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第88話:逢引


白が消える。


次の瞬間。


重さが戻った。


音。


空気。


石の冷たい感触。


視界が揺れる。


そして――


世界が戻る。


俺の手は、

まだ柱に触れていた。


アンカー。


巨大な石柱は、

何事もなかったように静かだ。


さっきまでの光も、

もう消えている。


ゆっくり手を離す。


その時だった。


「……」


目の前に、

白服が立っていた。


完全に固まっている。


目が見開かれている。


さっきまでの落ち着いた顔は、

どこにもない。


まるで――

理解が追いついていない顔だった。


白服の喉が、

小さく鳴る。


「……今」


掠れた声。


「お前……」


言葉が続かない。


そしてようやく、

絞り出す。


「……消えた」


白服の喉が小さく鳴る。


「お前……今、何を――」


その時だった。


重い音。


石扉が外から開いた。


光が差し込む。


複数の足音。


「止まれ!」


低い声が響いた。


先頭に立っていたのは、

ガレスだった。


その後ろに教師が二人。

さらに巡回の兵が数名。


全員がこちらを見ている。


ガレスの顔は、

いつもより明らかに険しかった。


視線がまずアンカーへ向く。


次に俺。


そして白服。


「……」


短い沈黙。


やがてガレスが低く言う。


「貴様ら」


声に怒気が混じる。


「何をしていた?」


空気が重くなる。


白服が

ほんの少しだけたじろいだ。


明らかに動揺している。


今の出来事の直後だ。

当然だろう。


俺は肩をすくめる。


「道に迷った」


沈黙。


巡回の兵が顔を見合わせる。


ガレスの眉がゆっくり寄る。


「……中央区画の最奥まで迷うか」


「迷った」


即答。


ガレスのこめかみが

ぴくりと動く。


視線が白服へ向く。


「お前は?」


白服の喉が鳴る。


一瞬。


明らかに迷った。


だが。


ちらりと俺を見る。


その目は言っていた。


(そんな言い訳が通るものか……)


俺は何も言わない。


白服は小さく息を吸う。


そして言った。


「……その」


言葉を探す。


「……俺も、道に」


そこで止まる。


無理がある。


誰が聞いても分かる。


沈黙。


ガレスの目が細くなる。


「二人で迷ったと?」


俺は少しだけ考える。


それから言う。


「いや……正直に言う」


短い間。


「逢引だ」


空気が止まった。


巡回兵の一人が

盛大にむせる。


教師が咳払いする。


ガレスの表情が固まる。


白服は完全に凍りついた。


「……は?」


誰かが呟く。


俺は肩をすくめる。


「人目のない場所を探した」


静かに言う。


「ここが一番静かだった」


白服が横で硬直している。


首がゆっくりこちらを向く。


(お前……何を言ってる)


顔がそう言っていた。


だがもう遅い。


ガレスの視線が

ゆっくり白服へ向く。


「……事実か?」


低い声。


白服の喉が鳴る。


完全に追い詰められていた。


否定すれば、

さっきの出来事の説明が必要になる。


肯定すれば、

別の意味で地獄だ。


長い一秒。


白服は目を閉じる。


そして――


「……その通りです」


空気が凍った。


巡回兵が完全に顔を逸らす。


教師の一人が

深く天井を見上げる。


ガレスだけが

無言で二人を見ていた。


やがて。


こめかみを押さえる。


深いため息。


「……場所を選べ」


低く言う。


空気が、少しだけ緩んだ。


だが……それで終わるはずがなかった。


――その後。


かなり絞られた。


中央区画への侵入。

規則違反。

立入禁止区域。


理由が何であれ、

言い逃れはできない。


盛大な説教だった。


そしてようやく解放された頃には――


もう夜だった。


学院の灯りだけが、

石の廊下を照らしている。


俺は寮へ向かって歩く。


後ろから足音がついてきた。


白服だった。


しばらく無言。


夜の廊下に、

足音だけが響く。


やがて。


「……おい」


白服が口を開いた。


低い声。


俺は歩いたまま答える。


「なんだ」


少し間。


「さっきの」


短い沈黙。


「逢引ってのは」


また少し間。


「必要だったのか?」


俺は少し考える。


「便利だった」


白服が止まる。


俺も止まる。


振り返る。


白服は顔を覆っていた。


深く息を吐く。


「そんな事に……巻き込むな」


静かな声だった。


俺は肩をすくめる。


「俺はまだ学院に残りたい、お前もだろ」


「それは……そうだが……」


白服はしばらく黙る。


それから言う。


「……一つ」


視線がこちらに向く。


さっきの軽さはない。

真剣な目だ。


「お前」


短い間。


「神杭で何をした」


白服はしばらく黙っていた。


夜の廊下は静かだ。


やがて――


「……神杭?」


小さく呟く。


それから、

ゆっくりこちらを見る。


さっきまでの戸惑いとは違う。


完全に、

問い詰める目だった。


「お前は……」


少し間。


「アンカーと呼んでいたな?……学院はコルムナと呼んでいる」


低い声。


「お前……どこから来た?」


一歩近づく。


「なぜ触れた?」


さらに一歩。


「なぜ神杭が答えた?」


視線が揺れない。


「……なぜだ?」


沈黙。


質問が多すぎる。


俺は少しだけ天井を見た。


石のアーチ。


古い。


この学院より、

ずっと前のものだ。


(……何故が多すぎるな)


内心でそう思う。


視線を戻す。


白服はまだこちらを見ていた。

逃がす気はないらしい。


俺は小さく息を吐く。


「順番に聞け」


そう言った。


「答えるとは約束しないがな」


白服は眉を寄せた。


「ふざけるな! 神杭だぞ!」


そして腕を組み、俺を睨む。


「触れただけでも処罰だ」


俺は肩をすくめる。


「触っただけだ」


「消えただろうが!」


「少し歩いただけだ」


白服は言葉を失う。


「……歩いた?」


「中をな」


沈黙。


白服の顔が変わる。


「……中?」


白服はそれ以上言葉を失った。


しばらく俺を見ていた。


信じられないものを見るような目だ。


やがて。


低く言う。


「……馬鹿か」


短い言葉だった。


俺は眉を上げる。


白服は腕を組む。


視線を逸らさない。


「神杭だぞ」


低い声。


「学院の中心だ。中央が知ったら――」


言葉が止まる。


少しだけ、歯を食いしばる。


それから吐き捨てるように言った。


「……処分される」


沈黙。


夜の廊下は静かだ。


遠くで誰かの足音が響く。


白服は小さく息を吐いた。


そして言う。


「二度と近づくな」


俺は首を傾ける。


「命令か?」


「忠告だ」


即答だった。


短い間。


白服は目を細める。


「次にあそこへ行くなら」


少しだけ声が低くなる。


「少なくとも俺のいない時にしろ」


沈黙。


俺は少しだけ笑った。


「優しいな」


「違う!」


白服はすぐに言った。


「……面倒なだけだ」


そう言って背を向ける。


歩き出す。


俺も後ろを歩く。


しばらくして。


廊下の角で足が止まる。


白服が振り返った。


少し迷うような顔。


それから言った。


「……カイナだ、貴様は?」


短い言葉だった。


「エア」


それだけ言う。


カイナは一瞬だけこちらを見る。


「……覚えておく」


それだけ言うと背を向けた。


歩き出す。


やがて足音が遠ざかる。


完全に消えた。


―――――


寮へ戻る。


石造りの建物。


灯りはまばらだ。


扉を開けると、

中はほとんど寝静まっている。


廊下を歩き、

自分の部屋の前で止まる。


扉を開ける。


小さな部屋だ。


ベッド。

机。

椅子。


それだけ。


俺は靴を脱ぎ、

そのままベッドへ倒れた。


仰向けになる。


天井を見る。


静かだ。


(……神杭、か)


学院ではコルムナ……そう呼んでいるらしい。


(コルムナ……柱か)


間違ってはいない。


形は確かに柱だ。


だが。


俺は目を閉じる。


手の感触が、

まだ残っている。


石の冷たさ。


その奥。


ほんの一瞬だけ触れた、

あの空間。


昔。


入った場所。


遠い記憶だ。


(まだ……残ってるもんだな)


それだけ思う。


俺はもう一度、

小さく息を吐いた。


まあいい。


今日は疲れた。


考えるのは、

また今度でいい。


俺は目を閉じた。


夜の学院は静かだ。

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