10.懇願の連続
「婚約者になってはどうか」
例えギフトに関わることでも、婚約者ではなくメイドとして役に立てるなら、それが良いに決まっています。
過去の経緯を見ても、もう、これ以上気を揉みたくありません。
「返事は急がないから、辞めるなんて言わないで」
リヒト様は戻るなり、肩を揺らしながら懇願するのです。
もちろん辞めるつもりなどありませんし、お仕事としてお世話になれる限りはこちらで尽くしたいと本気で思ってます。
頭を縦に振ってメモを見せました。
――辞めませんから、食堂へ参りましょう
「エマが給仕をしてくれ。食堂担当の時、一度も給仕してもらったことがないし」
ニカッと歯を見せて笑ったリヒト様は、さっきの慌てようとは一転、何だかとても楽しそうです。
別に、誰が給仕しても味は変わらないのに。
なんと言いますか、リヒト様の食事中に出来る仕事が、実は山ほどありまして……。
自分の食事、入浴の準備等々……私が食堂で給仕をすると言うことは、後が切羽詰まるのは、ほぼ確定。
食堂の扉を開くなり、リヒト様自ら「エマに給仕を頼んでいる」と告げ、席に着かれました。
……が、やはり視線が痛いです。
「まぁ、エマさん! リヒト付きになったんですってね。リヒトも見る目があったのね」
私を見るなり、奥様が駆け寄って下さいました。
「貴方の給仕、とても好きだったのよ。所作も綺麗だし、気遣いも素晴らしくて。いつだったか、わたくしのお皿に乗ったハーブをさり気なく取って下さったことも、後からメイド長に聞いてね、嬉しかったわ」
そっと握られる手の温かさが、母のようです。
「母上の仰る通り、彼女は気遣いも仕事も出来るメイドです。くれぐれも、引き抜いたりしないで下さいね」
「ふふっ、リヒトのそんな顔初めて見たわ」
食事中の旦那様は、グラス片手に微笑みながら「お前も良い歳なんだ。早く婚約を結ぶ娘も見つけてきて欲しいもんだ」と、賑やかな食事が進みます。
初めて見る光景に、何だか嬉しくなってしまいました。
日の浅い使用人にまで、関心を持って下さる思慮深さに、思わず胸に手を当てて噛み締めてしまいました。
″調子に乗るんじゃないわよ″
背後からそう聞こえたのも、やっぱり仕方のないことです。
認めてもらうまでに時間が掛かるのは、最初から分かってること……決して顔には出しません。ここで負けては、いられませんから。
「はぁ〜……楽しい食事だった。食堂での仕事を見てたのは、僕だけじゃなかったね」
話しは聞いていますが、急いで翌日の支度に取り掛からねばなりません。
「ねぇ、触れたら本当に話せる?」
そんな私を知ってか知らずか、頷いた私の肩に、リヒト様が触れます。
「何か……ございますか?」
「あっいや、まぁ……そうだな。入浴の準備は?」
「すぐに整えます」
「君の手で洗ってくれるんだろう?」
「今日は無理です」
「なぜ!?」
「勉強してないからです、無知ほど怖いものはございません。ですから図書館の許可を頂きました」
「……どうしても?」
なんで宰相補佐様たる人が、そんな子犬のような目で見るんですか?
そういうのを世間一般では反則と言うのです。そ、そんな顔されても……だって、私――
「モノは試しと言う言葉があるだろう!」
自分の顔が、真っ赤になってるのが分かります。
いくらメイドとは、言え……初日からハードモードにも程があると思うのです。
「僕がお願いするのは、頭だけだから。いくら本を読んだり人に聞いても、実際やってみなければ分からないだろう。初めてが、今日なのか明日なのかだけの違いだ」
真剣な顔で、言ってる内容はだいぶ破茶滅茶な――
仕方ありません……。
「……わかりました」
根負けした私は、急いで湯船に湯を張って水仕事用のお仕着せに着替えてきたものの……どうすれば良いのか全く分かりません。
まぁそこは、さすがのリヒト様も、若干ぎこちない動きになってるのを見て、少し安心してしまいました。
ふふっと思わず笑ってしまうほど、同じところを行ったり来たり。思わずテーブル上のメモに――
――支度が整いました。どうすれば宜しいですか?
「あっ、あぁありがとう……それじゃ、呼んだら入ってくれ」
――かしこまりました
それにしても……湯船に浸かるリヒト様ほど無防備なものはありません。
鍛えられた綺麗な背筋、思わず宰相補佐……ということを忘れてしまいそうな。まるで騎士のような逞しさは、どこで鍛えているんでしょう…………なんて見とれている場合ではありません!
「エマ!? メガネは!?」
フルフル横に首を振って、リヒト様の頭をヘッドレストに据えると、顔に掛からないよう頭に湯をかけ始めます。香りの良い石鹸を泡立てて、優しく……力を込めすぎない程度の力加減で、リヒト様の髪に触れました。
こんな湯気の中でメガネなんて掛けたら、真っ白になって何も見えなくなってしまうので置いて来ましたけど。いっそ、曇ったメガネで入浴介助した方が、見えなくて良いかも――。
それにしても、触り心地が凄い……!
「痛くないですか?」
「……え?」
「あっ、触れているので喋れます」
「そ、そうだったね。今日は驚きの連続だよ。エマの声を初めて聞いたり、見た事ない表情をたくさん見た気がする」
「そうですか?」
揉み込むほどに、髪に馴染む石鹸の香りが堪りません。自分が、こんなに匂いフェチだったのかと思うほど、うっとり癒されます。
これが毎日なんて……役得……かもしれません。
***
気持ち良すぎだ……。
エマの指が触れる地肌も、泡立つ髪の毛も……鈴を転がしたような可愛い声も。
「メガネ外して平気なの? 見えてる?」
「えっ、あ……伊達なんです。別に仕事に支障はありません。街に出た時、やたら絡まれまして。貧乏貴族は良からぬ商売人の良いターゲットになるのではと、変装のつもりでメガネを掛けました」
なんだよ伊達メガネって!
メガネがあっても可愛いと思ってたのに、外したら更に可愛いって誰得だよ。僕だけ得じゃん。うわぁ〜……メガネ良い仕事しすぎて堪らん。
「くくっ……なるほどね。それは良い判断だと思うよ。今後も、僕の前以外ではメガネを外さないように気をつけて」
「……そういえば今日、トルナード殿下もお帰りの際、同じことを言ってたような。そんなにメガネ似合ってますか?」
「似合ってるし、良からぬ男どもから身を守るお守りみたいなものだから、外さないで欲しいかな。メガネがあってもなくても可愛いに変わりないけど、僕以外に素顔を見せる必要はないだろ?」
「…………」
……黙ってるけど、照れてるんだろうか。
普段はメガネ、メガネを外すのは入浴のこのタイミングだけ……やっぱ僕にしか得がない。
浴室を出た後も、いつもと違う。サッパリした気持ちよさと、サイドテーブルに置かれた湯上がりの飲み物。
これから毎日、エマがそばにいてくれる。
一言で言って、最高なんだ。




