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第95話:夜の補講


カイナと別れ、廊下を歩きながら、ふと思う。


(あ……任務の話、聞けなかったな)


そのとき。

――腕が引かれた。


視界がぶれる。


そのまま、壁の影に引き込まれる。


「……っ」


反射で動こうとする前に、


「――あんた、何してんの?」


声。

すぐ近く。


「ノクシア?」


気だるそうな目。


だが、視線は鋭い。


俺を見る。

逃がさない位置。


「こんな時間に、白服とおしゃべり?」


手が離れる。


「随分、余裕あるのね」


責めているわけじゃない。

だが、全部見ていた声だった。


ノクシアは、わずかに首を傾ける。


「それで?」


短く言う。


「中央の連中はともかく――」


視線が細くなる。


「あんたは、何してんの?」


沈黙。

逃げ場はない。


「……別に。

 そっちは? 夜這いか?」


「そんなわけ無いでしょう。

 どこかの誰かがコルムナに忍び込まないよう、

 あたしまで駆り出されてんのよ」


ノクシアは恨めしそうに横目で俺を見た。


「それは大変だ」


短く返す。


ノクシアは眉一つ動かさない。

ほんの少しだけ間。


「槍?」


空気が、わずかに張る。


ノクシアの目は揺れない。


見ている。


試すでもなく、

ただ“そこに置く”ように。


「紹介状、書いたのは私よ」


ぼそっと付け足す。


「忘れてるわけじゃないでしょ?」


一瞬の沈黙。


「なら」


俺はそのまま言う。


「案内でもしてくれるか?」


ノクシアは、ほんのわずかに目を細める。


すぐに、息を吐いた。


「無理ね」


あっさり言う。


「私にも、しがらみはあるの」


軽い言い方。


だが、線ははっきりしている。


一歩だけ距離を取る。


「まぁでも――」


少しだけ視線を上にずらす。


「“扉があって、その先にある”みたいなものじゃないわ」


間。


「探すだけ、無駄よ」


静かに言い切る。

彼女の立場では答えは教えられない。


だが、情報はくれた。


「そうか……」


短く返す。


ノクシアは腕を組む。


少しだけ考えるように視線を落とし――

やがて、顔を上げた。


「安心なさい」


淡々とした声。


「あんたなら、必ずチャンスは来るわ」


そして、付け加える。


「ただし――」


指先が、わずかに動く。


「それを“掴める側”にいなきゃ意味がない」


沈黙。

俺は何も言わない。


ノクシアは続ける。


「今のあんた、基礎も何もないでしょ」


事実だけを言う。


「文字も読めない。詠唱も知らない」


わずかに肩をすくめる。


「それで辿り着けるほど、甘くはないのよ」


静かな声。


だが、否定ではない。


「だから――」


ほんの少しだけ、視線が柔らぐ。


「まずは、ちゃんと学院に残りなさい」


間。


「授業についていける程度には、ね」


ユーリスの顔が一瞬だけ浮かぶ。


ノクシアはそれを見抜いたように、


「……あの子、使いなさい」


ぼそっと言う。


「知識だけは無駄にあるから」


少しだけ皮肉。


だが、信頼も混じっている。


「それが一番早いわ」


ノクシアは背を向ける。


「余計なことをして目立たないことね」


軽く手を振る。


「さっさと寮に帰りなさい。

 規則もちゃんと守ること」


振り返らないまま、付け足す。


「今はまだ、“選ばれる側”なんだから」


―――――


寮。


廊下は静かだった。


灯りも落ち始めている。


(……基礎、か)


ノクシアの言葉を思い出す。


文字。

詠唱。


どちらも、今の俺にはない。


部屋の前で止まる。


(……)


少しだけ考えて、


扉を叩いた。


すぐに音が返る。


「はい?」


中から、慌てた声。


扉が開く。


「エアさん?」


ユーリスだった。

目を丸くしている。


「どうしたんですか、こんな時間に」


「……少し、借りる」


「え?」


「お前の知識だ」


ユーリスの目が、ぱっと輝く。


「――はい!」


食い気味だった。


「入ってください!」


―――――


部屋の中。


机の上には本が積まれている。


紙の匂い。


インク。


ユーリスは慌てて椅子を引いた。


「どこからいきます? 文字? 詠唱? 基礎理論? それとも――」


一気に来る。


「文字でいい」


短く言う。


ユーリスがぴたりと止まる。


「……文字、ですか?」


「ああ」


頷く。


ユーリスは少しだけ考え、


一冊を取り出した。


「じゃあ、これから」


机に広げる。


古い本。


整った文字。


「これは今使われている共通文字です」


指でなぞる。


「発音と形が対応していて――」


それから前回の復習と、

新しく、俺のために用意してくれていた本があるらしい。


その中の文字は俺でも比較的読めるものが多かった。


だが、俺はその話を知っていた。


「これは分かるな。最期は確か……狼族の若い男が場を収めたはずだ」


ユーリスの言葉が止まる。

考えている。


本と、空中の線。


何度か見比べて、

小さく息を吸った。


「……どうして、分かるんですか?」


ユーリスはゆっくりと本を閉じる。

そして、別の本を引っ張り出す。


古びた装丁。

埃が少し舞う。


「……これ、いまの本の研究資料なんですけど」


ページをめくる。


「古代文字の復元案です」


開く。

俺は指でその文字を追っていく。


「ここだ」


ユーリスの目が見開かれる。

じっと文字を見るが、今度は逆にユーリスには読めないらしい。


「……」


俺はそれを見る。


「飢餓、そう書かれている」


それだけ言う。

ユーリスの喉が鳴る。


「え?」


「合ってる」


沈黙。

ユーリスはゆっくりと顔を上げる。


「……エアさん」


少しだけ声が低い。


「これ、未確定の資料なんですけど」


「そうか」


「仮説ですよ? しかも……。

 これは、エアさんが生きていた時代より今に近いはずです」


「ああ」


「なのに、なんで――」


止まる。


言葉を選ぶ。


「……知っているんですか?」


俺は少しだけ考える。


(……)


「……見たことがある」


それだけ言う。

ユーリスが息を止める。


「見た? どうやって……」


「俺が最初に世界から消えた後……、

 夢の中で続きを見ていたからだ……」


嘘ではない。

だが、明確な説明でもない。


ユーリスはしばらく動かない。

やがて、


「それ……面白そうです!」


小さく笑う。

目が、さっきよりも鋭い。


「じゃあ、続けましょう!」


本を開き直す。


「次、詠唱です!」


切り替えが早い。


「ここまでの文字が分かるなら、構造もいけるはずです!」


「あぁ、頼む」


俺は頷く。


―――――


扉の外。


人の気配。


壁にもたれる影が一つ。


ノクシアだった。


中の声は、はっきりとは聞こえない。


だが、断片は拾える。


「見たことがある、夢の中で――」


小さく息を吐く。


「……うまくやってるわね」


ぼそっと。


独り言のように。


「ちゃんとあの子“使ってる”わね」


口元が、わずかに緩む。


「……思ったより素直じゃない」


間。


「……扱いやすいわね」


だが、声に油断はない。


視線は扉の先ではなく、


その“先”を見ている。


「だからこそ――」


小さく呟く。


「外れた時が面倒ね」


それだけ言って、


ノクシアは壁から離れる。


そこに……


足音が一つ、近づいてくる。


ノクシアは視線だけを向けた。


「……」


止まる気配。

低い声。


「ノクシア?」


ガレスだった。


手には布に包まれた荷物。


「何をしている……」


ノクシアは一瞬だけ目を細める。


「……あら?」


軽く首を傾ける。


「あんたこそ何? それは?」


ガレスは視線を扉に向ける。


「生徒のものだ……。部屋に居なかった。

 そいつはよく君の弟子がそばにいるからな」


短く言う。


「制服の補充だ。それと理由を聞きに」


事実だけ。


ノクシアは小さく笑う。


「真面目ね、相変わらず」


「仕事だ」


「はいはい」


軽く流す。


ガレスはノクシアを見る。


「……お前こそ、何をしている」


少し間。


ノクシアは肩をすくめる。


「見てただけ」


それだけ言う。


ガレスの目がわずかに細くなる。


「……何をだ」


「面白いもの」


そして思い出したように。


「エアの制服のことなら、私よ?」


「何?」


「私の研究のためよ」


曖昧に返す。

だがガレスはそれ以上は聞かない。


「……変わらんな」


ぽつりと言う。


ノクシアが笑う。


「そっちこそ」


一歩だけ距離を取る。


「昔からそうだったじゃない? 堅物の真面目で」


視線が一瞬だけ柔らぐ。


「融通きかないとこ」


ガレスは答えない。

だが、


否定もしない。

短い沈黙。


ノクシアは踵を返す。


「邪魔しないであげなさいよ」


軽く手を振る。


「せっかく“真面目にやってる”んだから」


ガレスは扉を見る。


ノクシアの背を見る。


一瞬だけ迷い――


「……分かった」


低く返す。


ノクシアは振り返らない。


だが少し、微笑んで歩き出した。


足音が遠ざかる。


ガレスはしばらくその場に立つ。


手の中の荷物を見る。


そして、ノクシアが去っていった方へ、

一度だけ視線を向けた。


「……変わらんな」


小さく、呟く。


「いや――」


わずかに首を振る。


「変わっていないのは…俺の方か」


誰にも聞こえない声。


ガレスは扉に荷物を立てかける。


手を離す。


中から、かすかに声が漏れる。


「――だから、詠唱は」


一瞬だけ耳を傾ける。


だが、それ以上は聞かない。


背を向ける。


足音が、静かに遠ざかっていった。

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