百八十夜 元王都のいちばん長い日 一刻
「去年は魔獣の襲撃で、今年はプールヴァ帝国かよ……呪われてんじゃね?」
「こんなことなら、兵士になるんじゃなかった……」
マナスルの外側城壁で、立ちならぶ外衛兵が歯を鳴らしていた。
温暖な地域にある国でさほど寒くはない。地を埋める松明が銀の輝きを反射し、はためく見慣れない軍旗に震えているのだ。
盗賊討伐や小競りあいは幾度かあった。
けれども国家間規模での「戦争」は、曽祖父世代から起きていない。吟遊詩人が悲哀に詩い、老人が繰り言に使い、行商人が持ちこむ「他国」の噂。
「小隊長くらいになれたらいいな」
そう言えるほど、貴族や裕福な商人の次男坊が憧れる職業が「兵士」である。
なにより食いっぱぐれない、しっかり稼げば嫁さんの機嫌もいい。永世中立国の状況がもたらした気楽さだった。
「その日」、そんな日常は終わりを告げる。
「にしてもなあ、なんか変じゃねえか?」
「ああ……帝国の奴らなんだってまた、冬に侵攻してきたんだ。攻めるにしたって時期くらい考えろっての、寒くってしかたがねえ」
「そうだけどそうじゃねえよ、宣戦布告の使者が来たって聞いたか?」
なんの報告も受けず、気がつけば帝国軍が地平を埋めていた。
噂をしていた外衛兵が振り向き、マナスル城を見上げる。ひょっとしたら上で、すでに交渉があったのではないか。
影となってそびえるいびつな城に、思わず眉根を寄せた。
「状況からして、最悪の場合はすでに……か」
二人は目を合わせず、それが同意と小さく空笑いする。
すでに降伏で話がついていたのかもしれない――軽率に公言できない推測だが、若干でも戦がわかる者なら察していた。
領主の矜持として、抵抗して見せているだけではないのか。
何よりマナスルの領主は亜人である。十年前に突如として現れ拝領したと聞く、この地にさして未練はないだろう。
この報酬にすら文句をつけ、泣き叫び髪を振り乱して大暴れしたそうだ。
「兵は奮闘してくれたがこれ以上の抵抗は無益。市民の命を守るためには、降伏もやむを得なかった……ってか、なんと賢明で慈悲深い領主サマだこって」
俺たちは捨て駒だな――亜人のくせに権力志向が強く、執着心を満たすためなら他者の命などどうでもいい。
只人の上にあぐらをかいて、今後も貴族を名乗るつもりだ。
「……やってらんねえな」
「守備を固めて耐えてるだけでいいのか? もし騎士の一人も出征してこなきゃ、俺たちゃどうなるんだ!?」
「このまま籠城してるだけじゃ、圧し潰されるのは誰でもわかんだろ……」
「なあ、もっとかしこく……ならねえ?」
戦ってもかなうわけがない、ならばいっそ。
打ちのめされた外衛兵が毒を吐く。モークシャ大橋近くの兵が妙な動きをしてはいないか、帝国から賄賂を受け取ってはいないか。
そいつらの代わりに跳ね橋を落とせば、俺たちだけでも助かるのではないか。
「帝国に寝返るほうが、死ぬよりはマシ……か」
「なっなっ? 亜人の領主なんかに義理立てする必要ねえよ! それがヤバきゃ、ウッティ門に軍勢はいないそうだぜ!」
今ならまだ逃げられるのでは――。
単なる一兵卒にとってはそれこそが真実だった。絶対的な力を目の当たりにし、個人でなにができよう。
まことしやかな密談に熱がこもっていく。
あちらこちらで小人数が集まり、身の振り方が声をひそめて行き交う。
「オイオイどこのどいつだあ、きな臭い話に花を咲かせてる野郎は」
場違いな笑い声に外衛兵が身を震わす。
城壁上の歩廊に漂ったざわめきがピタリとやんだ。外衛兵の隊長格と肩をならべ階段を上ってくる男には、軽口以上の気配が含まれている。
「だいたいあの領主は、見かけによらず職人に人気があるんだぜ。兵士だからって陰口たたいてたら、そっぽ向かれてメシも食えなくなるぞ」
城壁の陰から姿を現した男は異様だった。
むき出しの腕には複数の刀傷痕があり、左頬にも一文字の古傷。腰にはベルトと同系色なのでわかりにくいが短剣ではないか。
明らかに貴族ではないし兵士にも見えない。
ひいき目に見ても悪漢が、領主が雇用している衛兵に物を申したのだ。
「いっいや俺たちは……っなんすかそいつは、失礼な!」
「なにが領主だ! 平民相手に点数稼ぎしてる、貴族サマってだけじゃねえか! しかも亜人だぞ、何を考えてるのかわかったもんじゃねえ!」
「命をかけるのは兵士だ、利いた風な口をきくな!!」
責任逃れの自己保身だと、外衛兵の誰もが気がついてはいる。
愚痴でもこぼさないと、崖っぷちに立たっていられなかったのだ。しかし自分でそれを認めたくはない、八つ当たりとなって傷の男に殺気が向く。
「おっおい、おまえらやめろ! この方は――」
「それがいわゆる『市井の声』だってんなら、立場上聞かなきゃなんねえんだが。逃げ口上だったら、エルフのねーちゃんも浮かばれんぜ」
まあ誰よりも長生きしそうだけどな――。
隊長格が仲を取り持とうとするのを、傷の男は軽く手を振って流す。
歩廊に上がると兵士より頭ひとつ高い。長身で引き締まった筋肉と敏捷さから、鈍重さは感じさせなかった。
双眸の鋭さから「餓狼」を連想させ、外衛兵は一歩引く。
「領主になるのは嫌だと逃げ出し、儲けを捨ててると呆れられるんだぞ。どんだけ賄賂を積まれたら街を売るってんだ」
「だっ……だいたいあの領主は、顔に変なモノをくっつけてるそうじゃねえか! そんな妙な亜人が信じてられるか!」
「妙っていや、ねーちゃんがかすむくらいの奴がいるからなあ。どれどれ、お―っこいつは壮観だねえ!」
眼下にはプールヴァ帝国の団旗が十重二十重と連なっている。
例外なく足がすくむ光景を前に、ウールドは手を打ち目を輝かせて笑った。
☆
「マナスルに、青き鷲が舞う……か」
執務室へ向かうマナスル伯爵がポツリとこぼす。
マナスル城の廊下を早足で進むと、指示を待つ家令と侍女が従う。不安を抱えた使用人も追従し、いつしか大名行列となっていた。
プールヴァ帝国の領土侵入は、城代により各所へ伝えられている。
東の駐屯地や居住区へ帰宅していた兵士が駆けこんできた。城の外部では松明が走り回り、内部ではランタンとランプが行き来する。
いたるところで小さな蛍が慌ただしく舞う。
「――それで因果伯様をお呼びにいったところ、報告を受けたムカッ……パラ卿がどこかへ行ってしまわれたと、そうだな!?」
「はっはい、急ぎご参集くださいとお伝えしました。ですが大笑いされると窓から飛び出され……とてもお止めすることはかなわず」
家令の鋭い問いに、侍女は恐縮して答える。
永世中立国の領民であり降って湧いた軍靴の音。どれほど忙しく走り回ろうと、懸念と不安は消えてくれない。
皆の顔は血の気が引き、焦りと困惑に染められていた。
「ハァ……彼の奇行は今に始まったことではありません、重荷に感じなくていい。ほかの因果伯には連絡がついたのですか?」
「はっ! 手分けしてご報告に走っております、まもなく完了するかと!」
マナスル伯爵はうなずくと立ち止まり、大きく皆に振り返る。
領主として威厳と権威を意識し、お腹から覇気のある声を発した。
「因果伯は国家の要です! なによりっ普段なら交渉官として各領地に派遣され、巡回している因果伯がマナスルに六名いるのです! 彼らの前には国家存亡危機の魔獣であれ、世界をのむ列強であれ物の数ではありません!」
「……っ!」
家令が声をつまらせ、侍女とメイドが希望に顔を輝かせた。
普段はふらふらしてるだけの狼も、得難き「力」を啓いた方である。王国の中枢をになう貴族ではなかったか。
「ヴィーラ殿下の先見の明に、心から感謝いたしましょう」
「御意にございますっ!!」
「はいっ!!」
マナスル伯爵は再び背を向け、己の大言壮語に小さく舌を出す。立場的に建前をつらぬかなければならない場もある。
『あんの駄狼――~…このクソ忙しいときにっ!!』
皆の前では平穏に収めるべきだと、感情を押し殺した。因果伯を貶める恨み言をかろうじてのみこむ。
それにしても、いったいなぜ――。
「おおっ閣下! 閣下、帝国による大規模な侵攻とは真実ですか!?」
「ご存じでしょうがマナスルは騎士団を擁しておりません! だいたい夜間に大挙するなど奇襲ではないか、帝国に矜持はないのか!」
「このままではなすすべなく蹂躙されること、火を見るより明らかです!」
「閣下っここはなにとぞ穏便に! どれだけ譲歩してもかまいません、機嫌を損ねないよう穏便に交渉すべきですぞ!」
どうなってる――どうする気だ――どうにかしてくれ――。
執務室の前には、挙動不審な諸侯たちがうろたえていた。
ふいに目の前に迫った命の危機。マナスル伯爵の姿を見るや我先にと駆け寄り、早口にまくしたてる。
『帝国がどういうつもりかなんて、そんなの私が聞きたい!』
丸投げされた領主はどうにか叫ぶのをこらえた。
去年と同じく部屋に閉じこもり、震えているほうがマシだったのではないか。
「――皆さん落ちつきなさい、相手は『魔獣』ではない『人』です! 意思疎通がかなうからこそ、人は話し合いの手段を有したのです!」
執務室の扉を激しく開き、マナスル伯爵は胸を張って入室する。
振り返って葉っぱがついた指示棒の柄を机にたたきつけた。渇いた空気がこだまとなって部屋に広がり、閉ざせない耳を打つ。
つめ寄ろうとしていた諸侯たちは、なんとかその場に踏みとどまる。
「しゅっ襲撃してきたのは、プールヴァ帝国の騎士団ですぞ!?」
魔獣とどれほど違いがあるのか。
緊迫した局面を暗にしめされ、落ちつきかけた精神状態が再び荒れ――。
「だからこそです、軍隊ゆえに国の意向があるのです! 魔獣と違い場当たり的に人を襲い、無益に暴れ回ったりはしません! 騎士団だからこそ騎士の戒律を遵守しなければ、不名誉の誹りを受けるのです!」
諸侯が混乱するのは無理もない、会戦の日時通達もされず布陣を敷かれたのだ。
かといって宣戦布告の使者もまじえずに、戦争が始まるわけはない。諸侯たちは曽祖父世代に記された、戦争の格式をようやく思い出す。
横にいる者と顔を見合わせて確認し、同意の輪がさらに安堵を深めていく。
「そっそうでしたな、マナスル卿のおっしゃるとおりです。見苦しくも取り乱した非をお詫びいたします」
「伝書バトを飛ばし、騎士団を擁する貴族に徴集を下知します! あわせて早馬を放ち、詳しい経緯を周知します!」
「はっ!」
「――いや待って! 帝国の軍勢は、ウッティ門には展開していないのね!?」
すでにナディ川の上流で、軍勢を渡河させてはいないか。そこまでの格式破りはしないと思いながら、懸念は拭いされない。
そのような報告はないと知らされ、マナスル伯爵は顎を引いて決定とする。
「今回の急激な情勢の変化には、必ず理由があるはずです。帝国の使者がいかなる強要を突きつけるか、心意はなにか妥協点を探ります。そして騎士団の到着まで、篭城するにあたっての検証です――想定しうるすべての局面を精査なさい!」
「はは――っ!」
バジリスクが襲撃したさい、プールヴァ帝国は侵略ではないと言及した。
名目上は復興援助として、資金の譲渡すら施策したのだ。それだけヴィーラ殿下の王配問題は重要だったはず。
新王都には皇位継承第二位がいるのに、あえて侵攻した意図はなんなのか。
どうやって議論の主導権を握り、先延ばしにできるか。マナスルとしては援軍の到着までねばれば勝機が見える。
もちろんそれは帝国も読んでいるでしょう。
しかし伝書バトまで把握しているはずはない。手紙を託して飛び立たせて一日、騎士団を徴集するのに最速で三日、足の遅い冬では集結するまでに六日はかかる。
最短でも十日の籠城は濃厚――。
「プールヴァ帝国にはあいにくですが、五日耐えれば援軍がきます! それまでの辛抱です! それにマナスルは元王都、この堅牢な城郭都市が籠城に徹すれば――そう易々とは陥落しません!!」
「おっ……おおおお――――~っっ!!」
マナスル伯爵の鼓舞する声に、諸侯は深い感嘆で返答した。
素直に受け取った者、なかば気がついている者……誰もが希望にしがみついて、腹から息を吐き出す。
そうでも思はねば、膝を抱えるか逃げ出す者が続出したに違いない。
「そっそうだ世が世ならマナスルは王都! 帝国といえど何するものぞ!」
「百年の平和を実現させた、永世中立国の元王都を見上げるがいい!!」
焦燥感だけが蔓延していた執務室に光が射す。
ひとたび息を吹き返せば、長年培ってきた政務である。宮中伯や法官、儀典長に徴税官と司教まで意気揚々と働きだす。
検証し仮説を立てる諸侯たちの目つきが変わる、こうなれば任せておいていい。
「なだめすかして、どうにか十日は辛抱をさせなきゃなあ」
幸いそのくらいなら兵糧を気にせずにすむ、飲めず食えねば剣は握れない。
北西のウッティ門と違い、東のサマディ門はナディ川に面している。対岸までの距離約九〇メートルの渡渉はほぼ不可能。
なにしろ戦に備えた甲冑は脱げないし、冬の川で泳ぐなど自殺行為だ。
広がる城壁に取りつく兵は考慮しなくていい。すなわち頭上に落とす岩や灰は、モークシャ大橋に集中して配置できる。
同時に掘削戦法も使えない。
川の下にトンネルを掘っての突破口など自滅だ、寒さによる凍結で土も硬い。
あとは攻城兵器の有無。
投石機があれば、都市部へ石や火藁を打ちこまれる。アユムの書簡で避難訓練と火災訓練は実地しているし、先んじて領民に触れを出しておくべきか。
攻城塔はナディ川にせき止められるので不可能。
効果がありそうなのは破城槌。だがモークシャ大橋を渡れる兵数は限られるし、サマディ門を固く閉ざせば対応はできる。
受け手はただ耐えればいい。
時間がかかるほど、寄せ手は背水の陣となっていく。行きつくのは寒さと兵站の限界による、凄惨たる潰走。
考えれば考えるほど、冬に攻城戦を仕掛けるのは愚策なのだ。
「元王都の堅牢さに、胸をなでおろすばかりね」
「夜が明ければ宣戦布告の使者が訪れる。それまでに領主として、できるかぎりの手筈を整えなきゃ……っ!」
諸侯の協議を横目に、マナスル伯爵は伝書バトに託す書簡をしたためる。
上流貴族には騎士団の徴集を。そしてこの異常事態をヴィーラ殿下にご報告し、判断をあおがなければならない。
「あ"――~っだから向いてないんだって、一生分の配慮をしたっての! だいたい理路整然とした物言いはアユムこそ適してるのよ、もう早く帰って来て――~…」
それとは別に、領主として気丈に振る舞うのが限界にきていた。虚勢を張ってはいたが精根尽き果て、震える字体となって現れる。
それにしても、いったいなぜ――。
「なぜ私はもとより、アカーシャすらこの事態を『予感』できなかったの?」
視たい未来を選択できないのは承知している、それが理由なのか。
そしてそれ以上の不安があった。帝国騎士団が陣形を展開しても、ジャーラフから連絡がこなかったのだ。
「バジリスクの接近にすら気がついた娘よ。軍馬の爪音が響く前に、行軍の砂煙が見える前に気がついたはず」
まさかこの状況で寝ているとは思えない。
意識を光としてとらえるS属性はことのほか繊細だ。光が視えなくなったのか、「風舌」が使えなくなったのか。
それは「力」が限界を超えたことを意味した。
「ねえジャーラフ、あなた主塔の屋根にいるわよね? 無事だと知らせて……」
板戸の窓からすきま風が吹き、蝋燭が揺れる。
窓の近くにいた諸侯が気づき、寒さに震えて閉めようと近づく。その姿勢のまま立ち止まって硬直した。
「なっ……」
「どうしました? あっ『得体のしれない影』だったら、それはむしろ吉兆よ!」
マナスル伯爵はジャーラフが現れた予兆かと相好を崩す。
期待にほころんだ顔は、血の気が引いた諸侯の顔で打ち消される。何事かと腰を上げ窓に寄ると、肌を刺す風が窓を激しくたたいた。
「なぜ……なんで、こんな……」
諸侯が数歩下がり、そのまま腰を抜かす。
東外側城壁の一面に、白銀の波しぶきが上がっている。吹き上がる滝に重なり、小さく光る矢が幾重にも飛んでいた。
戦争はすでに、始まっていたのだ。
「――ばかなっ! 帝国が宣戦布告もせず、そのうえ夜間に……奇襲!?」
まさに前例のない異常事態、なぜこうまで予感不能だった!?
『因果が乱れる』
「……っ!」
幼き娘が口癖のように、舌足らずにささやいた。
「そうよスーリヤ、知っているはずよ。私は一人だけ、ここまで乱すことのできる少年を知っている……っ」
抱いた疑問を否定したくとも、アリエナイ子が浮かぶのを止めれない。
それでも、なんであれ、誰であろうと。
「マナスルを陥落させてはなりません! 王国の内部に拠点を作られては王道が、迅速に駆けつけれるよう整備された直通路が仇となります!」
☆
「マナスルを陥落せねばなりません! 王国の内部に拠点を作れば王道が、迅速に駆けつけれるよう整備された直通路が功を奏します!」
従士の先頭に立っていたオルロックが整然と宣言した。
兵士にしてみれば戦略など未知の理である。しかし甲冑も着ていない少年が堂々としており、立場的に寒いと弱音を吐きづらい。
なかば意地になり、一糸乱れず戦列を保っていた。
「そのために、ルビコン川ならぬナディ川を渡る……か」
なぜ私は聞き覚えもない故事を、知っているのだろう――。
賽は投げられた。
紀元前四十九年、ローマの将軍カエサルは軍をひきい、境界であるルビコン川を渡って国へ反逆したのだ。
内戦の火蓋となった逸話である。
死罪にすら問われる重大な禁忌であり、後戻りのできない決死の覚悟をしめす。
一線を超えたのだ。
「オルロック殿っ! 出番でござる――っ!」
プールヴァ帝国の戦列が騒めき動きがあった。白い息が立ちのぼる兵の列から、少年が一人歩き出て橋のたもとまで進む。
夜間に宣戦布告かと緊張が走ったが、それ以上に疑問が浮かぶ。
背面部をふくらはぎまで伸ばし、裾が二つに割れている奇妙な上着は、大道芸人にしか見えなかったのだ。
「オイオイオイオイ――~っ! ありゃあ、アユムじゃねえかっ!?」
「わあっ!?」
ウールドが手でひさしを作り、目を見開いて叫ぶ。
大声に驚いた衛兵が飛び上って弓を射た。対岸まで届かない弱々しい矢が飛び、川に落ちる音と叱責が交差する。
「おまえモルディブの樹海で、騒ぎ起こしてたんじゃねえのかよ! なんで帝国とつるんでマナスルを急襲してんだ、ええっオイ……っ!!」
ほんとにワケワカンネェ奴だな――。
ウールドが腹を抱えて笑い、何が面白いんだと周囲から白い目で見られていた。
少年は物見の誰何に答えず、胸の前で手を合わせる。
月の下で優雅にすら見える手振りは、どこか謝罪しているようにも見えた。
『氷核』……っ!
少年の両手のひらに見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
モークシャ大橋を中心に、痛みすらともなう冷気が襲った。顔をそむける間に、ナディ川を凍らせ白い平原へと様相を変えていく。
「おおおおおおお――――~っっ!!!」
プールヴァ帝国の騎士団から、怒号のごとき雄たけびがあがる。
「その日」プールヴァ帝国は、ヴィーラ王国との一線を軍靴で踏み越えた。
「ほらオーレ起きて、始まったみたいよ」
「ん――~…まだ夜……だよお」
「しゃんとなさい、だから早く寝なさいって言ったのに」
マナスルの都市部にある宿屋で、二つの影がゴソゴソと動きだす。
目ざとい市民は兵の動きで何かを察し、見えぬ城壁外に眉をひそめていた。だがほとんどは帝国の出現にさえ気づいていない。
夢の中で懐かしさにひたり、届かぬ要望をかなえている。
「うっ……寒ぅ」
「四君子」のパルウロールムがオーレの手を引き、宿屋から出てきた。
肩を抱き体を丸めて震えると、白い息が顔をおおう。オーレはまだ寝ぼけ眼で、寒くはないのか軽く揺れている。
「ちゃんとマントはおって、カゼをひいちゃうからね。さっ行くわよ、えっと……まずはこっちから大通りに出て……と」
「エクスは――~…?」
「あんなバカどもは放っておきなさい、マネするとろくな大人になれないわよ!」
まあ上手くやってくれてるといいんだけど――。
マントから出した羊皮紙が月の光に浮かぶ。二人は影となってそびえるいびつな城を見上げ、都市部の迷路に消えていった。




