生真面目な二人がケンカしました
初夏の陽気が心地よい季節となったものの、生徒会室の空気は氷点下まで冷え込んでいた。
「ヴァルフリート様! いくら何でも、次週の視察をお一人で行かれるなど承知できませんわ! 私はあなたの婚約者であり、将来の王妃となる身です。過密なスケジュールで体調を崩されたらどうするのですか!?」
「メルティール、君こそ連日の王太子妃教育と生徒会の仕事で限界のはずだ! 今回の視察先は寒冷な北部の開拓地。君の体を案じて言っているんだぞ。君に無理をさせたくない私の気持ちを、なぜ分かってくれない!」
双方の主張は、どこまでも「相手を思いやる気持ち」から出ていた。
しかし、お互いを大切に想うからこそ、「相手の体を守りたい自分の考えこそが正しいはずだ」と互いに譲らず、気づけば数日間にわたり冷戦状態に陥ってしまったのだ。
「お互いが相手を案じているのは明らかなのに、意地を張って素直になれないなんて……」
困り果てた二人が最終的に向かったのは、やはりあの二人——キリルとライラの元であった。
◇
「——なるほど。相手の体調や立場を心配するあまり、お互いに譲れなくなってしまったのですね」
放課後の放課後、図書室の奥の小部屋。
ライラの前で、メルティールは悔しそうに唇を噛みしめていた。
「ライラ様、私は間違ったことは言っていませんわ! ヴァルフリート様はご自分の限界を無視して無茶をなさる癖があります。私が同行してサポートするのが一番安全なのです。……なのに、ヴァルフリート様は私を『体調が心配だから』と子供扱いして突っぱねるのです!」
憤るメルティールに対し、ライラは否定も肯定もせず、ただ静かに頷いてお茶を差し出した。
「メルティール様がどれほど殿下の身を案じていらっしゃるか、痛いほど伝わってきますわ。……でも、メルティール様。殿下がそこまで頑なになられているのは、なぜだと思いますか?」
ライラの低く落ち着いた問いかけに、メルティールは一瞬言葉を詰まらせた。
「それは……私の体を心配してくださっているからでしょうけれど……」
「ええ。殿下にとって、メルティール様は『何としても守りたい大切な存在』なのですわ。かつて殿下は、ご自身の不甲斐なさでメルティール様に無理をさせていたと激しく後悔されていましたでしょう? だからこそ、今の殿下にとって『メルティール様に無理をさせて自分が守られる』という状況は、耐え難いことなのかもしれません」
ライラは優しく微笑み、メルティールの冷えた手に自分の手を重ねた。
「正しさの押し付け合いになってしまうのは、お二人がお互いを『正しく愛そう』と一生懸命だからです。でも……『正しいかどうか』よりも、『自分はどうしたいのか』という素直な寂しさや愛情を伝えてみてはいかがでしょうか? 『正論』でぶつかるとお互いに鎧を着込んでしまいますが、『本音』で見つめ合えば、鎧は自然と脱げるものですから」
ライラの言葉に、メルティールはハッと目を見開き、少しずつ表情を和らげていった。
◇
時を同じくして、学園の裏手にある弓道場。
キリルは、矢を射る手元にどこか迷いが見えるヴァルフリートと向き合っていた。
「ハルシオ男爵令息……私だって、メルティールの優秀さは誰よりも買っているし、頼りにしたいと思っているんだ。だが、彼女は私に隠れてまた血の滲むような努力をしている。これ以上彼女に重荷を背負わせたくないという私の考えは、間違っているだろうか?」
ヴァルフリートは悔しそうに拳を握りしめた。
キリルは静かに弓を置き、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「殿下のお考えが間違っているとは、誰も思いませんよ。殿下がローゼンベルク嬢を心から大切にされている証拠です」
「ならば、なぜ彼女はあそこまで怒るのだ……?」
キリルはそっと丸眼鏡の位置を直しながら言った。
「殿下。男というのは、大切な女性を守りたい生き物です。ですが……女性にとってもまた、『大好きな人の役に立ちたい』『一番近くで支えたい』というのは譲れない誇りなのです。殿下が『危険だから、無理をするから』と一人で行こうとされるのは、ローゼンベルク嬢から『隣に立ち、殿下を支える権利』を奪ってしまうことと同じなのかもしれません」
「私を支えるという権利を……奪う……?」
ヴァルフリートの碧眼に動揺が走る。
「ええ。私もライラが私のために何かをしてくれようとした時、心配だからと断ってしまうことがあります。でも、その時のライラは少し寂しそうな顔をするんです。『頼りにされていないのかな』と。……殿下、ローゼンベルク嬢が怒っておられるのは、殿下に拒絶されたように感じて寂しいからではないでしょうか?」
キリルの言葉が、ヴァルフリートの胸に深く刺さった。
守ることばかりに執着し、彼女の「共に歩みたい」という強い想いを受け止めていなかったことに、ヴァルフリートは初めて気づかされたのだ。
「私は……また正解にこだわって、彼女の想いを置き去りにしていたのだな……」
◇
その日の夕方。夕陽が茜色に染める学園の回廊で、ヴァルフリートとメルティールは鉢合わせた。
お互いに気まずそうに視線を泳がせたが、ライラとキリルからの言葉を胸に、二人は同時に口を開いた。
「メルティール!」「ヴァルフリート様!」
声が重なり、二人は思わず小さく吹き出した。数日ぶりに見るお互いの笑顔に、固く結ばれていた緊張が解けていく。
「メルティール、私から言わせてくれ」
ヴァルフリートは真剣な眼差しで、メルティールの紫水晶の瞳を見つめた。
「すまなかった。私は君を守ることばかりに夢中になって、君が『私と共に歩みたい』と思ってくれている誇りを傷つけてしまっていた。『一人で行くのが正しいこと』だと意地を張っていたが……本当は、君が隣にいてくれたらどれほど心強いか分かっていないわけじゃないんだ。君を頼るのが怖かったんだよ。また君に無理をさせてしまうのか……と」
ヴァルフリートの素直な「弱音」を聞いたメルティールは、胸が熱くなるのを感じた。
「ヴァルフリート様……私の方こそ、申し訳ありませんでした」
メルティールはそっとヴァルフリートの手を両手で包み込んだ。
「私は『正しい婚約者』としてあなたを正そうとするあまり、あなたの『私を大切にしたい』という優しいお気持ちを蔑ろにしていました。王太子妃としての正論であなたを追い詰めてしまって……本当にごめんなさい。私も、あなたに拒絶されたように感じて、寂しくて意地になっていただけなのです」
「メルティール……」
「今回の視察、全日程の同行はいたしませんわ。最初の二日間だけ同行させていただき、残りの日程は私は現地の領民との交流に専念します。それなら、私の負担も少なく、あなたのお力にもなれますでしょう?」
メルティールのしなやかで温かな提案に、ヴァルフリートは心から感服したように微笑んだ。
「ああ……完璧な折衷案だね。ありがとう、メルティール。君と一緒に行けることが、何より嬉しいよ」
二人はしっかりと手を繋ぎ直し、深く頷き合った。
お互いが相手を想うからこそぶつかり、そしてお互いの本音を聞くことで、二人の絆はまた一つ深く、強いものへと成長したのだった。
◇
「……ふふ、どうやら無事に仲直りできたみたいよ、キリル」
遠くの樹の陰からその様子を見届けていたライラが、隣のキリルに囁いた。
「うん。お互いを想う気持ちが強すぎるからこそのケンカだったけれど、雨降って地固まる、だね」
キリルは優しく微笑むと、ライラの手に自分の手を重ね、指をそっと絡めた。
「僕たちも、もしケンカすることがあったら……ちゃんと本音で話し合おうね、ライラ」
「ええ、もちろんですわ、キリル。でも……私たち、ケンカなんてするかしら?」
「さあね? でも、もし僕が意地を張っていたら、今日みたいに静かに諭してね」
「ふふ、お互い様ですわ」
夕闇が迫る学園で、二組のカップルはそれぞれの愛おしい存在と共に、温かな夕日を迎えるのだった。




