20.空き部屋の花
「何故……君がここに?」
激務から帰って、部屋の扉を開けた。
鼻歌を唄いながら棚の模様を、平然と替えるリーゼルの姿。
「リヒトッ! お帰りなさいませ」
「……僕の物に、触れる許可を出した覚えはない」
「お掃除してたのっ」
僕の質問に答える気はさらさら無いんだろう。
トルナードが率いる部隊と共に、国境付近の任務を終えて邸に帰ってみれば、口を濁すレジスタンと顔色を窺う視線のメイド達。
……理由は、これか。
「お疲れでしょう?」
「もう一度聞くが、何故リーゼルがここにいる」
「何故って、花嫁修行に決まってますわ。ちゃーんと、旦那様に許可も頂いていますから」
「花嫁……? 二ヶ月は放っておいてくれと言った」
「でも、リヒト様が妻に望んだエマは、もうここにいませんよ? やっぱり領地で仕事がしたいんですって。もうここには帰らないし、わたくしもリヒト様が振り向いて下さるまで通いますから」
エマがここに……いない?
「どういう事だ」
「だから、帰ったの。貧乏領の実家に。今頃、ご両親と一緒に、領地で汗を流してるんじゃないですか?」
――そんなはず、ない。
領地に戻るのは、僕の不在の間だけ。
ここで、帰りを待つと約束していたのだから。領地から帰って来ない理由が、彼女の意思だとはとても思えない。
……嫌な汗が、背中を伝う。
正直、エマに触れて毎日満たされていたせいか、数日エマに触れないだけで疲弊感が凄い。知ったら最後、知らなかった時には戻れない――それはまるで禁断の果実のようだ……。
とにかく、エマに早く触れないと――
「だからね、リヒト。安心して、わたくしだけを見て」
今、ギフトを使えば更に削られると分かっていても、こればかりは我慢ならない。
「リーゼル、僕を見ろ」
職務以外でギフトを使うのは気が引けるが、自分を抑えられず、強く念じた。
『エマに何をしたか言え』
瞳の色が濁り、ぽつりぽつりと話し出した本音――
エマの領地へ、金を持って出かけた事。
嘘の話で、伯爵に手紙を書かせた事。
エマに……言い放った「出て行って」の言葉。
洗いざらい話したリーゼルに、自邸へ帰るよう念じて部屋から追い出しはしたが。
何の罪もないエマが……ただ、僕を側で支えてくれてたエマが、何故犠牲にならなきゃいけないんだ。
ガクンッと膝が崩れるのは、やはりギフトによる消耗か……それとも虚無感に苛まれてるだけか。妙に指先が冷える。
このままにはしてはおけないと、疲れた身体を起こし部屋を出た。窓の外に母を見つけ、まるで最後の力を振り絞るかのように全力で走った。
「母上!!」
「リヒト! 帰ってたのね……もう気付いたでしょ?」
「エマの事ですよね、領地に帰ったというのは本当なんですか?」
「本当よ。なんでもエマさんのご両親から手紙が届いて、領地に帰って来なさいって」
手紙を書かせた事を知るのは僕だけだ。だけど、今は内に秘めていようと決めた。
「わたくし、丁度お茶会で留守にしてたのよ、でもあのエマさんが、何も言わずに辞めるなんて思えないわ。とても律儀な子ですもの……きっと何かあると、わたくしは思っていますけどね」
そう言いながら母の視線の先には、門に向かって歩くリーゼルが見える。
「母さん、エマを迎えに行ってきます。メイド長、すまないがエマの部屋の鍵を開けてくれないか?」
「……すぐご用意致します。奥様のご所望の品も併せて、ご用意致します」
「急かして悪いわね、用意できたらリヒトに渡して頂戴」
メイド長の後に付いて行こうとした僕は、母さんの方に向き直した。
「帰ったら話しを聞いてほしい」
「早く連れていらっしゃい。母も待ってますからね」
急いでエマの部屋まで行くと、すでに鍵が開けられメイド長の姿はここにない。
そっと押し開けた部屋は、見事に空き部屋と化し、元々荷物の少ないエマではあったが、本当に……全てを詰め込んで領地へ行ったんだと思い知らされて、胸が痛んだ。
何もない部屋からふと花の香りだけ。
紫色のアネモネが、小さな水差しに入って窓際に置かれていた。そうだ……いつかの会話を思い出す。
『私は花も好きですが、花言葉を思いながらお世話するのが好きです。かすみ草には幸福、フリージアには友情――』
花に詳しくない僕は、耳を傾けながら花言葉を口にするエマを見ていた。紫のアネモネが何を意味するのか僕には分からない。だけど、これがエマからのメッセージのような気がして仕方ないんだ。
「リヒト様」
後ろから聞こえたメイド長の声。
振り向いた僕に花束を差し出して「奥様からですよ」と言う。
「これで迎えにいきなさいと、奥様からです。奥様も、エマさんがいなくなったことに、心を痛めておいでです。リーゼル様と顔を合わせることなく、毎日エマさんの事を心配しておられました」
「母に、ありがとうと伝えてくれ。それと、メイド長は花言葉に詳しいかったか?」
「花言葉ですか、人並み程度ですけど」
「この花の、花言葉を知ってたら教えてほしい」
窓際で咲くアネモネを指すと、クスッと笑うメイド長がなんだか嬉しそうに花束を僕に渡した。
「あなたを信じて待つ……そう記憶しています。早く行って差し上げて」
泣きそうになったなんて、格好悪いだろうか。
礼も告げぬまま部屋を飛び出し、花束だけを抱えて厩舎へ走った。馬車でのらりくらりなんて待ってられない。
愛馬に跨り、花束が風で傷まぬよう守って勢いよく門を抜ける僕を、エマは本当に待っててくれるだろうか。
***
「エマ、無理してそんなに働かなくても……」
首を横に振って、作業の手を止めることなく働く。
今の私の精一杯で、これしか出来ないから。
働いてないと心が押しつぶされそうだから。
リヒト様が倒れていないか心配だから。
会いたい……ただそれだけ。
木陰に咲く一輪の花が、自分と重なった――




