学園祭
秋の深まりとともに、「伝統音楽祭」に続いて王立ヴァルハイト学園が一年で最も活気づく大イベント——「秋の学園祭」の季節がやってきた。
王立学園の文化祭は、各クラスや委員会、そして研究会が趣向を凝らした展示や模擬店を披露し、生徒同士だけでなく、招待された家族や地域の人々も交流する知識と歓楽の場である。
生徒会室では、文化祭実行委員長を務めるメルティールが、整然と並べられた見回りスケジュールと企画書を最終チェックしていた。
「各貴族家の展示ブースの配置、および一般開放エリアの警備体制……全て問題ありませんわ。ヴァルフリート様、こちらが本日の見回りルートでございます」
「ありがとう、メルティール。相変わらず完璧な差配だね」
ヴァルフリートは書類を受け取りながら、感嘆の息を漏らした。しかし、彼の碧眼にはどこかソワソワとした落ち着きのない色が浮かんでいた。
「……ヴァルフリート様? どうかされましたの?」
「あ、いや……実を言うとね、メルティール。今日の午後、少しだけ時間が空くだろう? その……ハルシオ研究会……いや、キリルとレーベン嬢が立ち上げた『博物学研究会』の出し物を、ぜひ見に行きたいと思っていてね」
メルティールは紫水晶の瞳をまあるくし、それからふっと可憐な笑みをこぼした。
「ふふ、まあ! ヴァルフリート様ったら、そんなことでしたの。実は私も……ライラ様から『良かったら遊びに来てくださいね』とお誘いを受けていたのですわ。生徒会の巡回を早めに終わらせて、一緒にお邪魔いたしましょう」
「本当かい、メルティール! それは素晴らしい!」
理想の王太子としての威厳をしばしば忘れ、少年のような無邪気な笑顔を見せるヴァルフリートに、メルティールは愛おしさを募らせるのだった。
◇
学園の北校舎、日当たりの良い特別教室。
そこには『博物学研究会・特製ハーブティーと季節の野菜喫茶』という素朴な手書きの看板が掲げられていた。
教室の中に入ると、心地よいハーブの香りと香ばしい焼き菓子の匂いが鼻をくすぐる。室内は可愛らしい野の花やドライフラワーで飾られ、派手な貴族たちの出し物とは一線を画す、温かく静かな空間が広がっていた。
「いらっしゃいませ。……あ、ヴァルフリート様、メルティール様!」
エプロン姿のキリルが、入口で二人を出迎えた。丸眼鏡の奥の目元が、嬉しそうに和らぐ。
「お忙しい生徒会の合間にお越しくださり、ありがとうございます、ヴァルフリート様、ローゼンベルク嬢」
「ハルシオ様! お邪魔いたしますわ。まあ、とても素敵な雰囲気の喫茶店ですこと」
メルティールが感嘆の声をあげると、奥から焼きたてのスコーンを運んできたライラが、パッと表情を輝かせた。
「殿下、メルティール様! お越しくださって嬉しいですわ。お席へどうぞ」
ライラに案内され、窓際の日の当たる席に腰掛けた二人。
テーブルの上に運ばれてきたのは、透明なガラスのカップに注がれた綺麗な琥珀色のハーブティーと、焼き立てのスコーン、そして色鮮やかなジャムだった。
「こちらのハーブティーは、以前キリルがブレンドした薄荷とカモミールに、秋の果実の乾燥ピールを加えた特製ですの。それから……このジャムは、先日ヴァルフリート様のアドバイスで無事に収穫できた、私たちの実験用プランターの野菜と果物で作ったものですわ」
ライラが愛おしそうに説明すると、ヴァルフリートとメルティールは顔を見合わせた。
「あの時芽を出した野菜が、もうこんなに美味しいジャムになったのかい!?」
「まあ……! あの愛らしい新芽たちが、こんなに素晴らしい形になるなんて……」
二人はさっそく、温かいハーブティーを一口含み、スコーンにジャムをたっぷりのせて口に運んだ。
爽やかなハーブの香りが口いっぱいに広がり、甘酸っぱく風味豊かなジャムが、日頃の仕事で疲れた体と心を優しく解きほぐしていく。
「……美味しい。本当に美味しいよ、キリル、レーベン嬢。今まで色々な最高級のティーセットを嗜んできたが……こんなにも心が温かくなるお茶と菓子は初めてだ」
ヴァルフリートが深く感銘を受けたように言うと、メルティールも力強く頷いた。
「ええ、ヴァルフリート様のおっしゃる通りですわ。ハルシオ様とライラ様が、どれほど心を込めてこの土を育て、作物を慈しんできたかが伝わってまいります」
「おふたりにそう言っていただけて、感無量です」
キリルは照れくさそうに頭をかき、ライラも嬉しそうに頬を染めた。
「実はね、ライラ様」とメルティールはそっと声を落とし、親愛を込めて微笑んだ。
「生徒会の見回りで少し緊張が続いていたのだけれど……ここに来たら、すっかり肩の力が抜けてしまいましたの」
「ふふ、メルティール様。いつでも羽を休めにいらしてくださいね。私とキリルは、いつでもここでお待ちしておりますから」
◇
穏やかなカフェタイムを楽しんでいると、教室の入口付近で小さな騒ぎが起きた。
見ると、学生の家族なのだろう、子ども達が展示されていた「ハルシオ領の土壌改善モデル(プランター)」の周りで、何やら困った顔をしている。
「どうしたんだろう?」
キリルが静かに歩み寄ると、それに気づいた一人の男の子が申し訳なさそうに言った。
「……僕たち、展示の土の配合の解説パネルを読んでいたんだけど、難しくてよく分からなくて……」
「ああ、ごめんね。僕の説明が少し難しかったかな。これはね——」
キリルが分かりやすく噛み砕いて説明しようとしたその時、ヴァルフリートが自然な動作で立ち上がり、子供たちの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「私からも説明させてくれるかい? 例えばね、土というのは僕たちの『家』と同じなんだ。お家の中に風が通る窓がないと、息苦しくなってしまうだろう? 炭を入れるとね、土の中に小さな窓がたくさんできて、植物の根っこが元気に息を吸えるようになるんだよ」
王太子直々の分かりやすく例えを用いた解説に、子供たちは「へえー! すごい!」と目を輝かせた。
さらに、メルティールも優しく微笑みながら寄り添う。
「それにね、この綺麗なジャムも、その『風とおしの良いお家』で育った野菜から作られたのですのよ」
「わあ、すごいすごい! ぼくたちも、その野菜食べてみたい!」
いつの間にか、王太子と公爵令嬢、そして男爵令息と令嬢が一体となって、子供たちに親身に博物学の面白さを教える温かな空間が出来上がっていた。
身分の高低や格式など関係なく、知識を共有し、共に笑顔を交わし合うその光景は、まさにヴァルフリートとメルティールが思い描いていた「誰もが幸せになれる理想の国」の縮図そのものだった。
◇
夕暮れ時。文化祭の終わりを告げる鐘の音が、学園の空に高く響き渡った。
片付けを終えた4人は、赤銅色に染まる庭園の楠の木の下に集まっていた。
「今日の文化祭は、本当に大成功だったね、メルティール」
ヴァルフリートが感慨深げに隣の婚約者を見つめると、メルティールは深く誇らしげに頷いた。
「ええ、ヴァルフリート様。生徒会としての仕事も無事に終わりましたし……何より、ハルシオ様とライラ様の喫茶店で過ごした時間が、最高の思い出になりましたわ」
「僕たちこそ、ヴァルフリート様とローゼンベルク嬢が来てくださり、子供たちにまで優しく接してくださって、本当に感謝しています」
キリルが丁寧にお辞儀をすると、ライラも隣で優しく微笑んだ。
「殿下、メルティール様。お忙しい中、私たちの小さな喫茶店に温かな光を灯してくださり、ありがとうございました」
ヴァルフリートは首を横に振り、爽やかな笑みを浮かべた。
「礼を言うのは私の方だよ、キリル、レーベン嬢。君たちの作る空間は、いつだって私たちに『本当に大切なものは何か』を思い出させてくれる。完璧な王太子や公爵令嬢ではなく……ただのヴァルフリートとメルティールでいられる、かけがえのない場所なのだから」
「ヴァルフリート様……」
メルティールは愛おしそうにヴァルフリートの腕に手を添え、ふたりで顔を見合わせた。
「さあ、文化祭も無事に終わったことだし、今度は4人で気兼ねない本当のプライベートなお茶会を開こうじゃないか。ハルシオ領の新しい野菜を使った料理も楽しみにしているよ」
「はい、ヴァルフリート様! 腕を振るっておもてなしいたしますね」
キリルが快諾し、ライラとメルティールも楽しそうに顔を見合わせて微笑んだ。
秋の爽やかな夕風が、楠の葉をサラサラと揺らしていく。
沈みゆく夕陽に照らされながら、固い絆と愛で結ばれた4人は、どこまでも穏やかで温かな未来に向かって、仲良く歩みを進めていくのだった。




