お出かけしましょう
秋の深まりとともに過ごしやすい気候となった王立ヴァルハイト学園の放課後。
博物学研究会の特別教室では、キリルとライラが並んで机に向かい、楽しそうに何かを話し合っていた。
「キリル、今度の休日はどこに行きましょうか? 新しく城下にできた本屋さんも気になりますけれど、ハルシオ領のお野菜を扱っているマルシェも覗いてみたいですわ」
「そうだね、ライラ。マルシェで珍しいハーブの苗が出ているらしいから、それを見てから、街外れの美味しいカフェで甘いものでも食べようか」
互いに顔を見合わせてふんわりと微笑み合う二人。そんな和やかな会話の途中で、扉が静かに開き、ヴァルフリートが本を手に姿を現した。
「失礼するよ、キリル、レーベン嬢。なかなか興味深い本を手に入れてね。博物学に関連しているし…と、あ、二人は……何か楽しそうな話をしていたようだね?」
「ヴァルフリート様! ええ、そうなんですよ。今度の休日に二人でお出かけする計画を立てていたところなのです」
キリルが丸眼鏡の位置を直しつつ和やかに答えると、ライラも「城下散策に行くのですの」と嬉しそうに頷いた。
「二人でお出かけ……デート、というものかい?」
ヴァルフリートはふと足を止め、どこか遠い目をした。
思い返してみれば、自分は幼少期から「王太子」としての人生しか送ってこなかった。城下に下りる機会といえば、孤児院の慰問や領地視察、あるいは治安の確認といった完璧な「公務」のみ。街の喧騒に混ざり、ただ純粋に楽しむためだけに誰かと街を歩くという体験が、自分には一度もないことに気づいてしまったのだ。思春期に入ってからはメルティールとの関係もこじれたため、そんなことを考える余裕もなかった。
(自由に行きたい場所を選び、大切なお相手と笑い合いながら街を歩く……。なんと羨ましいことだろう)
寂しさと羨望が入り混じった胸の突っかかりから、ヴァルフリートの口から思わずぽつりと、無意識の呟きが漏れ出た。
「……いいな。私も一度でいいから、メルティールと二人きりで……ただの男と女として、城下を出かけてみたいものだ」
言った直後、ヴァルフリートは自分の口走った言葉の青臭さにハッとし、思わず耳まで真っ赤にして口を噤んだ。
しかし、その言葉をキリルとライラは見逃さなかった。
「それはいい計画だね、良い休日を過ごすといい」と、手にしていた本をキリルに渡し、ヴァルフリートが生徒会室へ戻っていった後、二人は真剣な面持ちで顔を見合わせた。
「キリル……殿下のお言葉、お聞きになりましたか?」
「ええ、ライラ。きっとヴァルフリート様は王太子としてのご公務でお忙しく、ローゼンベルク嬢と二人きりで純粋なお出かけをされたことがなかったんだね」
「ヴァルフリート様とメルティール様には、いつも本当にお世話になっていますわ。なんとかお二人にお出かけを楽しんでいただくお手伝いができないかしら……」
「そうだね、ライラ。お二人が気負わずに城下を楽しめる方法を、僕たちで考えてみよう」
二人は顔を見合わせ、温かな企みに瞳を輝かせた。
◇
数日後の放課後。生徒会室で二人きりの書類作業を終えた際、ヴァルフリートは少し緊張した面持ちでメルティールに向き直った。
「あの……メルティール」
「はい、ヴァルフリート様。なんでしょうか?」
「その……近いうちに、二人で城下へ行ってみないか?」
メルティールは一瞬驚いたように紫水晶の瞳を瞬かせたが、すぐに引き締まった凛とした表情を浮かべ、手帳を開いた。
「城下の視察でございますね! かしこまりましたわ。最近の市場の物価推移や、バザー後の地域経済の動向、それから警備体制の確認など……どのような項目を中心に視察される予定でしょうか? すぐにスケジュールと調査項目をまとめますわ」
真面目な婚約者の長年の「癖」が出た完璧な返答に、ヴァルフリートは苦笑いを浮かべ、そっと首を横に振った。
「いや、メルティール。そういった公務の視察ではなくてね……。ただ単に、君と二人で……お買い物をしたり、美味しいものを食べたりしながら、城下を『お出かけ』してみたいのだよ」
「え……?」
メルティールは手に持っていたペンをピタリと止めた。
公務の調査ではなく、ただ純粋に自分と二人でお出かけがしたい。ヴァルフリートが言わんとした意図を理解した瞬間、メルティールの白い頬が瞬く間にリンゴのように真っ赤に染まった。
「ふ、二人でお出かけ……! 視察ではなく……デート、のようなものでございますか……!?」
「あ、ああ……! 嫌なら無理にとは言わないのだが、君とそんな時間を過ごせたらと思ったのだ」
ヴァルフリートもまた顔を真っ赤にし、碧眼を泳がせながら手元を弄んだ。
理想の王太子と完璧な公爵令嬢として育てられた二人は、いざ「ただの恋人同士」として向き合うと、途端に初々しく照れ爆発を起こしてしまうのだった。
「嫌なわけ……ございませんわ! むしろ、すごく、すごく嬉しいです……! でも……」
メルティールは嬉しさに胸を躍らせつつも、ふと困惑したように眉を下げた。
「でも、私……ヴァルフリート様と二人きりで、公務でもないのに城下を歩くなんて、緊張してしまってどう振る舞えばいいか分からなくなってしまいそうですわ……」
「実は私もなのだ、メルティール。二人きりだと、周囲の警護や世間の目もあって気負ってしまうかもしれない……」
お互いに初々しい悩みを抱えて途方に暮れていたその時、タイミングよく生徒会室の扉が叩かれ、キリルとライラが入ってきた。
「ヴァルフリート様、ローゼンベルク嬢。先日の件、僕たちから一つご提案があるのですが」
キリルが丸眼鏡の奥の目を柔らかく細めると、ライラも可憐な笑みを浮かべて言葉を繋いだ。
「もしよろしければ、今度の休日、私たち二人のお出かけに殿下とメルティール様もご一緒しませんか? 四人でダブルデート……いえ、お出かけをしましょう!」
こうして、キリルとライラの粋な助け船により、四人での城下散策が決まったのだった。
◇
迎えた休日。
いつもの豪華なドレスや制服ではなく、城下に溶け込むような上品で動きやすい私服に身を包んだ四人は、活気あふれる王都の街並みを歩いていた。
「見てください、メルティール様! あそこのお花屋さん、可愛いハーブがたくさん並んでいますわ」
「まあ、本当ですわね、ライラ様! こちらの薄荷は、ハルシオ様のお宅にあるものと種類が違うのかしら?」
ライラに手を引かれ、楽しそうにお店を覗き込むメルティール。その横顔は、普段の公爵令嬢としての重圧から解放され、等身大の少女らしい輝きに満ちていた。
「ヴァルフリート様、あちらの焼き立てのパンはいかがですか? 城下で一番人気のお店なんです」
「本当かい、キリル! ぜひ食べてみたいものだな」
キリルに案内され、焼き立ての香ばしいパンを一口かじったヴァルフリートは、碧眼を大きく見開いて感嘆の声を漏らした。
「美味しい……! 焼き立てのパンがこれほど味わい深いものだったとは知らなかったよ」
手繋ぎで散策するキリルとライラの自然な雰囲気に背中を押され、ヴァルフリートも意を決して、隣を歩くメルティールの華奢な手にそっと自分の手を重ねた。
「あ……ヴァルフリート様」
メルティールは少し驚いて頬を染めたが、拒むことなく優しくその手を握り返した。
指先から伝わる温もりに、二人の胸が高鳴る。
露店で買い食いをし、珍しい雑貨に目を輝かせ、街の人々の活気ある笑顔と触れ合うひととき。公務の書類の上だけでは決して見えてこなかった「自分たちが守るべき人々の、リアルな暮らしと幸せ」が、そこには確かに存在していた。
◇
夕暮れ時。城下を見渡せる小高い丘の公園で、四人はベンチに腰掛け、赤銅色に染まる街並みを眺めていた。
「楽しかったね、メルティール」
「ええ……本当に、夢のように素晴らしい一日でしたわ、ヴァルフリート様」
手をつないだまま、ヴァルフリートとメルティールは深く温かな笑みを交わし合った。
「街の人々がこんなにも穏やかに、幸せそうに暮らしている様子を肌で感じられて……胸がいっぱいになりました」
メルティールが紫水晶の瞳を輝かせると、ヴァルフリートも力強く頷いた。
「ああ。私たちが日々向き合っている務めが、この街の平和とみんなの笑顔に繋がっているのだと実感できた。……メルティール、私はこの国を、この街で生きる人々を、もっともっと大切に守っていきたいと改めて強く思ったよ」
「はい、ヴァルフリート様……! 私も、あなた様と共に、この美しい国を全力でお支えしてまいりますわ」
夕陽に照らされる二人の横顔には、固い愛と、国を背負う者としての優しくも強い覚悟が満ちていた。
そんな二人の仲睦まじい姿を、少し離れたベンチからキリルとライラが優しく見守っていた。
「殿下もメルティール様も、とっても素敵な表情をされていますね、キリル」
ライラが愛おしそうに呟くと、キリルは丸眼鏡の位置を直し、深く頷いた。
「ええ、ライラ。ヴァルフリート様とローゼンベルク嬢が、あんな風に人々の暮らしを愛し、真摯に向き合ってくださるのですから……」
キリルは隣に座るライラの温かな手を握りしめ、前方の街並みを見つめた。
「この国は、これから先もずっと、もっともっと素晴らしい国になっていくんだろうね」
「はい……絶対にそうなりますわね、キリル」
秋の澄んだ夕風が吹き抜け、4人の結ばれた手と手、そして深まった絆を優しく包み込んでいく。
街に灯りがともり始める中、未来への希望に満ちた四人の笑顔が、黄金色の夕闇の中でいつまでも温かく輝いていたのだった。




