二十八夜 義務と感傷
『光恚』――!
スーリヤ様の前方に見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。識者ならば梵字の「マン」に酷似していたと指摘しただろう。
慣れた手つきで、一枚の羊皮紙を文様に差し入れた。
俯瞰図が……文字が……光を発しながら描かれていく。数秒後にぼくが作成した「マナスル城郭内の地図」と、まったく同じ物が複製される。
何度見ても見事だ。
「二枚でいいのね――?」
そう言って今一度地図を見直している、忘れてしまうのだ。
今日はいつものラフ着である濃い緑のコタルディではない。
長い蜂蜜色の髪をシニヨンできっちりとまとめ、最初に着ていた緑を基調とした足先までおおうマーメイド風ドレスである。
見栄え用なのかな。
「お願いします。新規の工事責任者と、衛兵が管理する分となります」
マナスル城の執務室。
王族専用ではないけど雰囲気が似てるせいか。黄金色の髪が揺れて光り、少女の姿を虚空に浮かばせた。
M属性「光恚」
「闇」――自分の記憶や知識を、「光」――外部の紙や羊皮紙に烙印できる。
スーリヤ様が得意としており、公文書の作成も領主として業務に含まれていた。
屋台のレシピや特許使用許可証も複製をお願いしている。文字通り焼き印さながら現れるので、インクによる追加も偽造もできない。
しかし「外部」へ出された記憶や知識は、本人の「脳」から消える。
探究者だったスーリヤ様にとって、それは良いことなのか悪いことなのか。
「S属性は物質を、O属性は体の一部を、そしてM属性は精神を返還……か」
「カルマ」は義務が強要されるほどの、傑出した「力」であるのは確かだ。
M属性の「無欲」――夢の形で無意識に啓いてしまう未来予知は、視ている者にとって現実と大差がない。
他者の悲劇まで体験するアカーシャは、常に寝不足だ。
「闇癡」は今のところ便利に使用している。だがいずれは「壁裏歩夢」の人格も、膨大な記憶の中に埋もれていく。
のちに自己崩壊をまねく危険性は否定しきれない。
「光恚」はその逆で、自分の記憶や知識が単なる「記録」になってしまう。いくら長い人生でも、「スーリヤ様個人」の思い出はどうなるのだ。
「M属性はいずれ起こる、精神の崩壊が原則となってない? 役立たず属性などと言われるわりに、一番辛い返還がされてる気がするけど」
そう思うのは、ぼくがM属性だからだろうか――。
「ん――~…また何か、難しいこと考えてるわね?」
いつの間にかスーリヤ様が目の前に迫っていて、腰に手を当てメガネを上げた。
銀のフレームに光が反射する。
以前から記録をとるときや本を読むときに、表情が険しくなるのを覚えていた。
そこで試しにランドルト環を製作し、視力検査をしてみたのだ。
「D」――〇・二以下の結果となる。
聞けばほとんど見えていないらしい、裸眼だと生活も大変でしょうに……重度の遠視ですね、危ないなあ。
「……老眼」
ボソリと揶揄され、アカーシャとスーリヤ様がしばらく追いかけっこをする。
誰もアカーシャを嗜めなかったけど……。
「うわあ――――~っ! 世界が明るい、ぼやけてない! それにこのガラス――レンズ? すっごく軽くて気にならない!!」
嗜めの代わりにメガネをプレゼントすると、ことのほか喜んでくれた。
このごろは質のいい適度な食事と、入浴やシャンプーにと余念がない。以前にも増して美しさに磨きがかかっている。
比例して言い寄ってくる方が増えていたそうだ。
「それがこのメガネのおかげで、『顔に変なモノをくっつけてる女』として距離を置かれるようになったのよ。まるで一石二鳥ね!」
「地位目当ての方ばかりでもないと、思うんですけどね」
スーリヤ様ならモテて当然と苦笑したら、頬をふくらませ睨まれた……なぜ?
メガネは一三世紀に発明されていたが、まだ普及はしていない。貴族にも高価なガラス製品であり、使用意図すら理解できないのだ。
ちなみにほかは全員「A」で一・〇以上。
ウールドなど「ゴミ?」レベルまで認識していた。視覚はたいしてよくない狼の名を冠してるくせにと、ツッコミを入れ笑いが起きる。
顔を寄せ不審がるスーリヤ様に、ニコリと笑った。
「メガネ美人って、それだけでステキな奇跡なんですよ?」
そう思うのは、ぼくが現代人だからだろうか――。
スーリヤ様が無言で執務室を出ると、先に歩いていってしまう。何か呪文を唱えだしたがよく聞こえない……ていうか早っ!
「……ットニ、コイツハコイツハ……」
「ごいっしょしますよ、スーリヤ様――!?」
複製してもらった「マナスル城郭内の地図」に、新規の指定番号を刻印する。
管理責任者に渡すよう家令さんにお願いして、あとを追いかけた。
☆
馬車に乗り、北西のウッティ門から城郭都市外に出る。
周囲に広がる広大な農地に、時代を経た石畳の王道が線を引く。当然だけど掃き清められてるわけではない。
整備や安全点検もしていないらしく、泥や小石がいたるところに固まっていた。
「ベテランの御者を専属で雇ってるそ……っうだけど、それでこの揺れなんだから緩衝材のな、い馬車はどうなるの……っか」
少しの段差でとんでもなく体が浮き、次いで重力には抗えず落ちるのだ。
四頭立ての豪華な貴族用馬車――コーチは鎖で座席を吊り下げた懸架式であり、これでも乗り心地が格段に進歩した一四世紀の最先端技術。
高い地位の威光で入手されたのか、ありがたく相乗りさせていただいてはいる。
「最初に乗ったときは数分で胃がカラになったっけ、記憶を消したいなあ」
馬車の横転による死亡事故は、けっして少なくない。
またも石を踏んだのか横倒しになるほど体が傾く。荷物運搬用の馬車に寝転び、牧歌的な旅など夢だったのだ。
ちょっと心が挫けてしまいそうで、先行きが不安になる。
――この時代は貴族や裕福な商人であれば、女性も乗馬を嗜みとして習う。
スーリヤ様も普段の移動はもっぱら騎馬だった。護衛につく因果伯は存在を公にできず、姿を隠すため馬車を利用したのだ。
馬車が上流貴族のステータスシンボルと呼ばれるのは、一六世紀からである。
「意識は元々主観的な現象よ、それをO属性は客観的な現象として術者に――」
「ええおっしゃるとおりですわ、目や耳などの感覚器官に異なった認識を――」
スーリヤ様とラヴィは、なにやら属性の話をしていた。
ラヴィが視力を失ったときに、同属性の「風舌」を応用してはと指南したのは、スーリヤ様だそうだ。
M属性でありながら、「カルマ」の研究に一家言あるスーリヤ様。
O属性であり、国家存亡危機のバジリスクを制止させ続けたラヴィ。
二人ともヴィーラ王国の、得難き重宝なのだ。
「りんごの甘酸っぱさが生地に溶けこみ、爽やかな香りが引き立つ至高っ!」
「ザクザクとした歯応えと、香ばしい生地がもたらす甘みこそ究極ですわっ!」
得難き重宝の方々が、アップルパイとオールドファッションについて、つかみかからんばかりに舌戦をくり広げている。
別にいいですけど、馬車内で食べ物の話はいかがなものか。
気分を変えるため、正面に座るバクティ卿を見る。相変わらずオレンジのプールポワンを「着こなして」いた。
数着持っているみたいで、細部の刺繍やボタンが見るたび違うと気がつく。
貴族と聞いて思い浮かぶのは彼だ。年齢はまだ二十代も中盤なのに、すごく落ちついた物腰をしている。
「ウールドが色男なんて呼んでたっけ、実際モテるんじゃないかなあ」
ぼくの視線に気がついたのか、まっすぐなグレーの瞳を細めて笑う。
彼はいつも優しく、見守ってくれる安心感があった。
「バク――~…デッ!?」
返礼しようとしたら浮いて――尾てい骨が悲しい鳴き声をあげる。
ぼくは尻に敷いた毛皮に願いをこめ、遠くを見、心を……無にした。
農地から離れた丘で、四人を乗せた馬車が止まる。簡易的ではあるが柵で囲い、兵が監視をしていた。
バジリスクの亡骸が膨大な薪に囲まれており、準備はすでにできてるみたいだ。
倒して終了とはいかず、魔獣の死骸を放置はできない。また都市内での解体は、病原体や感染症の問題も発生する可能性がある。
少しでも領地から離すべきと、多数の馬と兵の汗を代償に運んでもらった。
国家存亡危機の魔獣――バジリスクの牙や骨、ウロコなどの有効活用が目的。
だが黒に近い緑のブレスの死後変化がわからない。
化学防護服はレベルC……ろ過式マスクもまだ存在しないのだ。素手での接触は固く厳禁し、ないよりマシとタオルで鼻と口をおおってもらう。
毒腺の場所も蛇によって違うため、頭部の検査は困難だった。
正直惜しかったが断念するほかなく、折った牙だけを得る。体組織が腐食性なので有害物質の接触は、できるだけ避ける必要もあった。
比較的採取しやすい、露出した下部の骨と共に新王都へ送る。
残念だがウールドの「邪土」ですら手こずったウロコは、死後に硬化が弱まったのか確認できなかった。
おそらくS属性同様、魔獣の「カルマ」に反応した強化だったのではないか。
「カルマ」の研究に一家言あるスーリヤ様も、心底残念がっていた。
バジリスクの搬送や接触した者は、マナスルに入る前に衣服の交換と廃棄処理、全身シャワーを義務づける。
これは要望のあった城壁の衛兵用お風呂へと、流用する運びになった。
少しはニンジンの役目を果たしたのか、帰り支度をする兵士が笑顔に揺れる。
「なぜ末端の兵士にまで、こうも大袈裟にしなければならん! バカバカしい!」
「未知の伝染病が――疫病が蔓延する恐れがあるんです、どうかご理解ください」
「デンセビョ……とっとにかくだね! いち騎士にはわからんだろうが、我らには検討せねばならん案件が山とあるのだよ!」
かさむ出費に諸侯から批判を受けようと、最低限のリスク回避だと押し通す。
ぼくに対する陰口ですむのなら御の字だ。
「まあ国家存亡危機の魔獣だし、聖霊として祀ったほうが無難でしょう。マナスルにどんな酷い呪いが降りかかるか、わかったもんじゃないわ」
どこまで本気かわからない領主の相槌に、青ざめた諸侯が顔を見合わす。
春日らしい陽気が続き、腐敗による異常が発生しないとはいえない。早々に処置すべきと今回おもむいたのだ。
『炎生』――!
バクティ卿の前方に「カーン」に酷似した文様が浮かび、淡く発光する。
薪を一つ、文様に通して投げこむ。影に包まれ崩れて消え――直径一メートルはあろう炎の塊がわき出て、バジリスクを囲った薪に引火した。
「おお――――~…っ」
見守っていた兵士が感嘆と驚嘆のため息を落とす。
徐々に周囲の薪に燃え広がり、瞬く間に眼前をおおう大火となる。バジリスクの亡骸が逆光となり、浮かんだ影にあらためて巨大さを実感した。
司教による御霊を鎮静する祈りのあと、「カルマ」の炎によって浄化したのだ。
教会の鐘が鳴って、兵士も遠くにいた農民も静かに見ている。魂が肉体に戻り、復活しないよう祈願して。
市民に死者が出なかったのは結果論であり、バジリスクに対して哀悼はない。
ただその命に関わった者として、最後を見届ける義務を覚え立ち合いを希望……とは言い訳かな。
生命に向けた最後の瞳への感傷は、あったと思う。
「シ――~?」
「――っ!?」
炎に炙られ熱くなったのを感じたのか、体に巻きついてた「カレシー」が胸からヒョコリと顔を出した。
近くの兵士が驚愕の表情を浮かべ、けれど一歩も下がらなかったのは見事だ。
カレシーがぼくの頬にすり寄り、次いで熱さの原因である炎を見る。「魔獣」に感情があったとしても、表情からは読み取れない。
「キミもいるしね」
意味があるかわからないけど連れてきてしまった、こちらは完全に感傷。
カレシーは二〇センチほどの赤いマントをはおっていた。蝶結びのループエンドが首元で揺れ、チャーミングさをより演出する。
害虫駆除のお礼にとメイドさんが縫ってくれたのだ。
だけど本心としては、暗闇に突如いると怖いので目印にってとこかな。
「赤いマントが似合ってるよ、頭部の王冠と合わさって王様みたいだ」
ヴィーラ殿下には絶対に言えないたとえだなあ。
指で顎をなでると、気持ちよさそうにまぶたを閉じた。本来蛇にまぶたはない、聞けばバジリスクも戦いの最中に尻尾を自切したそうだ。
ではバジリスクやカレシーは蛇ではなく、アシナシトカゲ種に近いのか?
しかしお腹のウロコは横向きだし、ヤコブソン器官やピット器官を使用していた節もある――そもブレスを吐く時点でなにをか言わんや。
自分に呆れ笑ってしまう。
「魔獣は、不思議な存在だねえ……」
「シ――~?」
首を傾げるしぐさがかわいい。
「僕に言わせれば、アユム卿の行動こそ不思議でしかないがね」
バクティ卿が横にきて、苦笑いと呆れの表情をしてみせた。
「アカーシャ嬢の件があったとしても、決死の覚悟をさせられた魔獣を獣者になど考えすらおよばなかった」
「向こうの世界に魔獣はいませんから、興味と好奇心が勝るのは否めません」
カレシーを見るときだけ、バクティ卿のまっすぐなグレーの瞳が微妙に歪む。
それは恐怖以外の複雑な感情を匂わせた。深く立ち入るべきではないけど、意を決して訊いてみる。
「因果伯は魔獣の討伐もされてるんですよね。ほかにどんな魔獣がいるのか、話を聞かせてもらえませんか? 剣の修行にもつき合っていただけると助かります」
「それは構わないが、アユム卿に何か教えるというのはどうも照れてしまうな」
「買いかぶりすぎですよ、ぼくは街中にいるごく普通の少年です」
うん無言で横を向かれると、少し物寂しいのですが。
スーリヤ様とラヴィはカレシーが出た途端に離れていった。遠くで大口を開け、ぼくを凝視しているのはなぜなのか。
「我らと理の違う魔獣に物怖じもしない……それでこそヴィーラ殿下が招かれた、アラヤシキの少年なのかもな」
寂しそうな笑顔に合わせ、三つ編みを留めた赤いリボンが揺れる。
「いいでしょう、しかし僕の鍛錬はいささか厳しいですよ」
「むしろ望むところです!」
バジリスクは明朝まで燃えつきず、丘を照らしていたそうだ。
焼却後は灰を樽につめ、深く掘った穴に厳重に埋葬。小さな慰霊碑が建てられ、香煙を焚いて蝋燭が灯された。
☆
馬車は城へ帰らず、ホーマ親方の鍛冶場へ向かう。
スーリヤ様が以前からお礼をしたいと話していたのだ。なにしろ目下一番の楽しみである、入浴に必要な薪ボイラーの製作者なのだから。
「だったらついでに、『公共性の発展と事業を鼓舞する演出』をしませんか?」
「……なんだかさらっと、難しいことを言ったわね」
「難しい話じゃありませんよ、職人を褒めてやる気を引き出そうってだけです」
馬車で直接向わず大通りでいったん降り、歩く姿を見せながら向かう。
貴族が都市部で馬車を降りる、それだけでざわめきが起き疑問が叫ばれた。
「おっおい……あの方、領主様じゃねえのか!?」
「ちょいとあんた起きなよ! 稀な方がお通りになるよ!」
「ええっ!? なんだって、こんなところに……?」
遠目でもスーリヤ様は目立つ、市民が集まり何事かと追従する。
エルフの外見はあっても、やはり発する「カルマ」の違いに惹かれるのだ。
鍛冶場の防壁が続く広い通りを、スーリヤ様が珍しそうに眺めて歩く――あっという間に大名行列となった。
「すげえ美人の亜人って噂を聞いたけど、ありゃ本当に俺らとは違うな。にしてもでっかい目だねえ、いや光ってねえか?」
「なんでこんな街外れに、お越しになったのかしら? あれはあんた顔に変なモノをくっつけてんだよ、理由はわかんないけど」
「領主がわざわざお見えになるんだ、大層な話をされるのさ。きっと仮装するのが貴族のたしなみなんだ、偉いもんだよ」
バクティ卿とラヴィが鍛冶場の入り口に門番として立つ。見物人が囲んでいて、帰りはどうなるのかと心配だった。
スーリヤ様とぼくだけが入り、ホーマ親方が跪いて出迎える。
鍛冶の道具や部品が入り乱れ散らばった、それでも一応掃除してある作業場に、緑のマーメイド風ドレスが一層艶やかに閃く。
場違いがもたらす美しさだ。
「我が国は――」
やや半眼となり、神秘性が増したエルフがほほえみを浮かべる。
「我が国の周辺には、常に危険がひそんでいます。
先日も領地に侵入し、脅威をもたらした魔獣に憂き目を見た。ゆえにこそ我らは何気ない生活に手を組み、神に祈るべきではないのか。
今日の恵みにこそ、深くお礼申し上げるべきではないのか」
多くの方の尽力によって、領民に死者こそ出なかった。
だがそれは結果論であり、次もそうだとはかぎらない。新王都への移住や他領へ引っ越しをする者もいる。
何気ない日常へのお礼――。
鍛冶場を取り囲んだ領民の心に波紋を打ち、優しく染みこんでいく。
「そなたの手製により安らげる日々を、心から感謝しておりますよ」
「もっ……もったいなきお言葉、ありがとうございます!」
初めて見る親方の真摯な姿、スーリヤ様への尊敬が本物なのだと実感する。
普段の親方を知ってるだけに、吹き出さないか心配だった。しかし周囲に集った弟子たちは、親方に憧れと羨望のまなざしを向けている。
職人の真剣な気配に、むしろ気圧されてしまった。
「会議の席でもそうだった、領主ってやっぱり大層な地位なのだな」
普段のスーリヤ様からは、どうしてもイメージが一致しないけど……。
「此度もアユム卿より無茶を申しつけられたそうですね。職人は国の宝、けっして無理をせず励んでください」
チラリとぼくを見て言う。
無茶はスーリヤ様の裏取引もですよと、苦笑を禁じえない。
「とんでもございません! この坊……アユム卿の持ちし仕事は、生涯をかけるに相応しいと打ち震えております! どうか私めにおまかせくださいっ!!」
「わかりました。何か必要がありましたら、城の門は開けておきます」
スーリヤ様が目を細めて頷く。
「はは――っ!!」
弟子もそろって頭を下げた。
控えていたぼくが前に出て、三つの袋に入った金貨を台ごと渡す。
「おおお――――~…っ!!」
門から塀の上から興味津々で覗いていた市民に、どよめきと歓声があがった。
毎回定められた賃金は支払っており、これはあくまで準備金であり見せ金。
「領主が直接出向いて手渡した」――パフォーマンスが重要なのだ。周囲の注目度からしても、ほかの職人のやる気に繋がる。
「ありがたく、頂戴いたします!」
スーリヤ様は本格的に開始した、薪ボイラーの量産ラインを視察。
薪ボイラーは本体の鋳造から銅パイプにいたるまで、専用の鍛冶場を開き任意の鍛冶職人に委託する運びとなる。
なにより職人はこれが目当てでマナスルに来たので、派遣表明が相次いでいた。
ホーマ親方も認めており、鍛えた弟子ともども切磋琢磨していってほしい。
親方は手が離れたのか離したのか……意識は蒸気エンジンに向いている。ぼくにあるのは記憶――「知識」だけなのだ。
職人が設計図から受け取る印象の、すり合わせがどうしても必要だった。
実際に製作するには技術的な洗い出し――「技能」が問われる。これはけっして伝えられない、職人のコツやセンスが重要だった。
鉄を睨み鎚を振るった親方の半生、職人魂に炎を灯す。
ケガで動けないのを幸いと何度も話しあい、手応えを得ている。親方が離れる間の指示を飛ばす、ぼくは勝手知ったる棚から設計図を取り出す。
「ホーマ親方、トリップ・ハンマーのチェックをしておいてくださいね」
「そりゃあ毎回やってる、念を押すことなのか?」
設計図を開きながら、ぼくも瞳を輝かせていた。
「次の段階の、布石です!」
未来に心を躍らせる――そのとき、忽然と「男」が現れる。
ボロボロのローブに顔を隠すフード、いっさい隙のない風体。発する「カルマ」が剣呑な気配を放つ。
あとで知ったのだけど、門番をしていたバクティ卿とラヴィに問うていた。
「領主とアラヤシキの少年……さて、どっちを守る?」




