二十七夜 けっこう黒かった
「ああ~大切な燕尾服がっ! うはあ、アハハハハハ……よおし、まあまあマシになってきた。よおっしもうひと息――~…ああっ!」
念のため敷いておいた藁に埋まり、力なく首が折れる。
空にポカリと雲が流れ、鶏が不思議そうにぼくをつつく。軽く頭を押さえながら盛大に散った藁を集め、また燕尾服を繕わなきゃと苦笑がもれた。
「S属性は木片を炎に、土を鉄に返還する……うん、理屈は間違っていない」
ぼくなら可能な気がするんだよな――。
「あっアユムいた――! ガキ大将がねえ、つき合ってやってもいいって――! あんな規格外を相手に、無茶しないでよ――~!」
居館の渡り廊下からスーリヤ様が声をかけてくれる。
「アハハハ、は――い! ありがとうございます、スーリヤ様――~!」
お礼を述べて体の藁を落とし、用意しておいた木剣と盾を手に駆けだした。
「冬来たりなば、春遠からじ……」
寒い冬が訪れようと、耐え忍べば暖かい春が回ってくる。
叙情的な詩を呟き、自分の姿と重ねて少し笑う。
「なんだそりゃ?」
ウールドが木剣を肩に見下ろす。
マナスル城の井戸周辺は、兵士にとって格好の練習場所である。今日もかけ声と木剣が激しく入り乱れていた。
汗を流すのに適度な広さがあり、桶で冷やしたエールを飲み休憩する。
本格的な訓練は野外でおこない、自主練は決まってここだった。城のメイドさんにカッコイイ姿を見せようと、張り切る兵士にとっても……。
「こちらの世界にも、シェリーは生まれるのだろうか」
暖かな陽気が増え、もうすぐ召喚されて二ヵ月となる。
骨折の完治は早くて二~三ヵ月。若さゆえかトリコナーの癒しが影響したのか、脚にはまったく違和感がない。
魔獣――バジリスクとの遭遇。
ぼくには身を守る術がないと、遅まきながら気がつく。貧相な剣を鍛えるべく、兵士に混ざって数日後。
寝ながら青い空を眺め、十分に理解する。
「笑えるくらい、役に立てませんね……コレでは」
鼻血が地面に染みを作り、拭こうにも腕が痛くて上がらない。遠慮せずボコボコにされたのが嬉しく、頬の高揚が止まらなかった。
肩で激しく息をしながら、上半身を引きずり起こす。
「っっう”! あっくう――~…アハッハハハハ……」
全身が悲鳴をあげ気持ちよさに恍惚となって、本当に笑ってしまう。
「まあ……笑っちまえ、お前さんにこっちで期待はしてねえよ」
ウールドは汗どころか息も乱さず、口角を上げて笑う。
軽い散歩より軽くぼくをいたぶり、痛み入る忠告。
「佩刀はしていろ、威嚇にゃなる。ほんで立ち向かう振りをして逃げろ、生き残るために足腰を鍛えるんだ」
手を引いて起こし、髪をグシャグシャにする。
軽かった木剣と盾が重くって、そのままにされていた。
「走って走ってメシを食え、いいな!」
何も聞かずに連日蹴り殴ってくれた、ウールドに感謝する。
「だからその、ぼくは大丈夫ですから――」
ひと段落つき、スーリヤ様が止めていたアカーシャとメイドさんが走り寄る。
「痛い? 痛い?」
「兵士でもないアユム様に……なんて酷いっ!」
アカーシャが半べそで、カレンデュラオイルを塗りたくった。気持ちが嬉しく、笑ってさせたいようにする。
メイドさんが口元の血と鼻血を拭き、青アザに濡れたタオルを当ててくれた。
すべて軽傷と打撲……よろけて捻挫すらしないよう、手加減された訓練。
「なので露骨にウールドを睨むのは、頼んだ手前勘弁してください」
タオルに埋もれたぼくを、兵士が羨ましそうに見ていた。
それにしてもと、骨折で動けず筋肉の落ちた体をさする。
スポーツは万能といえなくとも、全般こなしていた。専門で練習をしなくても、レギュラーに選ばれるほどは器用だ。
なのにまったく役に立たない。
「選択授業で剣道を採っていれば、違ったかなあ」
剣が未熟なのはわかる、体力や反射神経の問題なのか、それとも……。
なぜか開始していたウールドとスーリヤ様の練習を眺める。
ウールドは木剣のみ、スーリヤ様はクォータースタッフを持っていた。
意外と言ってはなんだが……スーリヤ様は二メートル以上あるスタッフの長さを活かし、的確に攻撃する。
遠距離から遠心力を効かした打突。
近寄ればスタッフの真ん中を持ち、上下左右に止まらない連打。木剣を巻き取るように捌き、ウールドもやりにくそうだ。
「マナスルの領主になる前は、何十年と探究の旅をしていたそうだ……実戦を経て覚えたんだろうなあ」
長い歴史を語るエルフ、長寿とはそれだけで経験が豊富になる。
いったん仕切りなおしとウールドが下がって距離をとった。その隙を見逃さず、スーリヤ様が一瞬で飛びこみ突きこんだ。
「やあっ!!」
剣には不可能な距離の攻撃であり、さらにスタッフの断面は非常に小さい。
ウールドには「点」にしか見えない必殺の突き。しかしクルリと体をかわし易々と懐に入り、二人の動きが止まる。
木剣がスーリヤ様の喉元に触れていた。
「勝負あり、かねえ」
「うぅ――~…悔しいっ!」
スーリヤ様が肩で息をし、うな垂れている。
「いや驚いたよエルフのねーちゃん、以外にやるねえ! いったいどこで――…」
ウールドをスルーし、すでにこちらに向かって歩いていた。
「ごめんねアユム――どうにか仇を討ちたかったんだけど――~」
うん気持ちは嬉しいけど、ウールドが寂しそうにしてるしその辺で。
「見えてた? ……ああ、エルフのねーちゃんの突きか」
ありゃあみごとだったなと、狼が大笑いする。
ウールドの背中を流しながら訊いてみた。にしても身長差はあるけどでかい……まるで壁だ、父親もこんな感じなのかな。
「見えてたと言えば、見えてたのかなあ」
しばし虚空を見上げ、言葉を探している。
ひとつうなったあと、左手の上腕部にあるえぐれた傷を見せた。
「これは盗賊やってた槍使いにやられたんだ。遠間から一気に突きかかってきて、捌ききれなかった」
「あの技を、実戦してるんですか!?」
経験ゆえになせる業なのか。
「そうとも言えるし……ってとこかねえ」
泡を流し、ウールドにとっては少し小さい桶の浴槽に入る。
胸までつかり、手を伸ばして震えた。
「っああ、最高だねえ! このごろは青い暖簾を見るだけで、足が向いちまうよ。この水の匂いがなんか気に入っちまったなあ」
さすがは嗅覚の優れた狼の名を冠してる、そんなに喜ばれるとぼくも嬉しい。
現在城の居館には薪ボイラーが二台ある。
一台は初期の親方作で、順調に稼働して浴槽用の桶も三つに増えた。もう一台は弟子作で、お湯の排出量が少し弱い……パイプの配置や長さの問題。
廃棄するのもなんだし、穴を開けた手桶を設置しシャワー用とする。
お風呂は城勤めの兵にとりご褒美となっていた。夕食前は男性が使用するため、「温泉マーク」を染め抜いた青い暖簾がかかる。
夕食後はメイドさんが使用するため、赤い暖簾がかけられた。
いつの間にか使い別けがされていたのだ。
城壁の衛兵から「自分たちにもお風呂を!」と、嬉しい陳情があがっている。
「俺の感覚で言うと、ん――~…一芸に秀でるって言うかなあ」
どうやら言葉にするのが難しいようだ。
「俺はガキのころから短剣でやってきた。自己流だが生き延びてるのは、それなりの域に達してるからだとうぬぼれてんのよ」
んで思い返すと――と、天井を見上げ落ちてくる水滴を眺める。
「一つの武器を使いこなせたとき、くらいからか。ほかの武器の特性や有効距離、できるできないがなんとなくわかってきた。短剣は距離のハンデがあらあ、だけど槍の長さもハンデになんねえか? ならあの武器の長所は? ……とかな。なんか興味がわいて観察してたら、初見の相手でも対応できるようになってたんだ」
水滴を人差し指で弾き、飛沫が輝く。
発想の飛躍による視点の違い。命がかかった戦いにも好奇心をもてたからこそ、生き残れたのではないのか。
尻尾を振って武器にじゃれる狼を想像し、吹き出しそうになった。
「まず何か一つ、得意なモン好きなモンを大きく伸ばす! そしたらほかの部分もなんとなく伸びてるんじゃねえかなあ。まああれだ、属性と同じだな」
窯を見てくれていたメイドさんにお礼をし、桶の横に座る。
打撲があるので入浴は控えた、あとで冷やしておこう。
「ウールドはメインが『邪土』だとうかがいましたが」
「そそっ! そんで『炎生』は使えなかったのに、いつの間にか啓けてたんだなあ不思議なもんで」
おっと属性の話はナイショな、怖いねーちゃんに説教食らうぞ――。
口に指を当ておどけるので、二人して笑う。
「使えたのは同属性の理由もあるんでしょうね、う――~ん」
「アユムもつけ焼き刃に剣を使うより、まずは得意を活かしたほうがいいな」
「それなんですけど、これといって……」
「ほれ例のシートンみたいによ、罠を張ったり巧妙な仕掛けで誘ったり」
「それだとつい、ロボのほうに肩入れしてしまいそうですね」
違えねえ、ロボは立派に戦った――まるで見ていたかのように感心され、好きな作品だけになんだか頬が緩む。
「ぼくの得意かあ、M属性だと『予感』になるのかな」
「クックッ……たまに思うが、お前さんほど自分をわかってねえ奴も珍しいな」
顎に手を当て呟くと、呆れたらしく喉で笑われた。
「ええ? それなりに考えて、行動してるつもりですけど」
「それよ――『思考する』のがお前さんの、一番の武器だろ?」
長し目で苦笑される。
「相手が何をしたいのか、調べ推測し裏をかく。先読みや心理戦がアユムの持ち味なんじゃねえの? 体を張るのは俺らにまかせときな」
引き締まったたくましい腕に水滴がつたい落ちた。
よく見れば深い傷が幾重も重なっている。命を張ってきた場数が桁違いなのだ、つけ焼刃が通じる世界じゃない。
スポーツと比べられるわけがない。
ぼくは初めから、生死を切り開いてきた覚悟に圧倒されていたんだ。それが身に染みてわかる、そして――。
そして向こうの世界育ちには、達せないことも。
「ぼくは……ぼくができることで、頑張るしかないですね」
調査し、想定し、備える、そうすれば皆の役に――。
「そうやって皆の役に立てないかと、居場所を捜してきたんだろ?」
「――っ!?」
「蛇公の情報、嬉しそうに伝えやがって――~!」
ウールドが人の悪い笑みを見せるので、ギクリと心臓が高鳴った。
『うわあ――~…っ!』
赤面を隠すように、両手で顔を隠してしまう。
『なんでバレた!? いつ気がつかれた!?』
ぼくはここにいていいのか、何か役に立てればとつい心配になるのだ。
だから無茶を頼まれると、不安よりも嬉しさが勝って――子供のすぐバレる嘘を見透かされたような、心を触られたような恥ずかしさ。
「もう、意地悪だなあウールドは……」
「アユムは俺と似たとこあっからな。それなりに考えてるくせに、こうと決めたら後先考えず突っ走っちまう」
無茶は笑えるが無理だけはすんな――。
顔を隠したまま呟いたら、胸を上下させて大笑いされた。
「お前さんが隠してる、アラヤシキの『力』……な」
水滴が落ち、ウールドは視線を虚空に向けたまま続ける。ぼくは驚いて、呆然と横顔を見つめてしまった。
「『カルマ』を啓いて記憶がよくなったって、蛇公を倒せやしねえよ。まあどんなネタかは知んねえけど、黙ってんのは相応の理由があんだろ。
って皆も気がついちゃいる、信頼してくれてんだ。
因果伯に居場所はなかったな。まあきっと狭すぎるのさ、お前さんは自分の足で歩くのが似合ってらあ」
ぼくが因果伯になれなかったのを、一番残念がってくれたのは……。
「だがどうにもならなくなる前に、一枚噛ませろよ?」
狼が片目をつぶり、孤独な心の影に暖かな光りが灯る。
「力」を強要され、精神の逃げ場を失う――ウールドの左頬にある古傷を、ぼくはけっして忘れはしない。
「ぼくは本当に、得難き方たちと出会っていたんだなあ」
一九世紀前期――いかにも叙情的な心を詩った、パーシー・ビッシ・シェリー。
だが二十九歳の若さで生涯を閉じるまで、彼の人生は波瀾万丈に富んでいる。
貴族で国会議員の父親に反発し、反社会的思想を掲げ大学を放校。権威を憎んで解放運動に参加し、危険思想家として監視されていたという。
各地を転々としながらも、幾多の詩を書き続けた。
「――ああそうだ! ウールドがお風呂あがりにエールをほしがると先読みして、井戸で冷やしてあるんですよ~!」
「なぬっ!?」
どうしようかな――と、下から盗み見て反論する。
虚を突かれたのか、波瀾万丈な人生を送っている狼が吹き出して降参した。
「っあ――負け! それは俺の負けだわっ!」
「アユムが来てくれて、ほんと毎日が面白えや」
☆
「おお――い! 人手が足んねえ、こっちに一人回してくれ――!」
「資材を粗末に扱うな――神様を悲しませるぞ――!」
マナスルのあちらこちらで、工事と喧騒の音が響きわたる。
十年前を思わせる賑わいを見せているそうだ。
「お母さんが子供だったころは、いつもこんな騒ぎだったのよ」
新王都へ行かなかった住民らしい。一人を抱き一人の手を引き、珍しそうに工事を眺めている子に説明していた。
――欧州において一三~一四世紀の平均寿命は、三十歳ほどである。
女性は十六歳までには婚礼し、残りをほぼ妊娠と出産で過ごす。分娩中の死亡や出産後の合併症による死亡など、まさしく命がけだった。
そも現代と比較して、乳児や子供の死亡率は非常に高い。
さらに成人するまで約半数が病やケガ、食糧問題で亡くなる。戦争で死ぬより、出産と育児で死ぬほうが多い時代。
そのため子を多く望む。
亡くなるのが前提の多産世界、それが「当たり前」の世界。懐かしそうに喧騒をながめるお母さんに、たくましさと願いが重なった。
「清潔な環境により、乳幼児の死者が半減したデータもある。この工事が少しでも悲劇を減らせる、躍進となれば……」
工事の監督責任者や衛兵は、同様の羊皮紙を所持している。指定にそって瓦礫の排除や道の整備をし、側溝を設ける準備をしていた。
羊皮紙には番号が振ってあり、所持者を明記した帳簿と照合できる。
毎回返却が義務づけられているのだ。また他者に閲覧や書き写しをさせた場合、厳重な罰則規定も課されていた。
「やりすぎかなとも思うけど、どんな人がいるかわからないしね」
ごく普通の街並みが突如として、異様な雰囲気を発してる気がしてしまう。
復興には時間がかかるけど、マナスルに行けば仕事があり食事に風呂があると、各所から領民が集まっている。
なにしろ「資金」は潤沢にあるのだから――。
「今でなければ、遂行できない事業なんです」
午前中におこなわれる領主の業務――領地の情報や報告、納税に関して議論する会議に出席させてもらう。
本来は一介の騎士が立ち入れる場所ではない。
ましてや魔獣の襲来による残務処理は、まだ終了してはいないのだ。
「いいわよ楽しくはないけどね、クリーム多めでもう一枚お願い――~」
さっそくハンドミキサーを活用させてもらってる。
バターと牛乳、小麦粉で作る代用生クリーム、「苺と林檎のフルーツクレープ」を口いっぱいに頬張りながら了承された。
スーリヤ様には毎度頭が下がる。
「なぜこの少年がいるのだ!?」
出席した宮中伯や法官、儀典長に徴税官と司教、領主に資料を提示する家令。
会議室に現れた全員がぼくに驚きと疑問を持つ。
「そういえばアラヤシキから、殿下が招いた方だったな……」
次いで思考が上書きされ、誰もが視線をそらす。
そんな気配に胸躍らせながら、ぼくは妙な違和感を覚えていた。
「あっそうか! 誰もたばこを吸っていないんだ!」
「タ……バコ?」
交渉官として入室されたバクティ卿が瞬き、手を振って挨拶する。いつの時代も他国との交渉は上級職が果たす、因果伯が相当するのは当然か。
万が一に備えても……。
集った諸侯たちは部屋の両脇にしつらえた椅子に座り、雑談をしていた。
ぼくのイメージでは紫煙が漂い、灰皿に山と積まれた吸い殻。だが誰一人としてそんなそぶりを見せてはいない。
むろん禁煙の努力義務ではなく、欧州にたばこが持ちこまれたのは一六世紀。
あろうことか万能薬だと説き、百年をかけて世に広めたのだ。
「なぜわざわざ、煙を吸わなければならないのだ?」
「さあ……?」
年齢的にぼくも吸ったことはない。
バクティ卿の素朴な疑問に答えられず、二人で首を傾げる。
「今から禁煙の予防線を張っておいたら、歴史が狂うかなあ……狂うだろうなあ」
それが良いか悪いかは置いといて。
「一つ、よろしいでしょうか?」
スーリヤ様が入室し、一段高くなったダイスに設えた椅子に座る。
所領の大臣格が集って会議が始まる直前。宮中伯が厳格な面持ちで立ち上がり、領主のスーリヤ様に意見具申を求めた。
「あ――領主が許可されたそうなので、私などが言うべき件ではございませんが。一介の騎士が参画する事例は控えていただきたい。たとえアラヤシキから招かれた方といえど、権威に陰りがあっては問題となりかねません」
いつぞやの昼食会のように――と、幾分皮肉をつけ足して主張。
周囲を見回し同意を求めると、数人が賛同の声をあげ頷いていた。目をそらしたのはあの日以降、メイドさんに酵母パンを運ばせてる方たちかな。
「まあ見目麗しい少年ですからな、城の使用人には相当な人気だとか」
「兵にもうまく取り入ったようですぞ、あの奇妙な設備で――」
澄んでいた部屋の空気が紫煙ではなく、失笑とあざけりで濁った。
暗に「出ていけ」と非難の目がぼくに集中し……うわァ興奮する。
「威勢がよいな――脅威に対し、部屋に閉じこもり震えていたとは思えん」
小さいが響く音と声がし、全員が注視した。
スーリヤ様が葉っぱがついた指示棒の柄を、ひじかけにたたきつけたのだ。
「彼はマナスルを救いし最大の立役者、領地を挙げ感謝すべき尊き存在である……彼を侮辱するは、領主である私を愚弄するのと同義だ!」
覚悟あっての嘲笑か――誰もが目を引く美貌の持ち主が優美な眉を上げる。
幾人かが迫力に喉を鳴らし、居住まいをただすと沈黙した。やはり伊達や酔狂で十年も領主は務まらないのだ。
感嘆してスーリヤ様を見ると、手のひらで指し「どうぞ」とほほえんでいる。
ぼくは一つ咳払いをし、いったん全員を視界に映す。バクティ卿がこの展開を、なぜか楽しそうに眺めていた。
「ぼく……私は皆さんに、提案を持ってきました。それも税収入が大いに見こめる事業に関してです」
税収入と耳をくすぐられ、意識が一瞬「聴く」ほうへと傾く。
それをお伝えすれば退散いたします――と部屋の真ん中に小さな机を持ち出し、所持してきた一枚の羊皮紙を広げる。
それは等高線……傾斜と寸法を明記した、精巧な俯瞰図。
「マナスル城郭内の地図」だった。
会議室に掲げられている「ヴィーラ王国」の絵画的なタペストリーとは、一線を画した緻密さと情報量。
「こ……これは、マナスル!?」
「いっいや、まさかこんな……っ!」
地方行政を務める方たちでも、初めて見る精巧さ。思わず椅子から立ち上がり、机を囲んでざわめきが広がる。
疑問の視線がぼくに集中したので、再び一つ咳払い。
「ぼくの『カルマ』を使用して、作成いたしました」
ニコリと笑う姿がどう見えるかまで計算した演出に、息を呑む音が続いた。
側溝のとき必要だった、「都市部の簡易マップ」を流用。
丘の上部から細い路地にいたるまで、方位磁石と水平器を片手に「闇癡」を使い「視て」周る。
脳内に正確な立体モデルを構築し、地図として再現したのだ。
魔獣は倒せなくても、使い方一つでとっても便利。
この場で「カルマ」を理解できるのは、スーリヤ様とバクティ卿だけ。ほかの者にとっては未知の理である。
まずは税収入の飴を見せ、次いで呑んでかかりましょう。
「現在――瓦礫を内側城壁付近に運んでいますが、二度手間になってしまいます。なぜなら今一度焼却するため、運びなおさないといけないからです」
「そっそれはわかっておる! しかしまずは市民の生活を安定させねばならん!」
先ほど意見した宮中伯が返答する、周囲でも相槌が起こった。
全員が立ち上がって小さな机を囲む、椅子に座っているのはスーリヤ様だけ。
「……それです」
下からねめつけて発し、驚いた宮中伯の目が揺れる。
「地図をご覧ください――魔獣の進行被害は、東の城壁から北西のウッティ門へ、次いで西の農民区へと拡大しました。
つまり北西部分はほぼ壊滅状態なのです。
そこで北西の住民に移住してもらい、瓦礫の集積地とします。解体・廃棄焼却もおこなえるよう、国で作業場を建設します。
聞きこみをしたところすでに家屋も古く、移住自体は問題ないそうです。
ほかにも点在して住まわれている方を、同一区画に移動してもらいます。当然ですが移住の資金は国持ち。
全員喜んで移りたいそうです。
そして大通りを中心に、木枠を使用した長期利用の側溝を整備します。合わせて下水処理設備も国で公助しましょう。
これにより中央区から北西のウッティ門へ、道路工事を一本に集中できます。
陳情が集中している公衆浴場への、新たな経路が開かれるのです。市民の生活が安定するには、住居と利便性と移動の効率性――道路の整備です」
災害時、優先的に復旧しなければならないのは「生活インフラ」である。
場当たり的な整備より、必要なのは合理性。地図を指し示しながら、この時代にそぐわない説明を続けた。
「市民を同一区画に集めるのは別の理由もあります、住民基本台帳を作るのです」
「ジュウメ、ンキ?」
聞き慣れない名称に宮中伯がオウム返しする。
「住民の家族構成や年齢、性別などを記した調書です。このたびプールヴァ帝国の『男』が容易に潜伏できたのはなぜですか?」
「それは……空き家が多く」
すっかり返答する役になってしまい、宮中伯は周囲を見ながら答えた。
「そうですね。それと国がどこに誰がいるか、把握していなかった点です」
何万何十万と市民がいるなら別だけど、せっかく巡回の衛兵がいるのに空き家の封鎖や管理、把握さえできていなかったのだ。
今も賦役や行商人が勝手に入りこみ、騒いだり汚すので問題となっている。
「これではどんな人が忍びこんでも、今後も捕捉は難しいでしょう」
想像した法官が青い顔をしていた。
「大きく崩れた東の外側城壁には、製作中の蒸気エンジンを備えつけます。ここは水車の整備もなく、日々使用する水の確保すら大変な場所ですから」
「ジョウキエン……?」
ついに誰も、相槌も打たなくなった。
「そして北の職人の住居区には井戸を掘ります。これによりすべての排水が側溝を流れる手筈となり、汚物の溜まりも防げるでしょう」
井戸は城にあるだけ、火事など万一を想定すれば街中にも必須といえる。
「まっ待ってください井戸ですって? そんな財政資金がどこにあるんですか!」
聞き慣れた言葉が出たせいか徴税官が叫ぶ、宮中伯がほっとしていた。
「マナスルは城に井戸が設置してあります――元王都ですからね、井戸を掘るのは一大事業なのですよ? ほかにも国が支払うとか言ってましたね、いくら市民から増税する気ですか!? 貴族が反乱を起こします、国が滅びますよっ!!」
新しく街を創ったほうがまだマシだと、憤慨して叫ぶ。
ぼくは平然と反論する。
「嫌だな、これは魔獣被害の復興です。当然プールヴァ帝国が支払うのです」
そして市民に支払われる賃金から、国は「税収入」が得られるのだ。
だからこそ今でなければ、遂行できない事業だった。机を囲んだ貴族全員が……面白そうに見ていたバクティ卿まで、唖然とした顔をする。
いかがでしょうかスーリヤ様――と、振り返って領主にほほえんだ。
「アユムって……けっこう、黒いわね」
……んん?




