第77話:黒の学院
朝の街は、まだ柔らかい光に包まれていた。
石畳は夜の冷えを残している。
ロアンたちの背中は、もうどこにもない。
俺とユーリスは、中央へ向かって歩いていた。
街の中心。
そこに、塔がある。
遠くからでも見えていたそれは、
近づくほどに輪郭を増していく。
白い。
ただ白いだけではない。
光を吸っているようで、
同時に、放っている。
(こんなに白かったか……?)
記憶の中にある型とわずかに違う塔は、
空へ向かって、真っ直ぐに伸びている。
「……やっぱ、でかいな」
思わず口に出る。
「大陸統合魔術学院の中央塔です」
ユーリスが答える。
「大陸統合魔術学院は、街の中心を丸ごと区画にしています。
外縁に講義棟、内側に研究区画。
中央が、統合理論棟です」
難しい言葉が並ぶ。
俺は塔を見上げる。
上が見えない。
雲を切っている。
「基礎は地中深くまで魔術固定されているらしく、
属性干渉も均衡化されていて――」
ユーリスは壊れて止まらなくなったラジオのように解説を始めた。
半分は聞いていない。
ただ。
近づくほどに、空気が変わる。
人の流れが、塔へ吸い込まれていく。
ローブ姿。
軽装の学生。
他種族の耳や尾も混じっている。
ざわめきはあるのに、
中心へ近づくほど、音が澄む。
圧がある。
「……重いな」
「結界圏に入っています」
ユーリスが少しだけ声を落とす。
「学院全体が、多重式防護圏で覆われています。
魔力の流れが整理されているから、
慣れていないと圧迫感があります」
俺は空を見上げる。
塔の外壁が、陽光を反射している。
遠くから見た時より、
はるかに巨大だ。
さっきまで街だったはずなのに。
今はもう、
塔しか見えない。
「……お前、緊張してるな」
歩幅が、わずかに狭い。
「してません」
即答。
だが、声が少し硬い。
「ここは……大陸で一番、魔術が集まる場所ですから。すごく楽しみです!」
一番魔術が集まる……。
その言葉だけが、耳に残る。
俺は塔を見上げる。
神器も、
宗教も、
戦争も。
全部、この塔の中にあるのかもしれない。
だが今は。
ただ高い。
それだけだ。
門が見えてきた。
巨大なアーチ。
紋章が刻まれている。
塔の影が、俺たちを覆う。
別れの静けさは、もう遠い。
代わりに、
知らない空気が満ちている。
俺は足を止めない。
隣に、ユーリスがいる。
塔は、すぐそこだ。
―――――
門の前で、声が上がっていた。
「神器はエンラ様の象徴だ。
軽々しく亜人などが触れていいものじゃない」
白い聖印を付けた学生が言う。
相手は耳の長い青年だ。
「触れる気はないけどよ。
俺達は魔法の理論を学びに来ただけだぜ」
「理論?」
鼻で笑う。
「我ら人間は火に祝福を受けた。
血が違うなら、理解も違う。わかるかね?」
周囲がざわつく。
別の学生が割って入る。
「それは貴様ら中央の教義だろ!
ここは学院だ、統合学院だ!」
「統合だと?
勘違いもはなはだしい。中央が認めた統合だ!」
言い合いは止まらない。
殴らない。
でも譲らない。
ユーリスが小さく言う。
「神格派と概念派です」
「あ〜、あれか……」
「宗教解釈の違いで揉めてるんですかね?」
俺は揉めている連中を見る。
怒りはある。
だが戦争じゃない。
ただ、信じているものが違う。
「面倒だな」
俺は門を見る。
塔は高い。
空は静かだ。
「神器…ねぇ。
あれはただの……武器だ」
つぶやく。
ユーリスがぎょっとする。
近くの学生が振り向く。
「何だと?」
白い服に聖印のよなう刺繍、男が一歩近づく。
目が細い。
怒っているというより、侮っている。
「今、何と言った」
俺は塔を見たまま答える。
「ただの武器だと言った」
ざわめきが走る。
「神器を、武器と?」
「そうだ。鉄の塊だ」
静かに。
「神の象徴ではない」
空気が張りつめる。
周囲の学生が距離を取る。
ユーリスの指が、袖を強く掴む。
「エアさん……」
白印の学生が笑う。
冷たい笑いだ。
「無知か、異端か。
どちらだ?」
俺は初めて視線を向ける。
「知らん」
一拍。
「だが、火は祈っても燃えない」
その言葉に、
耳の長い青年が息を呑む。
概念派の学生が目を見開く。
白印の学生の顔が、わずかに強張る。
「……中央を愚弄するか」
「愚弄?」
首を傾ける。
「火は、守り、照らすための物だ。
種族など関係なくな」
沈黙。
塔の影が揺れる。
その時、門の内側から声が落ちた。
「そこまでにしなさい」
低く、よく通る声。
学院の監督官だ。
白印の学生は舌打ちを飲み込む。
「入学希望者同士の思想論争は歓迎しますが、
門前で騒ぐのは品位を欠きます」
視線がこちらに向く。
「紹介状を持っているようですね。
こちらに」
ユーリスが素早く差し出す。
紋章が光る。
監督官の目がわずかに動く。
「……アルケシア直轄」
空気が、ほんの少し変わる。
「通りなさい」
道が開く。
白印の学生は睨んだまま動かない。
すれ違いざま、小さく吐き捨てる。
「……異端が」
俺は歩く。
振り返らない。
塔の中へ、足を踏み入れる。
背後で、ざわめきがまた始まる。
戦争ではない。
だが、
火種は、もうここにある。
―――――
門をくぐると、空気が変わった。
外のざわめきが、急に遠くなる。
白い石の回廊。
高い天井。
反響する足音。
だが奥へ進む学生たちは、黒だった。
深い黒の制服。
光を吸う布地。
胸元に銀の学院章。
帯の色だけが、鮮やかに浮く。
赤、蒼、黄、翠の四色。
それぞれが身に着けている。
白い塔の内部で、
黒がゆっくりと渦を作っている。
「生徒はまず中央講堂へ!」
監督官の声が響く。
「本日の入学希望者は、全員集合してください!」
受付ではない。
寮でもない。
まず、集めるらしい。
ユーリスが小さく息を呑む。
「……最初に、統合宣誓があるはずです」
「宣誓?」
「学院理念への同意です」
理念。
黒の列が、巨大な扉の前で止まる。
重い扉が開く。
中は、円形の講堂だった。
天井は高く、中央に光が落ちている。
階段状の席。
すでにかなり埋まっている。
ざわめき。
だが中央壇上だけが、静かだ。
壇上に立つのは、一人の老人。
黒の外套。
胸元に銀章。
その背後、壁に刻まれているのは――
巨大な円環の紋章。
属性を示す四つの線が、中央で交わっている。
「諸君」
低く、よく通る声。
ざわめきが止む。
「ようこそ、大陸統合魔術学院へ」
間。
「ここは、血統のための場所ではない」
一瞬、白いローブの一団が動く。
「ここは、祈りのための場所でもない」
空気が少し揺れる。
「ここは、理解のための場所だ」
静寂。
「属性は違う。
種族も違う。
信じる神も違うだろう」
視線が、ゆっくりと客席をなぞる。
「だが、魔術は一つだ」
壇上の背後の円環が、淡く光る。
「火は燃える。
水は流れる。
土は支え、
風は巡る。
そこに優劣はない」
その言葉に、白ローブの一人が立ち上がる。
「異議あり」
講堂がざわつく。
白い聖印。
門前にいた学生だ。
「神器はエンラ様の象徴。
火は祝福された属性だ。
優劣が無いなど、神への冒涜だ」
空気が変わる。
中央講堂の初日。
もう始まっている。
老人は表情を変えない。
「君の名は」
「レイヴァルト」
「レイヴァルト。ここは学院だ。
神殿ではない」
ざわめき。
だが白ローブは引かない。
「だが神器はこの塔に安置されている。
それを“武器”と呼ぶ者がいると聞いた。
承服しかねる」
視線が動く。
客席のどこかへ。
一斉に、向く。
俺のほうへ。
ユーリスの指が、袖を掴む。
小さい。
だが強い。
レイヴァルトの目が細まる。
「そうだな?」
静寂。
講堂全体が、待っている。
俺は壇上を見る。
老人は何も言わない。
止めない。
試している。
「……あぁ」
声は響いた。
思ったよりも、よく響いた。
「ただの武器だ」
息を呑む音が広がる。
「祈っても燃えない。
握って、振るって、初めて意味を持つ」
白ローブがざわめく。
「貴様!神の意をッ」
「違う」
俺は首を傾ける。
「火は守り照らすためのものだ。
種族も、血も関係ない」
息を吐く。
「槍なんてものは、扱える者が扱えばいい」
静まり返る。
円環の紋章が、わずかに揺れた気がした。
老人が、初めて笑う。
ほんのわずかに。
「今年は良い生徒がいるようだ……」
講堂が息を戻す。
「諸君」
老人は言う。
「これが統合だ。
思想は持ち込め。
だが押し付けるな」
壇上の老人は、はっきりとそう告げる。
「異論があるのならば証明しなさい。自らの魔術で」
空気が、張りつめる。
レイヴァルトは睨んだままだ。
だが座る。
完全な敗北ではない。
火種は消えていない。
ただ、くすぶった。
「以上をもって、統合宣誓とする」
光が落ちる。
ざわめきが戻る。
ユーリスが小さく息を吐く。
「……いきなり目立ちましたね」
「勝手に向いてきた。噛みつくならへし折る」
だが確かに。
さっきまで“亜人”に向いていた敵意は、
今、俺一人に集中している。
揉めていたラヴィ族の男が、少し離れた席でこちらを見ていた。
目が、まっすぐだ。
安堵と、警戒が混ざっている。
講堂の扉が開く。
「これより個別登録へ移る」
流れ作業ではない。
思想がぶつかったあとで、
手続きが始まる。
学院は黒だ。
白を拒まない。
だが、染まらない。
俺は立ち上がる。
隣に、ユーリス。
講堂を出る。
もう後戻りはない。
入学は、終わった。
だが戦いは、始まった。




