶりつく、気を回しすぎたかな。
幸いにもぼくの顔を覚えている、商人や屋台持ちはいなかった。
「あれ? どこかで……」
燕尾服を見て記憶を探り、首を傾げる程度だ。
まあ特許の説明会ではウールド――「貴族」の印象が強かっただろうしね。
「マナスルでも評判でした、こちらでも好評みたいですね」
大汗をかきながらソーセージを焼く、コールマン髭のおじさんに訊いてみた。
「兄ちゃんはマナスルの屋台を知ってるのかい、サーガラの客は大絶賛してくれるんだがなあ……『本場の味』を知ってる客は物足りないそうだ」
「もう数段違うな」
ジャーラフがフードをかぶったまま、奇天烈ドッグを食べて評した。
「娘さんは厳しいな……まあ俺も、そう思うんだがなあ」
コールマン髭が若干下がり、苦笑しながらも認める。
売り上げは上々だが満足はいかない、味を確かめたいがマナスルは遠い――と。
「これがある店が本当のマナスル産だからな、間違えて変なもん買うなよ」
屋台には誇らしげに、「特許使用許可証」が掲げられていた。
流行っていれば――マネならまだマシで、名を騙る店が出てきかねない。それは全体の評判と信用を落としてしまう。
そこで対処として特許使用許可証を張り出す、独自の線引きが生まれる。
これはスーリヤさまにお願いし、「光恚」で作成していただいた公文書。インクによる書類ですらなく、そも偽造はできない。
しかも外見だけ整えたくても、商店クラスで「筆記」できる者はいない。
許可証の偽装はほぼ不可能と言っていい。それがいつの間にか広まって、本場の証明変わりとなったそうだ。
「特許使用許可証の使い方的には違うけど、目安になってるのならまあいいか」
パンとソーセージは用意ができても、ソースの再現は困難だ。レシピがあっても行き詰まってるんだから。
水――「蒸留水」に関しては、発想するのも難しい。
「レシピには書いてない、実地研修時に口伝となった部分もあるしね」
ホットドッグにはにんにくオリーブオイルから、薄切りのにんにくを取り出し、きつね色に炒めたガーリックチップを散らしていた。
猫にはにんにくもNG、でも個体差はあるしジャーラフは問題ないようだ。
にんにくオイルは万能調味料として、ほかの料理にも活用できる。鶏の唐揚げ用の衣とお好みクレープの生地、マヨネーズにはおろしにんにく入り。
多岐にわたってにんにくを使用していた。
これは隠し味のほかにもう一点、感染症に対する免疫力のアップも狙っている。
古代エジブトからにんにくの栄養素や疲労回復効果は知られており、食欲増進や健康を支える食品として期待されていた。
「ピラミッドはにんにくによって作られた」……そんな言葉まである。
新陳代謝を高め腸内環境を整え、風邪薬や予防として重宝されたのだ。
さらににんにくの匂い――「アリシン」は外敵を避け、カビや細菌を除くほどの強い殺菌・抗菌力まである。
マナスル城では害虫避けに活用していた。
ぼくの部屋には常ににんにくが干してあり、メイドさんに妙な顔をされたっけ。
これらはすべて、黒死病への対策である。
「やはり食の魅力は、絶大ですねえ」
名称に驚きはしたものの、料理は好意的に受け止められており報われた。
おいしそうに食べてる市民の笑顔を確認し、ぼくは胸を熱くする。ジャーラフとノルブリンカは当然とばかりにうなずく。
停滞したと気落ちしていた、でもこうしてちゃんと進んでいたんだな。
「気ばかり焦っても仕方がない、道の端を掘って歩いたのを思い出そう!」
塩の生成は自然が相手なので、力技が通用しない。だからこそすぐ取りかかりたかったとはいえ、そのための一歩からだ。
回り道ではない、やるべきことできることから、一歩ずつ進もう。
「ならばまずは、領主の目に留まらなければならない。直訴できるだけの功績……ノルブリンカ、例の話に乗ります!」
「おんっ!? っ……やるか!」
アラヤシキクレープをつめこみ、ソースまみれの顔でニヤリと笑う。
「はい、町……小都市おこしをおこないます!」
喋る取っ手のドアが開かないなら、鍵穴から通ってしまえ! ぼくはアリスとは違い、向こうの世界に帰りたいわけではない。
だけど異世界に留まるため、涙で海原だろうが創ってみせるとも――。
絵画的な地図しかなく推測だけど、ヴィーラ王国は六~七万平方キロメートル。
約八万平方キロメートルの北海道よりひと回り小さい。
二万人以上の大都市が三か所。
新王都四万人、サーガラ三万人、ウダカ二万五千人――現代であれば驚くけど、当時は大都市と呼ばれるパリでも十万人程度だった。
二千人以上の中都市が十数か所、現在三千人のマナスルは中都市。
五百人以上の小都市が二十数か所、百人以上の町~以下の村となる。欧州の人口は一二~一三世紀にわたって爆発的に増えたのだ。
「短い平均寿命と未発達な医療技術の世界で、人口だけ上昇曲線を描いていく……それは人類の望みだったのか、危惧されるべき未来だったのか」
ぼくはサーガラより北西にある小都市に降り立った。
再び「バールのようなもの」を握りしめて。




