四十一夜 門
「もう大丈夫です――…よ?」
橋を渡りバリケードに声をかけ、ぼくは唖然とする。
イダム卿がどう見ても着こなせてないチェインメイル姿で、剣と盾を構え馬車の横で仁王立ちしていたのだ。
「――っ!」
慌てて顔を伏せ表情を隠す……ごめんなさい。
だけどイダム卿も所領を、町民を守るため己でできることをした。汗が止まらず心臓が高鳴って、それでも町民の前に立っていたのだ。
そう思うと彼の不格好な姿さえ、なんだか愛おしい。
「お互い、たいへんな初陣でしたね」
ぼくは周囲の町民に向かい、できるだけ大きな声で叫ぶ。
「ご安心くださいっ! イダム卿の采配のもと、盗賊は全員捕らえました――!」
高らかに宣言し、若き領主に深々と頭を下げる。
「っ……おお――…おおおお――――~っっ!!」
言葉が頭に染みこみ理解した数舜後、絶叫に近い歓声がわき立った。
泣いて飛び跳ね喜ぶ者、安堵し天を見上げる者、農具を杖にへたりこむ者。
「捕らえた……そっそうか」
イダム卿が肩で大きく息を吐く、落とした剣と盾に気がついているのか。
呆然としてよろめき、横で家令さんが支えている。
「捕らえ……じゃっじゃあ助かった……のか?」
「おっおい終わった、終わったんだ! 領主様、感謝いたしますっ!!」
「ああっ領主様! ありがとう……っありがとうございます!」
領主の館から飛び出した幾人かがイダム卿に手を組んだ。
気がついた町民が感謝の声を重ね、いたるところで大合唱となる。拍手と称賛がイダム卿を包み、万歳がくり返された。
跪いて両手を組み、頭を下げて何度も礼をする。
「皆、無事でよかった。ああ皆、本当に……無事でよかった」
松明に照らされたイダム卿は、短く噛み締めながら答えた――。
ぼくは領主の館に招かれ、まずは食事をと誘われたが休息したいと辞退する。
感謝の言葉と涙がくり返され、豪華な一室にいざなわれた。広い部屋には蝋燭が灯り、ぼくはベッドに……腰をかける。
すぐにでも倒れたかったけど、もうひとつやるべき事情が残っていた。
「――おまえはM属性だ、そのはずだ!」
蝋燭が揺れ、部屋のただ中に漆黒の塊りが現れる。
「アレは……アレはいったい、なんなんだ!?」
怒気と疑問を同時に秘めた表情で、ジャーラフさんが仁王立ちしていた。
「『風舌』……ありがとうございました」
右手装備――「ロングバトンタイプ・スタンガン」
電圧一五〇万ボルト。側面にも放電パネルがあり、握られても放電可能。通常の警棒と同じく打突にも使用できる。
数十秒の行動不能、ショックによる気絶。完全な回復には十数分を要する。
放電が表面で拡散するのか、チェインメイルの部分には効果がない。全身鎧には攻撃部位がかぎられ、近接での使用は反撃の危険度が高くなる。
見た目と音による威嚇と割り切ったほうがいい。
左手装備――「ジェット噴霧噴射方式・催涙スプレー」
噴射距離は五~六メートル、一秒の噴出で約五回は使用可能。緊張のあまり長く噴出し、使用回数を鵜呑みにすべきではなかった。
距離三メートルで一メートル円に拡散し、野生動物など動きの素早い対象向け。
漂ったエアロゾルの吸引や、肌に付着しただけで影響を及ぼす。効果の持続時間は約三十分、正常な状態には数時間を要する。
威嚇には使えなくても、命中すれば生物の無力化はたやすい。
「それと――このコートと、燕尾服は防刃布仕立てです。部分的に樹脂プレートも入れ強化しています、といっても矢や銃弾を完全には止められませんけどね」
ぼくは脱いでいたインバネスコートを手に取る。
確認すると賊に斬られた部分に薄く線が引かれていた。衝撃はあったし突かれたらやばかった、軽率に頼るべきではない。
「身を守るために、思いつくだけの防犯グッズを取りそろえました。ぼくのような知識先行型が異世界で生きる、ギリギリの干渉だと認めてくだされば幸いです」
「防、犯……? いや、こんなのは関係ない!」
ジャーラフさんがスタンガンを、気味の悪い物みたいに放り返す。
「おまえが妙な物を作るのは知ってる。閃光や爆音も何かカラクリがあるんだろ、ボクが訊いてるのは鳥みたいに空を飛んだ『力』だ! あの異様さはけっして――けっして『カルマ』では、ないっ!!」
ライト兄弟が有人飛行を成功させたのは二〇世紀である。
熱気球の有人飛行でも一八世紀後期であり、異端と告発されたのだ。世界の常識が否定され、彼女には想像できない異常事態が起きたに等しい。
確かにM属性に準じない「力」だけど、防犯グッズも飛翔も「カルマ」なのだ。
スタングレネードと同様、『門』を啓いて召喚したのだから。
「ぼく独自ともいえる『力』を、説明していいのか?」
返答につまっていると、ジャーラフさんの「カルマ」が部屋に冷たく漂った。
「盗賊相手の攻防を止めるべきだった……っおまえの奇妙な行動に判断が下せず、立ちすくんだ自分が許せない!」
拳の第二関節を握り、両手のバグ・ナウが猫の爪のごとく光る。
「おまえは存在が理解不能な魔獣と同じだ! この国に……ヴィーラ殿下に危害をおよぼす可能性があるのなら、この命を賭して今度こそ止めてみせる!」
静かな気配に混ざる、本気の殺意。
「おまえは、ボクたちとは違うっ!!」
「ハァ――~…ッ!」
ジャーラフさんに反応し、カレシーが左袖から躍り出た。
「わわっ待ったカレシー! ……じゃなくシーちゃん、ちょっと落ちついて!」
ジャーラフさんは一瞬たじろぎ、気圧されぬためか爪を弾き威嚇する。
「そ~らお仲間が暴れるぞ! 今度はこの町を、サーガラ領を破壊する気か!?」
「ジャ――ッ!!」
カレシーの怒気が高まり、体の振動音があがった。
もうっケンカしてどうすんの!
「ジャーラフ! キミの任務は、ぼくの護衛だろ!?」
ビクリと体を震わせ、尻尾が脚の間に隠れる。
「私は嵐を恐れない、自分の船を動かす方法を学んでいるのだから!」
ぼくの勢いに押され、ジャーラフは洗濯ばさみで鼻をつままれる表情をした。
「嵐……船を、学ぶ?」
四人姉妹の成長を描いた、ルイーザ・メイ・オルコットの言葉。
姉妹でも短所や改善点、誰にも話せない悩みや葛藤はある。相容れないと拒否し排除するのではなく、相互に理解すべきなんだ。
命を奪おうとする盗賊を前にして、自分の甘さを嫌になるほど自覚した。
それでも話し合いたい。争うのではなく競いたいのだ、それすら……許されない時代であっても。
「ジャーラフが恐れている嵐はぼく? それとも憶測で危険と判断した自分!?」
わかってほしい、度がすぎた忠誠心は自ら船を破壊する。尻尾が最大にふくらみ憎々しげに睨まれても、この場を納めることが最優先。
ぼくはカレシーをあやし、なでて安全をアピールした。
「大丈夫だからね――? ほら、見ればかわいい娘さんでしょう――~?」
ジャーラフの怒りがマックスに達した気がしたけど、今はおいておく。
カレシーはまだ睨んでいたが……どうにか、ぼくの頬に顔をつけてくる。安堵のため息が胸に落ちた。
「ジャーラフ……ぼくは殿下に忠誠を誓ってる、危害をおよぼすつもりはない」
サイフ代わりの巾着袋から、大銀貨を一枚取り出す。
なぜかぼくの「力」を、話してもいいと思った。ウールドの左頬にある古傷を、大切な忠告を忘れたわけではない。
「力」に頼られ、強要され、精神の逃げ場を失う……と。
「だけど彼女になら――」
自分でもわからない、こんなにも嫌われてるのに。
アラヤシキ計算で金貨約十二万円、大銀貨約三千円、小銀貨約百円。
国に硬貨は三種しかない、欧州に銅貨が登場するのは一六世紀である。
そも農民の多くは物々交換が主流であり、硬貨を扱う必要がなかった。商人でも細かい調整は品の増減で補っている。
貴金属や鋳造所の不足で供給が遅れ、末端まで流通していなかったのだ。
――納税などで硬貨の支払いが普及するのは、一五世紀である。
壁際にいき手袋をしていない右手を掲げると、蝋燭の光で影が射す。自分の影に触れる、それだけで向こうの世界を感じられた。
『――カルマ』!
壁に映った右手の影に、「キリーク」に酷似した文様が浮かび淡く発光する。
触れた大銀貨が影に包まれ、大銀貨の形を保ったまま崩れて消えた。コロリ……と約三千円となる、「まぐろの缶詰」が手のひらに召喚される。
「高い缶詰になっちゃうけど、小銀貨はかさばるし持ち歩きに不便でね」
金貨と大銀貨だけでも、けっこうな重さになるのだ。
「いっいっ今の文様は、召喚の間で見にゃの……見たのと、同じ!?」
そんにゃ、そんにゃ――ジャーラフが大口を開けたまま固まっていた。
ぼくを召喚するため因果伯が全員集い、儀式は十一時間におよんだそうだ。
そうまでした物質の召喚を、たった今瞬間的に見せられたのだ。驚愕となんだかわからない徒労感は、想像に難くない。
危険物みたいに指をさされながら、プルトップを開け行儀悪くつまみ口にする。
「うまい!! こんな味は初めてだ!」
なんとも懐かしい、複雑なうま味が味覚を刺激した。
向こうの世界の――もしかしたら、もっと未来の缶詰ではないのか。
「一つまみごとにジーンと心にしみる味だ。」
カレシーが舌を出し入れして観察する、さして興味はなさそうだ。
ジャーラフにどうぞと差し出す、毒味はしたよねと。
彼女はいったん匂いを嗅ぐと、恐る恐るまぐろをつまむ。もう一度ぼくを睨んで覚悟を決めたのか、息を止め口に放りこんだ。
数秒後――衝撃に目を見開き、夢中で咀嚼し舌で味わい……放心した。
調味料自体が少なく香辛料は高価で手に入らない時代。うま味を追及した料理は信じられないくらい複雑で、感動的な味となる。
二か月離れただけで、缶に残っているまぐろにヨダレが出てしまう。
ジャーラフも残ったまぐろを凝視し、敵であるぼくを前に目をそらす。自尊心が戦っているのか、何度も缶とぼくを交互に見比べている。
「よかったら、全部どうぞ」
「――っ!」
ぼくのひと言がダメ押しだった、缶を奪い取ると背を向けて食べだす。
スーリヤさまは言った――「カルマ」は、アラヤシキに繋がっていると。
バジリスクと向き合い死を予感したとき、ぼくは『門を啓きし者』を理解した。
それはまさしく門。
こちらの人は向こうの世界を知らない、ゆえに――。
S属性は木片が燃える原因に対して、炎の結果だけを返還している。理解できる範疇が自分たちの常識にそっているのだ。
当然だろう想像できないことは、「カルマ」を通そうとも想像できない。
ジャーラフが「飛翔」を見た上で、それでも理解できないように。
O属性は「カルマ」を通して距離や空間を飛び越え、対象の脳や体と直接繋がり「力」を発揮している。
通路として繋がっているだけで、アラヤシキを認識しているわけではない。
一番理解できそうなのは、精神で繋がっているM属性か。ぼくがスーリヤさまに贈ったメガネは、向こうの世界より召喚した品である。
喜んでもらえたけど、レンズの九九パーセントがプラスチックだと忘れていた。
ガラスに見えるが異様に軽く、不自然な感触に製法を問われる。そこで試しに、原油がプラスチックとなる説明してみたのだ。
しかしそのためには、そこにいたるまでのすべての過程が必要となった。
「ぷらっちっく……? どう見ても完璧な透明度の、ガラスなのに……」
「向こうの世界でプラスチックは、なくてはならない製品なんです。
ガラス製品だったメガネのレンズにいたるまで幅広く、使い捨てできる便利さが生活には必要で――使い捨ては安いからです。
安くできるのは国が石油を原料とした、化学工業の製作に乗り出したからです。
戦中に鉄や銅が貴重となり、代用品として――戦争はひとまず置いといて。
けれども工業化されたプラスチック。セルロースを原料とする半合成樹脂には、発火しやすい欠点があったのです。
さらなる実用性が求められ研究が続き、プラスチックへといたったわけですね。
セルロイドはとても加工しやすい素材でした。ビリヤードなど競技に使用される象牙が高価だったので、普及できたのも要因です。
すでにフェノール樹脂の工業化に成功していたので、置き換えが可能で――」
結局はプラスチックの歴史を、逆ツリー形式で話してしまう。
製造が開始してまだ百年ほどなのにこれだ。合間にある専門用語やらその歴史、すべて話すのに何十年かかるのか。
それも「忘れない」前提の無茶をふくめて……。
目の前に「現物」があろうと、異世界の歴史を理解するに等しい。探究者だったスーリヤさまの認識力でも、想像できない。
「無限の知識がある不滅の世界……アラヤシキって、まるで幻想世界だね」
エルフから苦笑を禁じえない返答をいただいた。
中途半端な説明に終始してしまい、ぼくのほうがもやる気持ちが残ってしまう。
「いつか機会があれば、ちゃんと解説したいなあ」
木片が炎となる常識を理解しているからこそ、返還ができる。
向こうの世界の常識を知るぼくだからこそ、あらゆる返還が可能となった。
「カルマ」の門は、本来たったひとつしかないのだ。
「ぼくは『影供の丘』……自分の影に門が啓き、異世界へ渡って来た」
手縫いした燕尾服のダブルボタンを外す。
「啓いたときの認識かな、もうひとつの『力』はぼくの体の影からしか使えない。だから啓くときは手袋を外すか、頭の影か――」
上着と白いベストが一体化していて、開くと白い素肌が浮かび上がった。
「こうすれば上着の背に、ぼくの体の影ができる。そこに『カルマ』の門を啓き、『空気』を暴風に返還して飛んだんだ」
着地用に衝撃吸収ブーツも履いてるけど、まだまだ練習が足りないねと笑う。
「『カルマ』――まさしく、門を啓きし者……か」
理解が追いつかないのか、黙って聞いていたジャーラフがポツリともらす。
ただ防犯グッズや缶詰の「現物」が事実だと告げていた。汁まで舐めピカピカになった缶を、未練をこめて置き居住まいをただす。
「確かにコレは、大銀貨の価値がある。おまえが嘘を言ってないのだけはわかる、敵視してごめんなさい」
こうまで素直に頭を下げられると、むしろこっちが申し訳なくなる。
ぼくを見上げる青い瞳に、真摯なまなざしが光っていた。
「アラヤシキから何を召喚できるのか、ボクにはわからないけど……使い方次第ですごい便利なんだろう? ならヴィーラ殿下の、お役に立てないかな!?」
「ヴィーラ殿下、の?」
ああ、そうか……。
「そうだ殿下はとても無邪気で、本当に心優しいお方なんだ!
強い炎があれば皆を守れるって、気丈に振る舞っておられる。だけど独りで国を背負い、どれほどの重圧を感じていらっしゃるのか。
心を許せる者もなく、辛く寂しい夜を過ごしておられるんだ。
おまえの奇妙な武器なら、プラーナさまをお守りできないか!? ボクにできることならなんでもするから、どうかお願いだ……っです!」
手を組み、頭が床板につくまで下げる。
「プラーナさまを嵐から守ってください! っ……アユム・カベウラ卿!」
そうかジャーラフに秘密を明かしてもいいと思ったのは、私欲がないからだ。
ヴィーラ殿下のため、ただそれだけ。
それはある意味ぼくと同じか、あるいは真逆か。
「ぼくはヴィーラ殿下に、国を磨けと命令された」
国とは領民だ。
「ぼくにできるのは国の、領民の『自主的な意識改革』だけなんだ。返還の手助けしかできない、しては――ならないんだ」
現在すでにある技術を応用するのと、完成品を手渡すのは意味がまったく違う。
自らが製作し、試行錯誤し、理解して到達できるべく補佐役となる。ぼくは影になって支える、国の捨て石となるを望まれたのだから。
「ジャーラフ、国を……船を動かす方法を学んでほしい」
「ヴィーラ殿下と共に未知の海原を航海するのは、領民たちでなければならない」
「そ、けど――~…っ!」
ジャーラフが顔を上げ、落胆と理解の葛藤に声を震わす。
ぼくの「力」は「無欲」と――未来予知と似ている。道理をわきまえず無秩序に振り回せば、異世界の理が破壊されてしまう。
二〇世紀の英知を利用すれば、街はおろか世界の制圧すら可能。
たった一人で国の軍事力を崩壊させる独裁者。最初はたやすく連戦連勝だろう、けれど兵器の進化速度は驚異的だ。
形跡から推測され、破片から予測され、とたんに同種の武器が乱造されていく。
「料理の山が無秩序に積まれ、テーブルの端から転げ落ちる危うさ……」
原因が強制的に変わり結果が混沌へと変わる、「因果が乱れる」のだ。
人類が歩んできた戦争の歴史を、ぼくが加速度的に進めてしまう。取り返しのつかない、未来の改悪が待っている。
赤毛の幼女が「にへら~」としか形容できない笑みを見せた。
彼女の苦しみと強さが胸を突き刺す。
「――懸架式サスペンションが出始めた時代に板バネ式を広めたら、独立懸架式が発明されないかもしれないんだっ!」
「イタッ……ション?」
現代の自動車にも採用されているサスペンションである。
「ああそうだ……武器よりもね、できるならトマトがほしい!」
ふいにため息が出た、わきあがる想い。
「中濃ソースが完成するんだよ! アカーシャが喜ぶだろうなあ!」
なんの話なのかと、ジャーラフが困惑した顔で見つめる。
「それにビート! 砂糖がもっとあれば、スーリヤさまも隠れて食べなくてすむ。飢えを抑えるのにジャガイモがほしい!!」
「力」の告白をしたら吹っ切れたのか、本音がこぼれだした。
「切りがないないけどさ、ぼくもずいぶんと我慢してるんだよ!? ジャーラフ、まぐろの缶詰はおいしかった?」
ジャーラフが空き缶を見つめ生唾をのんだ。
「だよねえ――っ!」
本当にあれもこれもほしくなり止まらない。
向かい合って座り力説する、ジャーラフが耳を傾けてくれるのがうれしかった。
「そして米! パンもいいけど、やっぱり米だよ米! あったかいご飯とみそ汁と漬物でいいんだ、嗚呼……食べたいなあっ!」
浮かぶのは食べ物ばっかり。衣食住にも三大欲求にも含まれる「食」の魅力に、ぼくも勝てやしない。
欧州に稲作が広まったのは大航海時代の一五世紀。
長生きすればどこかで巡り合える希望もあった。しかしトマトやジャガイモは、一六世紀まで待たなくてはならないのだ。
甜菜から砂糖を得る製法や大豆にいたっては、一八世紀である。
わ――っと叫びたかった。
いっそ世界の理なんか無視して、どれもこれも召喚してしまえ――って。
しかし反面、無茶な因果に拘束される実感に、背筋が震える陶酔感。
嗚呼……なんて気持ちいいんだろう――~…。
「わかるだろっ!?」
「……さっぱりわかんないけど、アユムもなんだかたまってるんだな」
ジャーラフが真面目な顔で、いつの間にか胡坐をかいている。
アラヤシキから召喚されたんだしと、少しだけ同情も含まれていた。
「そうだよ! 同じ人間なんだからね――」
憤慨して叫んだら、猫の耳が弾け尻尾が踊る。
なぜか胸からリズムがわきあがり、どちらともなく吹き出し大笑いした。
「おまえ、けっこうバカだにゃあ!」
バーカバーカとお腹を抱えてジャーラフが笑う。
活発で男勝り、一途に我が道を突き進む四姉妹の次女。ぼくにも兄弟がいたら、こんな風にくだらない話をして笑ったのかな。
「ジャーラフはやっぱりかわいいよ、うんっ!」
なんだか憧れの気持ちがわき口を突いて出る。
ジャーラフは首を傾げ、理解して肩が震えだす、顔が真っ赤になっていた。
「おまえは敵だ――っ!!」
「ジャ――ッ!!」
飛びかかってくるジャーラフ、迎え撃つカレシー。
ああ、今日は本当に疲れた――倒れて寝てしまいたい。
「わたくし、しばらく休息が必要なようです……」
そんな現実逃避は許されず。
ぼくは二人を必死に引きはがしてなだめ、軽率だったと何度も謝った。
「スーリヤさまのメガネは、いずれオーパーツと呼ばれるのではないか」
未来の歴史学者の苦悩を察し、少し笑う。
☆
――翌日、全身の筋肉痛に浸りながら起床。
「カルマ」の連続使用で倦怠感は残っている。それでもスパイスまみれの朝食に、胃が自己主張の讃美歌を奏でていた。
携帯していたフォークを取り出し、手が伸びるままにがっつく。
「最上のソースは空腹である……哲学的だなあ」
町の南門にあたる王道前。
蒸留水の発表は家令さんにおまかせする。ぼくは旅の仲間が心配なので、すぐにサーガラへ向かうと告げた。
イダム卿と家令さん、それと大工の徒弟三人が見送ってくれる。
貴族の嗜みとして、馬の貸し出しを勧められるけど返す当てもない。
「僭越ながら馬車でしたら、御者が往復するだけですみますが……」
「な~にあと四〇キロほどです! そこまでお気になさらなくて大丈夫、これでもけっこう体力はあるんですよ!」
余計な心配をかけないよう、軽口をたたいて辞退した。
徒歩を苦にしない貴族に、家令さんや大工の徒弟が顔を見合わせる。
「町の英雄に対して……本来なら町民総出で、お見送りせねばならぬところを」
「ありがたく食事をいただきました、それに私がお願いしたのですから」
イダム卿は何かできないかと気をもみ、うつ向きがちになっていた。
盗賊の撃退はあくまで因果伯が果たしたことにしてもらう。異様な閃光や爆音、盗賊の怯えもすべて「カルマ」だと町民に広がっている。
ぼくが影のままでいるには、これがベストなのだ。
「僭越といえばイダム卿、本日の婚礼は予定通りに催してください。盗賊ごときにスケジュールを狂わせはしない、それが町の矜持となります!」
抑止力をアピールする意味でも、必要となる対策だった。
イダム卿が顔をあげ、瞳に朝日が反射する。
「はっ……はい!」
所領経営の意識が高まっているのか、しきりに賛同してくれた。盗賊の裁判が、若き領主の最初の仕事となるのだ。
そういえば町に、吟遊詩人がいたっけ。
いつしか――「町に立ち寄った因果伯が窮する若き領主を助け、三十六人の盗賊を一夜で討伐した」などと謳われる日がくるのだろうか。
不可能だと否定され、因果伯なら可能だと肯定され、噂が拡散されていく。
そうしていつしかぼくの影は消え、因果伯の英雄譚として残るのだ。
「ぼくは、本が好きだった」
ページをめくると、そこはいつも異なった世界。誰もが現実と同じように悩み、立ち向かい、泣き、笑いあう。
ぼくはもう新作も、楽しみにしていた続巻も読むことはできない。
だけど未来に読まれる存在になるのではないかと、妙なくすぐりを感じていた。
「……本当に、評価も褒美も気にしないんだな」
「な――に? ジャーラフ――!」
「うるさいバカっ! さっさといくぞ、アユム――!」
ジャーラフが王道でイラだたしげに叫ぶ。
道案内を買ってくれたんだけど、なぜか昨夜にも増して口調がきついような。
「ではイダム卿、今後のご健闘をお祈りします!」
「お気をつけて、このご恩は一生涯忘れません!」
イダム卿が感涙に近い表情で深々と頭を下げた。
ぼくが手を差し出すと、応じた手が熱さと強さを秘めている。
「ア――ユ――ム――っ!!」
「わかった――! それでは皆さん、お元気で――!」
ぼくは会釈し、手を振って駆けだす。
「さあいこうか、ジャーラフ!」
「アユムっ!」
ジャーラフが突如、ぼくの頭を押さえ脇に引きこむ。
「ええっ!? ジャーラ……」
一瞬また怒らせたのかと焦った。だけど目の端に違和感があって気づく、王道を疾走してくる影があったのだ。
チカチカと朝日を乱反射させ、オフロードバイクを連想させる速度――。
まさかと思いつつも凝視してしまう。叫ぶ間もなくぼくたちの直前で急停止し、石畳を削り土埃が巻き上がった。
何事かと注視されるなかを、影が歩いて出てくる。
現れたのは妙な光沢を放つ、サンフラワー色のプレートアーマー。甲冑と呼ぶにはいささか苦しく、体に張りついたボディスーツに近い。
「スタイルから女性だけど……この異様さは、因果伯?」
ジャーラフは誰か察したのか、ぼくから手を離す。
フルフェイスの兜がパリパリと割れ、褐色の肌にベリーショートの白い髪……あれ? この方どこかで――。
ぼくに気がつくと、指を突きつけて叫ぶ。
「あっ! ヴィーラ殿下のローブをまくった変態坊主っ!」
「それは誤解です……」




