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第70話:浜辺の熱


――宿屋の一室。


扉が閉まる音が、やけに静かに響いた。


フィアはその場に立ったまま、しばらく動かなかった。


エアの言葉を思い返す。


特別な繋がりかもしれない。

家族愛かもしれない。


それだけだ。


到底信じられたものではないけれど、

むしろ、妙に納得してしまった。


(……家族、か)


胸のざわつきは、

恋のそれとは違う。


だが確かに……普段とは違うものが、自分の中で揺れている。


心配。

苛立ち。

放っておけない感じ。


理屈よりも、血の奥が反応しているような感覚。


「……ばかみたい」


小さく呟く。


神話の神だの、先祖だの、

現実味はない。


でも。


感覚の説明としては、

それが一番しっくりきた。


だからもう、

悩むほどのことでもない。


椅子に腰を下ろす。


さっきロアンが来て、

ガルドが市場に誘うかもと言っていた。


だが、来ない。


(……市場、ねぇ)


ガルドが?


知ってる限り、そんな男ではない。


少し眉が寄る。


ただ、違和感。


そのとき。


――コン。


小さなノック。


フィアは顔を上げる。


間。


もう一度。


今度は少し強い。


「……はい」


立ち上がり、扉を開ける。


そこに立っていたのは、


ガルドだった。


顔が、少し赤い。

目元も、どこか硬い。


酔っている?

けれど、潰れてはいない。


フィアは一瞬だけ眉をひそめる。


「……飲んだの?」


ガルドは視線を逸らす。


「少しな」


声が低い。


いつもより短い。


沈黙。


廊下の空気が止まる。


フィアは腕を組む。


「何か用?」


ガルドの喉が小さく動く。


言葉を探しているのが分かる。


普段ならもっと直球だ。


今日は違う。


「……市場」


ぽつり。


「一緒にいかないか?」


フィアは瞬きをする。


「えぇ。あなたが誘うって話だったけど?」


わずかな間。


「な!?……ロアンか……ッチ」


ガルドの視線が揺れる。


「いやなら……いいけどよ……」


ぎこちない。


明らかに、遅れている。


フィアはしばらく黙って見つめる。


酔いで赤いのか、

それだけじゃないのか。


分からない。


だが、逃げずに来たことだけは分かる。


小さく息を吐く。


「……いいわよ」


静かな声。


ガルドの肩が、ほんの少しだけ緩む。


「……そうか」


それだけ。


フィアは軽く笑う。


「顔、赤いわよ? 相当飲んだんじゃない?」


ガルドは眉をひそめる。


「うるせぇ、三杯だけだ……」


いつもの調子が、少しだけ戻る。


廊下を並んで歩き出す。


距離は、近くもなく遠くもない。


けれど、どちらも足は止まらなかった。


―――――


街外れ。


門を抜け、石畳が土に変わる。


ユーリスは小走りで隣に並んでいた。


「す、すみません……急に」


「構わん」


短く答える。


風が少し強い。


林の街道を外れ、さらに歩く。


人目のない場所。

建物も、森もない。


視界が開ける。


やがて――潮の匂い。


波の音。


浜辺だ。


砂が足の下で沈む。


ユーリスが目を見開く。


「ここまで来るんですか?」


「街の近くでやれば騒ぎになるだろ?」


海を見渡す。


広い。

何もない。


燃えても問題ない。


「ここなら、多少派手でも構わん」


ユーリスがごくりと喉を鳴らす。


緊張している。


だが目は輝いている。


「……見せてください」


真剣な声。


俺は砂浜に立ち、深く息を吸う。


手を前に出す。


小さな火種が生まれる。


最初は灯りほど。


だが、消えない。


揺れない。


風の中でも安定している。


ユーリスが息を呑む。


「いきなり……しかもずっと消えない……」


「消さないだけだ」


指をわずかに動かす。


火が広がる。


線になる。


円を描く。


砂の上を焼かずに走る。


「……っ」


ユーリスの目が追いつかない。


次の瞬間。


火が一気に立ち上がる。


柱。


だが、暴れない。


真っ直ぐ。


天へ伸びる。


波の音と重なる。


赤と橙が空を染める。


熱が、浜辺を包む。


ユーリスは思わず一歩下がる。


「すごい……」


「まだだ」


力を込めるのではない。


押さえ込む。


暴れさせない。


柱がゆっくりと縮む。


渦を描き、


手の中へ戻る。


最後は、小さな灯り。


それも、消える。


風だけが残る。


ユーリスが呆然と立ち尽くしている。


しばらくして、ようやく口が動いた。


「……やっぱり詠唱がない……、

 魔術式を組み込んだものもないのに……どうやって……」


(やはり、ここまでの力は受け継いでいないのか……)


ユーリスの顔が引きつる。


「逆に教えてくれ、お前たちはどうやって火を使う?」


ユーリスは震えながらも即答した。


「火属性の発動には、最低でも三節の詠唱。

 それに魔力循環の準備。

 暴発防止の制御式も組みます」


そしてだんだん早口になる。


「普通は、あそこまでの出力なら陣を描きますし、

 補助触媒も必要で……なのにあんなに自在に...」


言いながら、砂浜を見下ろす。


何もない。


陣も、媒介も、詠唱も。


「……今のは、どうやって……?」


俺は海を見る。


風。

熱。

呼吸。


それだけだ。


「引き出しただけだ」


「何を、ですか?」


「火だ」


ユーリスが固まる。


「この世界の火は、術式で“借りる”ものです。

 魔力を通して、法則を経由して」


震える声。


「でも今のは……まるで」


俺は指先に、もう一度小さな灯をともす。


「法則、か……そんなの考えたこともねぇ」


ユーリスの喉が鳴る。


理解しようとしている。


だが、理論が追いつかない。


「そんなふうに火を呼び出す方法……、教本にはありません……」


「だろうな」


俺は指先の灯を消す。


砂浜に、夜の静けさが戻る。


ユーリスは、ゆっくりと膝をついた。


砂に沈む音が、小さく響く。


「……やはり」


震える声。


「やはり、あなたは……本当に」


顔を上げる。


畏れ。

確信。

そして、どこか安堵。


「神話に語られる“原初の神”……」


俺は眉をひそめる。


「神?」


ユーリスは俯き、拳を握る。


「詠唱も、術式も、媒介もいらない。

 法則を経由せず、直接火を操るなど……」


かすれた声。


「そんなもの、人ではあり得ません」


風が吹く。


俺はしばらく黙っていた。


波が寄せて、引く。


やがて、口を開く。


「……くだらん」


ユーリスが顔を上げる。


「そんなものに、俺が見えるか?」


低い声。


怒鳴りはしない。


だが、明確な拒絶。


「神だの原初だの。

 都合よく祀って、都合よく畏れて……」


砂を踏む。


「理解できないものを、一括りに神にするな」


ユーリスの呼吸が止まる。


「俺は火を扱える。

 それだけだ」


「ですが……!」


ユーリスが思わず声を上げる。


「それだけで済む力ではありません!

 あの出力、あの制御……!

 人の枠ではッ」


「なら、その枠とやらを決めたのは誰だ?

 俺はそんな物、決めた覚えはない」


言葉を切る。


ユーリスが黙る。


「縛りを増やしたのは、お前たちだ」


静かに続ける。


「安全のため。

 暴発しないため。

 壊れないため」


間。


「その結果、火を“灯す”んじゃなく、“借りる”ようになった」


ユーリスの肩が震える。


「火は、借りるものじゃない」


俺は空を見る。


「そこにある」


ただ、それだけだ。


ユーリスは、しばらく動かなかった。


やがて、ゆっくりと立ち上がる。


目はまだ揺れている。


だが、さっきとは違う。


畏れだけではない。


「……それでも」


声は小さいが、まっすぐだった。


「私には、あなたが“人知の外側”にいる存在に見えます」


俺はため息を吐く。


(また、あの目だ……)


この世界で、俺の本当を知る人間は……この目になる……。


「ユーリス……」


「……はい」


「……俺が、怖いか?」


言ってから、自分でも妙な問いだと思った。


波が寄せる。


ユーリスは一瞬だけ固まった。


予想していなかった顔だ。


俺は視線を逸らす。


神。

原初。

人知の外。


それが、今の俺が立ってしまった場所なのだろう……。


「……怖くないと言えば、嘘になります」


ユーリスの声が返る。


正直だ。


だが……立ったまま、こちらを見ている。


一度は膝はついたが、今は立っている。


目を逸らさない。


「ですが、怖いから離れたいとは思いません」


(……ほう)


「理解できないからといって、

 神にして終わらせるつもりもありません」


風が強くなる。


こいつは、本気で理解しようとしているらしい。


俺は小さく息を吐く。


「変わったやつだな」


「あ、えと……よく言われます……?!

 エア……さん?」


俺は、はにかんだユーリスの頭を撫でていた。


浜辺に、火はもうない。


だが熱の残滓だけが、まだ肌に残っている。


神扱い。

原初扱い。

外側扱い。


この世界に来て、まだ大して時間も経っていない。


だがもう何度も聞いた。


人の枠ではない。

あり得ない。

神話だ。


(……面倒だ)


力を見せれば、距離ができる。

見せなければ、隠し事になる。


どちらにせよ、外に置かれる。


ユーリスは砂を踏みしめる。


「エアさんは、あったかい人です」


唐突な言葉だった。


手の下の少女。


柔らかい髪。

細い肩。

小さな体温。


そのとき。


ユーリスの両手が、そっと俺の手を包んだ。


強くはない。


拒まないように。


逃がさないように。


自分の胸の前で、

優しく、包み込む。


視線が上がる。


まっすぐこちらを見る瞳。


恐れではない。


祈りでもない。


ただ――近い。


その温度。


その包み方。


その距離。


一瞬だけ、時間がずれた。


「ルゥ……?」


自分でも驚いた……だが……。


気づけば、口にしていた。


波の音が遠くなる。


違う。

目の前にいるのはユーリスだ。


だが、重なった。


あの時。

あの手。

あの、触れ方。


守るでもなく、

縋るでもなく、


ただ、そばにいると告げる触れ方。


ユーリスは驚いた顔をしたが、

手を離さない。


「……ルゥ、とは?」


小さく問いかける声。


俺はゆっくりと手を引いた。


「……気にするな」


視線を海へ向ける。


「……私が知っている神話の神は、そんな顔をしません」


淡々と。


「寂しそうな顔も」


言い切った。


俺は黙る。


寂しそう、だと。

そんな顔をしていたのか。


俺は視線を海に向ける。


「見当違いだな……」


だが否定は、少しだけ遅れた。


波が砕ける。


夜は静かだ。


ユーリスはそれ以上踏み込まない。


ただ、隣に立っている。


距離は、近くもなく遠くもない。


……悪くない。


「俺には……お前たちがいる。

 ……帰るぞ」


短く言う。


「はい!」


砂を踏む音が並ぶ。


浜辺に火は残らない。


だが、外側に置かれる感覚だけは、


さっきより少しだけ、薄れていた。

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