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第90話:観測者の復帰


訓練場の端から、


一人の女が黙って見ていた。


長い髪。

細い目。

どこか気だるげな立ち方。


だが、

視線だけは鋭い。


ユーリスが気づく。


「……っ」


小さく肩が跳ねた。


「し、師匠……?」


ノクシアは答えない。


視線は、まだ地面に残る焦げ跡と、

俺の方へ向いている。


やがて、

ゆっくり歩いてきた。


靴音は静かだ。


訓練場の空気が、

少しだけ変わる。


周囲の生徒も、

なんとなく距離を取った。


ノクシアは焦げた刻印陣の前で止まる。


しゃがむ。


指先で黒く焼けた石をなぞる。


「……第一階位で、これなわけ?」


低い声。


独り言みたいだった。


ユーリスが慌てて近づく。


「師匠、これは、その……」


「見れば分かるわ」


ノクシアは立ち上がる。


ユーリスを見る。


「あなた、今朝の授業で詠唱の話を聞いて、

 それで連れてきたんでしょ?」


ユーリスが目を丸くする。


「な、なんで……」


「顔」


即答だった。


「それに、昨日から嫌な予感がしてたの。

 ……おまけに昨日はコルムナまで光ってたしね」


ノクシアの視線が、

今度は俺へ向く。


「その子が学院に入った以上、

 何かしら問題を起こすとは思っていた」


淡々とした声。


だが、

責めているわけではない。


ただ、予測を述べているだけだ。


「それで、ちょうどいいから復帰したのよ」


ユーリスが瞬きをする。


「復帰……?」


「ええ」


ノクシアは肩をすくめる。


「正式にね」


少しだけ面倒そうに続ける。


「研究顧問。

 ついでに非常勤講師」


「学院側は理術系の人手が欲しい。

 私は観測対象が欲しい」


一拍。


「利害が一致しただけ」


ユーリスが固まる。


「え、えぇ……」


ノクシアは気にしない。


「これも心配だったし」


ぽつりと言う。


「放っておけば、いずれ面倒事に巻き込まれる。

 横取りされるのも癪じゃない?」


ユーリスは口を開きかけて、

閉じる。


何も言い返せないらしい。


ノクシアは再び俺を見る。


「それに」


少しだけ目を細める。


「教師になってしまえば、

 堂々と観察できる」


静かな声だった。


隠す気もない。


ユーリスが額を押さえた。


「師匠……」


「なによ?」


「それ、本人の前で言うことじゃ……」


「事実よ。

 それに回りくどいのは嫌いよ」


即答。


それから、

ノクシアは俺を見る。


「で?」


「詠唱を知らなかったのね」


「あぁ」


「なのに、真似したら威力だけ跳ね上がった」


「らしい」


ノクシアはわずかに笑った。


「らしい、じゃないのよ」


焦げ跡を指す。


「訓練場の刻印陣が泣いているわ」


ユーリスが小さく言う。


「第一階位のつもりだったんです……」


「でしょうね」


ノクシアは頷く。


「でも、この子には“術式を固定する言葉”が、

 補助じゃなく上乗せで働いた」


ユーリスが顔を上げる。


「上乗せ……?」


「ええ」


ノクシアは俺を見たまま言う。


「普通の魔術師は、詠唱で形を整える」


「でも、この子は違う」


少し間。


「最初から火が出る」


訓練場の風が抜ける。


「つまり、現象そのものは既に起きている」


「そこへ詠唱を重ねたら、

 補助じゃなく、別の固定が加わる」


ユーリスが呟く。


「だから……威力が……」


「跳ねた」


ノクシアが言い切る。


それから俺へ。


「あなた、今後は勝手に詠唱を真似しないこと」


「何故だ」


「訓練場を吹き飛ばしかねないからに決まってるでしょ」


即答だった。


少し間。


ノクシアはユーリスを見る。


「あなたは付き添いよ」


「はい?」


「この子に基礎を教えなさい」


「詠唱の意味。

 術式の意味。

 現代魔術の枠組み、それだけ。

 使わせるんじゃないわよ」


ユーリスは戸惑う。


「え、でも……」


「実戦する時は、私も見る」


静かな声。


「というより、私が見るためにやるのよ」


やっぱり観測が本命らしい。


ノクシアはそのまま踵を返す。


数歩進んで、

ふと思い出したように止まる。


振り向かないまま言う。


「ユーリス」


「は、はい!」


「今日の夕方から、図書塔の第二閲覧室を使いなさい」


「私の名で押さえてある」


ユーリスが固まる。


「……最初から来るつもりだったんですか」


「言ったでしょう」


ノクシアは面倒そうに言う。


「問題を起こすと思っていたって」


そして、今度は俺に向けて。


「エア」


「なんだ」


「あなたはしばらく、勝手に目立たないこと」


少し間。


「少なくとも、

 私が観測し終えるまでは」


「断る」


即答した。


ノクシアがようやく振り向く。


細い目が、わずかに細くなる。


だが怒ってはいない。


むしろ、

少しだけ楽しそうですらあった。


「でしょうね」


吐き捨てるように言う。


「だから余計に、私がここにいるのよ」


沈黙。


ユーリスが小さく息を呑む。


ノクシアはそれ以上何も言わず、

そのまま歩き去った。


長い髪が揺れる。


周囲の生徒たちも、

道を開けるように離れていく。


しばらくして、

足音が遠ざかった。


訓練場に風が戻る。


ユーリスが、ようやく小さく息を吐いた。


「……師匠、ほんとに戻ってきちゃったんだ……」


「嫌なのか?」


「嫌……ではないです」


少し考える。


「でも、多分」


苦笑する。


「エアさん、これからもっと観察されますよ」


「そうか」


「はい」


ユーリスは焦げた地面を見る。


「……でも」


少しだけ笑う。


「前より安心です。

 師匠がいるなら、

 少なくとも一方的に消されることはないので」


俺はノクシアが去った方を見る。


「あれはそういう目か」


「はい」


ユーリスは頷く。


「怖いですけど」


少し間。


「守る時は、ちゃんと守る人です」


訓練場の空気は、

さっきより少しだけ落ち着いていた。


ただ――


面倒なものが、

一つ増えた気はした。


―――――


翌日、朝早くから俺は起こされた。


訓練棟の小実験場。


広い演習場ではなく、

石壁に囲まれた小さな部屋だった。


床には刻印陣。


周囲の壁にも刻み線がある。


そして、

中央の机に数本の杖が並んでいる。


ユーリスが杖を一本持ち上げた。


「触媒の実験だそうです」


「触媒?」


「はい」


ユーリスは杖を軽く振る。


「魔術師は普通、

 杖や指輪、刻印具を使います。

 それが触媒です」


机に杖を戻す。


「理由は単純で、

 人間の体だけでは術式を安定させられないからです」


「だから」


杖を指で叩く。


「これに“流す”」


「魔力を?」


「ええ」


ユーリスは頷く。


「杖は術式を安定させる道具です」


「刻印と同じ役割ですね」


その時だった。


扉が開く。


ノクシアが入ってくる。


長い髪。


気だるそうな目。


だが視線は真っ直ぐだった。


「始めてた?」


「い、いえ」


ユーリスが姿勢を正す。


「ちょうど説明をしていたところです」


ノクシアは机の杖を見る。


一本持ち上げる。


重さを確かめるように振る。


「安物ね」


淡々とした声。


「学院支給ですから……」


ユーリスが小声で言う。


ノクシアは気にしない。


「まあいいわ」


机に杖を戻す。


それから俺を見る。


「今日は触媒の実験」


「あなたは普段、

 何も使わないで火を出す」


「ああ」


「だから」


ノクシアは杖を指差す。


「これを使った場合、

 何が起きるかを見る」


ユーリスが補足する。


「普通は杖を使うと、

 威力が安定します」


指を立てて続ける。


「余計な暴発が減る、

 術式の形が整う、

 それが触媒の役目です」


少し間。


ユーリスが苦笑する。


「ただ……エアさんの場合、

 普通じゃないので」


ノクシアが言葉を継ぐ。


「逆に何か起きるかもしれない」


ユーリスが小さく頷く。


「だから小実験場です」


ノクシアは床を見る。


刻印陣。


観測線。


「一応、吹き飛んでも大丈夫な部屋ね」


「吹き飛ばさん……たぶん」


俺が言う。


ノクシアがわずかに笑う。


「信用してないわけじゃないわ」


杖を一本拾う。


それを俺に投げる。


「持って」


杖が手に収まる。


軽い。


木製だ。


先端には小さな刻印。


ノクシアが腕を組む。


「さて、条件を確認する」


ユーリスが慌てて紙を出す。


「は、はい」


「第一条件、第一階位の火。

 出力は最小」


ノクシアが続ける。


「詠唱あり、触媒使用」


ユーリスが黙々と紙に書き込む。


「観測対象」


ノクシアが俺を見る。


「現象の変化、

 威力、安定性」


少し間。


ノクシアが言う。


「いい?」


「あぁ」


俺は杖を軽く振る。


違和感があった。


「……妙だな」


ユーリスが首を傾げる。


「何がです?」


「流れ? みたいなものを感じる……」


「流れ?」


ノクシアの目が細くなる。


「当然よ、触媒だから」


ノクシアも杖を取り、指でなぞる。


「術式の通り道が刻んであるのよ。

 人の手で作られた“流れ”」


俺は杖を見る。


「狭い感じだ……」


ユーリスが瞬きをする。


「え?」


ノクシアは黙っていた。


俺は杖を構える。


息を吸う。


詠唱を思い出す。


「たしか――」


小さく言う。


「――火よ」


次の瞬間。


杖の先に火が生まれる。


だが――普通の火ではなかった。


細い。


鋭い。


まるで刃のように細い炎。


ユーリスが目を見開く。


「……え」


炎は揺れない。


揺れないまま、

まっすぐ前に伸びる。


刻印陣の端に当たる。


石が赤く焼ける。


だが、

爆発は起きない。


静かに、

一直線に焼けた。


沈黙。


ユーリスが呟く。


「……威力が……下がってる?」


ノクシアが首を振る。


「違う」


床を見る。


焼け跡は細い。


だが……深かった。


石が削れている。


「収束してる」


ノクシアが言う。


「威力は同じ、ただ」


杖を見る。


「流れが細い……とても……」


ユーリスがはっとする。


「だから……広がらない?」


ノクシアが頷く。


「そう」


それから俺を見る。


「あなたの火は本来、

 拡散する」


そして杖を見た。


「でも触媒の術式が、

 通り道を固定した」


ユーリスが紙に書き込む。


「出力変化なし、

 現象変化あり。

 収束型」


ノクシアが言う。


「つまり、杖は抑制」


少し間。


ノクシアが笑う。


「面白いわね」


ユーリスが顔を上げる。


「師匠?」


ノクシアは俺を見る。


「あなた、杖を持った方が危険よ」


「なぜだ?」


「収束するから」


ノクシアは床を指す。


「拡散する火は広く焼く」


「でも」


焼け跡を見る。


「収束した火は、貫くように力が集中している」


ユーリスが小さく言う。


「……魔術じゃなくて」


少し間。


「ほぼ武器……槍みたいですね」


ノクシアが頷く。


「そう」


それから俺を見る。


「エア」


「なんだ?」


「次よ」


杖を指す。


「第二階位」


ユーリスが叫ぶ。


「えっ!?」


ノクシアは平然としている。


「観測は続きよ」


ユーリスが慌てる。


「ま、待ってください!」


「それやると!」


ノクシアが言う。


「やるわよ」


そして静かに続ける。


「この子がどこまで壊すのか、

 知っておきたいもの」


小実験場の空気が、少しだけ張りつめる。


ユーリスが困ったように俺を見る。


どうやら――

まだ帰れそうにない。

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