15.再来に葛藤
着る機会もない私に、ドレスを贈る意味があるとは思えません。
最近のリヒト様は、時々とても優しい瞳で私を見てくれてるような……勘違いをしそうな雰囲気を出すのです。今だってそう……私に伸びてくるその手を、優しい瞳を、私はどう受け止めたら――
「リヒトッ!!」
伸びた手が瞬時に消えて、リーゼル様の腕に囲われたリヒト様。
「リヒト、わたくしたちもうすぐ婚約するのよ? メイドに構ってる暇があるなら、私に構って頂戴。まぁ……婚約したらメイドもいらなくなるし、今のうちに楽しむ分には文句も言わないけど」
「離してくれ、リーゼル。なんの話をしてるんだ」
「そうだわメイドさん、ちょっと頼まれてくれない? わたくし馬車を待たせているんだけど、この後リヒト様に送って頂くわ。先に帰るように伝えて下さらないかしら」
「リーゼル! いいかげんにしてくれ、僕はエマと」
「早く伝えてきてっ!!」
頭を下げて踵を返しました。
仕方ありません。私はただのメイド。
振り返りもせず、スカーフが入った紙袋だけ持って、スパニー侯爵家の家紋の馬車へ。御者の方にそのまま伝えた私は、考えるまでもなく公爵家を目指して歩き始めました。
ただ……本音を言えば、あの美術館に行ってみたかった。
私の行きたい場所を、聞いてくれたリヒト様と。
ギフトのこと、もっと知れるんじゃないかって思ったりもしたのですが、またの機会……またの機会なんて、あるのかな。
もうすぐ婚約するとも仰ってました。
以前トルナード殿下が提案してくださった婚約も、結局お返事しなかったのは私です。婚約したらメイドはいらない、それもそうですね。付きっきりでお世話するわけにもいかないですから……そっか、そしたらまた配属が替わります……ね。
あっという間に着いた公爵家を見上げながら、大きく深呼吸を。こんな顔で戻っては絶対にダメです!
なるべくこの姿を見られないように、辺りをキョロキョロしながら部屋に戻り、汚さず安堵したドレスをクローゼットに戻しました。いつものメイド服に着替えて仕事に戻る途中――
「エマ、貴女にお客様よ」
先輩メイドに声を掛けられ、応接間に向かいますが……。
一介の使用人に、面会とは……どこかで忘れ物でもしたのでしょうか。
応接室の扉を叩き中に入ると、見覚えのある姿――
「久しいね。君のご両親に聞いて、わざわざここを訪ねたんだよ?」
元婚約者のグート・ゲヴィント様が、なぜここに……。
「婚約者の僕をまた蔑ろにして、どういうつもりなんだ。簡単な手紙だけ送って、それで済まそうなど自分勝手だと君でも分かるだろ? こんな仕事を辞めて今すぐ実家に帰るんだ。領地に帰って、結婚の準備を進めよう」
予想外の訪問に一瞬驚きましたが、ここは公爵邸。
下手な対応は出来ません。ポケットから取り出したメモ。
――それでは領地を救えません
「それは君の努力が足りないからだろ?」
――ですから、こうしてお仕事に来ているのです
「君は僕の婚約者だろう! 下働きの様な真似は辞めて、俺と帰るんだ。あまり……俺を怒らせない方がいいぞ」
いくら伝えても、届かないのは百も承知です。
同伴した夜会で無言人形と呼ばれても、無理してドレスを用意しても、あの時は我慢できました。
……けど、今はそれが愛や優しさではないと、気付いてしまったから。居心地の良さを覚えてしまったから。私は、自分で自分の道を歩んで行きたい。
だけど、どうしたら……。
コンコンコンッ――
「失礼するよ。エマに来客があると聞いて、挨拶に来たんだけど……入っても良いかな?」
シャツの袖を捲り、微かに腕と腕が触れるくらい接近してリヒト様がソファに腰を下ろしました。リーゼル様の姿は見当たりません。
小さな声で「大丈夫」そう呟いたリヒト様を見上げ、そっと深呼吸しました。
「お帰りなさいませ、リヒト様。お騒がせして、申し訳ありません」
「エマ!? 君っ、……喋れるじゃないか! どうして今まで黙っていたんだ! よくも俺を馬鹿に――」
怒りを露わにしたグート様が、勢いよく立ち上がります。
「確か、君はケヴィント家のグート……殿でしたよね。先程少し聞こえてしまったんだが、領地に帰れと話していたのかな? もしそうなら、すまないが今、彼女に辞められては困る」
「これはこれはリヒト殿。こう言っちゃなんですが、エマは他人の甘い蜜をすぐ吸おうとするんですよ。ここだって、どうせ給金が良いから働かせてもらってるたけで、別に彼女が自分の領地で努力すれば良いだけ、そうでしょう?」
「貴方は彼女の婚約者……と聞こえましたが、なぜ助けてあげない」
「むしろ何故、我が家が稼いだ金を、他家に渡さなきゃならないんでしょうか? 慈善事業じゃあるまいし」
「それが婚約者を助けることになってもか?」
「甘えたら甘えただけ付け上がるんですよ、女って。リヒト殿も気をつけた方が良いですよ? こういう教育は最初が肝心ですから」
俯くことしか出来ません。
何を言われても、意見したところでこちらの話しを聞いてくれるなんて思っていませんし、この様子だと私が実家に帰らない限り、きっと彼は何度もここに足を運ぶかもしれません。迷惑を掛けないようにするなら辞めるしかない……。
「私は……」
それでも……もっとここで働きたいのです。
働きやすい環境の中で、リヒト様に仕えられた事がとても嬉しい。リヒト様が倒れないように側にいて、例え他のメイドに陰口を言われたとしても、任された仕事を真っ当したい。
あくまで、リヒト様がグート様の意見に同意されなければ、です。
「私は……ここで働きたいのです。どういう意図か分かりませんが、元婚約者の貴方が振る舞う言動ではございません。婚約は両家の同意の下、破談されておりますので、グート様の意見など私には関係無いのです」
「……は?」
リヒト様の唖然とした顔と、あまり聞かない低い声。
「ちょっと待て……元? ……良かっ……いや、エマ、ここを下がりなさい」
「……はい」
私の主はリヒト様です。
「ちょっと待てよ、まだ話が」なんて声を張るグート様に頭を下げ、扉の外に出ました。あのまま部屋に二人きりでいたら……自分一人で解決できてたのか、答えは否です。自分の意思とは関係なく手が震え、不覚にも腰が抜けてしまいました。




