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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第一章 城郭都市マナスル
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十夜 その塊を投げ入れろ!

「わ――~っ! 小さな川だ――!!」

 子供たちが側溝に「塊」を投げ入れ、流れるお湯といっしょに走っていた。

 排水力は十分あるようだ。

「あっそういえば、水を止めるの忘れてた!」

 出しっぱなしになってる、水道料金がとんでもなく……いや、かからないのか。

「じゃあどうせだから、側溝のチェックをしよう。ねえウールドも――…」

 後ろを歩いていたウールドに、なぜか凝視される。

「……ちっ」

 目があうと舌打ちしてそらされた。

 口を開け閉めして、何を言おうか迷っているみたいだ。お湯で「塊」を流す――ぼくの解答が意外すぎたのかな。

「あっここの通り、石畳は硬いし砂利が多いしで泣きそうでした」

「このちょっとした段差が意外に手ごわくって、どうしたものかと悩みましたね」

「そうそうここは雨が降って、お互い悲惨な姿になりましたっけ」

 部分的に波打っていたり、水が吹き出している。土が盛り上がっているのかも、あとで突き固めておかなくちゃ。

「……全部覚えてんのか?」

「記憶力はいいんですよ、すっべすべの柔らかい手をしてますけどね――~」

 ぼくの軽口に以前の発言を思い出したのか、ウールドの口角がやっと上がる。

 苦労した場所のほうが覚えてるな、そんなことを考えていた。

「苦労したとこなら、覚えてるんだけどな」

 ウールドが同じ感想でうれしく、掘ってきた通りを二人でゆっくりと歩く。


「あんなにたいへんだったのに、歩くとすぐですね」

 あっけなく内側市壁が見えてきて、ウールドに笑いかける。

 まったくだな――そんな声が聞こえそうだった。

 側溝が終わりお湯があふれ、内側市壁の排水溝に流れている。ぼくは手前にある積みあげた土と、緩い坂道を指さす。

「ここに、下水処理設備を設置します」

「ゲスイ……ショ―リ?」

 聞き慣れない名称に、言外で「なんだそれ?」と問うていた。

「汚物を一時的に貯める貯留施設です、直接川に捨てると汚染してしまうので」

 まずは簡易的な下水処理設備でいい。斜面を利用して固形物と液状物を分離し、沈殿をくり返し簡易沈殿法で浄化する。

 汚泥を利用した活性汚泥法のマネごと、まあやらないよりはマシだ。

「今は自然の自浄作用に、期待するほかないんですけどね」

「……今いちわからんが、さしあたりそれで完成なんだな?」

 なぜかわからない、ウールドはさっきから何かを取り繕っていた。

 ぎこちなさの混じった、彼らしくもない引きつった笑み。

「と~んでもない、まだ始まったばかりです!」

 ぼくはあえて、おどけてみせた。

「側溝と言ってもただ掘っただけ、石畳用に踏み固められてたからマシですけど。このまま使い続けたら周りを削ってしまい、別の問題が発生します」

「追跡不可能な動物はいない」――彼のシートンの言葉である。

 幼いころから野生動物の生態を研究し、生涯をかけて追い続けた。あきらめずに「最後まで手をつくした」からこそ、彼の後ろに道が生まれたのだ。

「ぼくはやっと、小さな一歩を踏み出しただけです」


「側溝による効果を実証できれば、木製の枠を作って長期利用の側溝が作れます。より生活を快適にするインフラ――公共設備や、施設も整えていけるでしょう!」

 ――城に割り当てられた部屋。

 そして立ち入りを許可された厨房を、ぼくは徹底的に清掃した。害虫の侵入繁殖を防ぐには、清潔を保つのが最大の防御なのだ。

 最初は領主のお客であり、噂ながらヴィーラ殿下が招いた(・・・)少年である。

 奇妙だけど合わせてくれたのだ。だが実地されると体調がよくなり、荒らされる食料の量が格段に減った。

『なんだか霧が晴れたみたいに、空気が澄んでます!』

『いやまいった、害虫をみかけないなんて……ここまで違うとはなあ』

『ほかにもありましたら、なんなりと申しつけてください――』

「完成が見えない」事業には二の足を踏み、参加しがたいのは当然である。

 しかし実地されたデータを見せれば、心を揺らせる者も出てくるのだ。

「お風呂が――水が怖いならこだわらなくてもいい、生活排水用でもいいんです。住居を清潔にし、道の汚物をなくし、文字通り街を磨きあげる(・・・・・)わけです」

 我が主君の下知――「一年半でヴィーラ王国を磨きあげろ」

 なんだかうまいオチがついてしまい、自分で笑ってしまう。

「ウールドも最初は意味がわからなかったのでは? でも今はどうでしょうか」

「そりゃまあ、なあ……」

 口ごもりつつも側溝を見ると、汚物の塊が流れてきて排水溝に広がっていた。

「――っかしなあ、一歩を踏み出すにしたってだっ!」

 ウールドが頭をかき心情を吐きだす、ずっと言いたかったようだ。

「佩刀してりゃほかの奴だって気づいてる、おまえが貴族の坊ちゃんだってな! ほどこしのつもりか知らんが、なにも自分でやるこたあねえだろ! 職人雇うなり命令するのがてめえら貴族どもの……クソっ!!」

「ウールドには本当に感謝しています」

「違うっ! もっと楽に、早くやれただろうって言ってんだ!!」

 ぼくの胸に指を突きつけ、強くつめ寄ってくる。

 抗えるわけもなく、手を上げて降参した。

「そう言われても、ぼくはまだ何者でもないですから~」

「はあっ?」

 眉間にシワを寄せ、剣呑な表情にひるまず続ける。

「貴族の……騎士としての俸給は受領できても、所領はありません。親方(・・)が王国のトップなだけで、給料で働く弟子と変わりませんよ」

 たまに忘れるけど騎士だったっけと、佩刀していた剣をなでた。

「費用はすべてヴィーラ殿下から、信用はすべてマナスル伯爵から。

 高貴な方々におんぶに抱っこしてもらってるんですよ。これ以上何から何まで、頼るわけにはいきません。

 できることは、自分でやれることはやらないと!」

 実のところ資金もなく信用もなければ、何年の事業になったのか。

 下手をすれば今も「側溝が必要な理由」の説明に、奔走していたかもしれない。

「王国の命運をかけた無茶苦茶な主命、期待に応え見事にこなせば――ご褒美に、踏んでいただけると思いません?」

「ごまかすなっ! そもおまえは、唯一無二のアラ――…っ」

 ウールドは無理やり言葉をのみこみ、頭を振って地面を蹴りつけた。

「まあ向こうの世界(アラヤシキ)育ち(・・)が有効なら、利用させてもらいますけどね」


 日が傾き、突き刺してあった「バールのようなもの」が光沢を放つ。

 遠くで子供のはしゃぐ声が聞こえる。どうやら見える範囲の「塊」がなくなり、木片を流して遊んでいるようだ。

 それは小川でやるべきだろうなあと、光景をイメージして頬をかく。

「……っおまえ」

 召喚がはたされた件は極秘としなければならない。謁見の間に集った諸侯にも、殿下が招いた(・・・)と曖昧に公表されている。

 なぜ自分に話す!?

 ウールドは虚をつかれたのか、そんな顔で言葉につまっていた。

「そういったわけなんですよ、ウールド――伯爵?」

「なんで知って……っくそ、M属性の予感か!? てめえいつの間に『カルマ』を啓きやがった、そんなことまでわかんのか!」

 笑って訊いた推測に咬みつかれる、それはすでに答えですね。

「M属性? そういえば召喚の間(・・・・)でも、属性はなんだと問われていましたっけ」

 さらなる軽口に、ウールドの視線が殺気を放って揺らめく。

 両手は腰の短剣に近い、でもぼくに恐怖心はなかった。

 そもウールドが言ったとおり、佩刀が許可されるのは兵士か貴族である。どちらにも見えないけど、彼が立場ある方だとわかっていた。

 そして側溝掘りで見せた、体の内(・・・)から立ちのぼる淡い光。

 さらにぼくは彼に名前を教えていない、まあ意図したわけではないんだけど。

 これだけそろえば推測もつく。

 あんな魔法みたいな「力」を持つ方と街で偶然出会い、はからずも気が合って、たまたま名前も知っていた。

 そんな可能性はかぎりなく低い。

 彼は最初から、ぼくが向こうの世界(アラヤシキ)から来たのを知っていたのだ。つまり召喚の間にいたフードの一人、ヴィーラ王国の重臣である――。

「あ――…っ初めまして(・・・・・)、アユム卿」

 観念したのか狼が空を見上げ、吠えこそしないがひと息つく。

 頭をかいて仕切りなおし、ぼくに向きなおる。


「俺はムカッシュヴァナーサナ伯爵……長ったらしいんで爵位名で呼ばれると少しムカッとする、これ持ちネタな。一応、因果伯の一人だ」

 腰に手を当て頭を振る。

 ため息をついたおかげで豪胆さが戻ってきたのか、口角が上がっていた。

「名はウールドヴァ、気に入った奴にはウールドって呼ばせてる」

 よかったらこれからもそう呼んでくれと、ぶっきらぼうに笑う。

 重臣である――やっぱり、話に聞いた因果伯でしたか。素性のわからないぼくを野放しにはしない、きっと護衛か監視をつけると思っていた。

 でも因果伯は仰々しいんじゃないかなあ。

初めまして(・・・・・)、アユム・カベウラです。ご存じのとおりアラヤシキから来ました、ぼくもアユムと呼んでください」

 仕切りなおしたし、ここは握手かなと手を差し出す。ところがウールドは不思議そうに見ると、バールを拾い屋敷へ歩きだした。

 後ろをついて歩き、彼の協力は本当に助かったと息を吐く。

 偉そうに言ったけど、一人で掘ってたらいつまでかかったかわからない。

 感謝していると、広い背中が「ぶっちゃけちまった――~…っ」と嘆いており、若干うなだれていた。

「性格的に隠し事とか、苦手そうだよねえ。因果伯は召喚に携わるほどの立場だ、守るべき義務があって当然だろう」

 それなのに手伝ってくれたんだ、何か喜んでもらえそうなお礼は――…。

「あっそうだ! 半バーガーをずいぶんと気に入ってましたし、領主用の白パンを因果伯(みなさん)にも回すよう料理長に通しておきますね!」

「――っ!?」

 ウールドがものすごい形相で振り向き、おおいかぶさって抱きしめられる。

「心の友よっ!!」

 ごめん、殺されるのかと思った。



 ☆



「あ――~…お風呂、最っ高ぉ……っ」

 スーリヤさまがお湯につかり存分に手を伸ばす、耳までピンと立ち震えていた。

「気に入っていただけて幸いです、でも一杯だけですからね? お風呂での飲酒は血圧が低下し、低血圧症を起こしやすく危険なんです。それに――」

「は―い、わっりましたアユムさまァ――~…かあああ~おいしい―っ!」

 ぼくからエールをひったくると、ひと息で飲み干す。

「……まったくもう」

「なんだかいつもよりおいしい気がする、これお風呂との相乗効果かなあ!」

 さらにねだるので、ぼくがいないときは飲まないと約束させもう一杯進呈。

 エールは上面発酵のビールでホップはなく、短期間で発酵する。成分の九割が水であり、どれだけ重要か言うまでもない。

 エールの醸造所は修道院が中心の施設である。

 かけ合って蒸留水を試行してもらうと、試飲で感激していた。次回の製造以降、マナスル産のエールは別格になるに違いない。

「年齢的に飲んだことはないけど、火照った体にエールはおいしいんだろうな」

 浴室の外でなら、少しの飲酒は許可しようか。


 ――城の居館にもお風呂を増設した。

 元王都だけあり、マナスル城はかなり巨大な造りである。設置場所を求めて探索していたら、朽ちた桶の墓場を発見した。

「二人は入れる大きな桶……これはおそらく、『木桶風呂』じゃないかなあ」

「木桶……あのこれがどうやって、蒸し風呂(おふろ)になるんですか?」

 時代的には貴族でも楕円の木桶が浴槽とされる。

 天幕をたらして仕切り、ぬるいお湯に入ったのだ。居館の建造中はそこまで忌避されていなかったのではないか。

 案内をしてくれた使用人さんは、何かわからず首をかしげていた。

「次第に利用者が減り、人が入れ替わって記憶の伝達が途切れる。すでに城内の者ですら意図がわからない……まさしくトマソンか」

 かつては使用されど、無用の長物となった建築物を指す。

 部屋には排水溝があり、隣に水道も通っている。設備は整っているといえよう、徹底的に掃除して再び利用する運びとなった。

 こちらは一人用の桶に布を敷いて完成。

 直径一二〇センチ高さ六〇センチで、ゆっくり体育座りができる。掃除など取り扱いが手軽だし、実際こちらのほうが効率的ともいえた。

 屋敷の公衆浴場は視覚効果的に、演出と見栄えを気にしたのだ。

 市民には縁のない大理石の浴槽につかれる。それだけでも圧倒的存在感があり、開放感は格別だろう。

 そして嗅覚も利用する。

 お湯から優しい香りが立ちのぼり部屋を包んでいた。カレンデュラオイルを少し入れると、肌がしっとりするので入浴剤にも使えるのだ。

 特に乾燥している時期には最適。

「万能ハーブの面目躍如か、カレンデュラオイルも常備決定――っと!」

 まずは「入浴は気持ちがいい」と認識してもらう。

 世の常識を変えるのだ、簡単ではないがまずはそこからだ。

「ほんとういい香りよねえ、なんだかずっと浸っていたい……」


「石畳の端を掘ってるって聞いてたから、アラヤシキの奇妙な生態かと思ってた。こんな気持ちのいい設備のためだったんだね」

「奇妙な生態……」

 部屋や厨房の掃除も、そう思われていたのかな。

 見せたほうが早いと、あまり説明はしなかった。領主であるスーリヤさまには、話しておくべきだったかなあ。

「薪の財産(ボナー)だっけ……? ああいえ、ボイラーね。だけどお湯で水を温めるって、ややこしいことしてるんだよね。直接お湯を沸かしたほうが楽なんじゃない?」

「一人ならそれで十分ですね。でも公衆浴場に必要な大量のお湯を、絶えず沸かし続けるなんて現実的じゃありません。薪ボイラーならパイプを通るうちに、適度なお湯になってくれるんです」

 薪のコストばかりではなく、人件費も考慮しなければならない。

「それでお湯がぬるくならなくって、体の芯まで温まれるんだ! 薪をあますことなく活かせる、財産と呼ぶにふさわしい設備だわ!」

 うまくできてるもんねえ、さすがはアラヤシキ――。

 スーリヤさまが感心して何度もうなずく。

 向こうの世界(アラヤシキ)が褒められると、なんだかぼくまでうれしくなる。五右衛門風呂の手もあったけど底部を鋳鉄製にせねばならず、また底板が必要。

 せっかくの大理石が活かせないので、今回の公衆浴場には見送った。

 使用人さんが隣の部屋で、薪ボイラーの管理をしてくれている。手を振って薪の供給と給水の停止を知らせた。

 頬を染めて準備に走ると、白いエプロン(・・・・)が舞う。


「うん薪ボイラーは順調に稼働していますね。問題はないようなので、城の兵士や使用人さんに開放してもよろしいでしょうか?」

「うむ、よきにはからえ――~…」

 桶の縁に頭を乗せ、ふんぞり返って返事をする。

 実は城に「奇妙な設備」を設置することに、大臣格や有力貴族から反対の陳情が山と積みあげられていたのだ。

 悲壮感すら漂わせた、断固たる拒否。

 曰く……「湯につかるなど精神の堕落だ」「我が国へ悪しき慣習を持ちこむな」「領主は神への冒涜を看過するのか」云々。

 月に一度の清拭(せいしき)――タオルで体をこするだけで、十分との方もいた。

 面と向かって批判に晒されたことはない。けれど城や居館ですれ違うときには、あからさまに睨まれたり舌打ちをされる。

『ハッ……掃除をすれば、害虫が減らせるんだとさ』

『そんな簡単に病気を防げるのなら、聖職者の方々が広めてるだろ!』

 この地域ではぼくの想像以上に、入浴は眉根を寄せる行為だった。

「フランス王ルイ一四世が入浴したのは、生涯において二度」――そんな話も信じられるほど、完全否定が突きつけられたのだ。

「沐浴はするけど、お湯に入る? そういえば東方へ、母をたずねて旅した記録があったわね。火山国では暖かい池につかるって、見聞きしたそうだけど……」

 説明を受けたスーリヤさまも、最初は息をのんで二の足を踏む。

「ジョン……マンジロウって騎士だっけ、東方へ何十年も旅行したとかなんとか」

「閣下っ! そのような蛮族の習いを、領主が自ら認めるなど――」

「――いえ! いいえ殿下が招いた(・・・)方の風習よ、試さずにはおれないでしょう!」

「おおっ閣下! そこまでの覚悟をお持ちで……っ!」

 未知なるアラヤシキを、少しでも体験せねば――。

 領主の責務とばかり、スポットライトを浴びお風呂場の扉を開けられたのだ。

 入浴後……どれだけ気持ちいいか頬を染め力説し、カレンデュラの香りを周囲に漂わせ、輝く蜂蜜色の髪を見せつけた。

 どんなに懐疑的な者でも――特に女性は、髪の美しさに速攻で心を揺らせる。

 領主が気に入らなければ、設置の撤廃だって十分ありえた。許可証の件といい、実際スーリヤさまには助けていただいてるのだ。

「ボイラーの熱湯はそう早くは冷めない、ぼくもあとで入らせてもらおうかな」



「それじゃあムカッ……パラ~あのガキ大将とは、初対面ってことにするのね?」

「はい、ウールドの様子から、そのほうがいいのかと。因果伯だとも聞きました、もし立場などで憂慮がありましたら、便宜をはかっていただけないでしょうか」

 ぼくは頭を下げてお願いする。

「ハァあの貴族嫌いがねえ、ずいぶんと丸くなったことで。よっぽどアユムを気に入ったようね、まあいいわ~了解」

「ありがとうございます! ……でもあれで、丸くなったんですか?」

 心当たりが浮かび冷や汗が出てしまう。

 側溝掘りに協力してくれた方たちばかりではない。理解不能な工事にイラだち、頭ごなしに絡んできた者もいた。

『おいてめえらっ! 誰に断って勝手なマネしてやがんだ!』

『酒が不味くなる、責任者出てこ――~いっ!!』

 いきなりからまれ困っていると、ふいに背後から狼の気配。

 威勢よくつめ寄っていた男たちは、それだけで口を閉じ蒼白となっている。

『あ"? 文句あんなら相手んなるぞ』

 有無を言わせず、ひと睨みで追い返す眼力に恐怖した。

 まあやり方はどうあれ、ウールドにも感謝しきりだ。

「以前だったら確実に手が出て、何人かは教会や修道院のお世話になってるわね。誰にでも咬みつく、口輪のない狂犬だったし」

 あの膂力でそれは……平和主義者のぼくとしては、想像したくないなあ。

「まっまあとにかく、よろしくお願いします。でもご返事をいただくのは、お風呂あがりでよかったのですが……」

 ご機嫌うかがいにエールを待っていったら、早く飲ませてとせかされたのだ。

 領主が入浴中に入室する、それは殿下を怒らせた以上の騒ぎではないのか。

「だってエール飲みたかったし……それに召喚の間ではアユムの裸見てるでしょ。私も肌着姿を見られちゃって、なんだかいまさらじゃない?」

 ぼくの葛藤など露知らず、飲み干したコップの雫まで舐めとり、残ったパン粉を名残惜しそうに指でつまんでいる。

 この時代エールやワインにいたるまで、スパイスを入れるのが一般的。

「現代でも混浴場はあるけど覗きは犯罪だ。国によって守るべきTPOは異なる、これも常識の違いか……」

 まあお風呂の率直な感想が聞けてよかった。

「アユムだってほら……妙齢の女性が全裸でいるのに、平然としてるじゃない? ここは照れるとかする場面でしょう!」

「へえ胸って浮くんだ、まあ脂肪だしね――とか思っていました」

 姉か母親、身内の裸を見ている感じしかしない。

 少しは恥じらいを持ったほうが……と続けようとしたら、スーリヤさまは大きなため息をつきお湯に沈んでいく。

「わかってるんだ、要するに皆が求めるのって……領主の地位なのよね。私自身(・・・)はそういう対象にならないの、フフッ……」

 なぜだかすごくガッカリして笑っていた。

「なに言ってるんですか、領主ではなくスーリヤさまがステキなんですっ!!」

「――っ!?」

 城の女官や侍女、使用人さんからスーリヤさまの批判を聞いたことがない。

 親方に「マナスル伯爵に献上するんですよ」と説明したら、寝ずに薪ボイラーを製作し設置してくれたのだ。

 そのうえ若干だけど性能まで上っている。

 市民の誰もが慕ってるんだと、鼻息も荒く桶に乗りだし目を合わせた。


 ――スーリヤさまが後ろを向き、耳まで完全に熟したリンゴになっている。

 なんだかすでに懐かしい。

「エールで酔ったんだ……やっぱり危険だし、アルコールの販売は要検討だな」

「ん"ん"っ……まっまあその件はおいといて。あなたはとても貴重な存在なのよ、あの狼が――因果伯が護衛(・・)についてたのなら安心ね~うんうん」

 真っ赤になって視線をそらし、妙に明るく気遣ってくれる。

 ぼくは気が回るほうだけど、ご迷惑をかけているのかもしれない。

「側溝やこのお風呂を見れば理解できるわ。アユムの知識は『カルマ』に匹敵するほど重要だって、殿下もお認めになられてるのよ」

「そういえばウールドも言ってましたね、その『カルマ』とはなんですか?」

 期せずして出た質問に、スーリヤさまは平静を取り戻された。

「ん――~…そうねえ、アユムは謁見の間で体験してるわね」

 謁見の間――ヴィーラ殿下の、魔法?

「アユムの軽口が『原因』で、ヴィーラ殿下の炎の鞭という『結果』をまねいた」

 目の色が変わり、学者が真剣な表情で迫る。

「それが『カルマ』――この世の理よ」



 奇天烈な少年「風が吹けば桶屋が儲かる……って話では、なさそうですね」

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