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第97話:歌声の余韻


廊下を歩く。


人の気配は少ない。


足音だけが響く。


――そのとき。


声が、混じる。


止まる。


今度は、はっきり聞こえた。


(……歌?)


理由はない。


だが、足が動かない。


そのまま、立ち尽くす。


遠く。


階段の方。


静かな歌。


本来なら、気にも留めない。


だが――


(……何だ)


違う。


音でも、言葉でもない。


もっと奥。


直接、触れてくるような感覚。


胸の奥が、わずかに緩む。


気づかないうちに、

呼吸が落ちていた。


(……くだらん)


小さく思う。


内容が分かってくる。

これは聖歌だ。


神に従え。

選ばれし者。

導き。


好きな話じゃない。


それでも。


耳を、離せない。


一歩、近づく。


意識していない。


ただ、自然に。


階段の踊り場。


カイナがいた。


壁に背を預け、

目を閉じている。


誰かに聞かせるためじゃない。


ただ、そこにあるように。


歌っている。


(……)


視線が、外れない。


意味は理解している。


だが、入ってこない。


代わりに、言葉にできない曖昧なものが、

そのまま沈んでくる。


胸の奥が、揺れた。


(……っ)


わずかに眉が動く。


上手くは言えない……違和感のようなものが、俺を満たす。


だが――嫌じゃない。


むしろ、どこか……


(……落ち着く声だ)


思考が止まる。


何も考えず。


ただ、そこにあるだけでいいような感覚。


――だからこそ。


「……気に食わん」


小さく吐き捨てる。


その瞬間。


歌が、止まる。


静寂。


わずかな間。


カイナの肩が、ほんの少しだけ動く。


ゆっくりと目を開ける。


視線が、こちらへ向いた。


「……ッ」


小さく漏れる。


「エアか……」


姿勢を起こす。


壁から背を離す。


「いつからいた」


「さっきだ」


短く返す。


カイナは一瞬だけこちらを見て、


「……そうか」


軽く言う。


気まずさはない。


ただ状況を受け入れた声。


「まあ、いい」


小さく肩をすくめる。


「うるさかったか?」


軽く聞く。


「いや」


首を振る。


「気になっただけだ」


カイナはわずかに目を細める。


「気になった?」


少しだけ笑う。


「こんなとこ、誰も来ない」


視線で上を示す。


「上は外だ。

 誰かが来る理由ない」


ラフな口調。


説明でもなく、

ただの事実。


「だから使ってる」


それだけ言う。


俺は短く返す。


「そうか」


カイナが、じっとこちらを見る。


「……よく気づいたな」


軽く言う。


「結構奥だぞ、ここ」


俺は視線を逸らす。


「……聞こえた」


カイナは少しだけ間を置いて、


「へぇ?」


とだけ言う。


口元がわずかに緩む。


「耳がいいな」


軽い調子。


だが、視線は外さない。


(……)


沈黙。


さっきまでの余韻が残る。


カイナが息を吐く。


「……中央に興味でも出てきたのか?」


軽く言う。


「別に」


短く返す。


カイナは少しだけ笑う。


「そうか……、だがお前はそのほうがいいだろうな」


それ以上は踏み込まない。


「だな……、俺は戻る」


軽く手を上げる。


「お前も」


足を止める。


振り返らないまま、言う。


「……中央にいるには、もったいないな」


背後で息を呑んだような気配がしたが、そのまま続ける。


「歌の内容は気に食わんが――」


わずかに間。


「いい声だった」


それだけ言う。


返事は待たない。


俺はそのまま歩きだした。


―――――


廊下を歩いているが、さっきまでの余韻がまだ胸の奥に残っている。


(消えない……)


小さく息を吐く。


そのとき。


「……エアさん?」


声。


前からだった。


顔を上げる。


ユーリスが立っている。


廊下の壁に軽く寄りかかり、

こちらを見ていた。


「やっぱり」


小さく言う。


「何か、ありましたよね」


「……別に」


短く返す。


ユーリスは一瞬だけ目を細める。


それ以上は追わない。


だが、外さない。


「中央絡みです?」


沈黙。


否定はしない。


それでも伝わる。


ユーリスは軽く息を吐く。


「……やっぱり」


少しだけ視線を落とす。


「正しいと思ってることしか言わないんですよね、あの人たち」


ぽつりと漏らす。


「でも……どこか、ずれてる」


短く言う。


俺は歩き出す。


ユーリスも並ぶ。


「……違うな」


小さく返す。


ユーリスが横を見る。


「え?」


「全部じゃない」


それだけ言う。


ユーリスは少しだけ考え、


「……はい」


とだけ答える。


完全には理解していない。


だが、否定もしない。


しばらく、無言。


足音だけが続く。


やがてユーリスが口を開く。


「……そういえば」


少しだけ声が変わる。


「祭事の資料、少し見つけました」


俺は視線だけ向ける。


「迷宮、やっぱり人工みたいです」


「……だろうな」


「構造も、毎年変わってます。

 罠も、魔物も。

 全部、調整されてるそうです」


「……ほう?」


「はい」


迷いなく頷く。


「あと」


ユーリスは少しだけ間を置く。


「“到達者”はいます」


足が止まる。


「ただ」


「ほとんどが、触れただけで終わってます」


「持ち帰りは……数人」


「なんだと……、そいつらは槍を使えたのか?」


「いえ」


首を振る。


「使用例は、ありません」


沈黙。


「でも」


ユーリスの声がわずかに落ちる。


「その人たち、その後の記録がないんです。

 名前は残ってるのに」


顔をしかめる。


「その先が、消えてるんです」


(……回収か?)


口には出さない。


俺は視線を向ける。


「その情報……どこから拾ってきた」


短く聞く。


ユーリスは少しだけ目を丸くして、


すぐに小さく笑う。


「これでも元冒険者ですよ?」


軽く言う。


「情報を集めるのも仕事のうちです」


少しだけ得意げに続ける。


「書庫だけじゃなくて、古い記録とか、断片的な報告とか。

 繋げれば、ある程度見えてきます」


そして少し気まずそうに頬をかきながら視線を流す。


「……まあ、これはロアンの受け売りなんですけど」


小さく付け足す。


俺は短く言う。


「そうか」


歩きながら、ふと思う。


「……そういえば」


ユーリスが顔を向ける。


「なんですか?」


「いつまで“さん”付けだ」


短く言う。


ユーリスが一瞬、固まる。


「……え?」


「呼びにくいか?」


それだけ言う。


ユーリスは少しだけ目を瞬かせて、


「い、いやでも……」


言いかけて、止まる。


少し考える。


そして――

小さく笑う。


「……じゃあ……エア」


少しだけぎこちない。


だが、はっきり呼ぶ。


俺はそれに答えない。


ただ、歩く。


ユーリスが横で続ける。


「急にですね」


少しだけ楽しそうな声。


「なんとなくな」


短く返す。


「フィアも、たまに呼び捨てだったろ」


ユーリスが少しだけ目を細める。


「あぁ……」


思い出すように頷く。


「……そうでしたね」


小さく笑う。


「同じパーティーでしたし」


歩きながら続ける。


「一緒に動いてると、自然とそうなります」


「なら……今も同じだ」


短く言う。


ユーリスが横を見る。


一瞬だけ、間。


それから――


「……はい」


静かに頷く。


さっきより、少しだけ自然な声だった。

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