三十四夜 スーリヤの日記②
「この……痴れ者がっ!!」
殿下が憤怒の表情を隠そうともせず、脚にさらなる力をこめた。
私は驚愕に立ちつくしながら、どうにか頭を回復させる。
手の甲にする忠義のキスを、アラヤシキでは足の甲でする? いえそんな記録はどこにも……いやいや、そんな詮索はあと。
「ヴィーラ殿下! お考えなおしくださいっ!」
呼びかけても聴こえていない。少女の瞳は激怒によって見開かれ、体は憤まんにより小刻みに震えていた。
突然下から覗かれ、ローブをはぎ取られていたかもしれない。
年ごろの羞恥心が爆発してただ踏みつける。明け方までおよんだ召喚の疲労は、私と同様に思考を鈍くさせていた。
この少年がどこの誰なのか、理解できているかも怪しい。
「とにかく、止めなくっては……っ!」
かといって殿下を羽交い絞めにも、まして突き飛ばせやしない。
飛びつこうとして躊躇する。「ヴィーラ殿下に、現状危険はない」――からだ、見解を誤ればむしろ不敬。
皆がいる場での静止命令など、ごまかせない背信となる。
「そうだステューパ卿ならっ!」
壊れモノみたいにそおっと持ち上げて、引き離せるのでは――期待して見れば、殿下は安全と判断して静観を決めこんでいた。
「ええい、このムダ筋――~っ!」
このまま万が一があったら、やっぱり問題でしょうが! 少年はアラヤシキから現れた、貴重な検体なのよ!?
因果伯や近衛兵も、少年が襲ってるわけではないので観客と化している。
当然判断は委ねられない、この場で唯一動ける立場と地位は――。
「殿下の乳母であり家庭教師、曲がりなりにもマナスル伯爵の私だけ!?」
もういいじゃん、後で遺体だけ採取しようよ――心で悪魔がささやく。
「このっ……やってやろうじゃん!」
シャンデリアが照らす大理石の舞台には、動かぬ巨漢と踏まれてあがく少年。
そして盛大に怒気をまき散らすヴィーラ殿下。
私はつまずいて段差となっている黒い大理石から降り、周囲の者に気がつかれないようしゃがみこんだ。
フードを手繰りよせて口元を隠す、こうなったら直訴するしかない!
「この距離なら――『風舌』!」
フードと口元の間に二〇センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
「力」の発動を確認して殿下を直視した。
『ヴィーラ殿下、聴こえますか!? どうかお止めくださいっ!』
「風舌」は殿下の脳内に、直接声を届けているはず。
『ヴィーラ殿下……っ!』
ダメだ、止まらない!
少年の頭蓋骨が抗議の悲鳴をあげ――…。
『プラーナ様っ! それでは陛下と同じになってしまいますっ!!』
私は噴火口にダイブした。
ヴィーラ殿下が弾かれたように少年から距離をとる。
「我はあんな……っなんだ、この無礼者は!」
伝わった! 精神が削れる、急げっ!
『見ればまだ少年! まずは意思疎通をして立場を認識させ、判断材料をあたえて混乱を収めるべきです!!』
「風舌」はO属性に準ずる、M属性の私には使用限界が早い。
意識で話をしているのに、喉がつまり動悸が激しくなる。
『そのうえで、こちらの申し出を受けていただけるよう……場を設けるべきかと、愚考いたします――っプラーナ様っ!』
殿下が私を睨み、薄紅色の口が咆哮をあげるべく開かれた。
「スーリ……っ」
『この場はどうかっ! このスーリヤに一任ください――~…っ!』
意識が途切れる、やばいっ頭が揺れ視線が切れた……「風舌」が解ける。
「はぁ……っ功を許す、好きにせよ!」
少女はイラだたしさと滴る汗を振り払い、天を見上げてひとつ息を吐く。
私は息も荒く、胸を押さえてうめいた。「功を許す」――殿下も踏みつぶしてはやばい相手だったと、再考されたのだ。
「どうにか……場の収集は、ついたみたいね」
召喚の疲労もあったと思われる。殿下が八つ当たりに蹴って吹き飛ばした扉は、完全に床と化していたけど。
いや召喚の間は、封印しないといけないんだっけ?
「……まあいいや、あとのことはあとの私がうまくやってくれるでしょう」
この程度ですめば御の字だ。
少年は頭の前後を強打し鼻血を出していた、何か問題が発生しやしないか。
「治療の準備をして、こちらの意思を知らせないと……」
「風舌」を使ったせいで精神が軽くマヒし、視界が揺れる。どうにか立ち上がり、説き伏せる材料をひねり出す。
私は乾いて皮膚を引きつらせる、少年の赤黒い鼻血に希望を見いだしていた。
生物である証明に、心の内で安堵する。
☆
「痛……っ!」
足の裏に小石が刺さり、悔し紛れに石畳を睨む。
少年がヴィーラ殿下を追い、部屋を出ていったのだ。かぶりを振り意識を保ち、とにかく接触の糸口をつかもうと私も通路に出る。
召喚の儀では、漆黒のローブ以外を身につけない。
靴をあずけておいた近衛兵は、当然ヴィーラ殿下に追従していった。
「人望、なさすぎじゃない?」
一応私ってさ、マナスル領を治める立場なんだけど。いやヴィーラ殿下のほうが重要なのは当然、だけどさ……ひと言あるとかさ、靴は残してくとかさ――~。
やっぱ曲がりなりの領主では、ダメですか。
ちらりと振り返ると、燭台を持った小さな影がトコトコついてくる。残ってくれたのは一人、アカーシャだけ。
「……自分だけちゃっかり、靴をキープしてたのね」
アカーシャは「にへら~」としか形容できない笑いを一つすると、靴を見せびらかしてくるりと回った。
手に持った燭台が火の輪を演出する。
漆黒のロープの裾が広がって、子供らしい愛らしさが咲きほこった。
「ついてきてくれたのは嬉しいけど。ねえアカーシャ、なんだか妙にあの検た……少年を気にしてるわね、もしかしてなにか視えたの?」
少年が現れたとき、しばし呆然と魅入っていたのだ。
なにか視えてたんなら、それとなく教えてくれてもいいんじゃないかな――。
「だめ、因果が乱れる」
拗ねて視線を向けると、舌っ足らずに返された。
「――っ我発見せりっ!!」
「ヘウ――~…」
うっかり叫んでしまい、アカーシャがマネをするので慌てて口を押さえる。
少年は行き止まりの通路を迷わず進んでいた。以前はこちらが直通だったけど、改築を重ねて迷宮と化している
当然だけど松明は灯ってないし明かり取りもない、先の見えない真の暗闇。
「私ならこんなところ、独りで歩きたくはない……」
なんにしろ姿を見つけられてほっとひと息つく。燭台に刺した蝋燭に照らされ、闇から浮き出た白い肌――幻想的ともいえる光景。
またも動悸が激しくなり、聞こえてしまわないか怖くなった。
「アラヤシキの――~…」
言葉につまった、なんと声をかければいいのか。
少年は石壁に頭と肩をすりつけて歩いている。耳をすますと、聞き取りにくいが何やら呟いていた。
「……ドウカ、おソバニ――オなまえを……」
「うなり声? ……いえなんらかの言語であるのは確か。殿下の踏みつけで異常が発生したのかなあ……お、なまえ――名前?」
口頭伝達がかなうならいける、とりあえず笑顔を張りつけ敵意がないと表す。
子供に話しかけるみたいに――かつての「プラーナ様」が浮かんだ。
「ねえそっちは行き止まりなの、名前……さっきの少女が気になるの?」
ピクリと意識が向く、よっしいけた!
「大丈夫! お姉さんが連れていってあげるから、ね? いっしょにいこうか」
私を見上げてくる、心細げな視線。
こうしていればごく普通の少年である。私はできるかぎり優しく、両手を広げてゆっくりと語りかけた。
「すぐに服を用意しましょうね、女の子と会うのに裸じゃまずいでしょ~?」
少しおどけて見せると、少年が手を伸ばして……私は安堵する。
そして深い自責の念に囚われた。
前回の悲劇からまた問題が起きるのではと、事件ばかりを心配していたのだ。
「そうよね……恐怖で混乱しているのは、むしろ召喚された少年のほうだ」
突然別の世界に全裸で放り出され、取り囲まれ命令される……狼狽して当然だ。
残酷な仕打ちをしているのはどっちか。
思えばローブをまくろうとしたのも、本能で最上級者を見定め、保護を求めようとしたんじゃない?
「きっとそうだ! とっさに隠れようとしたんだ!」
勘違いして「変態少年」のレッテルを張っていた自分が恨めしい。なんて酷い、辛い気持ちにさせてしまったのか。
「危険人物だなんて、疑ったりして本当にごめんなさい――」
心で謝罪していると、少年が手を伸ばして……私のローブをわしづかみにする。
抵抗する間もなく、問答無用ではぎ取られた。
「っ!? きゃああああ――――~っっ!!!」
「め”っ!!?」
十年ぶりの絶叫がほとばしり、迷宮内に乱反射して自分の耳すら痛い。
追従していたアカーシャが目を回している。
燭台を落とさなかったのは偉いが、光で素肌が浮かび上がった。再度悲鳴をあげ――そうなところをギリ耐える。
普段から従者に「下着」なる肌着を、つけたほうがいいと勧められていたのだ。
予感でもしていたのか今日にかぎって着たままだった。少年は妙齢の女性が全裸近くでいるのに、平然としてる。
私のローブを着て「これでよし」とばかりに、再び歩きだす。
「まったくよくないっ! そっちは行き止まりだって言ってんでしょっ!」
やっぱり危険だ! 検体じゃなくとも、この少年は危険だ!
乙女の……というには我ながらとうが立ってるけど、柔肌をあらわにした責任はキッチリとってもらいますからね!
いやもうとにかく、今は全裸にならずにすんでよかった。
少年は私に一任されたのだ、主命をまっとうすべきと羞恥心をごまかす。
「あとはすべて、ヴィーラ殿下が決断される……決断してもらおう!」
こんな暗闇で果てるのはまっぴらだ、迷宮から出ることだけを最優先とする。
少年を担ぎ方向をしめし、危険な行動を取らないでと祈って出口を目指した。




