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百七十八夜 マナスル

「ねえジャーラフ、いるの――~? ねえったら――~!」

「かっ閣下! 危のうございます、どうかご無理なさらないでください!」

「ん~……ちょっと見てくるわ」

「閣下ァ――っ!?」

 マナスル伯爵は家令が止めるのも聞かず、監視用の窓から身を乗りだす。意外な素早さでスルリと天に消えた。

 そこは主塔の屋根。

 三角錐でできており、通常なら上り下りですら恐怖する場所。風を切る音を耳にするだけで、肌寒さが増していた。

「あっジャーラフ、やっぱりいた~! 気配を消してないからいると思ったんだ、んもう~返事してよね」

 沈む太陽がポツリと人影を浮かばせる。

 ウェーブのかかった黒髪と猫の耳が揺れ、漆黒のマントがはためいていた。

「にしても怖っ! よくこんなところで黄昏れていられるわねえ」

「……周辺に異常はありません、なんのご用ですかマナスル卿」

 マナスル伯爵は屋根にへばりつき、恐々と下を見下ろす。

 ジャーラフは振り向きもせずに慎ましく答える。その態度や口調で拗ねているとわかるのは、彼女の姉だけだったろう。

 だがマナスル伯爵にヘソを曲げているわけではない。

「今夜は満月でしょ、定時連絡の準備をしておくから執務室に来てもらえるかな。伝書バトもあるけど、長文はまだ難しくって」

「……わかりました」

 ジャーラフは軽く顎を引き了承を伝える。

 しかし瞳は一点を見つめたまま動かず、夕日が左の頬だけを照らし出す。そこはお気に入りの場所だった。

 地平線のはるか遠くには新王都があり、ヴィ―ラ殿下がおわすのだ。

 マナスル伯爵は風にあおられる髪を押さえ、やさしく目を細める。


「『アユム卿はリグ公爵を探して、モルディブの樹海に向かっている』――って、二人の消息はそれっきり、こうまで音沙汰なしだと心配よね」

 ビクリと猫の耳が跳ねた。

 十一月に行商人づてで新王都へともたらされた便り。それより約三か月が経ち、二月になっても続報は届かない。

 マナスル伯爵はジャーラフの隣に座ると、同じく地平線を眺める。

「実際に樹海へ行ったかどうかわからないけど、アユムなら大丈夫よ。もし魔獣と争いになっても、国家存亡危機(バジリスク)に匹敵する魔獣なんてそうはいないんだから」

「だっだけどモルディブの樹海には、多くの魔獣がいてるっていうじゃないか! そんなとこをあのバカがいつもの調子で行動すれば、魔獣が束になって襲って……っボクは殿下がおわす西を見てただけだ! あんにゃバカどうでもいい!」

 ジャーラフがやっと顔を上げ、牙をむいて叫ぶ。屋根を叩くのは辛うじて耐え、いっそう影を落として膝に顔をうずめる。

 こっちは北だけど――マナスル伯爵は突っこみたいのをギリ耐えた。

 ここからは霊山モルディブが薄く影を帯びて見える。得難き「力」であっても、ふもとに広がる樹海まではとらえられない。

「アユムを『あのバカ』扱いできる子も、そうはいないでしょうねえ」

「だからアユムは関係にゃいって! あっあいつが盗賊に斬り殺されようと魔獣に食われようと、知ったことか!」

 ジャーラフが目を伏せたまま叫ぶ。

 揺れる気持ちがどこから来るのか、認識不足な感情を持てあましていた。

「アユムは大丈夫、ちゃんと帰ってきた(・・・・・)んだから」

 どこで何をしていようと、今度もきっと帰ってくる――。

「えっ……帰って、きた?」

 暗闇の中で小さな光が灯り、ジャーラフが振り向く。

 マナスル伯爵ははるか遠くに視線を向けていた。それは地平線を越え空を越え、悠遠の彼方までを映す瞳。

 未来へ語り継がれる、物語のその先へと――。

「マナスル卿それは……えっと、M属性の『予感』ですか?」

 ボクはこの方を、どれだけ知っているんだろう。

 啓いたときにプラーナさまの勧めで、「風舌(ふうぜつ)」の使い方を教わった。亜人なのにマナスルの領主をしていて、市民や使用人から批判を聞いたことがない。

 複数の発光を絡ませ、激しい光を放つ妙な方。

「信じて待ちましょう」

 ほほえむ横顔にすら違和感がつきまとう。

 ――底が見えない、それは殿下にも似た「理解不能」な畏怖ではなかったか。


 マナスル卿……あなたは、いったい――。




「熱っちいんだよ! このトカゲ野郎――っ!!」

「ヴォ――!」

 雨がそぼ降る町の中で、ウールドが鉄の(クワ)を振り上げる。

 炎のトカゲがたたき潰されると、トカゲの形を保ったまま崩れて消えた。残り火が雨にあおられ、蒸気となって白く立ちのぼる。

「そういやあトカゲ野郎は火の精霊だって、エルフのねーちゃんが言ってたっけ。なるほど『炎生(えんじょう)』で変換された、薪とよく似てらあ」

 眉根を寄せ鉄の鍬を握りなおす。

 火に包まれる建物から、焼け落ちた跡から。そこかしこから炎のトカゲが現れ、双眸の瞳を怪しく光らせていたのだ。

「とはいえキリがねえ、いったい何匹いやがるんだ!」

 鎮火の手助けにならない雨雲を、忌々しく睨みつけた。

 ――サラマンダーは炎におおわれた巨大なトカゲである。全身には斑点があり、尻尾の先まで入れると大人の身長を越えた。

 町の冬越し用に蓄えていた薪おき場で、火災が発生する。

 慌てて消火に駆けつけた町民は、炎の中から現れた魔獣に驚愕した。居合わせた(・・・・・)傷の男がたたきのめし、喝采が上がる。

 しかし数か所からあがる煙に歓声は消えた。

 ウールドが手当たり次第退治していっても、いっこうに数が減らない。延焼した建物から、新たなサラマンダーが生まれていたのだ。

「炎の攻撃は効かねえってんだから、色男がこっち(・・・)だったらやばかったな」


「トカゲが数匹かたまってる! 誰か手を貸してくれ――!」

「ちくしょう、よくも家を焼いてくれたなっ!!」

「どっどうすんだよ、このままじゃ寝る場所もなくなっちまう……っ」

 町民が農具を手にサラマンダーを攻撃する。

 だが傷ついたサラマンダーが炎を食べる(・・・・・)と、体が再生していく。そのきりのない徒労に、汗と力が抜け落ちてしまう。

 自分たちの町が燃えるのを、ただ網膜に映していた。

「ウヴォォ!」

「――ひっ!?」

 燃えさかる建物の二階から、サラマンダーが緑の毒液を吐く。

 突っ立っていた町民の頭上に降りそそぎ、頭を抱えてへたりこんだ。だが一向に落ちてくる様子はなく、恐る恐る顔を上げる。

 雨に濡れた漆黒のマントが、目の前で毒液を遮っていた。

「ちっ……こいつも毒を吐くのか、嫌な記憶がよみがえらあ」

 バジリスクと違って、引火性じゃないだけマシか――。

 マントにじわじわと毒液がにじみ、くすぶって大穴を開ける。こりゃあダメだとウールドは脱いで放り捨てた。

 雑草が異臭を放ち溶けていく、バジリスクの毒ほどではないが見劣りはしない。

「おいってめえら、なにをあきらめてんだ!」

 手近のサラマンダーを鉄の(クワ)で殴り飛ばし、狼が遠吠えを上げた。

 群れの仲間ではなくとも、町民の意識が引きつけられる。

「ブルってんじゃねえぞ、てめえらの町だろうが! てめえらで守んなかったら、どんなツラして妻や子をその手に抱きしめるつもりだ!」

 ウールドの体の内(・・・)から、淡い光がうっすらと立ちのぼっていく。

 国家存亡危機の魔獣を殴り飛ばす、巨人が顕現していた。

「力が湧かねえんなら前だけ向け! 睨みつけて叫んでみろ! 俺は最後までやりきったと、ふんぞり返ってる誰かさんに怒鳴ってやれ!!」

「……っ!」

「くそっちくしょう! ちくしょう――!」

「おっ俺だってえ……っ!!」

 町民の目に生気が戻る。

 震える手で農具を握りしめ、鳴らす奥歯を噛みしめた。我知らずサラマンダーに向かい踏み出していく。

「その意気だ……てめえら燃えてるそばで戦うな、トカゲ野郎が息を吹き返す! どうにか俺んとこに引っ張ってこい!」

「おおうっ!!」

「雨は期待できねえ、桶に水を汲んで消火しろ! 農具で燃えてる家をぶっ壊せ、これ以上燃え広がるよりゃマシだ!」

「わかった――!」

「トカゲ野郎は火の精霊だ、水に弱え! 女は子供を連れて対岸まで避難してろ、川を渡っちゃこれねえ!」

「はっはい!」

 魔獣を物ともしない膂力、発している異様な気配――町民を統率してしまえる、覇気のこもった声。

 狼の雄たけびが波紋となって町に広がっていく。

「おらあ――っ『邪土(じゃどう)』!」

 ウールドが毒を無視してサラマンダーを殴り潰す。

 突いた地面に見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。妙な光沢を放つ流動体がわき上がり、装甲となって張りついていく。

 鉄のガントレットが雨を弾き、銀の被膜が舞い跳んだ。

「てめえら堂々と胸を張れ! 一匹残らず町からたたき出すぞ――――っ!!」

「おおおお――――っっ!!」



 ☆



「おう、今日も元気に煙がのぼってるねえ」

 広大な農地に線を引き、街道が街の市門まで続いている。盗賊風の男が鉄の(クワ)を肩に、ノンビリと歩いていた。

 マナスルに隣接して、監視塔と思しき奇妙な塔が建っていたのだ。

「トクリー窯の威容を見上げると、マナスルに帰って来たって実感がすらあ」

 一年前は荒涼としていた耕作地も、領民が増え華やかになっている。麦が小さな緑の葉を覗かせ、ほのかに輝いていた。

 元王都の面影を残す街に笑顔があふれ、行商人が列をなしている。


「――んなわけで北西の町からトカゲ野郎を追い払った。神さんに声が届いたのか途中で豪雨になって、燃え広がるのをようやく食い止めれた」

 あいつはいつも遅えんだよな――。

 マナスル城の執務室に領主と因果伯が集結していた。

 ヴィーラ殿下へ上申する最終確認だが、椅子の配置はバラバラである。きっちり壁沿いに座る者、ど真ん中で堂々と足を組む者、離れの椅子で我関せずの者。

 貴族にあるまじき性質を如実に表していた。

「焼け残った家に同居すりゃあ、しばらくは暮らしていける。だが春んなる前に、建築する職人と資金を頼むわ領主さん」

「わかりました」

 鉄の(クワ)を手に組んだ足を揺らし、ウールドが悪びれもせず要望を突きつける。

 毎度のことなのかマナスル伯爵は憤るでもなく、口元を緩ませ軽く了承した。

「家屋の延焼は抑えられたのですね、なによりです」

「サラマンダーの毒は? 皆さんは無事だったんですか!?」

 ラヴィが背筋をただし安堵する。横に座っていたトリコナーが勢い立ち上がり、食い気味で町民を案じた。

 状況次第ではそのまま走り出したかもしれない。

 ケガした奴はいたが、トリの坊主に頼むほどでもねえ――ウールドが肩をすくめ口角を上げると、やっと緊張を解く。

 よかったとひと息つき、胸をなでおろしていた。

「しっかし薬草が欲しいから掘ってこいって話だったよな。なんで俺なんだと首をひねってたが……そういうこと(・・・・・・)だったわけだ」

 M属性の「予感」――ウールドが離れて座る赤毛の幼女を盗み見る。

 聞えているのかいないのか、アカーシャは蝋板(ろうばん)を離さない。探究部屋から借りた写本(コデックス)を、一心不乱に模写していた。

 細い金属棒の持ち方に上達度がうかがえる。

「にしても回りくどいしめんどくせえ、もっとハッキリ伝えちゃダメなんかい」

「ダメだから遠回しに頼んでいるんですよ。M属性に対しての認識をあらためると申したはずです、察する努力をなさい」

「へいへい――~」

 ラヴィのお説教にウールドが口を尖らし、使わなかった鉄の鍬で頬をかく。

 何やら考えていたトリコナーが、薬草ではありませんがと手を打つ。

「サラマンダーの体には薬効があると文献にあります、食べれば媚薬になるとも。崩れて消えてしまったのなら、迷信だったのでしょうねえ」

 さらに強壮剤に催淫剤に脱毛剤、そして劇薬の原料にもなったはず――。

 指折り数えて残念そうに肩を落とした。上げられた薬効の内容は、とても町民の安否を気遣っていた姿とそぐわない。

 ブツブツと吟味する美少年の横顔に、突っこんでいいのかと顔を見合わせる。


「――僕は北の森に出没した、盗賊の噂(・・・・)を調査しに行きました。とはいえ運が悪く(・・・・)魔獣に遭遇し、未確認とあいなりました」

 申し訳ございません――。

 頭を下げるバクティ卿に、マナスル伯爵は苦笑を隠せずにうなずく。

 やや芝居がかってはいたが、集った者たちは察する(・・・)努力を怠らなかった。

「んでそっちはどんな魔獣だったんだ?」

「スケルトンだ、司祭の説教もミサも施されなかった亡骸(なきがら)を、悪魔が奪ったのだ。どうにか罪を重ねることなく、御霊を慰めることはできたが……」

 甲冑を身につけている者が多かった。

 戦場からさまよってきたのか、身に覚えがある境遇に胸がうずく。バクティ卿の愁いを帯びた表情に残るのは、哀悼か孤独か。

「亡くなっても神に許されず剣を佩くなんて、まさに煉獄だね」

「バクティ卿の炎によって浄化され、永遠の苦悩が清められていることでしょう」

 同じ魔獣に連なってはいても、アンデットには別格の哀れさがあった。

 俺がそっちに行ったらやばかったな――ウールドは声に出さず、心の中で赤毛の頭をポンポンとなでる。

「そしてスケルトンを統率するがごとく、騎士が……デュラハンが現れた」

 バクティ卿が声をつまらせ、さらなる惨禍を告げた。

 ――デュラハンは首のない騎士の妖精である。

 首のない黒馬を駆り死を予言した。死人の出る家の近くに出現し、命を刈り取る死神としても伝えられている。

 けっして逃れられない死期は、命ある者の因果ともいえよう。

 従士(スケルトン)をまとめ、陣頭に立つ騎士(デュラハン)の軍団。

 相対した瞬間、バクティ卿の瞳が揺れていた。かつて(くつわ)をならべた皆の雄姿を、カティーナ騎士団の雄姿を重ねていたのだ。

「なんだ色男、未練たらたらだなあ」

「ちょっ……餓狼!」

「まったくだな」

 ラヴィが弾けて止める間もなく、バクティ卿は自嘲に口を歪める。

 お説教が始まると固唾をのんだが、二人のやりとりに言葉を失う。

「そう気張るなって、おめえはなんでもかんでも溜めこんじまうんだから」

「わかったわかった」

 ウールドの軽口に相づちを返して笑う。それはあきらめによる見切りではなく、長年の友に接した気楽さではなかったか。

 個別で行動する因果伯も、一か所に滞在することで様々な変化が起きていた。


「それにしてもさ、魔獣が出没したのは北西の町と北の森だよね。前回の予か……えっと騒がしかった(・・・・・・)のも北だった、なんだか偏ってない?」

 トリコナーも遠回しが苦手なのか、咳払いして意見を求める。

 全員の意識がピクリと反応し、それを言うのかと息をのむ。

「まあどこぞで魔獣が戦って、縄張り争いが活性化したんだろうな」

 ウールドは鉄の(クワ)に顎を乗せ、天井を眺めてとぼけた。

「冬の間際だったか、霊山の方向で世界樹が立ちのぼったと噂が広まった。魔獣の出没報告が頻発するようになったのは、それ以降だ」

 バクティ卿は腕を組み、王国の情勢を共有する。

「ヴィーラ王国にとって、なにか由々しき事態が起こったのでしょうね」

 ラヴィは見当もつかないと首を振り、錫杖を握りしめた。

 アカーシャは蝋板(ろうばん)から顔を上げ、手紙の送り主を思い浮かべる。

「フフッ……」

 誰もが「彼の少年」の名を出さないので、マナスル伯爵は笑いをこらえた。

 にわかに静寂が場を支配する。喉元まで来た言葉をのむべきか吐き出すべきか、決心がつかぬまま視線だけがさまよう。

「ああもう……っあの野郎、今度は何をしやがったんだ!」

 ウールドが耐え切れず、鉄の鍬に叫ぶ。

 それは一年前に少年が製作した鍬。用途がわからないと新王都から送ってきた、「バールのようなもの」だった。

 

「まっまあまあ、まだアユムが関係してるとは……」

「トリプティー卿、誰もアユム卿だとは申しておらんよ」

 トリコナーのはぐらかしに、バクティ卿が鋭い突っこみを入れる。

「アユム意外に誰がこんなことできるってんだ! モルディブの樹海に出っ張って魔獣どもを引っ掻き回すなんざ、殿下でも難しいだろ!」

 一応は肩を持ったトリコナーだったが、二人に迫られ白旗を上げた。

「ヴィーラ殿下が信頼のおける(ペール)を、護衛につけたとおっしゃっています。ですが素性を明かしてはいないようですね、それで彼を諭すのは難しいかと」

 ラヴィも肩入れをあきらめ、一年前の騒動を振り返る。

 諸侯に嫌みな視線を受けても、側溝を掘りお風呂を作り前代未聞昼食会を開き、バジリスクに単身立ち向かった少年。

 破天荒を地でいく彼を、誰が説き聞かせることができよう。

「確かに因果伯(みぶん)を明かさず、アユムを止めろってのはきついもんがある。ペールは以前の行商人姿が板についちまってるし」

 アユムが樹海に入る前に、無理やり取り押さえっちまえばよかったのに――。

 そう憤るな卿とは違うのだと、バクティ卿が仲間をかばう。

「何やらこみいった状況だったらしい。ペールラァサ卿は北東の村の出身だった、四年前の魔獣暴走(スタンピード)で啓き、爵位を拝命したと聞いたが」

「誰もが貴方(あなた)みたいに、自由には振る舞えないんですよ。ええそのようですわね、普段も予備人員として王都の北を巡回していたようです」

 悪かったな――と、ウールドが口内でもらす。

「ゆえにより慎重になったのだろう」

「例の『娘』、ですわね?」

 ラヴィの問いにバクティ卿は理解をしめす。

 騎士を体現した姿に、疑惑の強さが覇気となって表れていた。


「北東の村に、ルーシーなる娘はいなかった」


「にもかかわらず、村人は住民と認め疑ってすらいなかったそうだ。違和感が残る『娘』から、少しでも正体を隠したかったのだろう」

 守備を一任された北東の村を、バクティ卿は生涯忘れることはできない。

 あの惨劇の中にペールラァサ卿もいたのではないか。意味のない妄想に失笑し、頭を振って息を吐く。

「モルディブの樹海に向かうと、村人に報告を託したのを最後に……か」

 以降連絡は完全に途絶えている。

 行き先は魔獣が徘徊するモルディブの樹海。仲間は無事だと虚勢を張ろうとも、何が起こるかわからない常軌を逸した世界。

 まだ見ぬ地に、ウールドは思いを巡らせた。

「それにしても……今はカルブンクルスでしたか、なんだか因縁の街ですわね」

 生まれ育った街の話に、アカーシャの手が止まっている。

 侯爵による廃位を目論んだ反乱事件。マナスルに滞在している因果伯の六名中、五名までが魔獣暴走(スタンピード)に関わっていた。

 彼らとて人生の変更を余儀なくされたのだ。

「ジャーラフがいっしょに北へ、カルブンクルスへ着いて行くべきだったって……口にはしないけどずっと後悔しているわ」

 マナスル伯爵が自分のこととして悔恨する。その場に自分がいればとの思いも、あったのかもしれない。

 ひとつだけ空席の椅子が、執務室の空気を寂しくさせていた。


「――それに活性化しているのは、魔獣だけではありませんわ」

 ラヴィがマナスル伯爵に意識を飛ばすと、「どうぞ」と了承される。

「皆さんが騒ぎ(・・)を治めに出ていた間の件です。プールヴァ帝国の密偵がマナスルに潜入し、トクリー窯を探っていた形跡があります」

「プールヴァ帝国の!?」

「そいつは確かなんかい」

「密偵」が表した語句に、国家の要が見過ごせないと食いつく。

「ええ……どうにか数人を捕縛し、『力』で確認いたしました。ですがこのごろ、とみに多くなっています」

「あんだけ目立つ塔だからなあ、密偵も放っておくわけにはいかんか。つっても、武器や兵器を作ってるわけじゃないんだが」

「むしろ領民の笑顔のためなんだけどね」

「それは事情を知っているからだな、他国からすれば奇妙な塔でしかない。探りを入れるのは当然ともいえる」

「危険な塔じゃないんです~っていっても、信じちゃくれないわよねえ」

 要人を招いて側溝やお風呂を説明しても、理解してもらえるのだろうか。むしろ裏があるのではと、さらに不信感が増すのではないか。

 見通しが立たない状況に、ウールドは鉄の(クワ)を睨んで眉をひそめる。

「なんだか、きな臭くなってきやがったなあ」




『握手……相手と友好をしめす挨拶と言われてます』

 ジャーラフが北に向かい手を差し出す。

 何度も繰り返し慣れてしまったしぐさが、より胸の穴を開けさせた。今日もまた主塔の屋根に夕日が射し、左頬を染めている。

 待つのは慣れたはずだった、いつも屋根にのぼり連絡を待っていた。

 姉からの、プラーナさまからの。それなのに単なる護衛対象だった彼の不在が、どうしてこんなにも辛いのか。

 明るい笑い声が一切色あせず、猫の耳に残っている。

「――っ!?」

 内心とは別に猫の耳が鋭く反応し、国境に複数の気配を察知した。種族としての能力であり、只人には到底達しえない感覚。

 屋根の上で危なげなく立ち上がり、目を閉じて意識を集中する。

 東からマナスルに向かい進んで来る集団の「カルマ」――それは行商人の光とは明らかに違う、意志のある敵意を発していた。

 そのなかに、天と地を「繋ぎ」まっすぐ立ちのぼる光が視える。

「この光りは……だって、この光りは――」

 アリエナイ光景に、ジャーラフは呆然と立ち尽くしていた。

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