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第75話:原初の深度


――光。


高く、果てしなく高い塔。


石ではない。

金属でもない。


空に向かって伸びる柱が、

幾重にも、幾何学的に重なり合っている。


空は青くない。


薄い光の膜のようなものが、

世界を覆っている。


その下に広がるのは――都市。


ガラスのような外壁。

光の線が走る道。

宙を滑る影。


巨大な環状構造物が、

空に浮かび、ゆっくりと回転している。


都市が、揺れた。


音はない。


だが空間が歪む。


光の線が、一本ずつ切れていく。

塔の表面に、亀裂が走る。


倒壊ではない。


“座標が剥がれていく”。


建造物が砕けるのではない。

存在が、消えていく。


削除される。


誰かが、必死に俺の名を呼ぶ。


近い。

すぐそばにいる。


だが姿が見えない。


視界にノイズが走る。


「……待って……」


声が出ない。


それでも手を伸ばす。


向こうからも、手が伸びてくる。

必死に。

何かを掴もうとして。


届かない。


その瞬間。


強く、抱きしめられた。


腕の中に、確かな重み。

温もり。

鼓動。


間違いなく、生きている誰か。


離したくなかった。

理由は分からない。

ただ、離したらすべてを失うと理解していた。


「……ルゥ……?」


名が、こぼれ落ちる。


その瞬間。


世界が、限界を迎える。


光が砕ける。

音が消える。

時間が引き剥がされる。


別の方向から、

必死に伸ばされる手が見えた。


届かない。


間に合わない。


そして――


すべてが、消えた。


視界が戻る。


指が、水晶から弾かれた。


バチン、と乾いた音。


水晶が床に落ちる寸前で、

ノクシアが空中で止める。


部屋に、音が戻る。


呼吸。

衣擦れ。

酒の匂い。


魔術式が、微かに軋む。


ユーリスが膝をついている。


「……師匠……いまの……」


ロアンは冗談を言えない顔をしている。

ガルドは無言でエアを見ている。

フィアの瞳が、わずかに揺れる。


ノクシアは、水晶を見つめたまま動かない。


結晶の内部に、まだ微細な光が走っている。


塔。

都市。

崩壊。

断片。


そして、名残のような――温もり。


「……これは……原初じゃない……」


低い声。


酔いは完全に消えている。


ゆっくりと、エアを見る。


「でも……”この世界”でもない……」


部屋の空気が重く沈む。


「あなた……本当に、何者?」


問いは静かだ。


だがその目は、

理を越えたものを前にした者の目だった。


今の光景は正直、俺にも分からない……。

だがわかるのは……。


「エアだ……勝手に神にされた……ただの父親さ」


部屋の空気が、わずかに歪んだ。


床に散らばる式が、一段階深く発光する。


フィアが反射で弓に手をかける。

ガルドが半歩前へ出る。


ロアンが舌打ちする。


「……おい」


ノクシアは動かない。


ただ、エアを見る。


「安心しなさい」


光が細く、エアの足元を囲む。

拘束式の“下書き”。


完成していない。

だが、完成すれば即座に封じられる。


「本来なら、ここで閉じこめて、

 研究しつくしたい所だけれど……」


淡々とした声。

だが、ユーリスを見て気配が落ち着く。


「あなたは危険よ。

 ここに残って私の――」


ユーリスが立ち上がる。


「師匠!」


一瞬。


式が止まる。


ノクシアの視線が、ユーリスへ向く。


ほんのわずか。

本当にわずかに、思考が挟まる。


そして――


光が消えた。


拘束式は未完成のまま、床へ溶ける。


「落ち着きなさい……、

 私もこの子の顔を潰す趣味はない」


机へ戻り、水晶を置く。


「でも、放置もできない」


エアへ向き直る。


「あなたを観測する。数日」


ロアンが眉を上げる。


「観測?」


「干渉耐性。

 魔力波形。

 核の共鳴反応。

 さっきの残滓の追跡」


淡々。


研究項目を並べるだけ。


「協力しなさい」


間を置く。


「その代わり」


指先で紙を一枚浮かせる。


空中に走る魔術筆記。

高速で文章が刻まれる。


「学院への正式紹介状を書く」


ユーリスが息を呑む。


「師匠、それって……」


「教会連中からの干渉を避けるルートよ。

 私の名義で出す」


ロアンが低く笑う。


「へぇ。大物だな」


ノクシアは無視して俺を見る。


「拘束はしない。

 監禁もしない。

 でも、逃げれば話はなし」


静かな宣告。

部屋は静まり返る。


条件は明確。

対等。


強制ではない。


だが選択肢は狭い。


ノクシアはただ、待つ。


研究者の目で。


「分かった……協力する」


沈黙が、数秒落ちる。


ノクシアは瞬きもせずにエアを見ている。


「……即答ね」


空中で止まっていた紙が、微かに揺れる。


「普通なら迷うわ。

 監禁されない保証もない。

 学院が安全とも限らない」


エアは視線を逸らさず、静かに言う。


「迷う必要がない」


「なぜ?」


問いは鋭い。


部屋の式が、わずかに唸る。


エアは、ゆっくりとユーリスを見る。


そして、ノクシアへ視線を戻す。


「目だ」


「目?」


ノクシアの眉が、ほんのわずかに動く。


「さっきの拘束を完成させる前に、

 あんたはユーリスを見た」


静かに続ける。


「親だから分かるさ……」


部屋の空気が、微妙に変わる。


「大事にしてる目だ」


ユーリスが息を止める。


ノクシアは表情を変えない。


だが、沈黙が一拍落ちる。


「そのユーリスを泣かせる真似はしない」


声は低いまま。


「だから信じる……協力する」


ロアンが小さく口笛を吹く。


フィアの視線が揺れる。


ガルドは無言のまま。


ノクシアは数秒、何も言わない。


それから、淡々と告げる。


「……観測は厳密に行う」


紙を引き寄せる。


魔術筆記が最後の線を刻む。


「干渉耐性。

 魔力波形。

 核の共鳴。

 残滓の追跡」


封印紋が走る。


「拘束はしない。

 監禁もしない」


視線が鋭くなる。


「だが逃げれば話は終わりよ」


俺は頷く。


「分かった」


ユーリスが、わずかに安堵の息を漏らす。


ノクシアはそれを横目で確認し、

すぐに視線を逸らす。


「ユーリス」


「は、はい!」


「部屋を片付けなさい。

 明日から測定を始める」


そして、俺へ。


「今日は休みなさい。

 さっきの残滓はまだ尾を引いている……」


部屋の魔術式が静まる。


だがノクシアの目だけは、

まだ観測を続けていた。


―――――


それから数日間、

エアとユーリスはノクシアの家に滞在した。


他の三人は、依頼を受けながらアルケシアで動く。

夜になると顔を出し、軽口を叩き、状況を聞き、

また街へ戻っていく。


家の奥では、静かな観測が続いていた。


……一日目


机の上に、火属性の石が並ぶ。


大小さまざま。

色が濃く、高純度のものまである。


「触れなさい」


エアが石に手を置く。


「通常なら、属性石は共鳴。

 術者の核に呼応し、発光するわ」


だが――光らない。


代わりに。


石の内部で揺れていた火の粒子が、

すっと静まる。


まるで、

基準を見つけたように。


ノクシアの眉がわずかに動く。


「……共鳴していない」


紙に走る筆記。


「優位だわ」


ユーリスが首を傾げる。


「優位、ですか?」


「石が彼に合わせている。

 通常は逆よ」


エアは何も言わない。


ただ、石を机に戻す。


……二日目


ユーリスが詠唱を始める。


「燃えよ、焦がせ、炎――」


火球が生まれる。


ノクシアが視線で合図する。


エアは立ったまま。


火球が迫る。


直前。


揺れる。


燃え盛るはずの炎が、

輪郭を失い、

ほどける。


消えたのではない。


“解けた”。


熱は残らない。


ユーリスの魔術式が、微かに逆流する。


「……分解している?」


ユーリスが息を呑む。


「師匠……今のは……?」


「違う」


ノクシアの声は低い。


「分解ではない……」


視線が鋭くなる。


「干渉権を奪っている」


火は消えたのではない。


エアの周囲で、

発動条件を書き換えられた。


……三日目


ノクシア自身が立つ。


陣が完成する。


高位火術。


「逃げなさい」


エアは首を振る。


「いらない」


詠唱が落ちる。


炎柱が生まれる。


瞬間。


曲がる。


真っ直ぐだった炎が、

まるで重力を失ったように、

軌道を変える。


エアへ向かう。


飲み込まれる。


爆ぜない。

燃えない。

熱が上がらない。


炎は、消える。


否。


吸われた。


ノクシアの式が、一瞬空白になる。


制御権が失われた。


「……耐性ではない」


低い声。


「まるで、上書き……」


ユーリスが震える。


ノクシアはゆっくりと息を吐く。


「エア……あなたは火を扱っているんじゃない」


視線が揺らがない。


「火が、あなたを基準にしている」


静寂。


紙の上に、震えのない文字が刻まれる。


・詠唱不要

・媒介不要

・構造不要

・外部干渉権奪取

・火属性完全優位


そして、最後に。


「正直、他の魔術師が見たら理解不能でしょうね……。

 でも……これは理論否定ではない」


筆が止まる。


「原点……」


ノクシアはエアを見る。


恐怖ではない。


興奮でもない。


ただ、理解に近づいた者の目。


「……私たちは遠回りをしていたのね」


エアは肩をすくめる。


「難しいことは分からん」


ノクシアはわずかに鼻で笑う。


「でしょうね……こんな物、教えて扱えることではないもの……」


だが視線は離れない。


研究者としての人生が、

今、書き換えられていた。


だが。


「一つだけ」


ノクシアが低く言う。


「これは火に限る……」


風属性石を置く。


反応はない。


水も。


土も。


干渉は起きない。


ノクシアは小さく頷く。


「全能ではない」


記録する。


「火限定の原型……いえ、だからこそ……。

 他が“異質”なのね……」


それで十分だった。


この世界の魔法理論を、

静かに裏返すには。

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