第86話:中央の塔
昼食の後。
俺はガレスに呼ばれた。
訓練棟の奥。
昨日と同じ部屋だ。
石壁。
机と椅子。
壁には武具が掛かっている。
扉を開ける。
ガレスは机の向こうで腕を組んでいた。
俺を見るなり、
小さく息を吐く。
「……まったく」
呆れた声だった。
「お前というやつは」
少しだけ頭を振る。
「騒ぎを起こすなと言ったはずだが?」
俺は肩をすくめる。
「俺は何もしていない」
「事情は承知している」
即答だった。
ガレスは机の端に手を置く。
「廊下で火を撃ったのは向こうだ。だが今回は被害者もいない」
短い間。
「だからあの二名には警告で済ませた。
……だが、騒ぎになったのも事実だ」
否定はしない。
「中央の連中が騒いでいる」
「そうか」
「そうだ」
ガレスはゆっくり椅子に腰を下ろす。
「……ふむ」
少しだけ視線が鋭くなる。
「一つだけ聞く」
机の上を軽く指で叩く。
「火だ」
短い言葉。
「消えたな?」
俺は答えない。
ガレスは続ける。
「廊下で撃たれた火は、お前の前で消えたそうだ」
確認するような声だった。
「お前がやったのか?…」
「知らん」
嘘ではない。
ガレスはしばらく俺を見る。
それから小さく息を吐いた。
「……そうか」
否定もしない。
だが納得もしていない。
「では質問を変える」
声が少し低くなる。
「お前の周囲では」
机を軽く叩く。
「なぜ火が消える?」
沈黙。
俺は少しだけ考える。
「知らん」
結局それしかない。
ガレスは目を細める。
「本当に何も分かっていないのか」
「分からん」
ガレスは背もたれに寄りかかった。
少し天井を見る。
それから言う。
「……まあいい」
諦めたような声だった。
「重要なのはそこじゃない」
視線が戻る。
「中央だ」
短い言葉。
「今日の件は、もう向こうに伝わっている」
当然だ。
「奴らは理由を求める」
ガレスの声は冷静だった。
「中央の教義では」
少しだけ言葉を選ぶ。
「火は神の証だ」
知っている。
「そして火を操るのは人間」
一拍。
「少なくとも奴らはそう思っている」
俺は黙って聞く。
「だから」
ガレスはゆっくり言う。
「自分達より強い火を見れば、
必ず理由を探す」
簡単な話だ。
「……お前は目立ちすぎた」
俺は机を見る。
「無色でありながら火を使い、陣を壊し、廊下でそれを消した」
三つ並べる。
「材料としては十分だ」
ガレスはそこで言葉を止めた。
それから静かに続ける。
「お前のその力」
視線が真っ直ぐ来る。
「武器にもなる。だが同時に……」
少しだけ声が低くなる。
「標的にもなる」
部屋が静かになる。
前にも聞いた話だ。
だが、次は違った。
「中央の連中は既に動いている」
はっきりと告げる。
脅しではない。
事実だった。
俺は立ち上がる。
「そうか」
ガレスは頷く。
「そうだ」
少しだけ呆れた声になる。
「余計な騒ぎは起こすな。
お前の目的のためにもな」
俺は頷く。
「分かった」
ガレスも頷いた。
「下がっていい」
扉へ向かう。
手をかける。
その時。
「無色」
背後から声が来た。
振り向かない。
「……覚えておけ」
静かな声だった。
「この学院には」
短い間。
「敵もいる」
俺は部屋を出る。
ーーーーー
廊下の空気は静かだ。
だが、さっきより重い。
「……ふぅ」
その時。
視界の端で、
白いものが動いた。
白服。
一瞬だけ、
廊下の先に姿が見える。
すぐに角へ消えた。
「……」
こんな場所にいるはずがない。
あそこは――学院の中央区画。
アンカーがある場所だ。
生徒立入禁止のはずの場所だ。
俺は少しだけ立ち止まる。
だが白服は
迷いなく奥へ進んでいく。
追うつもりはなかった。
……はずだった。
だが。
足はもう動いていた。
俺は静かに
その後を追った。
白服は迷いなく進んでいく。
中央区画の廊下。
石の床。
高い天井。
人の気配はない。
だが――
白服は時々足を止める。
角の手前。
壁に背を寄せ、
ほんの数秒だけ待つ。
それから、
また歩き出す。
「……」
(……知っているのか?)
白服は迷わない。
一度も。
まるで最初から、
この道を知っているようだった。
そして。
俺はあることに気づく。
(……おかしい)
小さく呟く。
ここまで来て、
誰ともすれ違っていない。
中央区画だ。
本来なら、
教師や職員がいてもおかしくない。
だが。
人の気配がない。
やはり巡回の時間を、
避けている。
さっきから時折立ち止まるのは、
そういうことだ。
白服はさらに奥へ進む。
廊下の突き当たり。
そこに一つの扉があった。
重い石の扉。
装飾は少ない。
だが、
周囲の空気が違う。
白服はその前で止まった。
左右を見る。
誰もいない。
それを確認すると、
ゆっくり手を伸ばす。
扉に触れる。
石が、わずかに動いた。
音はほとんどない。
隙間が開く。
白服は迷わず、
その中へ入っていった。
扉が閉まる。
静寂。
俺は少しだけ間を置く。
それから、
扉の前まで歩いた。
「ここは……まさか」
手を伸ばす。
石の表面に触れる。
「……」
ゆっくり押す。
音はほとんどない。
隙間が開く。
俺はそのまま中へ入った。
扉が静かに閉じる。
中は暗かった。
だが完全な闇ではない。
淡い光が、
空間の奥から落ちている。
視線を上げる。
「……」
柱だった。
石の柱。
だが。
学院の石造りとは違う。
滑らかで、
継ぎ目がない。
地面から。
天井まで。
一本の巨大な柱が、
まっすぐ貫いている。
空間の中心に。
まるで、
世界を支えているように。
「……アンカー」
小さく呟く。
その瞬間だった。
柱の向こうで、
白い影が動いた。
「――っ」
振り向く。
白服だった。
見覚えのある顔。
以前、図書塔へ向かう時にすれ違った奴だ。
静かにこちらを見ていた。
視線が合う。
一瞬だけ、
ほんのわずかに目が開く。
だが、すぐに表情は戻る。
「……」
白服はゆっくり一歩近づく。
警戒している様子はない。
ただ、確かめるような目だった。
そして口を開く。
「……ここで、何をしている」
低い声。
責める調子ではない。
純粋な問い。
俺は肩をすくめる。
「お前こそ」
白服の視線が、
柱へ移る。
長い沈黙。
「……今」
小さく言う。
「アンカー、と呼んだな」
俺は答えない。
白服はもう一度柱を見上げる。
その目は、廊下で見た時と同じだった。
「……妙な呼び方だ」
静かに言う。
「ここでの呼び方ではない……中央でもそうは呼ばない」
「だろうな」
俺は短く返す。
白服は、
ほんの少しだけ眉を寄せた。
「……君は」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「無色だったな」
俺は何も答えない。
白服はそれ以上踏み込まない。
ただ柱を見上げる。
そして、ぽつりと言う。
「……ここは」
視線が柱をなぞる。
「学院の中でも立入が厳しい場所だ」
ゆっくりこちらを見る。
「それでも来た」
短い沈黙。
「理由はあるはずだ」
静かな声だった。
「もう一度聞く」
ほんの少しだけ目が細くなる。
「何をしに来た?」
俺は少しだけ考える。
答える必要はない。
だが、黙るほどでもない。
「……見に来ただけだ」
「それだけか?」
「それだけだ」
白服はしばらく俺を見る。
嘘を見抜こうとしているわけではない。
ただ――測っている。
やがて小さく息を吐いた。
「……そうか」
納得したわけではない。
だが、それ以上追及もしない。
その時。
俺は柱へ視線を戻す。
「でも」
小さく言う。
「ちょうどいい」
白服の眉がわずかに動く。
「何がだ」
俺は答えない。
代わりに、一歩前へ出る。
「これに用があった」
柱の前まで歩く。
石は静かだった。
何の気配もない。
だが――
そこにある。
俺は手を伸ばす。
柱に触れる。
冷たい石の感触。
その瞬間。
世界が揺れた。




