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第94話:教義と自分


月あかりに照らされ、カイナの表情が見え始めた。


「……は?」


小さな声。


だが、さっきまでの静けさとは明らかに違う。


戸惑いが混じっていた。


カイナは一瞬だけ目を逸らし、

すぐに戻した。


「……何を言っている」


低い声。


だが、きっぱり切れていない。


俺は肩をすくめる。


「そのままだ」


「意味が分からない」


「そうか」


短く返す。


少し間。


カイナの喉が、わずかに動く。


白い手袋の指先が、

ほんの少しだけ強く握られた。


「……俺は教会の……白服だぞ」


確認するような声だった。


「知ってる」


「中央の人間だ」


「ああ」


「お前から見れば、敵側だろう」


俺は少しだけ考える。


「敵かどうかは、まだ知らん」


それだけ言う。


「だが、お前は少し違う」


カイナの眉が寄る。


「……少し?」


「他の連中みたいに、

 最初から決めつけた目をしていない」


短い沈黙。


「あの時の夜もそうだ」


俺は続ける。


「最初に見つかった時、

 お前は騒がなかった」


カイナの目が、わずかに細くなる。


「……」


「説教のあとも、

 あそこで見たことを黙っていた」


「……結果的には、話した」


「それでも、後からわざわざ言いに来た」


カイナの視線が揺れる。


「それは……」


言葉が止まる。


俺はそこで追わない。


代わりに言う。


「ほかの白服連中とは違う。

 だから気になった」


静かな声で、

そのまま置く。


カイナはしばらく黙っていた。


白い廊下。


一定の灯り。


薄い影。


その中で、

呼吸だけが少し不揃いになる。


やがて、カイナが小さく息を吐く。


「……お前は」


少しだけ顔を伏せる。


「そういうことを、

 平気で言うのか」


「平気?」


俺は首を傾げる。


「ただの事実だ」


カイナが眉を寄せる。


困ったような、

呆れたような顔だった。


「……厄介だな」


「かもしれんな」


「自覚があるなら、直せ」


「必要なら」


短いやり取り。


だが、

空気は少しだけ変わっていた。


さっきまでの警戒とも、

図書塔での距離とも違う。


カイナは壁に背を預けたまま、

一度だけ目を閉じる。


「……俺は」


小さく言う。


「別に、亜人を嫌っているわけじゃない」


唐突だった。


だが、

自分でも止められなかったみたいに聞こえた。


俺は黙って聞く。


「教義は学んだ。

 人間が正しく、純粋だとも教えられてきた」


「……」


「それを嘘だと言う気はない」


少しだけ間。


「だが……」


言葉が重くなる。


「だからといって、

 他を踏みにじっていいとは思えない」


沈黙。


その言葉は、

誰に向けた弁明でもなかった。


むしろ、

自分自身に向けた確認に近い。


俺は少しだけ頷く。


「そうか」


それだけ言う。


カイナがこちらを見る。


「……違うとすればそれだろうな」


「十分だ」


短く返す。


「お前がそう思ってるなら、俺は嬉しい」


カイナはわずかに目を見開く。


「嬉しい? なぜだ?」


俺は一瞬だけ、言葉を止めた。


(……)


ほんの僅か。


考えるというより、

口に出しかけたものを引っ込める感覚。


「……別に」


短く言う。


「そういう考えのやつがいるのは、悪くないと思っただけだ」


カイナの眉が寄る。


「それだけで、嬉しいのか?」


「ああ」


迷いなく返す。


だが――


カイナは納得していない顔だった。


じっとこちらを見る。


探るような視線。


「……お前」


低く言う。


「さっきからそうだが……」


一拍。


「時々、妙な言い方をするな」


「そうか?」


「他人事だと言うのに、まるで自分事みたいに世界を見ている」


空気が少しだけ張る。


俺は視線を外す。


月明かりが床に落ちている。


「……癖みたいなもんだ」


軽く流す。


カイナは黙る。


完全に信じたわけではない。

だが、追及もしない。


(……ここで踏み込まないか)


俺は少しだけカイナを見る。


(やっぱり違うな)


白服でありながら、

線を引く場所を自分で選んでいる。


やがてカイナが小さく息を吐く。


「……まぁいい」


壁から背を離す。


「お前の事情に踏み込む気はない」


「助かる」


「ただし」


カイナの目が少しだけ鋭くなる。


「俺もやらなければならないことがある。

 それを阻むのならば……」


「…気をつける」


「本当か?」


「たぶん」


「曖昧だな」


「性分だ」


小さなやり取り。


だが、さっきまでの緊張はない。


カイナは一度だけ空を見上げる。


月が高い。

静かな夜。


「……エア」


「何だ」


「お前は」


少しだけ迷う。


言うかどうかを測る間。


「……どっちなんだ」


「どっち?」


「人間側か、それとも……」


言葉を切る。

カイナは“それ以外”を口にしない。


それから、肩をすくめた。


「くだらん」


カイナの目が細くなる。


「……くだらん?」


俺は視線を戻す。


「分けること自体がだ」


目を閉じて、

静かに言う。


「火を使うから人間か?

 水を使うから違うのか?」


そしてカイナを見る。


「そんなもの、後から付けた名前に過ぎん」


カイナは黙る。


反論しようとして、

言葉を探している。


だが――出てこない。


俺は続ける。


「お前はさっき言ったな」


「……何をだ」


「踏みにじるのは違う、と」


カイナの視線が揺れる。


「……ああ」


「なら、それで十分だ」


短く言う。


「どっち側かなんて、どうでもいい」


沈黙。


月明かりが、白い廊下に落ちる。


カイナの指先が、

ゆっくりと力を抜いた。


「……どうでもいい、か」


噛みしめるような声。


「それで済むほど…単純じゃない」


「知ってる」


即答。


「だから面倒なんだろ?

 お前……白は似合わねぇな」


カイナが、わずかに息を止める。


「……お前は」


小さく言う。


「全部分かった上で、切り捨ててるのか……」


「違う」


首を振る。


「切り捨てるものすら俺にはない。

 分ける必要がないと思ってるだけだ」


短い沈黙。


カイナはしばらく動かない。


やがて、

小さく笑った。


本当に、わずかに。


「……やっぱり、変なやつだな」


「そうかもしれん」


「だが」


カイナは一歩だけ近づく。


「嫌いじゃないな……」


その言葉は、軽くはなかった。


重すぎもしない。


ただ、真っ直ぐだった。


俺は一瞬だけ目を細める。


「それはどうも」


「勘違いするな」


すぐにそっぽを向く。


「同意したわけじゃない」


「分かってる」


「ただ――」


言いかけて、止まる。


カイナは言葉を選んでいる。


「……考える余地がある、と言っているだけだ」


俺は小さく頷く。


「それでいい」


沈黙。


風が抜ける。


夜は静かだ。


カイナは背を向ける。


「行く」


「そうか」


「……エア」


足を止める。


「何だ」


「お前のその考え」


少しだけ振り返る。


「危ういぞ。

 特に俺たちにとっては……敵だ」


「だろうな」


即答。


カイナの目が、ほんの少しだけ柔らぐ。


「でも……俺は……」


一拍。


「嫌いじゃない」


今度は繰り返した。


それだけ言って、

カイナは歩き出す。


白い背が、闇に溶けていく。


足音が遠ざかる。


静寂。


俺はその場に残る。


(……どっち側……ね)


そもそも――

最初から、そんな区分はなかった。


火も、

水も、

人も。


全部、後から分かれただけだ。


月を見上げる。


変わらない光。


(面倒なことだけが増えるんだな……)


小さく息を吐いた。


―――――


廊下の角を曲がった先。


カイナは一度だけ足を止めた。


振り返らない。


だが、わずかに目を閉じる。


「……くだらん、か」


小さく、呟く。


その言葉を、

否定しきれない自分がいることに気づく。


白い手袋の指先が、

ほんの少しだけ強く握られた。


やがて、何もなかったように歩き出す。


足音は、さっきよりわずかに重かった。

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