21.許し
「エマちゃ〜ん、そろそろ休憩にしましょ〜」
妨げるものがなにもない、領地に響く声。
大きく深呼吸をして、澄んだ空気を身体に入れます。
頑張らなきゃって背筋が伸びますが、リヒト様の香りを忘れてしまいそうで、それだけが怖い。忘れなきゃいけない……のですけどね。
実家に着いたら真っ先に両親から抱き締められ「苦労をかけてごめんね」と言われました。
私は好きな仕事をしてただけ。大好きな両親から謝ってもらう必要は微塵もないのです。
だから、カバンから取り出したメモとペンで「とても良い経験だったわ」と書き記して微笑みました。きっとこれで安心したはずです。
領地で過ごしたこの一週間、一日たりともリヒト様を思わなかった日はありません。
でも、私が伸ばす手なんて届くはずもなくて……伸ばしてもらえなきゃ、あの優しい手を握ることも出来ないと、今になって改めて思い知らされます。
領地に吹く穏やかな風に、一瞬リヒト様の香りを感じた気がした。
……あぁ、何でもない風すら愛しくなるんだって……目に涙が滲んでしまう。
「エマッ!!」
耳に馴染んだ声が、切望した声が……聞こえた――
そんなはずないのに。
「エマーー!」
……気のせいじゃない……!
広い草原を見渡して、駆けてくる見覚えのある馬。
一歩でも近付きたくて、一秒でも早く届きたくて走り出した私は、風に流れる涙を拭って、リヒト様の胸に飛び込んだ。
ラフなシャツに感じる鼓動も息遣いも、全部が焦がれた思いで、溢れる涙の止め方が分かりません。
「やっと見つけた……! 迎えに来たよ、エマ」
自分がどれだけみっともない顔をしていたとしても、見上げたリヒト様の笑顔が全てなんだと痛感するのです。リヒト様本人だと分かっても、その頬に手を伸ばさずにはいられない。
この一週間で得た、自分の確かな気持ち。
「もう二度と僕の前から姿を消すなんて許さない。どれだけ願ったって離してやるもんか……お願いだから、側にいてくれ……エマを愛しているから……」
「……申し訳ありませんでした。私、許されるなら……私もリヒト様のそばにいたいです。側で尽くして貴方の笑顔を見ていたいです! 私も……好き……なんです」
流れる涙をリヒト様の大きな手がそっと拭いながら、近付く顔に瞳を閉じました。初めて触れる唇も、私を支える腕もどれもが温かい。
一度離れた唇も、導かれるように再び重なるまでそう時間は掛からなかった。
「……あっ、あの、そろそろ……」
「――はっ! こ、これはギフトの、いや、そうじゃなくて……ごめん」
「いえ、謝って欲しいわけじゃなく、だだっ広いとはいえ誰かに見られたら……あっ……」
見渡した視線の先に、いると思わなかったんです……両親が。
顔を両手で押さえてしゃがみ込む私に、リヒト様が随分慌てたけど、すぐに私の両親に気付いた様で、深く頭を下げたようでした。
「我が家の自慢のお茶なんですよ、どうぞ」
「ありがとうございます……うんっ! これは美味しいですね」
「リヒト君、これはね私が取って来た――」
我が家のダイニングで盛り上がる両親とリヒト様……と、弟は何故かリヒト様の膝の上でお茶を飲む始末。
キスの後から、なんだか口元がむずむずする私の我慢が、すでに限界を迎えようとしているわけでして。
あぁーもう、我慢できないっ。
「もう! あんまり騒がしくしないでっ」
「「「………………」」」
って、なりますよね。
はい、私もです。
目が点の家族と、口元を抑えるリヒト様を横目に「静かになりましたね」なんて言ってみたりします。
「エマ、どうして声が……これは……」
「お父さん、お母さん、今まで沢山迷惑を掛けて本当にごめんなさい。これは、リヒト様のおかげなんです」
「それは僕から説明させて下さい」
膝に乗せていた弟を隣の椅子に移動させ、姿勢を正したリヒト様が、至極真面目な顔で、咳払いをしてから口を開きました。
自分にはギフトが二つあること、互いのギフトが作用し合うことを。どうやったら声が出るのか、詳細は……伝えてないですが。
「互いが互いを必要とするのだと、気付いたのです。僕には、もうエマさんがいない生活など考えられません。領地を共に盛り上げると約束致しますので、どうかエマさんに、我が家へ戻る許可を頂けませんでしょうか」
両親に深く頭を下げてから私へ向き直り、跪いて「エマ」と呼ぶリヒト様。使用人として働き始めてから、初めてみる表情です……。
「生涯をかけて愛し抜くと誓う。エマが僕の全てだと証明し続けよう。だからどうか……僕と結婚してほしい」
……プロ、ポーズ?
「ご両親の前で、誓いたかったんだ。エマ、どうか僕を選んで欲しい」
家族の前でプロポーズされるなんて――
でも、これがリヒト様の覚悟で、私に対する精一杯の心遣いなんだとも思うのです。
両親が証人となってくれるなら、こんな嬉しいことはないのかもしれません……。
「はい……私も、リヒト様の隣を歩み続けたいです」
両親も目に涙を浮かべながら、頷いています。
「リヒト君、娘を頼んだよ」
「幸せね、エマ……」
スーッと溢れ落ちた涙。
今日リヒト様に会うまで、ずっと心に引っ掛かって取るに取れなかった小さなトゲが優しく抜かれていく。
小さなトゲの正体が、リーゼル様だったのか、離れ離れになってたことなのか、もうどちらだって構いません。
日も傾いてきた夕暮れ時――
「今日はもう遅いから、我が家の客間を使って休んではどうかな。もうすぐ夕食になるから、少しばかり二人で散歩でもしておいで」
お父様の気遣いで外に出た私たちは、沈みゆく夕陽が見える丘へ。私のお気に入りの場所。
キスの効果はあまり長くなく、既に切れてしまったけど、手を繋げば、思いをきちんと伝えられます。
「本当は、二人きりでこんな美しい景色をバックに、プロポーズしたかったんだけど……エマを前にしたら止められなかったんだ。でも、エマの返事とご両親の承諾が得られて本当に嬉しいよ」
「とっても驚きました。ですが……とても嬉しかった、です」
今なら頬が赤く染まろうが、身体が火照ろうが全部夕陽のせいに出来そうなくらいの空に、心に潜めてた想いを全部吐き出せそうです。
「リヒト様を……お慕いしています」
嬉しそうに微笑むリヒト様が「愛してる」と囁いて、赤く染まる空の下で、二度目のキスをしました……。
***
「夜分に申し訳ありません。エマがいないところで話したかったので……」
無礼を承知で、オルセット伯爵に経緯を説明した。
リーゼルがお金を使って、エマを僕の元から引き離そうとしたと正直に話し、謝罪した。いっ時でもエマに悲しい思いをさせたこと、お金でエマのご両親を利用しようとした事を。
「スパニー侯爵令嬢からのお金は、返すつもりで手を付けていません。社交で、王都へ出向いた際にでも返してこようと思います。こんなにエマを思ってもらえる殿方に会えて、あの子は幸せ者です。親として感謝してもしきれません」
「いえ、幸せ者は僕の方ですから。全力で守るとお約束します」
伯爵の部屋を出た僕を、待ってたであろう夫人からも礼を言われた。
「リヒトさん、今日は客間で許して頂戴ね」
「もちろんです。僕、こう見えても紳士ですから」
そうだ、僕は紳士なんだ。
だから、ちゃんと順を追って、きちんとしてから――
は、鼻血だっ!!!!




