王太子、はじめてのお見舞いに行きます
季節が夏から秋へと移り変わり、朝晩に冷え込む日が増えてきた頃。
学園の生徒会室で、ヴァルフリートはどこか落ち着かない様子で書類をめくっていた。向かいの席にいるはずのメルティールの姿がない。
「殿下、ローゼンベルク公爵令嬢ですが、本日はお風邪を召されたとのことで学園をお休みされております」
側近からの報告を聞いた瞬間、ヴァルフリートの胸に強い焦燥感が走った。
(メルティールが風邪を……!?)
かつての二人であれば、風邪を引いたとなれば「王太子殿下に病を移すわけにはまいりません」とメルティール側から固く面会を拒まれ、回復するまで遠ざけられるのが常であった。
だが、今のヴァルフリートにとって、それは寂しくてたまらないことだった。弱っている時こそ側にいてやりたい。彼女の心細さに寄り添いたい——そう強く願うものの、ヴァルフリートには「病気の見舞い」の経験など一度もなかった。
(王太子の私が見舞うとなれば、公爵家に負担をかけてしまうだろうか? そもそも見舞いの正式な作法とは? 弱っている彼女が真に喜ぶ見舞いの品とは一体何なのだ……?)
一人で悩み抜いたヴァルフリートが放課後、真っ先に向かったのは、やはりあの青年の元だった。
◇
「——なるほど。ローゼンベルク嬢のお見舞いに行きたいものの、作法や持参するお品について悩んでおられるのですね」
放課後、誰もいない図書室の閲覧席。
キリルはいつものように温かいお茶を淹れ、困り顔の王太子に向き合っていた。
「ああ。恥ずかしい話だが、私が見舞いに行くなど前例がなく、何を持っていけば彼女の負担にならずに済むのか分からなくてな……」
ヴァルフリートは申し訳なさそうに肩を落とし、それから真剣な眼差しでキリルを見つめた。
「それから……ハルシオ男爵令息。本題に入る前に、ずっと君に伝えたかったことがあるんだ」
「私に、ですか?」
「ああ。これまで私は、君とレーベン嬢に何度も救われてきた。君のその柔和で誠実な人柄、そして誰の言葉にも嫌な顔ひとつせず耳を傾ける姿勢を、私は心から尊敬し、評価している」
ヴァルフリートは深く背筋を伸ばし、まっすぐにキリルを見た。
「もし君さえ良ければ……これからは立場を離れ、お互いを『キリル』『ヴァルフリート』と名前で呼び合えないだろうか? 私は君を、一人の尊い友人だと思っているんだ」
突然の提案に、キリルは驚いて丸眼鏡の位置をそっと直した。そして、恐縮したように控えめな苦笑いを浮かべる。
「殿下……私のような男爵家の者に、そのような身に余るご評価をくださるとは……。正直、私などには不相応な気がしてしまいます」
キリルは一度言葉を切り、ヴァルフリートの碧眼に宿る真摯な情熱をじっと見つめた。やがて、その目元がいつもの柔らかい笑みに崩れる。
「ですが……『友人』としてそう言っていただけるのは、本当に嬉しいです。……分かりました、ヴァルフリート様がよろしいのであれば、僕は喜んでお名前をお呼びいたします」
「本当かい! ありがとう、キリル!」
ヴァルフリートの顔がパッと華やいだ。立場を超えた友人ができた喜びは、重圧の中で生きてきた彼にとって何よりの救いだった。
「さて、ヴァルフリート様。お見舞いの件ですが……」
キリルは本題へと話を戻し、穏やかに語りかけた。
「大げさな装飾品や重い食べ物は、かえって病床のメルティール様に気を使わせてしまいます。公爵家のお見舞いとはいえ、必要なのは『気取らない心遣い』ですよ。例えば、消化に良く口当たりの良いフルーツのコンポートや、心を落ち着かせるハーブティーなどはいかがでしょう?」
「なるほど……! 豪奢なものではなく、彼女の体に優しいものだな」
「ええ。そして何より、作法などを気にするよりも『あなた自身の元気な顔が見たかった』と伝えることが、一番の薬になるはずです」
「明日、さっそく公爵家に連絡を入れて伺うことにするよ」
ヴァルフリートが力強く頷くと、図書室の本を抱えたライラが静かに歩み寄ってきた。
「ヴァルハイト殿下、お話が聞こえてしまいましたわ。メルティール様がお風邪を……心配ですね」
「レーベン嬢。ああ、明日の放課後お見舞いに行くことにしたんだ」
「それなら、もしよろしければ、その際私が作った『杏のジャム』もお持ちいただけますか?喉の痛みを和らげる効果がありますのよ。ほんのささやかなものですけれど……」
「僕からも、喉に優しいカモミールと薄荷のブレンドハーブティーを添えさせてください」
キリルもそう言って穏やかに微笑んだ。
ヴァルフリートはその言葉に胸を熱くした。
「二人とも、本当にありがとう……! メルティールもきっと喜ぶよ」
◇
翌日。ローゼンベルク公爵家の邸宅。
ヴァルフリートの手にはキリルのアドバイスを参考に自ら厨房に行って選んだ梨を使った蜂蜜のコンポートが入った籠と、ライラからの杏ジャムの小瓶、キリルからのハーブティーの小袋がある。
熱も下がりかけ、ベッドの上で浅い眠りについていたメルティールは、扉が静かに開く音で目を覚ました。
「……誰……?」
「私だ、メルティール」
重厚な仕切りから姿を現したのは、他ならぬヴァルフリートだった。
「ヴァ、ヴァルフリート様……!? なぜここに……! いけません、ヴァルフリート様がお風邪を召されたら私、悔やみきれません! すぐにお下がりください!」
驚きのあまり起き上がろうとするメルティールを、ヴァルフリートは優しく、しかし素早く制してベッドの脇の椅子に腰掛けた。
「動かないでくれ。……移っても構わないと言ったら怒られるかもしれないが、今の私は、君が弱っている時に側にいられないことの方がずっと辛いんだ」
「ヴァルフリート様……」
ヴァルフリートは柔らかな手つきで、メルティールの前髪をそっと撫でた。
「いつもなら君に遠ざけられて寂しい思いをしていたが、今日は押し通させてもらったよ。……これ、お見舞いの品だ。キリルとレーベン嬢からも、君にと預かってきた」
そう言ってヴァルフリートが抱えていた籠と二人が持たせてくれた小瓶、小袋をメルティールに見せる。そこには素朴な花の絵が描かれた1枚のメッセージカードが付いており、一言ずつメルティールの身体をいたわる言葉が紡がれていた。
「ハルシオ様とライラ様から……?」
「ああ。キリルが教えてくれたんだ。格式ばった高級品よりも、君の体を気遣う小さな優しさが一番なのだとね。私は直接会って渡せるが二人まで付いてくる訳にはいかないからと、メッセージカードももらったよ。彼らは本当に……真に人の良い二人だな」
メルティールはカードを見つめ、それからヴァルフリートの温かな手を見つめ、紫水晶の瞳を潤ませた。
「ええ……本当に、お心遣いの温かいお二人ですわね。……そして、ヴァルフリート様。お見舞いに来てくださって……本当はすごく、嬉しいです。正直に言うと少しだけ、寂しかったのです」
「そうか……来て良かった」
ヴァルフリートは愛おしそうにメルティールの手を握り締め、力強く頷いた。
「早く君の体調が良くなることを、心から祈っているよ。元気になるまで、こうして側にいさせておくれ」
メルティールは頬をポッと赤く染めながら、心からの笑みを浮かべて小さく頷いた。
「はい……ありがとうございます、ヴァルフリート様。あなたのおかげで、もう半分以上、病気が治ってしまった心地ですわ」
秋の柔らかな陽光が差し込む病室で、二人は静かに手を重ね合い、穏やかで温かな時間を慈しむのだった。
突然ですが…。実は、4人のそれぞれの呼び名には少しこだわりがあったりします。
初めは正式名称、キリルの殿下への一人称も「私」。
ですが、騒動を経て同性同士が名前呼びになり、キリルの殿下への一人称もライラに対するものと同じ「僕」へ変化していくことで、四人が打ち解けていっているのだなぁと感じていただければ幸い。
ただ、異性同士の呼び名は今後もずっと姓名+敬称(様、嬢)です。
これは、第三者に余計な誤解や邪推を生まないためで、生真面目二人組と誠実な二人組のこの子達を考えると、親しき中にも礼儀ありな対応をするだろうなぁ、思うからです。




