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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第一章 城郭都市マナスル
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二十二夜 記憶と記録

闇癡(あんち)』――。

 ベッドで半身を起こしたぼくの前に、三〇センチほどの見慣れない文様が浮かび淡く発光する。

 識者ならば梵字の「マン」に酷似していたと、指摘しただろう。

 スーリヤ様が鎖で繋がれていた、豪華な装丁の本を差し出す。頷いて受け取り、文様に差し入れた。

 ――…瞬間。

 雷に打たれ驚愕に息がつまった……かと思うと、体育の授業でプールあがりに、まどろんでいる充実感が襲う。

 前頭葉から熱い光が流れ、脳を満たしていく。

 恍惚と酔っているぼくから本を受け取り、スーリヤ様が適当にページをめくる。

 必要以上に眉根を寄せると、真剣な顔で一部を読んだ。

「んっと……マナスル城の謁見の間に、使用するため――~?」

 問題だとしても途中である、周囲の者には意味も理解できなかった。

 ぼくは当然のように答える。

「サーガラより北西にあるターダ山から大理石を切りだした。ナディ川を使用し、バージ船を用いて短時間で搬入――…」

 知っているはずのないマナスルの歴史を、思い出した(・・・・・)のだ。

 ベッドの周りに集まった因果伯から、歓声と祝福がわく。


 M属性「闇癡(あんち)

 意識した記録や映像を瞬時に「闇」――「自分の脳」に焼きつけできる。言語、種族、時代に関係なく、記憶として再生、構築が可能。

 忘却できないため、実際の体験なのか疑似記憶なのか判断がつかなくなる。


「ぼくは本を読むのが好きでした。もしかしたら無意識に『力』を、使用していたのではないでしょうか?」

「そうでなければ、説明のつかない記憶力のよさです」

 イーシャ卿が錫杖を手に頷く。

「それにしてもマナスル卿、ご自分で筆記された本ですのに……」

「ううっ……めったに読み返さないし、なんだか年々見にくくなってる気がする」

「もし文字が読めても、そんなぶ厚い本の内容を覚えとく自信ねえぞ」

 ウールドが眉をひそめ、呆れて頭をかく。

 バジリスクは以前、幻想生物事典を読んだときの記憶。

 学校の成績がよかったのも、試験はほとんどが記憶頼みだからだ。単語、年代、方程式――覚えてさえいればクリアーできるのだから。

 世にいう直観像記憶に優れた者たちも、同じ感覚だったのかもしれない。

「以前『闇癡(あんち)』を得意とする学者がいました。ですが記録は事実ではないのです。間違いや――~…先入観、だってあります」

 スーリヤ様は豪華な装丁の本を膝に、軽くなでながら言葉を紡ぐ。

 あらためてぼくの目を見て、先生が生徒を諭して優しく語った。

「それらを理解しておかないと、自滅への道を辿ってしまいます。記憶するだけに溺れず、常に並列思考を心がけていきましょうね」

「――はい!」


 マナスル城の居館には、ぼくの部屋が割り当てられている。

 公衆浴場としてしまった屋敷ではなく、ほとんどこちらに住んでいた。兵の夜勤は広い一室に雑魚寝なので、かなりの優遇措置だ。

 曲がりなりにも貴族のぼくに、気を使っていただいてるのか。

 右足骨折、数々の捻挫や打撲に擦過傷、早期完治を願いながら――スーリヤ様の言葉を、胸に刻んでいた。

「まあいずれと思っちゃいたが、早くも『カルマ』を啓くとはな。酷い目にあった甲斐があるってもんだ、いやめでたい!」

 ウールドが胸を張り、歯を見せて笑う。

 死にかけた者に「めでたい」はないだろうと、非難の視線は見えないみたいだ。

「これでアユムも因果伯だな!」

「えっそうなんですか?」

「『カルマ』を啓いた者は、種族性別関係なく因果伯の爵位を拝命します。例外はあるけどね――かくいう私も勅許状を受けて、領主をやってるでしょ?」

 ああそうか、召喚の間にいた巨漢フードも近衛隊長だそうだ。

「なのでアユムの場合は、どうなるかなあ……」

「なんだこいつ、因果伯になれねえヤバイことでもやらかしたんか?」

 スーリヤ様が言葉につまり、ウールドがなんだかとても残念そうに眉を下げる。

「アユム卿の『ヴィーラ殿下のローブまくり事件』は、誤解だったと聞いたが?」

「あ――~あれかっ!」

 バクティ卿のフォローに、ウールドが手を打って笑う。

 勘弁してください、ぼくは罵倒や張り手は受けたいけど変態ではありません。

「その件をおいといても、アユムは『アリエナイ』からねえ……」

 スーリヤ様は頬に手を当てまだうなっていた、ほかに何か変なことしたかなあ。

「まあM属性だもんなあ、記憶力がいいせいか妙な奴が多い。奇天烈さにも磨きがかかろうってもん――っだォ!?」

 笑うウールドの言葉をさえぎり、鈍器が岩を穿つ音が響いた。

 イーシャ卿の錫杖がウールドのみぞおちを貫いたのだ。完全に油断してたのか、あの(・・)ウールドが壁に手をつきうめいている。

「どれだけアユム卿に助けられたと思っているのですか、礼節をわきまえなさい。同じ因果伯として、お詫びいたします」

「アハハ、いえまったく気にしてないですから」

 深々と謝罪されては、なんだかこちらが申し訳ない。

 ウールドのあえぎに小さくガッツポーズし、スーリヤ様が苦笑しながら答える。

「M属性はそれだけで、侮られてるところがあるからねえ」

「申し訳ございませんマナスル卿、率直にいうと私も……そう考えておりました」

 しかし――とイーシャ卿は顔を上げ胸を張った。

「アユム卿が実行された『蒸留水』『酵母パン』『側溝』そして『公衆浴場』……どれをとっても、知識なくしては生まれておりませぬ」

 一つ一つ、指折り数えて確認する。

「そして此度(こたび)のバジリスクも、討てたかどうか怪しい」

 誰もが被害の拡大を想像し、押し黙った。

 イーシャ卿がバクティ卿と、うずくまるウールドにほほえむ。

「私たちはM属性に対して、認識をあらためるべきですね」


 ――貴族内では実子がM属性だと判明すると、「カルマ」を啓くに関わらず放逐したり、密かに隠蔽する風習があった。

 それだけ資質において、M属性は冷遇されているのだ。

 王族には特に顕著で、継承順位が上位であろうとM属性の「噂」が立つだけで、嘲笑のネタにされるほどである。

 ゆえに「属性婚」がおこなわれ、M属性は血によって排除対象とされてしまう。

 いつかアカーシャが「役立たず属性」と、拗ねていたゆえんだった。だがそれは識字率が低いせいではないか?

「カルマ」を啓いても、そもそも文字が書けず読む本も少ないのだ。

 本は人類の「歴史」である。

 スーリヤ様は言葉を濁したけど、記録を鵜呑みにするのは確かに危険。先入観や客観に似せた主観、意図した隠蔽に歴史が歪む場合もある。

 それでも知識を外部に記録できる文字の恩恵は、誰もが享受しているのだ。

 衣食住の管理と、危機の脱し方、社会のあり方や文化、口伝だけではとても伝えきれない物語――先人の知恵と体験。

 文字に起こせば悠久の年月が経とうと、一字一句違わず知ることができる。

 誰かが閃き伝えてくれた恩恵で、パンが焼け側溝が掘れお風呂に入れた。人々の知恵と経験と試行錯誤こそ、積み重ねこそが現在なのだ。

「古刀やウーツ鋼、ローマン・コンクリートなど……口惜しくも記録が残されず、ロストテクノロジーとなった技術や発明がどれだけあったのか」


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 一九世紀の宰相、オットー・フォン・ビスマルク。


「ウーツ……コン? またこいつは、ワケワカンネェことを……ゲホッ」

 うめきから立ちなおったウールドが突っこみを入れる。

「イーシャ卿、あなたは本当にすばらしい! 光はなくともその慧眼は、百年先を見通せるでしょう! イーシャ卿こそが称賛に値するのです!」

 ぼくはM属性を――知識を軽視するのが常識の世界で、重要性に独自に到達したイーシャ卿にこそ感動していた。

 熱い想いをこめ手を伸ばし、錫杖を持った右手にそえる。

「歴史が経ち進む瞬間」に居合わせた興奮を、伝えたかったのだ。

「アユ……っ」

 イーシャ卿は驚いたしぐさのあと、おずおずとぼくの手に左手を重ねた。

「わっ私は名を――『ラヴィ』と申します! 同じ殿下を称える家臣です、今後はそのようにお呼びくださいませっ!」

 少し眉根を寄せ突き放す言い方と、重ねて離さない手の相反が面白い。

「わかりました、ラヴィ!」

「んだァお前そんな名だったのか、結構長えつき合いだけど初めて聞いたぞ」

 ウールドがまぜっ返し、バクティ卿が空気を読めと諭す。イーシャ卿――ラヴィがなにやら言い返している。

 本当に仲がいいのだなと笑っていたそばを、赤毛が横切った。

「む――~…」

 反対がわに座っていたアカーシャが歩み寄る。ふて腐れてるのか頬がふくらみ、ラヴィが重ねた手をはがして間に座ってしまう。

 ぼくが同じようにアカーシャの手に両手をそえると、やっと笑ってくれた。

 嬉しそうにしてるアカーシャの向こうから、「ほらみた、どうすんの?」などと懐疑的な気配を、スーリヤ様とラヴィから受ける。


 ――押さえる住民を振り切り、城からぼくを追ってきたアカーシャは見た(・・)のだ。

 魔獣の咆哮とぼくが倒れる姿を、今度は現実として。

 そして建物の崩壊が起きるなか、ぼくを側溝に入れて貴族の服をかける。瓦礫でお湯が塞き止められ、深さもあって直撃を避けられた。

 ぼくはそれで助かったんだけど……。

 トリコナーの癒しを受けている、ボロボロのアカーシャの姿は忘れられない。

 背に残骸が降り積もり全身が押しつぶされる。なかば埋まったぼくを掘り出し、地上へと引っ張り上げた。

 あんなに苦労した石畳みを素手で、暗闇のなかで掘り広げたのだ。

 この、小さな手で――。


「本来なら……ぼくはあのとき、死んでいた」


 バジリスクのブレスか、建物の残骸により絶命していた。

無欲(むよく)」による予知を本人や近しい人に話すと、因果が乱れる。多くの場合もっと悪いほうへ傾き、世界はバランスを保つ。

 皮肉にも未来が改悪(・・)された結果、ぼくは助かったのだ。

 乱れ歪んだ因果がアカーシャを斬り裂くことで……。

「アカーシャの行動を察せず、話させたのはこのぼくだっ! アカーシャが因果を受けねばならぬ道理がどこにある!!」

 この世の理と諭されようと、憤りが胸に溜まり汗が落ち息が荒くなった。

 それなのにアカーシャは誰も責めたりしない。

 いつものように「にへら~」としか形容できない笑みを見せるのだ。その笑顔に日常へ戻った安堵が重なっていく。

 あるいは意識と体に、死の恐怖が残っていたのか。

「気がついてあげられなくて、ごめんね……アカーシャ」

 ぼくはアカーシャに感謝し抱きしめる、子供の暖かさと鼓動が心地よかった。

 そして最大限の友情と、アカーシャが視た辛い未来を少しでも浄化できればと、おでこに「祝福のキス」をしたのだ。

「アっユムは……天然、だなあ」

 アカーシャがうつむいて照れ、妹みたいでかわいかった。

 それを見ていたスーリヤ様とラヴィに、なぜかめちゃくちゃ怒られる。

「ぼくは祝福の気持ちをこめて……あっはい、ごめんなさい」

 反論すら許されない雰囲気に圧倒された。

「女は何歳でも女! 一日百回くり返しなさい!」

 そんなのわかってるよ、ねえアカーシャ?



 ☆



 ――魔獣討伐の功労者について。

 領地をパレードし祝賀会を開き、永劫に称えるべきとの意見が相次いだ。しかし因果伯は立場的に目立つのを避けたい。

 暗黙の了解が交わされ、なし崩しに立ち消えとなる。

「俺らは別にいいけどよ。アユムの名を伏せるのは、処遇としちゃどうなんだ?」

「私もそう思うのよ。魔獣の特長と生態を分析し、はぐれた子供を救出しそのうえ――事態の収束と、被害の拡大を防いだ最大の立役者。

 本来なら祝賀会どころか、新王都で戦功叙勲式が開かれても不思議じゃない。

 陛下より救国の英雄と称賛され、勲章を叙勲して叙爵し領地を拝領。望むままの褒美が授与されてしかるべき戦果。

 でもそうすると、アユムの遡上に興味を持つ者が出てきかねないのも事実」

 アユムの召喚は、上だけが知る国家の極秘事項。

 あえて真偽の不確かな噂を流し、混乱を誘発させるヴィーラ殿下の情報戦。

「……アユム卿を取りこもうと、派閥争いや宮廷闘争に巻きこまれかねませんな」

「ウチの大臣連中も――『アラヤシキの少年』は半信半疑にしても、殿下のご威光でどうにか黙認してるとこだし」

「話を大きくせずアユムの存在は闇のなか……ですがなんだか、悔しいですわね」

「だけどどうやらアユムも、それでいいみたいなのよねえ」


『彼の宰相は申しました、自国の平和と安全は己の剣によることを意識すべきと。

 ぼくはあのとき、二人から離れるのが残念でならなかったのです。女の子を探しに行くことで、少しでもお役に立とうと……。

 己の剣の貧相さを考えもせず、ただ私情に身をまかせてしまった』

 褒めていただくことではありませんから――。


 少年が愁傷に頭を下げるので、誰もそれ以上の推奨はできなかった。

「地位も褒美も求めないか……そういやあアユムの望みって、いったいなんだ? メシはてめえで作るよな、金遣いも荒くねえし、あとは女――」

「邪推はよしたまえ! 無論、ヴィーラ殿下への忠誠であろう!」

「ゴホン……ずいぶんと見識のある方ですし、世俗的ではないと思いますわ」

「まあアユムは、アリエナイ子だし……せめて私たちだけでも、彼がなした偉業を覚えておきましょう」

 ヴィーラ殿下が望んだ未来(ゆめ)を――。

 領主の笑みに、口角を上げ、整然と敬礼し、大きく頷いてそれぞれ肯定した。

 市民には領主より祝いの酒が振る舞われ、税の軽減が布告される。誰もが体験した恐怖を語り、無事だったことを祝い、感謝と幸運に連日わく。

「倒しちまったんだ! 家を巻いて潰す、でっけえ蛇をだぞ!」

「何か吐き出したと思ったら燃えあがってさあ、恐ろしいねえ……」

「さすがは英雄が討たれただけある、呪いがかかって疫病が流行ったりもしねえ」

「マナスルに英雄が現れ、炎を吐くでっかい魔獣を討伐した――」

 功労者の発表をしなかったせいか、いつの間にか広まった噂。王国中に流布され尾ひれがつき、いずれ物語として残るのではないか。

 関係者はむしろ、楽しげになりゆきを静観していたのだ。

 しかし領主も因果伯も、情報戦の大本……噂を発展させ、より洗練された手段を講じる方の存在を、失念していた。

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