6.「エマちゃん」
「……で、エマちゃんに何か変化あった?」
エ、エマちゃん!?
それは、我が家のメイドであるエマのこと……なのか? なんで知って……いや、いくらなんでも……いくら友と言ってくれるトルナードでさえ、許容範囲を超えている。
「トルナード、その呼び方はダメだ……いくら親友とは言え」
「君のために見つけて、君のために連れてってあげたのに? って言うか、どうせ対面で話した事ないんでしょ。それに比べて私は、同じ馬車に乗って会話もして既に距離が近いんだから『エマちゃん』が普通なんだよ」
「距離が……近い……」
同じ家に居たって、僕の方なんか気にもしないし目も合わない。
「――メイドにしたい……」
「なんて?」
「……僕の専属メイドにしたい」
それを聞いて、腹を抱えて笑うトルナードを横目に、自分でも驚くほど彼女に執着しているなと思う。
本来は、とても女性が苦手だ。
陰で人様の要らぬ話に現を抜かしたり、やれ宝石だ、やれドレスだ、気に入らなければ他人に当たり散らす。蝶だか花だか知らんが、家でどういう教育を受けたら、あのような令嬢が量産されるのか甚だ疑問だし、そんな令嬢ばかりで結婚相手を探すなど……前向きになれないでいるのは世の中僕だけじゃないだろう。
「あぁ〜笑った笑った……それなら、エマちゃんはずっと君のそばに置いておけるわけだ。変化が起こるのも時間の問題かな、そんだけ相性良いんだから」
「……相性?」
「公爵から聞いてないの? そばにいたら、必ず君の為になるよ、彼女」
ニヤけた顔が元に戻らない。
「キモッ」
「うるさい! 仕方ないだろ? 働きぶりも、所作の美しさも群を抜いているんだ。こんなに、もどかしいのは初めてなんだから。それに……あのメガネがまた良い」
「メガネ? 僕が会った時はメガネなんてしてなかったけど。あぁ〜でもあれだけ人目を惹いてたから、虫除けかもね。リヒト……これだけは忘れるな。お前の身体は、何もしなければ直に限界が来る。そうなる前に手を打つんだ、どんな手を使っても。いいな?」
「…………分かってる」
今も、疲れがピークに近付くと視界が霞んでボヤける。
時々フラつくのものの、食事と休養で回復する気配があるのが、まだ救いか。だけど、自分以上に心配してくれる友が見つけてくれた……エマという存在――
とにかく早く帰って、食堂で彼女を見ていたい。それだけで癒されるんだから。
さて、残りの仕事を終えてこよう。
そう勢いに任せて職務に当たっていた夕刻、僕は仕事中に意識を失ってしまった……。
***
「エマさん! 急いで旦那様のところへっ!」
走ってきたレジスタン様の、只事じゃない雰囲気で、私は旦那様のいらっしゃる玄関まで慌てて走ってきました。
何も持たず走ってきた私は「早く私の馬車に乗りなさい!」とだけ言われ、訳もわからず旦那様と二人で馬車に乗りこみました。
「巻き込んですまないな……」
小さな声でそれだけ聞こえ、窓の外に、フレグランツァの王城が見えてきたのです。
馬車から降りた私と旦那様、それに途中からトルナード殿下が合流され、慌しさで騒然とする部屋に着いたのです。
「どうか助けて欲しい」
トルナード殿下の真剣な瞳が、何を物語っているのか。部屋の中へ進み、ベッドに横たわる青ざめた顔のリヒト様がいました。
「リヒトが、倒れたんだ。倒れたことに気付いてから、時間が経ってしまって、急を要する状態でね。たぶん救えるのは――」
周りの騒音に掻き消された、その先の言葉はよくわかりません。でも一歩前に出た私は、何も考えず布団の上に置かれた手を握りました。
触れなきゃいけない、と心が叫ぶから。
「冷たい……」
――突然出た、久しぶりに聞く自分の声。
一瞬時が止まったかのように静かになった部屋で、トルナード殿下と目が合い、自分の喉を押さえました。それと同時に、リヒト様の血色が戻り、表情が和らいでいく変わり様に、その場にいた全員が息を呑んだ瞬間でした。
「エマちゃんのおかげだ、そのまま手を握ってやってくれ。もう少し容体が安定したら事情を説明するから」
「……わかりました」
気付けば、誰もいない部屋で二人……先程までの顔色が嘘のように、血色良く色付く頬に思わず触れてしまいました。冷えた指先も温かさが戻りつつあるのを見て、安堵のため息が漏れます。
リヒト様の異変に私が呼ばれ、私自身にも変化をもたらすような理由って一体なんなんでしょう。
「あ……あ……。触れたら声が出るなんて……」
握った手を離した途端、口を動かしても話せません。何年も出なかった声が、リヒト様に触れただけで声が出る。まるで魔法みたいです。
いつも食堂でしかお会いしないリヒト様だけど、まさかこんな間近に触れる日が来るとは夢にも思わなくて。ましてや使用人の私が手を握るなど――
「……んん、」
「リヒト様? 分かりますか?」
「ここは……貴女が、何故ここに……」
「今、トルナード殿下と主治医様を――きゃっ!」
誰かを呼びに行こうと、触れてた手を離した途端「行かないでくれ」と、ふいに握り返された腕。弱くて縋るような瞳。
「足りない――」
「えっ、あ……リヒト様、は……離して」
引き寄せられた力に抵抗も出来ず、勢いそのままにリヒト様へ覆い被さる羽目にっ!
さっきまでの力と比べられないくらい、強い力で背中に回された手、上下する息遣い。リヒト様の胸に当たる自分の顔が、今にも爆発しそうなくらい熱いのです。
メイド服で、しかも公爵家の跡取りであるリヒト様に抱き付いているのが誰かに見つかったら――
なのに、その手は一向に緩むことなく、私を抱き締めて離さないのです。これは……困りました。
どれくらいの時が経ったのか、徐々にその温もりが心地良くなり、諦めてしまった私は……気付けば目を閉じていたようです――
「んっ……ん?」
微かな気配に目を覚ますと、顔を赤くして口を開けたリヒト様と、パチッと目が……目が!!
慌ててベッドから飛び起き、リヒト様から離れれば、私はもう喋れません。
つまり……言い訳も……出来ません。
かと言って、自分から触れに行くような行いが出来るはずもなく。
「エマッ!?」
名前を呼ばれても、慌てて部屋を出ていくしかありませんでした……。




