百七十七夜 再演
「そっその声はペール? ペールラァサかっ!?」
「おう久しぶりだなチャンドラ、まさか帝国の帝都でおまえさんと会うとはなあ」
チャンドラが見えぬ目で因果伯の名を呼ぶ。
見知った声に安堵し、急激に意識が遠のいていく。
「とにかくここを離れたほうがよさそうだな。なりふり構わず逃げたってことは、ちょいとやばい状況なんだろう?」
お互いしんどい任務を受けたようだ――。
ペールは軽々とチャンドラを担ぎ、さらに街の奥へと影をつたう。
一見すると商人と行商人が肩を組み、酒場から千鳥足で帰る姿に見えた。しかしチャンドラは気を失っていられないと、ペールの胸ぐらをつかむ。
「そっそうだ、城にアユムがいる! きっ『綺人』で、操られていて……っ」
「落ちつけ、わかってる。俺もどうにか正気に戻そうとしたが……旅の間に魔獣と戦闘になってな、洗脳が解けかかってはいた。まだ完全な傀儡となってはいない、解く機会は残されているはずだ」
絶対的な危機におちいったり、強い衝撃を受ける。
特殊な例だが、『カルマ』が啓くときと状況は似ていた。とはいえ魔獣のいない帝都ではそれも望めない。
「O属性でもないアユムに、啓いてるのがバレたときは焦った。殿下に信頼されて護衛を任されたのにこの失態だ、ああクソ……国へ帰るのが怖え」
虚空に誰の姿を思い浮かべたのか、説明するまでもない。
ペールの軽口になかば呆れ、チャンドラは長い息を吐く。喉での笑い声には血が混ざり、膝が揺れ体が重くなる。
「くっくっ……おっ俺だって帰ってこられると期待されての、務めだったんだぜ。この醜態じゃ……ほっ褒美はおあずけだな」
「おいおいっ少しでも休んで、維持的強化ができるだけ回復しろ。血は出てねえがこの傷は命にかかわる」
内容からはほど遠い気楽さで、チャンドラを背負いなおす。
ふいに市井の明るいざわめきが、悲鳴と泣き声に代わった。狼の出現に逃げ惑う市民の姿がありありと浮かぶ。
「てっ天下の因果伯様ともあろう者が、二人してあの坊主に振り回されてんだ! こっこれが笑わずにいれるか……なあ!」
「いっしょに怒られに帰ろうや、それにいい報告だってできるさ」
二人は路地の陰に消え、声だけが薄く漂う。
「仮面をかぶってたチャンドラ卿の、素顔が見れましたってな」
「……ケッ」
古城に異音が轟き、巨大な氷の影が視界を遮って立ち上がった。
「ゾっ!?」
ルーシーの瞳が驚愕に見開かれ、氷の柱をとらえる。
まだ沈まぬ太陽に逆光となり、一本の線のごとく浮かび上がった蛇。突如として城内に顕現し突き立ったのだ。
いっそ美しいと感嘆する光景。
城壁上の歩廊でも、「三悪党」と「仁王」が口を開け見入っていた。ルーシーは空堀から起き上がると息をのんで駆けだす。
あの辺りにはオルロックがいたのだ。
☆
「うォおおおおお――――っっ!!」
敵を前に文字通り縛り留められ、エクスの不快は頂点に達した。
たたきのめされるでも斬り捨てられるでもない。武装解除され虜囚の身となった己が許せない、それはまさしく雄たけびだった。
千切れ跳んだザイロンが怒気を表して舞う。
「なっ……エクス様!? やめ……っやめてください!」
オルロックの目の前で、狼が自身の顔を殴る。
両拳で頬を顎をまさしく手当たり次第殴りつけた。真なる神の名で失った視覚と聴覚の気つけか、あるいは自己嫌悪か。
額が割れ血が噴き出し、頭突きが左腕を打ち壊す。
狼の脳内に石を砕き木を折る音が響き、激痛に意識が遠くなる。それでこそだと血を撒き散らし、満足げに胸を張った。
ニヤリと笑みすら浮かべ、手負いの狼が一歩進む。
「いいかげんうんざりだ! てめえの弱さに、ムカついてムカついて腹が立つ!」
フルフェイスのヘルメットで、少年は闇に閉ざされている。気配が閃光となって爆発を繰り返し、狼の自傷行為を視せていた。
絶えない笑みが消え、汗を落とした少年は一歩下がる。
「エっエクス……様」
攻城戦の惨劇を見た、百人を超える兵に囲まれた、町を襲った盗賊を追い払い、洞窟で魔獣と相対し、異世界の常識を理解したはずだった。
暗闇の中で、戦争のない国で育った少年が顔を覗かせる。
「うっ……うわあああ――っっ!!」
たった一人を前に、臆したのだ。
近寄るなとばかり安全に息をするを構えトリガーを引く。後先考えない行動に、オレンジ色のガスは律儀に従った。
距離三メートルで一メートル円に拡散し、狼を直撃する。
「ぐっ!? おお――っ!!」
エクスは嗅覚まで奪われ、剥き出しの肌にさらなる激痛が襲う。
しかし見えず聞こえず嗅げなくなろうと、四肢はけして怯むことはない。残った右腕を振り回し、獣舎の石壁を弾き飛ばした。
今度こそオルロックに散弾が直撃し、馬場を転がり倒れ伏す。
だがさすがの狼も追撃は選択できない。S属性といえども無敵ではなく、痛みを耐えるのに時間を要する。
「わあ――――っ!!」
「っやべえ!」
少年が跳び起きてトリガーを引く、よろけながら引く、立ち上がって引く。
狼に向けてブレスを吐くがごとく、半狂乱でトリガーを引いた。ガスが切れても二度三度と空打ちし、震えをごまかして叫んだ。
少年の精神がすり減り、理性を欠いている。
「まったく……やるじゃねえかロックちゃん」
見えない狼は避けようもなく翻弄され、右腕で頭部をカバーして耐えた。
少年は魔獣とは違う、ブレスを吐いているわけではない。ならばこの毒に見紛う痛みと衝撃はなんだ?
未知の攻撃に疑問が浮かぶ。
歯を食いしばりガスが収まるのを待つ狼の横顔に、影が射す――。
「なっ……!?」
少年がオレンジ色の霧をのむ勢いで、黒い警棒を突きこんだのだ。
危険な気配に飛び退いたが間にあわず、スタンガンに接触して硬直した。石壁の残骸にたたきつけられ、破片が落下する。
ヘルメットといえど隙間はあり、少年はガスを吸い咳きこみながらも追撃した。
「これで……ここで、私が倒すっっ!!」
「ガキが……器用なマネを……」
狼は残った触覚を最大限に活かし、警棒が触れた刹那に回避する。
左腕は動かず鼓動をくり返し、体が悲鳴をあげ、血が己の影に落ち地図を描く。
「へっ……だがなあ、パールが言ってたぜ……」
眼前には雷の剣を構える敵意。喘ぎながら剣の軌道に合わせて流し、見えない目で少年と相対する。
狼は不敵にも、赤く染まる口角を上げた。
「因果伯として見られてるんだ……てっ」
荒い息に血をにじませ、膝に力を入れて伏せるのを拒む。
「羂索により心を強靭にする」――体内の血液に鉄を含ませ、筋肉の肥大、耐久力の増加、肺機能の向上、スタミナの上昇を必要時、無意識におこなう。
狼に言わせれば「気合入れるとなんか調子いい」となるが……。
体の内から、淡い光がうっすらと立ちのぼっていく。
「――ってこたあ、まだやれるっ!!」
肉体が強化されていた。
「うあああ――!!」
「があああっっ!!」
自分の縄張りから出ていけとばかりに相撃つ遠吠え。
オルロックは気配の光で狼を視ている。基本的な剣術だが左手では勝手が違い、右腕が重くバランスを取りにくい。
さして脅威ではないが、スタンガンの威力は健在。
エクスは三大感覚を失っている。善良を失うの影響が残る体を引きずり、少年の攻撃を避け一撃を狙う。
突進に合わせた少年の突きを、狼は切っ先を殴った勢いで避ける。
間髪入れず袈裟斬りが迫ってきた。肩に触れた瞬間に少年の位置を把握し、身を半回転させ体を入れ替える。
左一文字で斬り返された警棒を弾き、放電から逃れると蹴り返した。
スタンガンをくらうと一瞬とはいえ硬直してしまう。安全に息をするを回避するには接近しかないとはいえ、ひとときの油断もならない攻防。
狼と大蛇が建物に囲まれた密林で雌雄を決する。
「おらあっ――『邪土』っっ!!」
ブレスレットの鉱石は砕け散っている。
フェイント――少年が気がつき修正するまでの隙を、狼は見逃さない。勘だけを頼りに突進し、渾身の力を握りこむ。
全身をしならせ、狙った一撃に手ごたえがあった。
「や……っ!」
だが皮肉にも、少年の右腕で受け止められる。
殴られてバランスを崩す少年と、殴った勢いでバランスを崩す狼。先に回復した少年がスタンガンを突きこんだ。
両者が弾けて距離をとる。
狼は痛みに耐えるのに精神を削り、防御するので手一杯。少年とて渾身の一撃を受け無事ではすまない。
右腕が痺れて血の気が引き、息を吸うだけで全身に激痛が走った。
「……かわいげのねえ、ちったあ効きやがれよ」
狼が見えない目で睨みつける、少年が倒れた気配はなく油断はできない。
それほどの相手だとすでに認めている。
鉱石はないが、足元には得難い土があった。もう一度腕か足に「力」を使えば、少年とてもはや抵抗はできまい。
土を得るため、不様に転んでみるか? ロックちゃんに跪けってか?
「しんどいねえちくしょう、こりゃあ……勝てねえ」
「エクス様の意識は、常に足元に向いている」
オルロックはやっと足を止め、しかしまだ動くエクスに注視する。
三大感覚が失われようと、S属性の膂力はそれだけで脅威だ。不用意に近づけば一撃で昏倒させられてしまう。
右腕のガントレットが破損し、血が流れている。
足元には踏み固められた土があった。もう一度啓いて甲冑を張りつけられたら、もはや抵抗はできなくなる。
相手は大型の魔獣に匹敵する脅威――。
「……魔獣」
獣舎にたどりついた衛兵たちは、二人の魔獣の戦いに見入っていた。
両者からあふれる覇気が馬場の土を跳ねさせる。
「――『力』を使わなきゃな、『邪土』っ!!」
この化け物を倒すためなら――。
エクスが決意をこめ、右拳の前に三〇センチほどの見慣れない文様を啓く。
「土を突く? (させない!) またフェイントか!? (右腕で受ける!)」
思考が誘導され、オルロックは一瞬硬直する。
狼が術を開放しないまま、獣の素早さで襲いかかってきた。少年の予想が狂い、防御が間に合わないと覚るや頭突きをする。
フルフェイスのヘルメットで迎撃した――はずだった。
「――~…っ!?」
頭部に受けた衝撃は、痛みよりも平衡感覚の喪失を覚える。
突如暗闇が開放され、閃光が襲ったのだ。フルフェイスの左半分が切り取られ、汗を落とす顔が剥き出しになっていた。
「こいつが再利用させる変転ってか、なるほど便利だ! 化け物を倒すためなら、化け物の助言だって受け入れらあ……っ!」
右拳を突き出したまま、狼が喉で笑う。
上を向いた顔の左半分に、切り取った部分が張りついている。啓いた文様を軸にヘルメットを奪ったのだ。
「ありがとうよ、煉獄で続きをやろうぜ」
変なモノが割れ、太陽を直視したヴァンパイアが左目の視力を失う。
少年は残った右目越しに、「カルマ」をとらえていた。身の丈を超す巨大な狼がぬらりと光り、少年の半面を不規則に照らしだす。
「ここで、ぼくが倒さなければ……マナスルが滅ぶ!」
目の前に迫るのは、国家存亡危機の魔獣。
側溝に伏せる、瓦礫に身を隠す、生物なら火を怖がる。選択が脳内を巡っても、現れただけでわかっていた。
全てを不可能だと知らしめる、圧倒的な存在。
その絶対的な、死の告知――。
『――女の子が泣いている』
狼は生じた隙を逃さず、地面を殴り肘まで突き刺す。
右拳越しに伝わる土の冷たさ。
「力」を発すると地面を蹴り砕いて弾け飛ぶ。
『――半身が消えてしまう『大きな影が振り向き、ぼくに手を伸ばす』
気合が体から虹の光を放ち、持てる力を握りこみ右拳が振りかぶられた。
跳躍した狼が空気を弾き、帝都を歪ませて建物を市民をたたく。
すべてがコマ送りで流れていた。
『――女の子が泣いている『闇に落ちるぼくの手は、間にあわなかった』
『光のなかで、女の子が泣いている』
少年は左手を地面につき、我知らずささやく。
『カルマ』――。
――かつて名君と呼ばれる黒髪の王がいた。
だがあろうことかO属性の王とS属性の王妃から、M属性の子が生まれる。
不貞を疑われたが名君は王妃を信じた。
属性婚が常識となった世界、M属性が軽視され嘲笑される世界。
不憫に思った王は、「国の礎となれ」と跡を継ぐ子に伝え続ける。
何度も何度も、刷り込むように……。
しかし諸侯に迫られ廃位の噂が立つと、名君とて屈するほかない。
亡きものにするよりはと、四歳のおり召喚の因果とした。
隣国が戦争をちらつかせており、国を守るため王族の義務をまっとうせよと。
……結果、召喚自体は成功する。
だがそれによる犠牲も、はなはだ大きかったのだ。
召喚の間の暗闇は人の心を開けやすくするのか、肥大した要望が叫ばれた。
我が国に仇なす者を、皆殺しにせよ――。
――『門を啓きし者』
左手の影に、一〇センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
識者ならば梵字の「キリーク」に酷似していたと指摘しただろう。地面についた文様から、痛みすらともなう冷たい風が噴き出た。
それは瞬く間に死の氷柱と化し、巨大な槍となって帝都の天を突く。
冷気の爆発が起き、殴りかかろうとしたエクスが吹き飛んだ。周囲が凍てつき、冬なお極寒の寒さが身を切って広がる。
いつしかオルロックは感覚を失い、一面が白銀に凍りつき微かに見える光景。
逆光にも蛇に酷似しており、頭部には王冠に似た突起がある。
『シ――…』
小さな「魔獣」は、じっとぼくを見ていた。
静かで、深い緑の瞳。
「あれは……オルロックじゃないゾ!」
魔獣の影が揺れて薄まり、漆黒のマントをはおった娘が現れる。
いち早くたどり着いたルーシーは困惑していた。
「意識が揺らいでいる、またアユムの記憶が戻りつつあるな」
なんて意志の強さなんだ、どれだけ深度を深めても浮上してきやがるゾ。よほどヴィーラ王国で得難い経験をしたのか。
ふんっすべて吹き飛ばせば、未練もなくなるだろう。
「保険だったペールはもういない、暴れられたら手に負えん。定期的にかけなおす方法を模索して……いや、コレはなんだ!?」
両膝で跪き頭を下げる少年から漂う気配。
魔獣の街を壊滅させた少年とも、ヴィーラ王国で見た少年とも違う。
「違う、違うっアユムの気配でもない! 外見は……いやっあんたは誰だ!?」
「ぼくは……闇に落ちたんです」
ああまたあの夢だ、内容もハッキリ覚えていないのに……まとわりつく焦燥感。
急がないと時が来てしまう。
夜半の「力」、アユムではない。日中の「力」、オルロックでもない。あれは、子供のころのぼくだ……もう一人の、ぼく本来の――。
手を伸ばしても届かなかった、走っても間に合わなかった。
ぼくの意識は、闇に落ちる……。
「――寒っ!!」
エクスがビクリと震え、真っ白な世界で飛び起きた。
顔の左半分に張りついたヘルメットが割れ、欠片となって落ちていく。何をしていたんだっけと首を巡らすと、ふいに口を押さえられる。
「しっ……騒ぎのお説教は後でするわ、そのまま跪いて」
「おめえに察しろと無茶は言わん、ちぃと大人しくしといてくれ」
「四君子」のパルウロールムが手を離す。オーレをおんぶしたウェリタースまで、神妙な面持ちで片膝を立てていた。
エクスはなんだかバツが悪くなり、目だけで辺りをうかがう。
騒動を治めに来た「双璧」が隣に控えている。少し離れて「三悪党」と「仁王」も駆け戻り、片膝を立てていた。
衛兵と使用人が身動きもせず平伏している。
「お下がりください、危のうございます!」
衆人環視の中心には、いつの間にか巨大な氷の柱が鎮座していた。
そばにオルロックが伏し、守るように「詩聖」も跪いている。コンコルディアが必死に青年を制していた。
「お待ちください殿下! 何が起こるか想定もできませぬ、一刻も早くこの場からご退去くださいますよう! どうか……っユースティティア殿下!!」
青年が氷柱に手を伸ばそうとするのを、老人が頭を下げて願い出る。
あまりの真剣さに、一瞥もしなかった青年が手を止めた。どこか陳謝すら感じる物言いに目を細めている。
「翁がそれほどまでに危険視するのか、なおのこと興味が尽きぬな」
「っ……申し訳ありませぬ、統制できるものと見定めた儂の不覚! その者は……その者は私どもとは、違うのです!」
「さればこそだ」
青年の返答に意味が分からず、老人が顔を上げた。
およそ興味のないことは視界にも入れない青年。伏した少年に関心と好奇心と、危機感を覚えて凝視している。
「翁よ諸刃の剣こそ、俺にふさわしいとは思わんか」
「まっ……まさか! まさか、ユースティティア様!?」
「一〇年待った」
ユースティティア皇太子殿下は、破顔と呼ぶべき笑顔で天を見上げた。
陽光がスポットライトを放ち、期せずして一枚の絵画に演出する――。
「彼の少年こそが帝国を担う、最大の布石となろう」




