4.覗き込むほどに
――いざ、初出勤です。
マゼル公爵邸の門には、すでにメイド長様とトランクケースを持つ女の子、それに私の後ろからカバンを抱えた男の子が来ました。
公爵邸に足を踏み入れ、最上階にある使用人部屋へ。
「エマさん、今日はメガネなのね! 雰囲気が違くてビックリしたわ」
頷いてみせた私に「よく似合うわ」と。色々あったので、メガネを掛けることにしたのです。慣れるまで我慢は必要そうですが。
それぞれの部屋にはすでに制服が用意され、身支度をして休憩場に集合です。
私と年の変わらない女の子ミストは、洗濯全般のリネン係。少し年上の男の子テトは、庭師助手。
そして、私は厨房へ各々の持ち場に移動していきます。
料理長のレイモン様を囲むように、朗らかな笑顔で迎えてくれる厨房担当の皆さんに頭を下げ、ポケットに常備したメモで挨拶をしました。
スケジュールや食器の位置、備品一覧、好き嫌いリストもあります。一生懸命、動きや注意する点を確認しつつ、手に触れるであろうどれもが最高級品で、割れば一体何年分のお給金になるのか……恐ろしい想像が脳内を駆け巡ります。
三人が休憩場に揃ったところで、執事頭のレジスタン様自ら手招きし、邸内を歩き出しました。
「ようこそマゼル公爵邸へ。私は、執事頭のレジスタンです。一つ一つのお部屋を案内してたらキリがないので、主要なお部屋と立ち入りが禁じられている場所を案内します。早めに覚えて仕事に役立てて下さい」
「「はいっ」」
行き届いた清掃、調度品、花瓶一つとっても手の抜かれた場所が見当たらない程、完璧なお手入れに脱帽です。出入り出来ない場所をしっかり覚え、庭園まで案内してもらった後は解散となりました。
「この制服を着てる以上、何年働いたかは関係ありません。側から見れば、三日も10年も当家の使用人に変わりないのです。失敗するなと言うわけじゃなく、責任を持って職務を遂行して下さい」
レジスタン様の仰ることはご尤もだと心に誓い、自覚と責任を持って三日も経てば、最初は皿洗いだけだったのが、調理の補佐やお皿への盛り付け、食材の残量確認や次回発注するリストへの記入と、仕事量が圧倒的に増えました。
料理長が次に何を求めるのか、厨房担当の方々の役割、メイドの皆様がどのタイミングで何を取りに来るのかを全て把握した私は、ハンデなんて物ともしません。
「エ……エマ、お前さんもう覚えたのか? それに調味料の種類がこれだけあるのに、不足しそうな物をリストに書けるなんて……」
――把握すれば補佐もやり易いので
「すごいな! 普通ここまで出来るようになるのに……さすがに三日は無理だよ。負担にならないなら、明日から仕事追加で頼んじゃおうかな」
――もちろんです
順調に進む中、実はここ数日、どこからか見られてるような気配を感じてまして。常に気を張ってるせいか、気のせいかもしれませんが……。
まさか、配属ニ週間で突然メイド長様から呼び出され、部署移動となるとは思ってもみませんでした。
***
「おかえりなさいませ、リヒト様」
「ただいま。はぁ……しばらく部屋で休む」
「お顔の色が優れませんね、食事は少し時間を置いてお部屋へ運びましょうか」
「そうしてくれると助かる」
酷く疲れた……。
ここ最近、疲れるのが早い。それに、任務の遂行が時々思うようにいかなくなってきた。いよいよ、この特異体質にも限界が来てるのだろう。
疲れがピークに達した今は、致し方なくこうして自邸に帰ってきて……休むに限る。
「……新しいメイドか?」
ただ目の前を、見慣れないメイドが通り過ぎただけなのに、胸が妙にざわついた気がした。残り香のせい、だろうか?
「リ、リヒト様?」
疲れたはずの身体で、距離を取りながら彼女の後ろを歩くと、調理場へ入って行くのが見えた。
「エマが、何か?」
「ぅわぁ……!」
不審な僕に違和感を抱いたメイド長が、突然話しかけてくるものだから、喉の奥から変な声が出た。
エマという名を知ったところで、どうするわけでもない。彼女以外にも使用人は沢山いる。
しかし、なぜかここにいると身体の疲れを忘れられるような、不思議な感覚を覚えた。腹が減ってる……とも、また違う。
「とても気遣いの出来る、いい子ですよ」
「そ、そうか……」
この日を境に、疲れて帰っては、厨房の前で一休みする変な習慣が出来てしまった。身体が楽になるからと言い聞かせ、隙間から覗いた。見れば見るほど、メイド長の言葉が嘘ではないと分かる。
――でも、彼女の瞳に僕が映ることは無い。
一度だけ、本当にさり気なくメイド長に聞いてみた。
「彼女には、もっと活躍出来る場がありそうだが……」
「いつもリヒト様が覗いてる、エマのことですよね?」
「の、覗いて――」
「私もそう思いますが、まだ二週間しか経ってなくて」
……二週間で、あれだけのことが出来るのか?
「確かに努力家のエマなら、ハンデがあっても大丈夫そうですね」
なんて、確かに話した日もある。
そんなことをすっかり忘れて、寝惚け眼で向かった食堂に――エマが立っていた。




