11.疲労は大胆のもと
初日の仕事が全て終わり、全身の力が抜けて、もはや抜け殻です。
この時間に夕食を取る使用人もあまりいないので、気を張る必要がないのが救いかもしれません。明日から、食事の時間はリヒト様と相談した方が良いかもしれない、なんて思い至ります。
――――――
入浴後、湯上がりのお茶を用意したり、水に濡れたお仕着せを着替えたまでは良かったんです。
実は、初めてこの部屋に来た時から、気になってた物がありまして。
棚に置かれた、美しい施しのオルゴールが、どうにも私の心を引き寄せるのです。少しだけ、そう思って触れたオルゴールから、耳に響く美しい音色……。久々に触れる美術品に、思わず目を閉じてしまって――
「エマ!?」
慌てて振り向いたせいか、体勢を崩した私は、あろう事かリヒト様に支えられてしまうなんて……使用人失格です!
「も、申し訳ありませんでした……」
「そんなに疲れていたなんて……詫びなければいけないのは僕の方だ。本当にすまない」
――――――
結局、これがキッカケで休憩場に来れたんですけどね。
リヒト様に触れると、何かスッキリする感覚が心地良い……。それは、美術品に触れた時ととても感覚が似ていて、これもギフトの相性云々かもしれない。
それ以降、お仕事の休みがないリヒト様は、朝食を召し上がられた後すぐに登城しては、夜遅くに帰って来られる多忙な毎日をお過ごしです。
宰相補佐に加え、領地経営の一部を担い、トルナード殿下直々の案件も熟すなんて、私には想像もつきません。
ですが、お仕事に行かれてる間は、掃除やスケジュール確認、お裁縫にお部屋の模様替えと、割と自由に出来るのが有難いことでして。最低限を守った上で、過ごし易いお部屋を目指し働ける日々は、何よりの喜びだったりします。
合間を縫って図書館へ行っては、カラーコーディネートの本やマッサージ術、それにギフトについての本を探す日々が続いております。目的のためならばと、膨大な本と睨めっこの日々。
「何かお探しかな?」
数冊の本を抱える旦那様が、不思議そうに覗いているではありませんか。
自分の本をテーブルに置いて、急ぎメモに書き記します。
――お運びします
ですが、旦那様は笑いながら「大丈夫だから自分の探し物をしなさい」と仰ってくださいました。
「どんな本を探してるんだい?」
――ギフトについてです
「ギフトか……それならこっちだよ。ついておいで」
背を向けて歩き出した旦那様の後をついて行くと、図書室の奥に設けられた小部屋へ入って行きました。
存在は知っていましたが、初めて踏み入る場所です。ずらっと並べられた本には、ギフトの歴史書やギフトがもたらした影響力、さらにギフトの相性と書かれた本まであります。
「ここにある本は、持ち出しを禁じているから、ここで読んでいきなさい」
――ありがとうございます
「エマさん、その節はリヒトを救ってくれてありがとう。君とリヒトの関係について、殿下から聞いていたけど、この目で確かめるまで半信半疑だったんだ。救ってくれただけでなく、日々生き生きと仕事してる息子を見ると、親として嬉しいものだね。……さて、私は行くかな」
旦那様を見送った後、数冊をテーブル。
ですが、ギフトの代償に関する事案を見つけることは出来ません。状況は違えど、苦労する人がいるなら何か手掛かりがあるはず。
そもそも……ギフトって、本当に必要なのでしょうか。
ふと、開いたページに目を奪われました。それは昔、美術館で見たのと同じ絵が載っているから――
"エリアス・フェルメール……この方も、声を失ってたんだ……"
美術館で触れた一番最初の美術品。
また……行きたい、ですね。
ふと見上げた黄昏の空に、予定の時間よりも長居してしまったと、慌てて本を返して玄関へ急ぎました。
なぜかって……今朝リヒト様から「さすがに今日こそ早く帰る、必ず!」なんて意気込んでいらっしゃったから、きちんとお出迎えしなくては。
徐々に鮮明になってくる馬車の音を感じながら、玄関の扉に手を掛けるレジスタン様の横へ慌てて駆け寄り、疲れ切ったリヒト様をお迎えすることとなりました。
「エマ、ただいま。夕食は部屋で食べるから、持ってきてもらえる?」
予想外の依頼に、これまた急ぎ厨房へ向かいます。
リヒト様の食事を乗せたカートを準備していると、なぜか前からリヒト様がこちらに向かって歩いてくるではありませんか。
「一人じゃつまらない」
これは、誰かを呼んで来て欲しいと言うことでしょうか?
誰が適任でしょう……次男のテイル様なんていかがでしょうか!
「なんか勘違いしてるみたいだけど、エマのことだからね? エマの食事も持ってきて」
これでも私、専属メイドです。
表情を見れば分かるようになってきましたけど、この顔は……本気の時の顔です。
ご主人様と、同じ席で食事を取るなんて御法度ですし、何よりリヒト様の食事が冷めてしまいます。私の食事は使用人の食堂ですから――
「料理長、すまないがエマの分も頼めるか?」
「もちろんですとも。少しお待ちください」
いえいえいえいえいえいえ、いくらなんでも使用人が同じものを口にすることなんて出来ません! だけど料理長も嬉しそうに同じメニューを……リヒト様がカートに乗せるなんて…………一体どうすれば。
カートを押す役目こそもぎ取りましたが、すれ違うメイド達の視線はどこか冷めたような、少々痛いくらいです。そう……なりますよね。
短いようで長い道のりを経て、漸くリヒト様のお部屋に着いたと思ったら「話しながら食べたい。横に座って?」と。
今日のリヒト様は、その……なんと言いますか……大胆です。首を振って少し抵抗してみたものの、今度はリヒト様が自分の料理を私の隣に移動してしまうのです。
これはもう……諦めるしかありません。
「エマ、左腕貸して」
――?
「こうして……僕の腕を合わせれば……話せるでしょ? 最近困ったことはない?」
「リ、リヒト様……これで食事を?」
「そうだよ。別に僕は左手も不自由なく使えるし、こうでもしないと食事しながら会話出来ないでしょ? それとも手、繋ぐ?」
「いえ、これでお願いします」
手のひらをヒラヒラさせてニカッと笑う顔は、まるで子供のように無邪気で微笑ましいのですが、状況は全く笑えるものではありません。
別に、食事が終わってからとか、入浴の際でも良さそうですが……。
「それで、困ったことは? 他の使用人からのヤッカミとかない? ただでさえ、孤立するようなポジションだから少し心配してるんだ」
「ぜ、全然平気です。リヒト様こそ、体調は大丈夫なんですか?」
「まぁ、なんとかね。短い時間でもエマに触れられると身体が軽くなるんだ。本当……エマなしで生きて来た今までが嘘みたいに思うんだよ。こういうのを依存症っていうのかな」
なるほど。
ここ最近仕事づくめで、入浴もお一人でサッと済ます日が続いたから、食事の間に充電……的な感じなんでしょう。
ただ、こちらとしては、触れてる腕に意識が向いてしまって、食事どころではないのです。リヒト様は女性に触れても平気な様ですし、これが日常茶飯事の出来事でしょうから、私なんかとは大違いです。
「女性に慣れていらっしゃるんですね」
思わず心の声が漏れた、と慌てて口を押さえましたが……時、すでに遅し、です。




