第96話:視点
教室。
ざわめきが、ゆっくりと収まっていく。
石の壁。
高い天井。
席に着く音が連なり、
やがて静寂が落ちた。
前方の扉が開く。
ガレスが入ってくる。
無言で教壇に立つ。
一度だけ、全体を見渡し――
「座れ」
短く言う。
それだけで、空気が締まる。
全員が座る。
遅れはない。
ガレスはチョークを取る。
「今日は座学だ」
黒板に文字が刻まれる。
『第一次大陸戦争』
小さなざわめき。
「中央宗教国家と、白塔同盟の衝突」
淡々とした声。
「原因は複合的だ。
信仰、資源、領土――どれも一因に過ぎない」
線が引かれる。
「だが決定的だったのは」
一拍。
「神器の投入だ」
(……槍)
視線は黒板に向けたまま、
内側だけが動く。
ユーリスから聞いた話。
旅の途中で知った断片。
だが――
(……体系としては、まだ浅い)
ガレスは続ける。
「使用は一度」
教室が静まる。
「戦局は反転。
中央は壊滅寸前まで追い込まれる」
チョークが止まる。
「――以上が、大まかな流れだ」
そのとき。
「……それは、一面的だ」
声。
静かだが、通る。
視線が動く。
白服。
数人のうちの一人。
レイヴァルト。
ガレスがゆっくりと視線を向ける。
数秒。
沈黙。
「異論は後で聞く」
低い声。
「今は授業だ」
間。
「……座れ」
レイヴァルトは視線を外さない。
だが、
やがて――
何も言わず、座る。
ざわめきが戻る。
ガレスはそのまま続ける。
「戦後、両勢力は均衡状態に入る。
神器は“抑止力”として扱われるようになった」
板を軽く叩く。
「以上が、概略だ」
説明は短い。
だが、要点だけは外していない。
俺は静かに考える。
(……なるほどな)
学院側の整理。
整えられた歴史。
だが――
(……それだけではない)
レイヴァルトの言葉を思い出す。
(一面……そういう見方もある)
戦争は、勝った側が語る。
負けた側もまた、
自分の都合で語る。
(……どちらも、正しくはない)
当事者しか知らない。
そしてその当事者は、もういない。
(……だからこそ)
俺は前を見たまま、思う。
(……切り捨てるのは違う)
気に食わないから捨てるのは簡単だ。
だが、それでは見えない。
(……白服の話も、聞くべきだな)
授業は、そのまま終わった。
―――――
授業が終わる。
椅子が引かれる音。
ざわめき。
人の流れが動き出す。
「エアさん、今の話なんですけど」
ユーリスが横で口を開く。
「かなり整理されてましたけど、分からない所は――」
「ユーリス」
短く言う。
「はい?」
「今日は、誰かといてくれ」
一瞬、止まる。
「……え?」
「少し、用がある」
それだけ。
ユーリスはすぐに理解する。
目がわずかに細くなる。
「……分かりました」
頷く。
「無茶はしないでください」
「しない」
即答。
ユーリスは離れる。
俺はそのまま歩く。
人の流れの中。
白。
視線の先。
レイヴァルト。
数人と話している。
距離が詰まる。
周囲の空気が、わずかに変わる。
俺は止まらない。
そのまま、前に出る。
数人の白服が気づく。
一瞬の警戒。
だが、止めない。
俺はレイヴァルトの前で止まる。
沈黙。
「……何だ」
レイヴァルトが言う。
感情は薄い。
だが、視線は鋭い。
俺は答える。
「さっきの話だ」
間。
「戦争について聞きたい」
わずかに、目が細くなる。
「授業で聞いただろう。なぜだ」
「あれはアルケシア側の話だ。
だから、知りたい」
沈黙。
周囲の白服の気配が変わる。
レイヴァルトは数秒、こちらを見て――
「……お前から来るとはな」
小さく言う。
意外。
だが、拒まない。
数秒。
レイヴァルトは視線を外さないまま、
「いいだろう」
それだけ言う。
一歩、近づく。
同時に――
周囲の白服が、わずかに動いた。
逃げ道を塞ぐわけではない。
だが、自然と囲まれる形になる。
圧はない。
だが、外側との線は引かれた。
「ここで話す内容ではない」
レイヴァルトが言う。
短く、当然のように。
「来い」
踵を返す。
白が動く。
流れるように。
俺はその後ろを歩く。
―――――
廊下を抜け、人の流れが薄くなる。
ざわめきが遠のく。
石の回廊。
光が差し込む。
足音だけが響く。
やがて――
開けた場所に出る。
中庭。
人影は、ほとんどない。
レイヴァルトが止まる。
振り返る。
白が、静かに外側に散る。
距離を取る。
囲みは残したまま。
だが、会話の中心は一つに絞られる。
「……さて」
レイヴァルトが言う。
「どこから聞く」
試すでもなく、
ただ“選ばせる”目。
俺は少しだけ考える。
「戦争だ」
短く言う。
「なぜ起きた」
間。
レイヴァルトは、わずかに目を細める。
「表向きの理由は聞いたはずだ。あれは結果だ」
即答。
「後から整えられた説明に過ぎない」
沈黙。
白服の気配が、わずかに張る。
レイヴァルトは数秒こちらを見て――
「……なるほど」
小さく息を吐く。
「なら答えは単純だ」
一歩、距離を詰める。
「“導くため”だ」
間。
「信仰も、資源も、領土も――すべてはそのための手段に過ぎない」
俺は黙って聞く。
遮らない。
「中央は広げた。神の名の下に」
声に熱はない。
だが、確信だけがある。
「誤った在り方にある土地を正した。
そして応じる者には、加護を与えた」
俺は黙って聞いた。
レイヴァルトは息を吸い直し、続ける。
「だが、それだけではない」
沈黙。
「白塔もまた、広げた」
「理の名の下に、か?」
言葉が重なる。
「……そうだ」
レイヴァルトは頷いた。
「彼らは“理解”を掲げる。
だが、それは選別だ」
静かに言う。
「届く者だけを救い、届かぬ者を切り捨てる」
間。
「我々は違う」
視線が揺れない。
「すべてを導くため、行動する」
沈黙。
「だから、ぶつかった」
俺は少しだけ視線を落とす。
(……同じだろうな)
言葉が違うだけ。
だが、本質は変わらない。
「では神器は」
視線を戻す。
「なぜ使った」
空気が、わずかに重くなる。
周囲の白服の気配が固まる。
レイヴァルトはすぐに答えない。
数秒。
「……使ったのではない」
静かに言う。
「“応えた”」
間。
「どういう意味だ?」
「中央の神器は、導きに応じたということだ」
視線が逸れない。
「選択を迫られていた。
守るべきものがあった」
そして手を合わせ、祈るような仕草をした。
「それを守るために、力が応じた」
沈黙。
「だから顕現した」
俺の中で何かが燻る。
だが言葉は出る。
俺は言う。
「その結果、大陸が歪んだ……」
「ああ」
「人が大勢死んでも……」
「ああ」
一歩、近づく。
「それでも必要だったと言うのか?」
レイヴァルトはわずかに目を細める。
「必要だった」
即答。
「守るために」
間。
「それが戦争だ」
――その言葉が、落ちる。
胸の奥で、何かが軋む。
手が、わずかに震える。
指先に熱が集まる。
気づけば――
拳を握っていた。
(……違う)
熱が溜まっていく。
レイヴァルトは動かない。
ただ見ている。
(……ガキが)
拳の中で、わずかに火が揺れた。
(……そう教えられたか)
白服の一人が、息を呑む。
だが、誰も動かない。
レイヴァルトの視線だけが、わずかに変わる。
「……レイヴァルト」
小さく言う。
「お前は……それを、本気で言っているのか……」
レイヴァルトは、わずかに眉を動かす。
「当然だ。
火は神の導きだ、そして神は答えた」
熱が、一段上がる。
(……神、だと)
だが、吐き出さない。
「……その“守る”は……誰を指している」
俺は真っ直ぐにレイヴァルトを見た。
だが向こうの視線もこちらを射抜く。
「人だ。神に選ばれし存在だ」
(最初から……見ていないんだな……)
俺は、静かに言う。
「……そうか」
拳の熱が消える。
手を開く。
一歩、近づく。
レイヴァルトの肩に触れる。
その瞬間、わずかに目が揺れる。
「そんなことを、誰に教えられた」
静まり返る。
レイヴァルトは一瞬迷い――
すぐに戻る。
「……何を言っている」
声は静かだった。
だが、わずかに硬い。
「人だけが選ばれ、他は見る必要もないと……、
そんなものを、誰に教えられた」
「当然のことだ……神話の時代より、
火は人に託された。
導きは人に下りた」
(……違う)
怒りではない。
冷えた感情。
リヒトも。
俺も。
こんなものは望んでいない。
それでもこいつは信じている。
だから――
不憫だった。
手を離す。
「……そうか。
なら、お前はまだ何も知らん」
「何だと?…」
「お前が守ると言ったものの中に、
零れているものがある」
まだ分からなくもいい。
白服と呼ばれる中央の者達。
それで切り捨てるだけではいけない。
だからこそ言わなければ。
「それを見ないまま、
守るなどと言うな」
「……亜人種のことを言っているのか」
「名はどうでもいい」
「そこに在るものを、
最初から無かったことにするな」
沈黙。
レイヴァルトは答えを選ぶ。
やがて、
「ならば……お前は」
「やはり、こちら側の人間ではないな」
「最初からそう言っている。
どちらでもない……だから見えるものもある」
短い沈黙。
「……これ以上は無意味だな」
囲みがゆるむ。
レイヴァルトは背を向ける。
「……エア、だったな?」
「何だ」
「ならば聞いてやる」
一度だけ、こちらに振り返った。
「お前の言う“守る”は、何を残すつもりだ?」
「そんな大層なものじゃない……。
家族を守ってやりたいだけだ」
それだけ言うと。
白が去っていく。
足音が遠ざかる。
中庭に静けさが残る。
俺はその場に立つ。
胸の奥の熱は、
もう怒りではなかった。
ただ重く、
鈍い痛みのように残っている。
(……まったく)
小さく息を吐く。
(いらないものを背負わせてしまった……か……)
誰に向けた言葉か、
自分でも分からなかった。
だが、
足は自然に寮の方へ向いていた。




