第68話:届かなかった扉
門前の騒ぎが落ち着く。
魔石は十分すぎる量だった。
昨日の減額など、
埋め合わせどころか余りが出る。
受付が目を丸くする。
「……主級が二体、通常が六。
しかも核はほぼ無傷……?」
ロアンが苦笑する。
「やりすぎだ、馬鹿」
ユーリスは袋を抱えながら呟く。
「今日はもう、依頼受けなくてもいいですね……」
ガルドが短く言う。
「十分すぎるな、これ」
十分。
本当に、十分だった。
だが。
フィアは笑わない。
袋を受け取り、
淡々と計算する。
指先は正確。
だが、わずかに硬い。
ロアンが視線を流す。
「……なぁフィア」
軽い声。
だが様子をうかがっている。
フィアは答えない。
「怒りすぎだろ」
冗談の形。
だが半分本気。
フィアの動きが一瞬止まる。
「怒ってないわ」
即答。
冷たい。
だが――誰も信じない。
ユーリスが小さく言う。
「私、フィアさんがあんな声出すの初めて聞きました……」
沈黙。
ロアンが肩をすくめる。
「まぁ、心臓に悪いな」
ガルドは黙っている。
だが視線はフィアに向いている。
怒りの理由を、
分かっているようで、
分かりたくないような目。
フィアが袋を閉じる。
「今日は解散でいいわ」
事務的。
「これ以上やる必要はない」
必要はない。
稼ぎは足りている。
危険を冒す理由もない。
エアは何も言わず席を立つ。
フィアも続く。
視線を合わせない。
足音だけが、木の床に響く。
二人の姿が見えなくなる。
残ったのは、三人。
組合の一階。
朝のざわめきが戻り始める。
だが、テーブルの周囲だけは静かだった。
ロアンが椅子に深く腰を下ろす。
「……いやぁ」
わざとらしく息を吐く。
「肝冷えたわ」
ユーリスがまだ緊張したまま言う。
「フィアさん、あんなに怒るなんて……」
本当に見たことがない、という顔。
ロアンが頷く。
「俺もだ」
視線が、自然とガルドに向く。
ガルドは腕を組んだまま、何も言わない。
沈黙。
ロアンがにやりとする。
「なぁガルド」
返事はない。
「どう思うよ」
ゆっくり視線が上がる。
「何がだ?」
「何が、じゃねぇだろ」
ロアンが笑う。
「“特別”ってやつだ」
ユーリスが慌てる。
「ろ、ロアンさん……!」
だがロアンは止めない。
ガルドの目は細い。
「ッチ」
怒ってはいない。
だが、軽くもない。
「……別に」
短い。
それだけ。
ロアンが肩をすくめる。
「別に、ねぇ」
少しだけ、間を置く。
それから、わざとらしく笑う。
「いいのかよ?」
ガルドの視線が止まる。
「何がだ」
ロアンは顎で階段の方を示す。
「いとしのフィアが取られちまうぜ?」
空気が、わずかに張る。
ガルドの眉が動く。
次の瞬間。
ガタン。
椅子が鳴る。
ロアンの胸倉が掴まれる。
速い。
ユーリスが息を呑む。
「ガ、ガルドさん!?」
ロアンは驚かない。
むしろ、にやりと笑っている。
「おぉ、怖」
ガルドの声は低い。
「軽口にしても、度が過ぎてるぞ」
怒鳴らない。
だが、握る手に力が入る。
ロアンは視線を逸らさない。
「図星か?」
一瞬。
力が強まる。
ユーリスが慌てて腕に触れる。
「や、やめてください!
ここ組合です!」
ロアンは軽く笑う。
「落ち着けって」
胸倉を掴まれたまま続ける。
「最初にフィアを仲間にしようって言ったの、お前だろ?」
ガルドの目が揺れる。
「……」
ロアンは畳みかける。
「あの一匹狼を口説いたのもお前だ」
静かになる。
ユーリスが戸惑う。
「く、口説いた……?」
ロアンは無視する。
「“あいつは一人で戦わせちゃいけねぇ”って言ったの、誰だ?」
掴む手が、わずかに緩む。
「……」
「いいのかよ?」
ロアンの声が少しだけ真面目になる。
「取られちまうぞ?」
沈黙。
ガルドの拳が震える。
怒りか、
悔しさか、
自分でも分からない。
やがて。
ゆっくりと手を離す。
ロアンの胸元が戻る。
ガルドは視線を逸らす。
「俺は……」
言葉が続かない。
ロアンは服を整えながら笑う。
「ほらな……」
軽い調子に戻す。
「だよな?」
ユーリスがまだ青い顔で言う。
「な、仲良くしてくださいよ……」
ロアンがユーリスの頭を軽く叩く。
「安心しろ、もともとこれが俺等の普通だ」
それから、ガルドを見る。
「だけどマジだぜ? ガルド……。
フィアの態度は明らかにおかしい」
ガルドは黙ったまま、
ロアンを睨む。
ユーリスがまだ青い顔のまま、小さく頷く。
「……はい、確かに」
少し迷ってから、続ける。
「フィアさん、エアさんのことになると……少し、違います」
ガルドの視線が動く。
ユーリスは慌てて言い足す。
「わ、悪い意味じゃなくて!
その……私も、エアさんの火の魔法はすごいと思いますし、興味はありますけど……」
言葉を探す。
「でも、フィアさんは……なんていうか……」
小さく息を吸う。
「心配の仕方が、違うというか……」
沈黙。
ロアンが頷く。
「だよな?」
わざと軽く言う。
「ありゃ、明らかにおかしい」
ガルドの眉がわずかに動く。
ロアンは笑う。
そして今度はユーリスに向く。
「よしユーリス! いっちょやるぞ」
「……やる?」
「安心しろよ」
ユーリスは不安な顔で、にやにやするロアンを見た。
「お前がエアを落とせって話じゃねぇ」
ユーリスが真っ赤になる。
「お、落とす!?なんですかそれ!?」
ロアンはけらけら笑う。
「冗談だって」
それから、ガルドへ視線を戻す。
少しだけ真面目な声。
「それで?」
間を置く。
「どうすんだ?」
ガルドは黙る。
ロアンは顎で階段の方を示す。
「せっかく今日は休みだぜ?」
にやりと笑う。
「どっか誘ってこいよ」
ユーリスがぱちぱちと瞬きをする。
「え、えぇ!?」
ロアンは続ける。
「エアは俺らが引き受ける」
ガルドの目が上がる。
「ロアン……おまえ……」
「決まりだな。んじゃユーリス!」
急に名を呼ばれ、びくっとする。
「は、はいっ」
「お前はエアを誘ってこい」
「わ、私がですか!?」
「いいだろ、興味あるんだろ? 火の魔法」
にやり。
「勉強だ、勉強」
ユーリスは完全に動揺している。
「そ、それは確かに興味はありますけど……!」
ロアンは肩をすくめる。
「フィアとガルドは市場でもまわってこい」
さらっと言う。
「俺は昼寝する」
ガルドが低く言う。
「勝手に決めるな」
ロアンは笑う。
「勝手じゃねぇよ」
少しだけ、声を落とす。
「古いダチのアドバイスだ」
静かになる。
ユーリスがそっと言う。
「……ガルドさん」
遠慮がちに。
「今日なら……自然だと思います」
ガルドは何も言わない。
ただ、外の入り口を一瞬見る。
そして、視線を落とす。
拳は、もう震えていなかった。
ロアンが最後に軽く言う。
「ほら、行ってこいよ」
―――――
宿屋の通路。男が一人、立ち尽くしていた。
「……」
ガルドは扉を見つめる。
拳を上げる。
……そのとき。
中から、声。
(……低い男の声?)
「……お前が感じてる……」
(エア?……)
ガルドの動きが止まる。
扉越し。
「特別な……」
次にフィアの声。
「……どういう……?」
静かだ。
怒鳴り声ではない。
だが、うまく聞き取れない。
エアが続ける。
「それは……愛かもしれない」
(愛……まさか……エアの奴)
拳が無意識に握られた。
部屋に押し入ろうと思ったが、
その前にエアが放った言葉に動きを止められた。
「俺は……、愛している」
――そこで音が途切れる。
椅子が動く音。
布が擦れる気配。
フィアの声。
「……そ、いいわよ」
それだけ。
ガルドの拳が、固まる。
それ以上は聞こえない。
扉は閉じたまま。
廊下は静かだ。
ロアンの声が頭に響く。
“取られちまうぞ?”
拳が、ゆっくり下がる。
扉を叩く必要は、
最初からなかった。




