5.魅惑の囁き
身体が重くなった時は、オルゴールに癒されます。
ここには美術品が沢山あるけど、触れられない。だから、実家から持ってきたオルゴールがないと――
「エマさん、少し宜しいですか?」
扉の向こうから聞こえた、メイド長様の声。
慌てて開くと「今日も一日お疲れ様」と、クッキーの差し入れを頂きました。
「実は、貴女の部署を変更しようと思うの。これまでは厨房だったけど、食堂をお願い出来ないかしら?」
――どちらへ配属されたとしても全力で頑張ります
「良かったわ。エマさんの仕事ぶりなら、すぐ慣れると思いますから、明日からお願いね」
――承知しました、期待に添えるよう頑張ります
厨房と食堂では、制服が変わるそうです。
汚れる前提の厨房と違い、清潔感のあるメイド服を渡され、身の引き締まる思いでいっぱいです。
翌朝、厨房に挨拶をしてから、食堂に向かいました。
朝食は、壁際からじっと観察し、所作や手順、給仕のタイミングを全て目に焼き付けます。一つ一つの動きを確認しながら、休憩も惜しんでひたすら練習練習……また練習。
配膳の姿勢、お皿を取替えるタイミングや押さえるべきポイントを教えてもらい、頭を整理した夕刻前。
「エ、エマさん? 本当に全て覚えたの?」
――大丈夫だと思います
実際のテーブルで、公爵夫妻を模したメイド長様とレジスタン様に座ってもらい、晩餐の始まりから終わりまでを一通り実演して見せました。
お皿は空だけど、恰も彩られてるかの様に。ただ一つ残念なのは、料理名をお伝えできない事です。
「エマさん、全て問題ありませんでしたよ」
「……努力の賜物ね。お夕食で実践しましょう」
「これなら、周りも喜んで助けてくれるはずだから」
そうして、お仕事の許可がおりました。
迷惑をかけまいと、ギリギリまで確認を重ね、いよいよ晩餐の時間です。
それにしても……圧巻です。
上座に座る公爵様は宰相、次席に座る奥様は婦人会の副会長、長男リヒト様は宰相補佐、反対の席に座る次男テイル様は王立学園の二年生で生徒会役員……なんて華々しいのでしょう。
先輩メイドの指示を受けながら、テンポ良くお皿を配膳していきます。ミスは、許されません。
すると「この皿を奥様へ」と、託されますが違和感を覚えました。お皿には、確かにミントが乗っているのです。奥様は、スーッとするミントが苦手で、いつも厨房で別のハーブに差し替えてたはず……。
――気付かれませんように。
あと数歩というこの状況で、私はさり気なく自然にそして大胆にもサラッと一回転しました。
***
「メイド長、彼女は一体何者なんだ?」
こんなに心が躍る食事は、いつぶりだったんだろう。
僕以外、誰も彼女のことなど気にする素振りもないのが信じられない程、彼女は一つ一つの動作に意味を持たせて行動していた。
皿を置く腕の動き、角度、タイミング全てが完璧だ。
それに……さっきのはどうみても、母上の皿にミントが乗っていたはずなのに、出された料理にはミントの欠片もない。彼女をよく見れば、反対の手につまんだミントを、エプロンのポケットにそっと押し込めたところだけ見えた。まるでマジックでも見ているかの様な光景に目を奪われた瞬間だった。
「母上の皿に乗ったミントも、さすがだった」
「……リヒト様も気付かれました? 彼女の機転がなかったらお食事の雰囲気も変わっていたでしょう」
「まさに、適材適所だな」
ただの使用人の中の一人。
しかし……僕は知ってしまった。彼女の行動一つ一つに目を奪われる程、彼女自身が気になって仕方ない自分に。もっとそばで見てみたい。
「メイド長、折行って相談なんだが……彼女を僕の専属給仕にしてくれないか?」
「まぁ、ふふっ……リヒト様にもそのような大胆さがあられたんですねぇ」
「揶揄うな。割と真面目だ」
「リヒト様、僭越ながら食堂担当に専属はございません。臨機応変に素早く対応してこその給仕です。しかし……リヒト様の願いを叶えるなら――」
"専属メイドが宜しいかと"
小声で耳元を撫でる、悪魔の囁きとでも言うような、脳内を俄かに惑わす甘い響きに、一瞬鳥肌がたった。
「メイド長、それは……」
「――と言いたいところですが、厨房から食堂に変わって一日目ですからね。そんな、明日明後日にリヒト様のメイドなんて変更は、とてもじゃありませんが無理ですね」
「き……期待させるな」
「ですが、そういう選択肢もあるとお伝えしたまでです。奥様は彼女を気に入っておいでですから、先を越されないと良いですね」
「…………いやだ、な」
専属メイド……僕の身の回りを世話するメイド――
聞いたら最後、脳内の大半が専属メイドという魅惑の響きに占領されつつあった。給仕してもらえないもどかしさ、目の前にいるのに、声を掛けられないもどかしさ。僕のことなんてまるで認識してない……もどかしさ。
だけど、食事の時間が楽しいものになった。
もどかしさは抜けないけれど、厨房の外にいた時よりも、その心地よさに心酔してる自覚もある。
一体、どんな声をしてるんだろう――




