二十三夜 カレシー
「この年齢で桶の行水は、ちょっと恥ずかしいのですが」
夕食後ぼくの部屋に、広い桶と結構な量のお湯が用意される。
「お風呂に入りたいと言ったのはアユムでしょう? はい脱いだ脱いだ」
「スーリヤ様がいるからです」
――とはなぜか張り切ってる、本人の前では言いにくい。
木製のベッド、絹を袋状にして藁をつめた敷布団、毛織の掛け布団。これは寝具としてかなり豪華な部類で、貴族の地位に感謝しかない。
貧しい家では藁の上に直接寝るか、リネンのシーツがあれば十分と言われる。
「冬ともなれば家族そろって体で暖めあわないと、寒くて寝られないだろうなあ。んん――~…痒いっ!」
大きいマクラを背に上半身だけ起こし、どうにかごまかせないかと呟いた。
骨折で動けないとはいえ、体を拭くだけでは大変辛く……カレンデュラオイルを塗ってはいっても、擦過傷を放置するのはためらわれる。
石鹸で体をきちんと洗い、患部も清潔に保ちたい。
「お湯で体を拭くか、できればちゃんと洗いたいのですがお願いできますか?」
部屋まで桶とお湯を運べないか、メイドさんにお願いしたのだ。
それをどこからか聞きつけ、スーリヤ様が仕切りだしてしまう。
「でも、調子が戻ってよかった」
――魔獣騒動の後。
運ばれるぼくの姿を見て、スーリヤ様が立場も忘れ抱きついたのだ。
周囲の目もはばからず泣きだし、嗚咽は眠るまで続いた。
「なぜ独りで助けにいったの!? 私に連絡するとか、せめて伝えてくれれば……アユムは頭がいいのに、なんでもっと考えられなかったのっ!!」
翌日、声が枯れるまで怒鳴られた。
かまっていただけるのは嬉しかったんだけど――まぶたが二倍にも腫れ、美人を台無しにしてまで叫ぶ姿に……胸が痛む。
そうしてひと段落した数日後。
歳の近い「お姉さん」は、甲斐甲斐しい「お母さん」に変貌していたのだ。
熱が出て寝こむぼくのそばを離れず看病し、目を開けるといつも笑顔でベッドの横に座っている。
何度か体の汗を拭き着替えさせてもらった記憶も、おぼろげながらあった。
「今さらだけど意識がハッキリしてると、やっぱり恥ずかしい」
お湯の熱さを確かめ、包帯で固定した右足が濡れないよう抱きかかえて移動。
右足を伸ばし胡坐をかいで座ると、お尻だけがお湯に浸かる。
「は――いアユム、熱くありませんか――~?」
「うぅ……スーリヤ様ァやっぱり、恥ずかしいですよお」
「あらいっしょお風呂に入る仲じゃない、遠慮することはないわ」
「その言い回しは、ものすごく誤解されそうです……」
子供にするみたいに、背中からお湯をかけて洗ってくれる。スーリヤ様にとって肌を見られるのも見るのも、それほど抵抗感がないだけないのだ。
常識違いとはわかっていても、羞恥心で興奮し息が荒くなった。
「無――茶して心配かけた~だ――れかさんが悪いんでしょう――~?」
反省なさい――と、意地悪っぽく鼻歌で応える。
なんだか妙に楽しそうで、幸いではあるんだけど。
「本当にねえ……最初は貴重な検体か、危険な存在としか思えなかったのに」
なぜこんなにも心を惹かれるのか、このわき上がってくる感情は――。
「……き任、とってもらわなきゃね」
「はい? ――わはっ」
小さな呟きが聞こえにくく、肌寒い背をお湯でくすぐられ変な声が出た。
「ふうっここにアカーシャ……ほかに誰もいなくて、よかったあ」
肩にかかった指に力が入る。
「ええ、ほかには――誰も」
……スーリヤ様? いま何か――。
「シ――…」
疑問に答えはなく、背に何かが這い上がる。
「きゃあ――――っ!? 『えっ炎じょ』ぉおお!!」
「わあっ!? 待ってくださいスーリヤ様、落ちつい……っ痛っ!」
次いでスーリヤ様の悲鳴が部屋を揺るがした。
持っていたタオルを炎に返還しようとするので、とっさに振り向くと右足の痛みでバランスを崩し転倒する。
「あっアユム! だいじょう――きゃあっ!」
「つ"つ"……っスーリヤ様、だいじょう……っ」
共に桶の淵に乗り上げひっくり返り、お湯が吹き飛ぶ大騒動。
「どうなさいました!? アユム様っ!」
「あっ……あっ大丈夫です! 大丈夫ちょっと、ふざけてて――~…」
ぼくたちの騒ぎに、二名のメイドさんが飛びこんできた。
びしょ濡れの二人が抱きあいながらも、なんとか場を取り繕う。メイドさんたちは何かを察したのか、互いをつついている。
「ごゆっくり……」
頬を染めてゆっくり扉を閉め、廊下から絶叫が響いた。
……妙な誤解をあたえたかもしれない、でも今はとりあえずよしとしよう。
「スーリヤ様落ちついてください! 『カレシー』です、『シーちゃん』です!」
「あ……っ! ああ……そっそうね、そうだった」
荒い息をし、振り乱した髪が落ちつきを取り戻す。
動悸は整っていないのか、胸に手を当て深く深呼吸をする。
「う――~…心臓に悪いわあこの仔」
「まあ昨日の今日ですからねえ、バジリスク騒動は」
一見ただの蛇にしか見えないけど、体長は一メートルとすでに成体の大きさ。
桶のなかを楽しそうに泳ぐ、王冠に似た突起のある魔獣。
「シ――~」
倒したバジリスクの仔か、同種の仔かはもうわからない。
おそらく孵化直後にぼくを見て、刷り込みされたのだ。どうも親だと認識してるみたいで、そばを離れずに過ごしている。
なにかにつけ構ってくれと巻きつく動作に、「彼」を思い出す。
「蛇は発声器官がない、『シー』って音は尻尾の摩擦か振動か……ねえカレシー」
「シ――~?」
愛おしい日々に想いをこめて「彼シー」と命名。アカーシャが「シーちゃん」と呼び始め、そちらが定着したけど……。
最初はササミなどをあげていたが、今は自分でエサを狩っている。
魔獣の特性なのか成長速度が目を見張って早い。スーリヤ様も魔獣に関しては、ほとんど調査できていないと言っていた。
「もう、本当に大丈夫なの? 私だってこんなこと言いたくないんですからね! ちゃんと面倒みないと、皆に迷惑がかかるんですよ!?」
「は――いお母さん」
カレシーは夜行性か幼生だからなのか、日中はベッドの下や梁の上で寝ている。
桶の縁に顎を乗せ、小さいあくびをした。
「シィ――~…ィ」
☆
「バっ……バジリスクの呪い!? アユムが憑りつかれた――っ!!」
「たっ多分違います! 卵から孵るのを見ま……スーリヤ様それはやばい――!」
アカーシャに救われ治療を受けているとき、ぼくの腰に巻きつき現れた「蛇」に辺りは騒然となる。
スーリヤ様に報告したら、落ちつくまで「炎生」を誤爆されまくった。
「いっいくら領主でも、個人で判断できる範囲を超えてます――っ!!」
もっともな力説に、因果伯をまじえて相談する運びとなる。
……刃傷沙汰になる前に止める作業を、全員分こなす。一度に二人を止めるのは無理だと判断し、一人ずつ呼んで正解だった。
「今のうちに、殺そう……」
視線がぼくの腕に巻きついて遊んでる蛇に集まる。
因果伯全員がいったん落ちつき、さてどうするかと相談した結果だった。
「そう、なりますよね」
向こうの世界に「魔獣」はいない、せいぜい野獣や猛獣であり肉食獣である。
魔獣はライオンや熊に類するわけではないようだ。獣は草食や肉食などの特性はあっても、基本的に本能の生き物。
食欲、性欲、睡眠欲だ。
食欲が満たされていれば狩りをしない。テリトリーが侵されれば戦いはしても、危険を冒して強敵に挑むことはない。
まあ人が強敵たりえるかは微妙だけど。
魔獣は今回の騒動でもわかるとおり、「殺す」ために行動する。恨みか怒りか、三大欲求以外の目的を持っている。
人間に近く惑わせる悪魔、複雑な行動原理を持った獣。
「ゆえに魔獣と呼ばれる……か」
ぼくはバジリスクの最後の瞳を胸に、頭にのぼった蛇を見た。
「シ――~!」
獣なら戻ってこれないほど遠くへ捨てる。そこで共存するか狩られるか、自然に適応させる選択肢はある。
だが魔獣はわからない。
確実なのはいずれ、絶対的な脅威に成長する存在――「可能性」なのだ。
「殺す」でほぼ意見が統一される。
ぼくも異世界の状況から見て、それは当然だと思う……けど一点、これで察してもらわなければならない。
「連れてきたのは、アカーシャなんです」
ぼくの横に座るアカーシャに、皆の視線が集中する。
今まで何も話さず、蛇にパンを近づけたり尻尾をつまんだりしていた。
――あのときぼくに巻きついていた「蛇」に、気がつかないわけがない。けれど貴族の服で包み隠し、この件について何一つ言及していない。
つまり「そういうこと」なのだ。
「おいアカーシャ、この蛇は――…」
ウールドがつめ寄ろうとするのを、両サイドから羽交い絞めと口封じをされる。
これ以上酷い状況への改悪はまっぴらだと、誰もが顔をしかめていた。
アカーシャは不愛想だけど無口ではない。ぼくやスーリヤ様とは会話をするし、絶妙な突っこみも入れる。
しかしある一点に関わるときは頑なに口を閉ざす。
M属性「無欲」――未来予知、今件は「そういうこと」なのだ。
そして議論は停止する。
「どうやらすぐに暴れそうではないし、ひとまず各自で持ち帰りましょう。何よりアユムは安静にしてないと体に障るわ」
「ん……ああそうだな、トリの坊主の『力』を断ったんだって? 頑固な奴だ」
「えっええその……ヴィーラ殿下にご報告し、判断をあおぐのはどうでしょう?」
確信があったわけではない、骨折により発熱し思考がまとまらなかった。
けどほかに手立てもなく発した言葉に光明が宿る。全員がぼくの発言にすがる、奇妙な連帯感をみせた。
すばらしきかな、ヴィーラ殿下。
「功を許す、好きにせよ」
どこかにいるジャーラフさんを探すのに、ひと苦労したそうだけど――表情すら浮かぶ、とても殿下らしいお答えをいただく。
アカーシャが必要だと託したんだ、ぼくは同属性の「力」を信じ――…っ違う。
「ぼくが、魔獣の面倒をみると決めました!」
個人で解決できる問題でないのは重々承知している。
だけどアラヤシキの存在が生きたのか。あるいは「功を許す」――バジリスクを討った功績を認めると、殿下のひと言が決定的だった。
「もし魔獣の本質を持って成長し、ヴィーラ王国に危機が迫ると判断された場合。ぼくがこの手で始末をつけます!」
この宣言により、魔獣の問題は一応の幕を閉じた。
何よりこれ以上、アカーシャに負担をかけてはならないのだ。
「まあ今のところは、ちょっと変な蛇にしか見えないが……」
「市民に知られたさいは、どう説明するんですの?」
「魔獣さえも手なずけっちまう奇天烈な少年、でいいんじゃね?」
騒ぎになったらヴィーラ殿下の名を出そう――と軽口をきいた誰かに、卿は殿下をなんだと思っている! と激しく説教する声が重なった。
後日ノ一
マナスル城から害虫が消えていると、メイドたちや料理長が気づく。
「さすがはアユム様の獣者だ」と、遠くからお礼をされる。
後日ノ二
アユムの因果伯への叙勲は、やはり流された。
餓狼「やっぱお前、殿下を怒らせることしたんじゃねえの?」
奇天烈な少年「変なことをした記憶は、ないんですけどねえ」




