四夜 異世界
「これは、見事ですね」
三階分吹き抜けで円形状の天井――リヴ・ヴォールトには、さらに立派になった車輪型シャンデリアが灯っている。
天井を支える円柱にはレリーフが彫られ、多くの彫像が人々を見下ろす。
明り窓には目を引くステンドグラスが施されていた。教義の絵物語がつづられ、室内に色鮮やかな光を運んでいる。
案内された謁見の間。
奥行きが三〇メートはあろうか、否が応にも荘厳な雰囲気を漂わせていた。
「左右にならんだ尖頭アーチで格子状の窓。吹きガラスを竿から切り離した跡か、ガラスの中央に見慣れない出っ張りが残ってる」
――一三世紀ころには欧州にも、透明なガラスの製法が伝わっている。
しかし遠心力で平らにするクラウン法でも、初期はビール瓶の底ほどの大きさ。
さらに貴族にも高価で、家人が留守にするさいは取り外して保管した。それすら普及するのは一七世紀後期、板ガラスにいたっては一八世紀である。
「衣服や建物の様式から、今は一三世紀後期から一四世紀中期の可能性が濃厚か」
まあどこまで酷似した世界なのかは不明だけど――自分で突っこみを入れつつ、判断材料が増え状況が見えてきた。
だが簡単にいえど、一世紀の差は百年の隔たりがある。
大正から令和であり、和服着物からタンクトプへ、草履をビーサンにはき替え、井戸端会議がSNSへ移行する変化。
時代は徐々に改変される、記録がなければ判断は難しい。
「中世の後期辺りなのは確かだな。再生や復活を告げる、ルネサンス期が始まったころかもしれない」
欧州ではこの運動により、古代ギリシャやローマ時代の文化が復興した。
時代は「近世」へと移行するのだ。
「時代の転換期に立ち会えたのか、それとも……おっと失礼しました」
「ルネッ……サーン?」
装飾がほどこされた巨大な両扉が開かれている。一歩も踏み出さずに謁見の間を魅入るぼくに、開閉していた兵が首をかしげていた。
視線に気がつき、咳払いして踏み出す。
移動するときに高い城壁とオレンジの屋根が連なる街並みが見え、ここは城の中だったのだと改めて確認している。
壁の外は荒涼とした田園が広がり、冬だとしても少し寂しく感じた。
「通された部屋に窓がなかったのも頷ける。別に現代人ぶる気はないけど、都市をグルリと囲む巨大な石の壁は……なんだかそれだけで異様に思えるなあ」
謁見の間を埋める光沢のある大理石の床を、一歩ずつ確かめながら歩く。
最奥には一段高くなったダイスがあり、小さな屋根まで設えた「巨大な椅子」が主として鎮座している。
ヴィーラ殿下があの椅子にふんぞり返る予感。
周囲には色鮮やかな礼服で着飾った、おそらくは上流の貴族が控えていた。
待ちわびた観客となり遠巻きな視線がぼくに集中する。奇妙な動物を覗き見て、なんの遠慮もなく値踏みするのだ。
「この少年が例の、アラヤシキから招いたとされる?」
「殿下のお言葉を疑うではありませんが、見目麗しいだけの少年ですな」
「ええい役者ではないのだ、外面がよかろうと関係なかろう!」
「さよう、これで我が国の現状にいささかでも――…」
……ぼくのお披露目は、失敗ではなかったか?
若い俳優を前に、観客の失望色の濃いざわめきが荘厳な劇場を白けさせていた。
せめて手でも振ろうかなと悩みながら、両脇に控えた兵士が「近づきすぎ!」と目で訴える距離まで進み、両膝で跪く。
巨大な椅子まであと一〇メートル――。
「もう少し間近で、ご尊顔を拝見したかったな」
礼を失した呟きはしかし、貴族の面々の驚愕で打ち消された。
「はあああ――~っ!? なんじゃあの姿は!!」
ぼくは白無地でイカ胸シャツ、白いベスト白の蝶ネクタイ、白の手袋をはめる。
黒の脚衣に適した黒の革靴がなく、代わりに黒のブーツを履いていた。
彼らにとって「上着」が「異様」だったのだ。
黒のダブルで正面はベストの下部が見える。背面部だけふくらはぎまで伸ばし、裾が二つに割れていた。
一八世紀に騎乗の障害にならないよう仕立てられ、形が燕の尾に見えることから呼ばれた――「燕尾服」である。
跪くと上着のしっぽが床に広がって、羽ばたく翼を思わせた。
「背中の切りこみはなんだ? なんの意味があるんだ!?」
「その……アラヤシキではこのような服を好むのだと、示唆されているのでは?」
「異質感を強調するにしても、奇天烈すぎじゃろっ!!」
やや寂しくなった頭髪と、肥満体を揺らした貴族が周囲に問う。訊かれた方とて答えられるわけもなし。
五百年の隔たりを、容易に許容できる術はない。
「狼狽が向こうの世界への誹謗になる前に、説明すべきなのかなあ。ぼくとしてはヴィーラ殿下にお仕えする、意気ごみだったんだけど……」
一九世紀には公式の場で着用される正礼装で、謁見の間にはむしろふさわしい。
人間が一番恐怖を覚えるのは、「理解不能」との説がある。
人は基本的に排他的で、異質に感じれば不安になり攻撃してしまう。そして手に追えなければ服従し、支配されるのを望むのだ。
恐怖にかられた場合無関心は装えない、取るべき道は「抗う」か「従う」か。
「閣下のおっしゃるとおりだ! これではできの悪い、大道芸人ではないか!」
「神をも恐れぬ行為だ、世の秩序はどうなる! 我が国の権威はどうなる!」
「道化の振る舞いを認めてよいのか、なぜ由緒ある謁見の間に通すのだ!」
いけだかに非難する者、酷評に追従して声を荒らげる者。謁見の間に流れたざわめきは止まらず、さらなる混迷を迎えた。
「この少年をお招きなさったのはヴィーラ殿下であられる! 異議ある方は殿下に不服でも、持っておられるのですかな!?」
かっぷくのいい白髪のカイゼル髭が両手を広げ、声も高らかに訴えたのだ。
殿下を「盾」に主張を封鎖する。正論に乏しく詭弁に近い、賛同しがたいが……これには別種の効果があった。
議論の様相を帯びた場合、反論する者がより注目を集める。
「見ればなんとも斬新な装い! 天を駆ける殿下の御心を表しているようだ、私は彼の少年をご承諾いたしますぞ!」
白髪のカイゼル髭が進み出て輪の中心となり、場が再構築されていく。
対立する者にすれば主導権を奪われたに等しい。批評はみるからに勢いを失い、自己保身にだけ意義がみいだされる。
「でっ殿下に異議などとんでもない、少々驚いただけでして……」
「そうですなよく見れば奇天、いや独創的と申しますか……」
各々の本心は、どうあれ。
「――さてこれは、異なことを申される」
戸惑う貴族をさえぎり、最初に声を荒げた肥満体が一歩前に出た。
「殿下に不服を持つなど、表明する必要もございません。そう新王都計画も殿下のご推進であられますしな」
「さすがは閣下今や王国随一の都市と名高いとか。殿下の思慮深さに敬意を表し、頭が下がるばかりですな」
受けてカイゼル髭がさらに一歩前に出て、言葉とは裏腹に胸を張る。
従えたそれぞれの貴族を背に、ほほえみを浮かべた二人の間に閃光が走った。
「いやいや閣下と違い、小さな港町を切り盛りしとるだけです。先日も卑しい噂が流布してまして、情けないと心を痛めておるのですよ」
「いやいやご謙遜を、私の所領などただ長き歴史を紡いでおるだけ。老婆心ながらお教えしますと、火のないところに煙は立たぬと申しますよ」
親の領地を継いだだけで老輩気取りか熊ジジイ――。
運に恵まれただけで歴戦の勇気取りか猪ジジイ――。
「老いては騏驎も駑馬に劣る、お互い気をつけませんと――ハッハッハッハッ!」
「老いたる馬は道を忘れず、お互い分別は持ちませんと――ハッハッハッハッ!」
周囲の貴族は二人を止められず、場は荒涼とした田園に劣らぬ騒然さをみせる。
「……これは多分、普段から対立してる方たちなんだろうな」
ぼくのために争わないで――なんて飛び出したくなっていた、だけど論争はもう「奇天烈な少年」にはない。
自分の意見を否定した奴がむかつく。
不愉快な感情をもっともらしい言葉で偽装してるだけ。伝わるよう吟味された、礼儀を守った揶揄合戦だった。
「言葉使いは違えど、やってることは小学生と変わらない……おっと」
思わず口を押さえる、意味が理解できたら憤慨される独り言。
ぼくは置かれた状況が楽しくなり、かつて児童館で読んだ絵本を思い出す。
「小惑星の王子の作者が献辞にこめていたっけ。大人はかつて子供だったことを、覚えてはいないと」
常識が変貌を遂げる数世紀の隔たり……時代が移り変わり年齢を重ねようとも、人の本質は変わらないのか。
上流貴族らの喧騒をほほえましくも眺める。
「小学校なら先生が怒鳴らなければ、収集がつかないだろうなあ」
たった一人を除いては――。
「――由緒ある謁見の間は、いつから子供の遊技場と化したのか」
突如真後ろに雷鳴が轟き、この場の「空気」ごと爆ぜた。閃光が色鮮やかな貴族の礼服を白と黒に転じ、世界を一時停止させる。
召喚の間に次いで二度目、ぼくは見る必要を感じなかった。
装飾がほどこされた巨大な両扉が悲し気に鳴く。開閉していた兵が腰を抜かし、どうにか逃げ出すのだけはこらえている。
「おや見ればやけに老けたわらしばかり、驚いてつまずいてしまったぞ」
先生と呼ぶには若すぎか、渦雷を割って少女が姿を現す。
近衛兵だろう、召喚の間にいたプレートメイルの騎士が六名。そして目を伏せるスーリヤ様を従えていた。
「伯爵」であり「領主」を追従させているのだ。
「おお……っしゅ醜態を晒しまして、ふっ深くお詫び申し上げます!」
「もっ申し訳ございません殿下! 私としたことがくだらぬ騒ぎを――…」
「そう緊張いたすな、冗談だ」
ニコリともせず貴族の言い訳をさえぎり、ぼくに視線を向けたのか背が熱い。
「あのうスーリヤ様、『ヴィーラ殿下を怒らせないこと』とうかがいましたけど、すでに怒っておられる場合は……」
このまま無防備な背に蹴りを見舞われるのでは――高鳴る期待は無念にも外れ、殿下はぼくの横を通りすぎる。
誰になんの遠慮もせず巨大な椅子まで歩み、ドレスの裾が大胆にひるがえった。
「さあ剣を貸してやる、貴族ならばいっそ華々しく決闘で片をつけるがいい!」
騎士が無言で剣を捧げ、殿下が躊躇なく引き抜き切っ先を突きつける。
「ヴィーラ王国王太女、プラーナ・ヴィーラ・アミターユの名において許可する」
冷笑が尾を引いて瞬く。
殿下の宣言が冗談や軽口ではないと理解してるのだ。貴族たちは雷雨に打たれ、濡れそぼった子犬のごとくこうべを垂れた。
雑多な前置きの一切が吹き払われたのだ。
万雷の拍手が起きないのが不思議なほど、「主役」が登場したのである。
「其方らを招集したのは、児戯に興じさせるためではない!!」
「はっ……はは――――っっ!!」
装飾が輝く抜き身の剣が大理石を深々と抉り、少女が大の字に胸を張った。
謁見の間に炎の王道が顕現し、黄金色の髪を煽って征く。
「王太女――王位継承順位、第一位!」
ひと睨みだけで命すら焼き尽くせる王国の最高位。
「やはり」と確信が確定に変わったのを実感する。やはりぼくがあおぎ見る方は、それほどの方だったのだ。
実感が歓喜を呼び、頬が上気し、丹田に熱き震えを感じた。
☆
「――今年末、十年をかけた西方中央への王都移転が完了する」
ヴィーラ殿下が巨大な椅子ににふんぞり返る。
抜き身の剣を閃かせ、心に描いた王国の中央を指ししめす。
跪くぼくをことさら無視する放置プレイに、背筋がゾクゾクと訴えた。
「では――殿下!?」
イタズラを咎められ、頭を下げていた貴族たちが弾かれて反応する。
大の大人がそろって、十四歳の少女に期待の視線を向けていた。
「我はその功をもって即位し、女王となる」
「おお……っおお――! ついにっ!!」
面白くもなさそうに伝えられた決定事項に、大喝采が起き謁見の間を揺るがす。
外部を警備している兵士は驚いたのではないか。
地震と見紛う足踏みと、割れんばかりの拍手。肺から祝砲が発射され、いたるところで発砲と次弾装填を繰り返した。
「今までも摂政として、政務を代行されてこられたのだっ!」
「そうだ! 騒ぐまでもないっ!」
カイゼル髭が周囲に叫び、肥満体と二人で肩をたたきあっている。
先ほど舌戦を繰り広げていたのは、はたして誰だったか。今この場では無礼講とばかりに、抱擁と称賛が沸き上がった。
「陛下おめでとうございます!」
早すぎる敬称に笑いが重なり、たしなめる声にすら笑顔があふれている。
貴族たちにどんな「歴史」があったのか定かではない。それでも歓喜を目の当たりにし、ぼくも思わず拍手を送っていた。
「そして来年、両国どちらかの王族と婚礼する」
そんな歓声を意に介さず、素っ気ない口調でヴィーラ殿下は続ける。
王配を迎えると、年ごろの少女とは思えないほど淡々と語った。先ほどと違わぬ喝采に包まれても、たたえられている主役は剣を弄んでいる。
「――ひっ!?」
シャンデリアの煌めきに抜き身の刃が反射し、光の剣となって貴族をとらえた。
殿下の逆鱗に触れたと勘違いした幾人かが首をすくめる。轟いていた歓声がなにかを察して、徐々に沈殿していく。
殿下の淡々とした声に、遅まきながら気がついたのだ。
貴族たちは顔を見合わせ、わからないのは自分だけではないと確認し息を呑む。
「ヴィ……ヴィーラ、殿下?」
カイゼル髭が萎縮しながら疑問を告げても、返答はなかった。
少女は自らの顔にも光の帯を重ね、偃月を青白く浮かび上がらせている。無表情が偶像的な印象を強調し、ただ淡々と語った。
「我が国は……ヴィーラ王国は、亡国となるのだ」