生真面目な二人のとある悩みとは?
新緑が深まり、初夏の気配が漂い始めた王立ヴァルハイト学園。
すれ違いを乗り越え、真の絆を結び直したヴァルフリートとメルティールであったが……完璧を目指してきた二人は今、人生初の「ある悩み」に頭を抱えていた。
「相手に素直に甘えたり、本当に喜んでもらえる贈り物をしたりするには、どうすればいいのだろう……?」
難解な政治の書類も完璧にこなす二人が辿り着いた結論は、学園内で最も「他者の心に寄り添う達人」であるあの二人に教えを乞うことだった。
◇
「……なるほど。ローゼンベルク嬢に、どのようなプレゼントや心遣いをすれば本当に喜んでもらえるか、悩んでおられるのですね」
放課後、誰もいない特別練習場。
キリルは、少しそわそわとした様子で腰掛ける王太子ヴァルフリートに向き合っていた。
「ああ、ハルシオ男爵令息」
ヴァルフリートは真剣な眼差しで、しかしどこか恥ずかしそうに白状した。
「今まで私は、公爵令嬢にふさわしい最高級の宝石やドレスばかりを贈ってきた。だが……今のメルティールが真に望んでいるのは、きっとそういった煌びやかなものではない気がするんだ。しかし、私には『普通の恋人たちがどうやって相手を喜ばせているのか』が、恥ずかしながらさっぱり分からなくてな……」
キリルはクスクスと優しく笑い、温かい紅茶をヴァルフリートのカップに注いだ。
「殿下、難しく考えすぎる必要はありませんよ。ローゼンベルク嬢が一番喜ばれるのは、間違いなく『殿下のお気持ちと時間』です」
「気持ちと、時間……?」
そう言ってヴァルフリートは目の前に差し出された紅茶を一口含む。温かな香りが鼻をくすぐった。
「ええ。例えば……ライラは昔から、私が手作りしたお菓子や、二人で歩いた道で見つけたきれいな葉っぱの一枚でも、とても嬉しそうにしてくれます。高価なものではなく、『自分のために時間を使ってくれた』という事実が嬉しいのです」
キリルは自分の丸眼鏡をそっと直しながら、穏やかに提案した。
「殿下、もしよろしければ……次の休日に、ご自身の手でローゼンベルク嬢のためにお茶を淹れたり、小さなお花を一輪、摘んで贈ってみてはいかがでしょうか? かつてお二人が幼い頃にされていたように」
ヴァルフリートの碧眼が、ハッと見開かれた。
「幼い頃のように……! そうか、私は『王太子として素晴らしい贈り物』をしようとしていた。そうではないのだな。私自身の手で、彼女のために時間を使うことこそが……」
「はい。完璧な王太子殿下としてではなく、『ヴァルフリート様ご自身』からの贈り物が、ローゼンベルク嬢にとって一番の宝物になるはずです」
ヴァルフリートは胸の仕えが下りたように、晴れやかな笑顔を見せた。
「感謝する、ハルシオ男爵令息! 君は本当に、人の心の機微がよく見えているな」
◇
時を同じくして、日当たりの良い図書室の奥。
ライラの前には、いつも凛としているはずの公爵令嬢メルティールが、落ち着かない様子で手巾を握りしめていた。
「ライラ様……お忙しいのに、このような個人的な相談に乗っていただいて申し訳ありません」
「いいえ、メルティール様。私でお力になれることでしたら、何でもお話しくださいね」
ライラが穏やかに微笑むと、メルティールは意を決したように身を乗り出した。
「実は……ヴァルフリート様にお手製のクッキーをお渡しした時、とても喜んでくださったのです。ですが、私はもっと……ヴァルフリート様が日頃の重責を忘れて、心からリラックスできるような『甘えさせてあげられる環境』を作りたいのです。……けれど、私、どうしても教養やマナーの癖が出てしまって、どう接すればヴァルフリート様が『甘えやすい』のか分からなくて……!」
真っ赤になって切々と訴えるメルティールを、ライラは否定もせず、深く頷きながら静かに受け止めた。
「メルティール様は、本当にヴァルハイト殿下のことを深く愛していらっしゃるのですね。殿下の心をお休みさせてあげたいというそのお気持ちだけで、すでにとても温かいですわ」
「でも、具体的にどうすれば……? ライラ様はいつも、周りの方を自然と寛がせていらっしゃいますでしょう?」
ライラは少し考えてから、そっと自分の手をメルティールの手に重ねた。
「何か特別な『技』があるわけではないのです。ただ……相手のお話を聞く時に、『評価やアドバイスをしようとしないこと』かもしれません」
「評価やアドバイスを、しない……?」
メルティールが目を丸くすると、ライラは優しく首を振った。
「ええ。殿下は毎日、周りから評価され、正しい判断を求められていますわ。ですから、メルティール様といる時くらいは『正しいかどうか』なんて関係なく、ただ『そうだったのですね』『大変でしたね』と、殿下の感情をそのまま抱きしめて差し上げれば良いのだと思います。……そして、メルティール様ご自身も『完璧な彼女』になろうとせず、少しだけ弱音を見せて差し上げるのがよろしいかと」
「私から……弱音を……?」
「ええ。『今日は少し疲れちゃいました』と、殿下の肩に少しだけ頭を寄せてみたり。殿下にとっても、『自分が必要とされている』『頼られている』と感じられることが、何よりの安らぎと自信になりますから」
ライラの言葉が、メルティールの胸にすーっと染み渡っていく。
教養や完璧な作法ではなく、ただ寄り添い、お互いに不完全な素顔を見せ合うこと。
「私……頑張ってみますわ。ヴァルフリート様に『完璧じゃない私』をもっと見せて、一緒に温かい時間を過ごしてみます」
「ふふ、応援しておりますね、メルティール様」
◇
数日後の放課後。
学園の奥まった庭園にある東屋で、ヴァルフリートとメルティールは二人きりのティータイムを過ごしていた。
いつもなら完璧に仕えられた侍従が淹れる高級なお茶だが、今日のテーブルにあるのは、ヴァルフリートが拙い手つきで淹れた少し濃いめの紅茶と、庭園の隅で自ら摘んできた小さな青い野の花が一輪。
「メルティール。……あの日、君がくれたクッキーのお礼だ。私自身で淹れてみたんだが……少し濃くなってしまったかもしれない」
照れくさそうに花を差し出し、カップを配るヴァルフリート。
メルティールはその一輪の花と、少し歪な香りの立つ紅茶を見つめ、紫水晶の瞳を潤ませた。
「……とても、とても素敵なお花と紅茶ですわ、ヴァルフリート様。私、世界中のどんな宝石よりも嬉しいです」
メルティールは一口紅茶を味わうと、ライラから教わった言葉を思い出し、そっと勇気を出した。
「あの……ヴァルフリート様。実は私、今日の社交の講義が少し難しくて……少しだけ、疲れてしまいましたの」
照れながら俯くメルティールの肩に、ヴァルフリートは一瞬驚いたものの、すぐに優しく温かな笑みを浮かべた。
「そうだったのか。いつも完璧な君だから、そうやって教えてくれるとすごく嬉しいよ。……おいで、メルティール」
ヴァルフリートは優しく手を伸ばし、メルティールを抱き寄せた。メルティールは静かにヴァルフリートの胸に顔をうずめ、互いの鼓動の音に耳を澄ませる。
「……これからは、辛いことも嬉しいことも、全部こうして分け合おう。私が君の羽休めになるよ」
「はい……ヴァルフリート様……」
二人を包む空気は、もはや緊張感に満ちた「理想の公爵令嬢と王太子」のものではなかった。ただ互いを愛おしく思い合う、一対の恋人の穏やかな時間だった。
◇
そして、その様子を遠くの回廊からそっと見守っていた人物が二人。
「うまく行っているようですわ、キリル」
「うん、そうだね。殿下もローゼンベルク嬢も、とても穏やかな雰囲気をされている」
ライラとキリルは顔を見合わせ、満足そうに微笑み合った。
「お二人のお手伝いができて良かったわね」
「そうだね。……でも、ライラ」
キリルはライラの手をキュッと握り締め、少しだけ意地悪そうに微笑んだ。
「僕たちも、そろそろ二人きりの時間を作ろうか。……僕も今、ライラに『少し疲れたから甘えたい』気分なんだ」
「まあ……キリルったら」
頬を染めるライラの頭を、キリルは愛おしそうになでた。
二人は並んで歩き出し、自分たちの静かで穏やかな「いつもの場所」へと向かっていくのだった。




