三十一夜 異世界の歴史
マナスルの城門前。
ぼくとジャーラフさんは、しばし呆然と立っていた。
――笑顔あふれる晩餐の席。
「ぼくは新王都にいけません、ですがパンやほかのレシピはお渡しいたします」
ホーマ親方の弟子にも話を通しておきましょうと、代案を提示する。
「おおそうかね、そうしてもらえるとありがたいのう!」
ハスター伯爵は話に乗ってくれたのだ。
そうして諸々の準備を整え量産型薪ボイラーも手配し、新王都への帰路当日……少しばかり爆弾を落としていく。
「そうそうサーガラへの護衛は、猫さんに頼んでおいたでな」
「にゃっ!?」
突然の申告にぼくが驚きの声をあげる前、柱の影から当事者のジャーラフさんが「初めて聞いた」と仰天顔で姿を現した。
「そんなところにいたんですか……いやハスター卿、あのとおりですが?」
「女子には優しくせんといかんぞ、アユム卿? 仲良くのう」
とても楽しそうに笑い、ぼくの二の腕をたたき馬上の人となる。
元騎士団総長の権威がどれほどかはわからない。とはいえヴィーラ殿下から直接「お願い」されるだけの、確固たる地位はある。
無下にするわけにも……。
「あるいは殿下に反論した意趣返しにも思えたけど、穿ちすぎかなあ」
「あの爺なら、やり兼ねないわね」
スーリヤ様には否定してほしかったのに、肯定されてしまう。
それにしても、嵐みたいなお爺さんだったなあ。遠ざかっていく馬と荷馬車に、少しだけ寂しさの混じった苦笑を返す。
「えっとジャーラフさん、よろしくお願いします。あっこれは握手といいまして、相手と友好をしめす――…」
ある意味一番衝撃を受けたのは、ジャーラフさんではないか。
ぼくは笑って手を出し握手を求めた。何だそれはと質問され、会話の糸口にでもなれば幸いだ。
「…――友好をしめす挨拶と、言われて……」
「――っ!」
下唇を噛み締めた形相で睨まれる。
つい身構えそうになると、ジャーラフさんは土埃をあげ速攻で姿を隠す。
「……切り株と握手はしてないけど、まるで忍者だなあ」
これは本気で嫌われてるな――。
差し出した手が寂しい、殴ってくれてもいいのに。好意でも敵意でも、ぶつけてくれるほうが嬉しいんだけど。
「あいつは俺らでもよくわからんからなあ。まあ気にすんな、影から守ってる奴がいるとでも思ってりゃいいよ」
「そうですね……」
んでニンジャーってなんだと、頭をかきながらウールドがフォローしてくれる。
苦笑して答えてると、もう一つの問題が代わりに手を握ってきた。
うん、ありがとう。
赤毛の幼女が握手をして、じっとぼくを見つめる。サーガラ行きを話してから、アカーシャが離れなくなってしまったのだ。
☆
「――これらが秀逸なのは、安全を考慮し高圧蒸気の使用を止めた点です」
「なるほど排気をコントロールする分離凝縮器は、機構的に難関だな」
「熱効率を高める、蒸気の力を最大限に生かす利点ではあるんですけどね」
ホーマ親方と連日、侃侃諤々。
蒸気エンジンはとにかく巨大なので、のちの調整がかなり難しい。初期手順から慎重にせねば、最終過程で狂いをなおせなくなるのだ。
できるだけの知識を、このさい理解できるかは置いといて伝えた。
記憶の片隅にでも残っていれば、きっと役に立つ。
「おおそうだサーガラへ帰る奴が二人いる、よかったら相乗りさせてやってくれ」
「こちらとしても助かります、よろしくお願いします」
サーガラでもお風呂を広めたい、衛生の第一歩。そのため薪ボイラーの設置と、点検要員としてホーマ親方の弟子が必要となる。
任ぜられた数人が新王都へ帰り、サーガラにも誰かいないか相談していた。
ちょうど出身の弟子がいて、帰省に便乗させてもらう。
「いえ、そろそろ帰らなくてはいけなかったんで」
奥さんに連絡ができず落ち着かない。だが蒸気エンジンの製作には携わりたく、かなり後ろ髪を引かれている。
鍛冶場で遊ぶアカーシャに、我が子を思い出していた。
「――のですがアユム卿、いかがでしょう? 公衆浴場を国家事業として申請していただけたら、マナスルも潤うと愚考しておるのですが」
「ええすべておまかせするのは心苦しいですが、お願いできますでしょうか」
「もっもちろんです! どうかご安心して我らに託し、出立なさいますよう!」
会議の席で徴税官が揉み手で申し出てきた。
幸いにも公衆浴場と石鹸は、十分すぎるほどの利益を上げている。
ほかの大臣格も言いたいことはあれど、国の発展が明らかで愚痴もこぼせず……最後の抵抗とばかりに無言を貫いた。
スーリヤ様に確認すると、すでにヴィーラ殿下より予算承認もされている。
新規開拓や設備の充実、補充や点検などの手配に問題は見当たらない。二人して殿下の手腕に感謝した。
「ぼくの手はすでに離れているので、経理のすり合わせさえすませればOKです」
浴場の管理者やパン職人と顔合わせの準備をする。
それはそうとぼくの横で船を漕いでいた赤毛の幼女に、疑問の視線が刺さった。
「ああアカーシャは因果伯です、会議に出席しても問題ないはずですよ」
「――食の魅力は絶大です、それにも増して」
「大切なのは何より安全! ですよね、アユム様!」
料理長とメイドさんに笑いながら返された。
城ではあらためて蒸留水の説明をする。並行して備蓄水槽やパイプの、定期的な清掃を提案しておく。
特にマヨネーズの製造には、新鮮な卵を使用するように念押し。
さらに保存している壺の管理など――調理をお願いして幾度も手伝ってもらった皆さんは、十分に理解していた。
「本当ならアユム卿には、もっと料理を教えてほしかったんですがね」
「ちょっ……料理長!? それは言わない約束でしょ!」
「アっアユム様は絶対に、無事お帰りになられます――~…っ!!」
絞るような叫びに呼応し、メイド服の華に包まれ胸がつまる。
増えた自家製酵母を別け、お世話になった厨房の掃除。
「アカーシャ煤で真っ黒になってるから、わかったお風呂に入ろうな」
「――帰ってくるころには、見違えるほど磨きあがっているかも」
暖簾をくぐると、火照った頬に冷たい風が気持ちいい。
始まりの場所である元屋敷から、街を見渡してて独り言ちた。
側溝と下水処理設備の資金は、復興費から捻出されているので問題ない。井戸も同様で、すでに設置工事を開始している。
「色々……あったなあ」
ごく普通の少年が影供の丘から召喚され、異世界で運命の方を見つけ無理難題を命じられ、多くの方との出会いと助けを受け、魔獣の来襲――…。
振り返ってみても、本当に濃い二ヵ月だった。
でもぼくはもう一度、きっとこの情景を瞳に映すため――。
「うんアカーシャ、手が痛いから緩めてほしいかな」
☆
「小学生のときに習ったお裁縫って、一生ものの技術じゃないかなあ」
静かな居館の夜、ぼくは持ちこんだ新たな布を使い燕尾服を縫う。
大切に着てはいたんだけど、破けたり汚れたり。繕うにも限度がある、旅の間は気をつけなくっちゃね。
「お前さん、やっぱそれ着ていくんか?」
言外に「やめとけ――」と、匿名希望の狼が眉根を寄せていた。
「燕尾服はヴィーラ殿下への、忠誠の証なのです!」
そう主張して着てしまったから、もう後戻りができなくなったとも言う。
苦笑しながら仕立てていたらノックがする。
「アユム――いる?」
「いま――す!」
妙な会話はしかし、互いには通じていた。
視線がベッドでカレシーと遊んでいる、赤毛の幼女に向けられていたから。
「もうアカーシャ、アユムの邪魔しちゃダメでしょう?」
「邪魔じゃないって言った」
ねえシーちゃんと、同意を求めてカレシーを抱きしめる。
スーリヤ様が腰に手を当て、駄々っ子を諭す。
「アユムはそういうとこ、鈍いってわかってるでしょ!?」
……なぜだろう、すごく責められてる気がした。
「出発の準備は――進んでるみたいね」
剣のほかに黒い警棒や、紐を編んだリストバンドを装備予定。
バックパックにレーズン酵母とカレンデュラオイルの小瓶、方位磁石と水平器に着替えの農民服、バールのようなものを上に積み登山でもする出で立ちになる。
「方位磁石を借りっぱなしになってしまい、申し訳ありません」
「いいのいいの、ほったらかしだったし役立てて」
スーリヤ様が紐についた耳栓を伸ばし、不思議そうに首を傾げていた。
「アユムがマナスルで色々やってる噂は、サーガラまで広まってるはず。まったく話を聞かない――なんてことにはならないだろうけど」
「一ヵ月近く前に、レシピを手渡した行商人の方に噂を頼みましたけど、そこまで広まっているでしょうか?」
「ん――~…ああ、そうねえ」
何か言い辛そうに天井を見るので、合わせて見上げてみる。
異世界の方たちにとって「アラヤシキ」とは、天国や地獄同様に信仰対象であり実在の確認にはいたらない……そんな世界をしめすそうだ。
なので「アラヤシキから来た少年」――なんて、信じてもらえるのかなあ。
「……噂が広まるスピード、早いって気がしない?」
ぼくの疑問を察したように、スーリヤ様が盗み見ていた。
「ああそういえば、新王都の方まで噂を頼りに集まるのは変だなと」
マナスル市民なら実物があるからわかる。だけど他領の方は行商人の噂だけで、薪ボイラーや側溝通りの話を信じていたのだ。
「私もハスター卿から聞いたのよ、つまり信じるに足る人だからこそ広まったの」
「妙な言い回しですね、領民が信じるに足る――…」
瞬時に浮かぶ姿。
「――っまさか!」
「そう、ヴィーラ殿下が広めてるの」
二人の間にハッキリと、黄金色の髪に炎の瞳を光らせた少女が浮かびあがった。
「バジリスクを見事に討伐せし英雄――マナスルに顕現したアラヤシキの少年は、注目の的なのよ」
他国からもね――と、温度が下がる忠告をされる。
「ヴィーラ殿下がなんらかの思惑をもって流している噂。だからこそ本来アユムがマナスルを離れるなんて、認められるはずがない」
「この件を知っているのは……ハスター卿が尽力してくれた!?」
スーリヤ様がおそらくと、複雑な表情で頷く。
「さらにマナスルに因果伯六名は殿下の下知。それでもアユムに護衛が必要だと、殿下が納得できるだけの理由をしめしたのでしょうね」
ぼくの話を完全に理解できたとは思えない。
それでもヴィーラ王国の未来に繋がると見越し、糸口を作ってくれたのか。
「ずいぶんとぼくを……買ってくれているの、ですね」
元騎士団総長の威光で旅を止めるか、護衛をつけないほうが簡単だったはず。
それなのに殿下を説き伏せ、サーガラ行きを認めてもらう。もし密偵がいても、また元騎士団総長のいたずらかと気に留めなかったに違いない。
ぼくですら意趣返しに思えたほど、完璧に道化を演じ切ってみせたのだ。
「やはり怖い方ですね、ハスター元騎士団総長……」
「重荷に感じることないわ、とぼけた顔をして……あの爺は読めない」
その手腕に称賛していると、スーリヤ様は悔しいのか深いため息をつく。
この時代でも流言飛語はけして無視できない。拡散するにつれ尾ひれがつけば、剣以上に恐ろしい武器となる。
「これが向かい風になるのか追い風になるのか……ヴィーラ殿下はアユムを騒動の渦中にしようとしてる、まったく無茶苦茶よねえ」
ぼくは突きつけられた無理難題に、胸の高鳴りと興奮を覚えていた。
本望である――と。
そして同時に、消えない罪悪感も胸を突く。けっして避けて通れない矛盾……。
アカーシャが心配そうに顔を覗きこんでいた。
「大変だよね、でもそう……これはアカーシャの悩みと似てるかな?」
「同じ?」
うんと頷いて頭をなでる。
ぼくは何度も振り返る、それは返還なのか? 改悪なのか?
頭での理解と感情での足踏み、どちらの選択もしがたく――。
「まあアユムが目的を持って行動してるのは、アカーシャもわかってるんだよね。城には歳の近い娘がいないし、寂しいって気持ちは消えようがないけど」
バジリスクのときと違い、何か視たゆえの行動ではない。
だからぼくとしては、アカーシャのいいようにしてあげたいんだけど。
「スーリヤは寂しくないの?」
カレシーのほっぺを引っ張りながら、ポツリと呟く。
「そ――んなわけないでしょう!?」
大きく口を開け、呆れたとばかりの即答。
むしろ訊いたアカーシャのほうが驚いている。
「先生も、教え子も、仲良くなった人も、喧嘩した人も、皆先に逝っちゃった」
長寿のエルフ、そのあまりにも長い時間。
理解したアカーシャが下を向く、賢い娘だ。スーリヤ様も横に座って、カレシーの顎をなでる。
「シ――~…」
――世界を見たいと里を飛び出した私は、かなりの異端児でしょうね。
そうアユム風に言うなら、此処ではない何処かにってなるのかな。プラーナ様はうらやましいって笑ってたけど。
エルフに「寿命」の概念はない。
ゆえに「子を残す」……次世代に繋げる意思は、只人よりもはるかに弱い。里の顔ぶれは何十年も変化しないのだ。
暖かな日差しのなかでいつもと変わらない日常をくり返す、平和で平穏な日々。
私は……私には、それが退屈だった。
けどそんな世界にも別れはあって、何百年と生きるうち徐々に――数十年かけて徐々に動きの少なくなる人がいる。
食事の回数が減っていく、瞑想する時間が増えていく。
夢のなかを歩き、心のなかで糧を得て、光のなかに住む。里の者たちも「そこにいて笑っている人」……それが当然の認識となっていく。
徐々に……徐々に……当然みたいに、ある日「気がつく」といなくなっている。
子供のころお気に入りだった杖も、本も、歳を重ねて離れるみたいに。
慌てて探し回り親に訊ねたら――もういらないって捨てたじゃないと知り、夜に思い出してちょっと泣く。
エルフの「別れ」とは、そういった認識なのだ。
「寂しくないわけじゃないの、だから未来を視るのよ」
アカーシャがスーリヤ様を見上げ、不思議そうに目を合わせる。
「今日笑って別れたから――明日もきっと、笑って会えるねって!」
見事なウインクにぼくの心まで弾む。アカーシャがやっと、「にへら~」としか形容できない笑みを見せた。
スーリヤ様もマネて笑い、温かな光の輪が咲く。
無我夢中でやってきた、今でも正しいと確信している。それでもときに顧みる、歴史を変えているだろう罪深さを。
蒸留水、パン酵母、側溝、ソース、フォーク、蒸気エンジン。
自分の衣服すら否定していたのに……時代の変遷にはそぐわない記憶の数々を、今後も手繰っていく。
歴史――記録の大切さを語り、実行しているくせに変える。
「ぼくは世界を返還しているつもりで、改悪 しているのではないか?」
全人口を二億人減少させたといわれる黒死病。
それすらも悲しみ、教訓とし、知恵を絞り立ち向かう力を人類が得たのであれば――必要な犠牲ではないのか。
「やけどの痛みを知らないと、より大きなケガをするのでは?」
黄熱病、天然痘、スペイン風邪、エイズ、結核、マラリア、コレラ――どれほど尽力しようと、人類は今後も感染症の猛威と戦う。
そんな犠牲を否定する自分と、それでも肯定する自分がいた。
ぼくの存在自体が矛盾を抱えている。
「これがぼくを召喚したヴィーラ殿下の、望んだ未来なんだろうか……?」
「まあしばらくアユムのパンが食べられないのは、寂しいかなあ」
「レシピは料理長に手渡してます、実習も十分実地しました。これからも変わらず同じパンが食べられますよ、ご安心ください」
笑顔でアピールしたのに、二人は顔を見合わせため息をついている。
「ほらね、鈍いでしょう?」
「アユムは女心を記憶すべきだ」
アカーシャどこでそんな言葉を……。
かなりの年齢差に同時に責められ、困っていいのか喜んでいいのか。
「あらそんな顔しても、私たち以上にアユムを知ってる者はいないんだからね? ――我発見せりっ!!」
突然二人がぼくを指さし、ハモって大笑いするので驚いた。
「……入浴中に飛び出さないでくださいね」
哲学者アルキメデスが浮力の定理を発見し、喜びのあまり叫んだとされる故事。
「先の見えない暗闇の迷宮で、アユムを探し出したのは私とアカーシャよ!」
スーリヤ様が胸を張り、アカーシャが頬をふくらませて頷く。
そうでしたと、苦笑して頭を下げる。
「その節は大変お世話になり……」
「まったくよ――~いい? アユムがどんなに世界を返還しても、それは私たちが見つけたかけがえのない未来!」
スーリヤ様が腰に手を当て、まばゆく笑う。
嗚呼……この方は本当に光なのだ、影であるぼくの心を照らし出す。
「そうか、あのときぼくは……見つけてもらったのか」
ぼくは動悸が激しくなり、聞こえてしまわないか怖くなった。
「まあアカーシャ、隠れてついていこうとしてたの!? ダメですよあぶない! アユムも危険なことはしないようにね? 何かあったらすぐに連絡すること!」
「は――いお母さん」
「っ……そんな歳じゃありません!」
三人で色々な話をした、予知ではない楽しい未来を視るのだと。
確かなのはこの一瞬。
ここは過去の向こうの世界ではない、「すでに経過した記録」ではないのだ。
異世界の、この並行世界の未来は「たった今」作られているのだから。
「来年の、今月今夜のこの月を――…」
窓の外を見上げて呟く。
貫一とお宮の人生は未完のまま、複数の見解を持って語られる。ぼくの物語も、きっと誰にもわからない。
記憶した歴史にはけっして繋がらないのだと、実感が夜の空に浮かんでいた。
青と黄色に輝く二つの衛星。
こちらで青い月はジャーラフ、黄色い月はジャーレーと呼ばれている。




