第74話:核を読む水晶
アルケシア外縁。
石畳の通りを抜け、
少し奥まった住宅区画へ入る。
人通りはある。
静かで、生活の匂いがする場所だ。
「……ここです」
ユーリスが足を止める。
目の前の家は、拍子抜けするほど普通だった。
石壁。
小さな窓。
看板も紋章もない。
ロアンが首を傾げる。
「魔術師って、もっと塔とかに住んでるもんじゃねぇのか?」
「あははー……まぁ師匠は少し変わってまして……」
苦笑いを浮かべながら、ユーリスは手を伸ばしたが……。
手が、扉の前で止まる。
小さく息を吸う。
緊張している。
「……久しぶりなので……ふぅ」
誰にともなく言う。
指先が、ほんのわずかに震えている。
ロアンが軽く笑う。
「怖ぇのか?」
「違います……見れば分かります……」
即答。
だが声は硬い。
ユーリスは、ゆっくりと扉を叩いた。
コン、コン。
返事はない。
もう一度。
コン、コン。
ガシャーン。
中で何かが崩れる音。
ユーリスが目を閉じ、
覚悟を決めるように息を吐く。
「師匠?……は、入りますよ〜……」
ゆっくりと、扉を開ける。
薄暗い。
窓はあるが、布が半分かかっている。
床に紙。
机に紙。
棚にも紙。
魔術式の断片のようなものが散乱している。
理路整然ではない。
だが、無秩序でもない。
線が重なり、
干渉し、
上書きされ、
何層にも組み直されて、薄く光っているものもある。
フィアが小さく呟く。
「……濃い。魔力が淀んでいない……。
こんなに散らかってるのに……むしろ、制御されている?」
ロアンが紙を一枚拾い上げる。
「なんだこれ?」
「触らないでください!」
「うわぁ!? わ、わりぃ……」
ユーリスが慌てて止める。
その奥。
一番奥の部屋。
椅子の上。
机に足を乗せ、
脚を大きく広げたまま。
女が、いびきをかいている。
「ふがーっが……ッ」
酒瓶が三本転がっている。
ロアンが吹き出す。
「っぷっ……おい、まさか……これか?」
ガルドも目を細めている。
フィアも目を見開いたまま固まっていた。
ユーリスは思い切りため息を吐いて俯いた。
憧れと尊敬と緊張が、
音を立てて崩れかけている。
「……師匠……ユーリスです……」
反応はない。
いびきが続く。
ロアンが小声で言う。
「起きねぇのか?」
その瞬間。
「……ッ」
目が、開く。
ガバっと起き上がった。
酔いも眠気も、
最初から存在しなかったかのように。
視線が、部屋をなぞる。
人数。
立ち位置。
魔力の流れ。
最後に――俺で止まる。
空気が、わずかに軋む。
ゆっくりと足を机から下ろした。
だらしない動き。
だが、隙がない。
「……ユーリス」
声は低い。
「随分と面白そうなの連れてきたじゃないか?」
机に乗せていた足が、床に着く。
その動きはだらしない。
だが――部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
ロアンが気づく。
「……変わったな」
女は指をこめかみに当てる。
「うるさい……二日酔いよ……」
ぼやくように言う。
「はぁ……さっきから、寝ぼけながら探ってたら――」
視線が、俺を射抜く。
「とんでもない“核”がこんな近くに……」
ユーリスが目を見開く。
「……探ってたんですか!?」
「うぅ……声を落としなさい!」
「あう!?」
ぺシンと、薄暗い部屋にユーリスの頭がしばかれる音が響いた。
「……当たり前でしょ」
机の上にあった紙が、ふわりと浮く。
触れていない。
「魔術師が無防備に寝ると思う?」
部屋の床に散らばっていた式の断片が、
わずかに淡く光る。
それはただの“散乱”ではない。
常時展開式の何かだ。
ノクシアは、ゆっくりと立ち上がる。
さっきまでいびきをかいていたとは思えない。
「最初はまぁ寝てたけれど……」
一歩、近づく。
「中央の回し者かと思った……」
次の一歩。
「それか……神器でも持ってるかとも思った……」
もう一歩。
「でも違う……」
目が、わずかに細くなる。
「神器の匂いじゃない……もっと純粋……」
部屋の温度が、わずかに下がる。
ガルドが自然に半歩前へ出る。
フィアの指が弓に触れる。
ロアンが苦笑する。
「おいおい、怖ぇな」
女は、俺の目を見る。
「あなた……何者?……」
指先で俺の顎を持ち上げた。
まるで品定めするように。
応えようとしたのだが……。
「酒臭!?」
「あら……失礼ね……」
あまりに酒臭く、
名乗るどころではなかった。
女は俺から離れ、
部屋の魔術式が、すっと静まる。
「ユーリス」
視線は俺から逸らさない。
「こいつ、どこで拾った?」
ユーリスは慌てて首を振る。
「拾ってません! えっと……」
言葉を探す。
「エアさんです! 皆さん、こっちは私の師匠の――」
「ノクシアよ……なるほど。
そっちの三人が手紙に書いてあった冒険者の仲間ね……」
ロアンが眉を上げる。
「へぇ? 俺らのことも書いてたのか」
ノクシアは肩をすくめる。
「書いてたわよ」
指先で空中に線を描く。
散らばった紙の一枚がひらりと舞い、
机の上に重なった。
「軽口が多いけど、勘は鋭い器用な便利屋」
視線がロアンに向く。
「寡黙で、経験則で動く盾」
ガルドへ。
「人間の街に馴染もうとしているエルフ。この子のお気に入り」
フィアへ。
フィアの目が、わずかに揺れる。
「師匠……全部、読んでくれたんですか?」
ユーリスが小さく言う。
ノクシアは鼻で笑う。
「……ふん、気まぐれよ」
言い方は軽い。
だが、目はほんの少しだけ柔らかい。
ユーリスが、わずかに安堵する。
「……師匠」
ノクシアはその視線を受け止めず、
すぐに俺へ戻す。
「で?」
顎をしゃくる。
「そっちは書いてなかったわね」
部屋の魔術式が、
ほんのわずかに再起動する。
光は強くない。
だが精密だ。
探るというより、
“確かめる”。
「エア、ね」
名を転がす。
「ユーリスがここへ連れてきたのを察するに、
ただの魔術師じゃない」
指を自分の顎に当てて、
観察するように俺のことをジロジロ見る。
「中央とも、学院とも、違う。
それでいて――」
目が、わずかに細くなる。
「私の研究の“核”に触れている、いい匂いがする……」
ロアンが腕を組む。
「おいおい、随分と大胆な口説き文句だなぁ〜。
俺はお眼鏡にかなわないですかねぇ?」
ノクシアは――
反応しない。
視線すら動かさない。
部屋の魔術式が、わずかに震える。
ロアンが自分で苦笑する。
「……あれ? 無視?」
ノクシアはようやく口を開く。
「まぁ、いいわ……それと……」
声音は淡々としている。
「私は重要度が低い対象に、
思考資源は割かない主義なの」
完全に興味がない。
ロアンが肩を竦める。
「はは、辛辣だなぁ」
ノクシアはそれすら拾わない。
視線は俺に固定されたまま。
「で?」
指先が、ほんのわずかに空気を撫でる。
「あなたは何をしに来たの? この子がわざわざ連れてくるなんて……」
部屋の魔術式が、静かに共鳴する。
「師匠……それが」
―――――
ユーリスの話を聞き終えたノクシアは、
ため息交じりに俺を見た。
「エンラ、ね」
鼻で笑う。
「勝手につけられた名前だ」
俺は短く言う。
「俺はエアだ」
ノクシアの目が、わずかに細くなる。
一歩、距離を取る。
「私は“神”なんて簡単には信じない」
言葉は冷静だ。
だが視線は鋭い。
「あなたから感じる“核”は確かに人知の外、
原初の遺物に近いものを感じる……。
けれど――」
指先が、ほんのわずかに空間を撫でる。
「それが“神”である証明にはならない」
部屋の魔術式が、
薄く揺れる。
「愛弟子を騙す悪党かもしれない」
空気が冷える。
ユーリスが一歩前に出る。
「師匠、私は――」
「お黙りなさい」
短い一言。
怒りではない。
守る声だ。
ノクシアは俺を真正面から見る。
「学院に入り込みたい?
地下の槍を取り戻す?」
呆れたようにため息を吐く。
「それが真実でも、
私にとっての優先順位は一つ」
視線が一瞬だけユーリスへ向く。
そして戻る。
「本当にあなたが原初の時代に生きていたのなら……見せてみなさい」
ノクシアは机の引き出しを乱暴に開ける。
ガチャリ。
奥から取り出されたのは、
手に収まるほどの透明な水晶。
曇りもない。
だが内部に、微細な亀裂のような筋が走っている。
フィアが息を呑む。
「……結晶?」
ノクシアは軽く頷く。
「ただの魔力量を見る玩具じゃない」
水晶を指先で弾く。
かすかな高音が鳴る。
「“核”を読むものよ」
視線が俺に向く。
「魔力はただの力じゃない」
水晶を持ち上げてノクシアが力を込める。
すると水晶の中には、今よりも幼いユーリスが映し出されていた。
何か叱られているところだ。
「わー! わー! 師匠! そんなの見せないでください!!」
ユーリスが慌てて割り込み、前を塞いだが、
ノクシアはユーリスの顔を押しのけて説明を続けた。
「魔力には、核に刻まれたその者が辿った時間、
選択、生存の痕跡が溶けている」
ユーリスをそのまま放り投げ、一歩、近づく。
「殺した数も、
守った数も、
捨てたものも、
拾ったものも、
……全部、滲む」
水晶が、わずかに淡く光る。
「これはそれを見る」
ロアンが顔をしかめる。
「便利だな……怖ぇけど」
ノクシアは無視する。
「神話の存在なら」
水晶を差し出す。
「普通の人間とは違う“深度”が出るはず」
目が鋭くなる。
「もし浅いなら――」
「あなたはただの強い魔術師」
「深ければ……」
ほんの一瞬だけ、息が止まる。
「私は理で判断する」
静かに言う。
「触れなさい」
俺は促されるままに、水晶に触れた。
そして――景色が消える




