百八十一夜 元王都のいちばん長い日 二刻
「皆様の『力』を疑うわけではありませんが……ええもうこうなったら、とことん戦争の格式を省略しましょうか」
「……省略?」
オルロックがいろいろとあきらめ、伏し目がちに羊皮紙を差し出した。
パルウロールムが怪訝な顔で受け取る。不信を顔に張りつけたまま封を切ると、驚きを隠せずに見入った。
「んだあこれ、文字……じゃねえよなあ、ウェイの旦那は知ってるかい」
「やけに細かく記されてるが手記には見えん、文様にしては統一性がねえし」
エクスが横から眺めて首をひねり、ウェリタースはプッシュした顎髭をつまむ。
パルウロールムはよりいっそう食い入る。指先で葉っぱの葉脈に似た線を追い、開いた口に手を当て隠した。
植物の装飾やタペストリーの模様ではない、表現を意図した絵画の手法。
「これ……は、まさか街!? 街を、真上から描いてるのね!」
初めて見る精巧な街の地図を手に、疑念と確信が汗となって頬をつたう。
「はい、西征の先駆けとなる『マナスル城郭内の地図』です」
忘れられない記憶をたよりに、オルロックが新たに記したのだ。
にこやかな少年と対照的に、「四君子」は言い知れぬ不安に襲われていた。
「都市部は大きく四つに分けられています。
北西のウッティ門から、西に向けて農民区。北から中心部へ、そして東に向けて商店や職人の住居区。東は軍隊の駐屯地となっていて、妻子を持つ兵士の居住区。
南のマナスル城の周囲と南東に、貴族の屋敷や従者の住居です」
「こんな……これが、世界だなんて……っ」
それはまさしく、鳥の視点からの絵。
いつしか雲に包まれ、丸い地平線を遠くに望む。大都市と呼ぶべき規模の街が、足元に広がっていた。
「皆様はウッティ門を正面からくぐり、決行まで宿屋で待機していてください。
マナスルでは当時、三十軒ほど営業していました。すべて西の農民区ですので、どの宿からも城へ向かえるルートを記しておきます。
騎士団が火蓋を切ると共に直行し、即座に制圧するのです!」
視覚的にもたらされた異常すぎる情報。
スラスラと計略を読み上げる少年に、パルウロールムは目を奪われる。
「戦争の格式……この子の前では、虚しい協定ね」
家屋の上には城が見えてるのに、たどりつけない複雑な街並み。敵対勢力による進攻を少しでも防ぐため、意図的に乱雑化させた仕様。
何世代にもわたって連綿と受け継がれた対策を、この絵だけですべてぶち壊す。
何人で何年探れば、ここまで正確に記せるのか。なぜこんな絵を――この少年はものすごい天才か、とんでもない変態か。
「なにか失礼なことを想ってません……?」
「あっごめんなさい、いえ斬新で……そうじゃない! 門を破らずに潜入しておくなんて騙し討ちじゃない、因果伯に密偵のマネをさせるつもり!?」
「繰り返しますが皆様の『力』を疑ってはいません。それでも二重の城壁を誇った元王都の堅牢さは、けっして見せかけではないのです」
打ち破るには相応の時間がかかるのだ。
二組の因果伯が独断専行をし、残ったのは一組だけ。ならばもういっそのこと、行商人にまぎれて先行してもらう。
これで開戦後は内外からの攻略が可能となる。
「皆様の矜持も考慮したかったのですが……ええもうこうなったら、毒を食らわば皿までです!」
どうかご了承のほど、よろしくお願いします――。
「さて『四君子』の皆様は、無事に忍びこんでいただけたかな」
オルロックの両脇を兵が駆け抜け、頭上を矢羽の羽音が重なって鳴く。
厚い氷に埋め立てられたナディ川は、寄せ手にとっては白い平原である。梯子をかつぎ盾を頭上にかざし殺到していく。
モークシャ大橋にだけ注視していた受け手は混乱していた。
まばらに射られた矢は効果が薄く、指揮も混乱している。攻城兵器こそないが、人馬の津波を遅滞させることもできない。
戦況以上に、士気の高さに雲泥の差があったのだ。
「地図を凝視していたパルウロールム様と違って、男性陣は上の空だった。意識は街の中に向いてはいなかった」
戦場を前にし、軽口に近い疑問が少年の口をついて出た。
「エクス様はもとより、ウェリタース様も激昂なさると思っていた。どんなに取り繕おうと、謀略であるのは疑いようもない。
ところがどうにも、他人事の気配しか感じられなかった。
あるいはまた何やら、無茶な振る舞いをなさっておられるかも……まあ心配する必要もないか、何が起ころうとたたきのめすでしょうし」
もはや因果伯の予想外は予定内と、ため息まじりにこぼす。
それとは別に一抹の不安がよぎり、ふいにマナスル城を見上げる。変なモノ越しに淡く立ちのぼる光が、懐かしさに揺れていた。
プールヴァ帝国の雄たけびは、波紋となって街に轟いている。
時を同じくして、監視塔と思しき奇妙な塔でも騒ぎが起こっていた。突破された扉が悲しげに鳴き、周囲の耕作地に不穏な物音を響かせる。
「――おい! いったいここで何をやってんだ!?」
「マっマナスルの……街のために、領民の笑顔を考える……とっ」
つめていた警備の兵が数人、地に伏して呻き声を上げていた。
胸ぐらをつかまれ引き起こされた兵士も、すでに意識はうつろ。どうにか言葉をしぼりだすと頭が揺れて落ちる。
「ちっこいつもクォギートかよ! 何を考えるってんだ、おい起きろ!」
「あのなあ……おめえが片っ端から倒してくから、それ以上聞けねえんだろが! ちったあ考えやがれ!」
エクスが腹立ちまぎれに地団駄を踏む。
ウェリタースは苦虫を噛み潰し、手を広げて惨状に呆れた。どこから手をつけていいのかわからない。
「考えてるよォ領民が喜ぶといやあ、ケンカ相手と相場が決まってらあ」
「んな相場はねえ! はぁ……にしても、いったいどうなってやがんだ。どいつもこいつもクォギートクォギートと、どうにもつかみどころがねえ」
商人から「アラヤシキの少年」と、「全品三割」の噂を聞いている。
そして密偵から、誰であろうと目を牽きつける「奇妙な塔」の情報を得ていた。
だがさらに調べると報告があってから、完全に消息を断つ。敵に捕縛されたか、闇が深くまだ探っているのか。
何やら予感がしたのだ、この塔は王国の最高機密ではないかと。
マナスルの制圧に残ったのは、捕らぬ狸の皮算用ゆえだった。さあと張り切って乗りこんだのに、当てこんでいた報酬が露と消えていく。
完全な見込み違いに二人の表情がくもる。
「M属性でもねえ『予感』なぞ、当たりゃしねえってか。城はまかせたとパールに押しつけてきたのに、この体たらくじゃあ雷が落ちるぞ」
塔の中で目につくのは、こんもりと山積した砂と砂利。
大樽につめこまれた白い小石、木箱に入った灰色の塊、石を砕いていたのか鉄のハンマー、なんに使うのか妙な形の鉄製型、Uの字に中をくり抜いた角柱。
そして一列に積み重ねられた麻袋。
「値がありそうなのは白い小石だけか、やってらんねえなあ」
「石なんか誰も盗りゃしないだろ、何を大事そうに保管してんだこいつら」
エクスが興味なさそうに、白い小石の匂いを嗅いでいた。
「これはおそらく、大理石……か同質の石ではないだろうか?」
ウェリタースは心当たりがあるのか、首を傾げている。
「謁見の間や貴族の屋敷に使われてる、ピカピカした石床の?」
「磨いてあの姿になる、以前工房で何度か目にした。価値があるのは大きな塊で、ここまで砕けていてはダメだがね」
「へえ――~ただの白っぽい小石にしか、見えないのになあ」
エクスが指でつまんで砕く、少しもろいが単なる石
ウェリタースあらためて周囲を見回す。倒れている兵の多さ、ぶ厚い厳重な扉、城壁を思わせる石壁。
そこまでして守るのが「白い小石」とは、どうしても結びつかない。
「ここが重要な施設なのは確かなんだ。
籠城を想定している監視塔をさらに石壁で囲む。隣接した門衛棟には兵を配し、厩まで設備される念の入りよう。
そして帰ってこない密偵。
なのに石を砕いて灰を作るだけってのは、大袈裟というより奇天烈すぎだろ」
「……本当に灰を作ってるだけだったら、どうするんだ?」
背中を向けたままお手上げのポーズをされる。エクスは積み重ねられた麻袋を、怒りにまかせて無造作に蹴り上げた。
セメント袋が破れて粉塵が舞う。
用途がわからなければ理解の域を超える。その奇妙な塔が徳利窯だと知る者は、兵の中にもいなかった。
「ゲホッ……おい、カンベンしろよ!」
「ええいちくしょう! またデマに踊らされたんだ、小国のやりそうなこった!」
「単なるデマか、そうとも思えねえんだがなあ」
「他の奴らみてえにさっさと見切って、大都市に行くべきだったんだ! 儲け話があると騙しておいて、笑ってんじゃねえぞ!」
「……ああ?」
静かになった塔の中に、一瞬で噴煙が上がった。
「調子んのってはしゃいでんじゃねえ! てめえに腹芸は期待できねえから黙ってたんだろうが、会議でポカかましたのはどこのどいつだあオイ!」
「オレらの邪魔する奴は、因果伯だろうとたたきのめしゃいいだろ! 日和ってんのはどっちだ、ええウェイの旦那よォ!」
因果伯が睨み合い、視線のまじわる空間は帯電し歪みすら生じる。
意識が残ってた兵士こそが災難だった。「カルマ」をしめす淡い光がわき立ち、梁から埃が落ちて床で小石が踊る。
地震に見紛う地鳴りに、目を固く閉じて耐えるしかない。
「はァ……わかったわかった、仲間割れはよそうぜエクス。なんつったっけ、そう『アラヤシキの少年』だ、そいつが街にいても俺は手を出さねえ」
ウェリタースが観念し、負けたと手を上げた。
「……いいだろ、そんで手を打ってやるよ」
エクスもバツが悪いのか視線をそらす。
胸をなでおろしたのは伏した兵士だった、安堵するとようやく気絶を選択する。
「んじゃあ早いとこ街へ行こう、そこの門から雪崩れこめばいいんだろ? ん……そういやロックちゃんが何か画策してたっけ」
オルロックが聞けば「ああやっぱり」と、渇いた笑いをもらしたのではないか。
招かれざる客の二人は、なんの収穫もなく塔から出てきた。都市部はざわめきが増え悲鳴がまじり、松明の炎が右往左往している。
市壁が巨大な影となってそびえ、共鳴した戦渦がより動揺をあおっていた。
「まあ待てサマディ門も開戦してるようだ。そこのウッティ門が開いて、騎士団を徴集しに急使が飛び出すだろ。打ち破ってもいいんだが、少しはオルロックの顔を立ててやろうや」
「密偵もどきか? 夜間に奇襲をしてそれじゃあ、コルポレが憤死しそうだな」
「坊主流にいうなら、俺らは門から雪崩れこんだのさ。必死の抵抗を跳ね返してな――ってことにしとこうぜ、めんどうくせえことになりそうだし」
ウェリタースが歩きだすのを見て、エクスが眉をひそめる。
市壁を見上げ、夜空の境目となっている狭間胸壁までを目算した。
「けっ……開くかもわからねえのに待ってられっか!」
走り出したかと思う間もなく、一足飛びで堀を渡る。
市壁にたどり着くや垂直の壁を登りだす。S属性なら市壁など軽々と飛び越え、防御の意味をなさないのだ。
「おいおい、そんなに焦んじゃねえよ。寝て待ってりゃあ幸運となって現れるかもしんねえ、なんかそういうことわざがありそうだろ――!」
「オレらは当てが外れて不幸になったんだ! 災いが返還して利益になるってのもありそうだぜ――!」
「アラヤシキの少年」はオレんだ、忘れんなよ――。
すでに陰に包まれ、上空から声がかかった。
市壁上の歩廊に松明の光は少ない。ほとんどの外衛兵はサマディ門へ動員され、残っているのは監視のごく少数。
たとえエクスを発見しても、返り討ちされるに違いない。
「まったく、まとめる奴がいねえとバラバラだな」
ウェリタースは肩をすくめながら、ウッティ門へとのんびり歩いていく。
巨大な門が陰の中から浮かび上がるころ、重低音が響いた。夜間にありえなくも跳ね橋が下がり、市門が開いたのだ。
今度は予想通りとなり、口笛を吹いて歓迎する。
まっ先に数騎の急使が駆け散って行く。合わせて門衛が制止する激しい罵声と、十数人の人影が飛び出した。
荷を抱え子供の手を引き、勢いにまかせて市民が逃げ出したのだ。
すでに都市部では、プールヴァ帝国の侵攻は公知されている。市民を追いかけるフリをして、数人の兵まで逃げていた。
一笑に付すには哀れすぎて、ウェリタースは自嘲する。
下げた目線に代わり、ひづめの音が近づいてきた。騎馬が一騎、一直線に奇妙な塔へと向かってきたのだ。
開戦も間もないのに、気楽に歩いている男は間違いなく疑わしい。
「――そこの密偵、逃がしませんよ! 大人しくお縄に……えっこのひときわ太く立ちのぼる光は、まさか因果伯!?」
先端が輪になった特徴のある錫杖には、文様が浮かび淡く発光している。
馬上で叫んだイーシャ卿は、驚愕と覚悟を同時にかみしめた。
「そうら、果報が来やがった」
☆
「パールはもう、城へ向かっちまったかな」
エクスは道路を、ときには屋根の上を。
影となってそびえる城に向かって、いっさい迷わず最短距離を疾走していた。
「オーレがいっしょだ、できりゃあ戦いが始まる前に合流したいとこだが……」
ふと下を見れば、領民が大混乱におちいっている。
プールヴァ帝国の侵攻が伝えられ、矢も盾もたまらないのだ。子供や老人は城へ避難しているが、火藁を撃ちこまれる警戒に大人は残っていた。
避難訓練と火災訓練は実地したが気が気ではない。
帝国は市壁を越えたのではないか、そこの路地から敵兵が現れるのではないか、ウッティ門は開いたのではなく打ち破られたのではないか。
今ならまだ逃げられるのではないか――。
情報のなさが不安を増幅させ、何も信じられなくなる。狼狽が混乱を誘い出し、恐慌を誘発させるのに時間を要しない。
十日を待つまでもなく、籠城は破綻し始めていた。
「元王都つっても、市井ってのはどこも変わらんな。んなことよりオレの獲物は、城にいりゃあいいんだが……ん?」
領民の動向にはさほど関心がなく、エクスはあらためて城を見上げる。
その視線の先に騎馬が駆けて来るのが見え、指パッチンを鳴らす。
「こいつはいい逃げ出そうとする貴族サマかね。衛兵や騎士ならとっつかまえて、城まで案内させるって手も……はぁ?」
向かってくる馬には誰も騎乗しておらず、目をこすって何度か見返した。
エクスはS属性である。
O属性とは違い気配の光を視ることはできない。彼には空馬が駆けているようにしか見えず、しばらくしてやっと男の影をとらえた。
気配消し――自然に発生する「カルマ」さえも、閉じてしまう術。
察した瞬間に口角が上がり牙をむく、それは「啓いた者」の証でもあるのだ。
方向からウッティ門へと向かっている。
『ウェリタースに獲物が盗られる』――エクスは三階の屋根から軽々と飛び降り、騎馬の前に何事もなく降り立った。
「――なにっ!?」
驚いた騎手はすかさず手綱を引き馬を急停止させる。こんな非常識をする者は、彼の記憶の中には一人しかいない。
馬上で叫んだバクティ卿は、嘆息と予想外を同時にかみしめた。
「こいつは、福に転じたんじゃねえの」
「あの……閣下、ほかの因果伯様も、その……全員が出奔なさったと」
「~~~~~~っ」
家令が申し訳なさそうに眉を下げ、侍女はいたたまれずに手を組む。
マナスル伯爵は喉まで出かかったかな切り声を、どうにかのみこんだ。




