第65話:ヴェルナの空気
ヴェルナ港は、中央とはまるで空気が違った。
潮の匂いは同じはずなのに、
どこか軽い。
桟橋には獣人もいれば、
長耳の旅人もいる。
誰もそれを気にしていない。
ロアンが大きく息を吸った。
「あー……落ち着くな」
ガルドも短く頷く。
「やっぱこっちだな」
フィアは小さく笑った。
「帰ってきた、って感じね」
俺はその後ろを歩く。
石畳の道を抜け、
見慣れた木造の建物へ。
ヴェルナ港冒険者組合。
扉を押し開ける。
中は喧騒。
酒と紙の匂い。
依頼掲示板の前で揉める声。
受付の奥で書類をまとめていた女性が、
ふと顔を上げた。
そして、固まる。
「……フィアさん!?」
ぱっと立ち上がる。
「おかえりなさい! よくご無事で――!」
声が少し裏返る。
少し泣きそうな顔。本気で安堵しているようだ。
フィアが柔らかく笑う。
「ただいま。大げさよ」
「だって中央行ってたって聞いて……!」
受付は胸に手を当てる。
「本当に心配したんですから」
ロアンが肩をすくめる。
「ほらな。人気者」
ガルドは腕を組んだまま。
「変なやつがいれば俺が殴る」
受付はくすりと笑う。
それから、ようやく俺に視線が向く。
「……あれ?」
首をかしげる。
「その方は?」
ロアンが横から言う。
「なんと、新人だぜ!」
短い。
受付は瞬きをする。
「え? 渡りの風に?」
「そうそ」
ロアンはにやりと笑う。
「しかもな――」
ちら、とフィアを見る。
「フィアが保証人になりやがってさ」
受付の表情が、わずかに固まる。
「……え?」
視線がフィアへ移る。
「フィアさん……本気ですか?」
フィアは平然としている。
「ええ」
短い。
迷いはない。
受付はゆっくりと俺を見る。
さっきまでの明るさとは違う、
少しだけ真面目な目。
「新規の……保証人、ですよ?」
ロアンが横で笑う。
「だから言ってるだろ、しかも本人からだ」
受付は小さく息を吸う。
「……そうですか」
それ以上は言わない。
だが、空気が変わったのは分かる。
軽い新人登録じゃない。
本気だ。
ユーリスが誇らしげに胸を張る。
「でもでも! エアさんの魔ッ――」
フィアが即座に口を塞いだ。
「言わなくていい」
物理的に。
「むぐっ!?」
受付がきょとんとする。
「……?」
ロアンが肩を震わせる。
「今のは聞かなかったことにしといてくれ」
ガルドが小さくため息をつく。
「新人は少し目立つからな」
受付は首をかしげつつも、
それ以上は追及しなかった。
俺は黙ってそのやり取りを見ていたが、
一歩前に出る。
「……保証人がいるのって、そんなにすごいのか?」
受付がはっとしてこちらを見る。
「あ、いえ……すごいと言うか、少し珍しくはありますね」
言葉を選んで続ける。
「普通は、村や出身がはっきりしていれば保証人はいりません。
あるいは村長や有力者が推薦する形で登録することもありますけど……」
そのまま、ちら、とフィアを見る。
「冒険者の保証人は、少し意味が違います」
ロアンがニヤニヤする。
「重いぞー?」
受付は真面目な顔に戻る。
「保証した新人が依頼で重大な失敗をした場合、
違約金の一部を保証人が負担します。
さらに犯罪に関われば、保証責任も追及されます」
ユーリスはコクコクと頷き、
ガルドは腕を組んだまま。
「だから軽々しくはやらねぇ」
受付は続ける。
「ただし――」
一度、俺を見る。
「保証人と同ランクからの登録になります。
本来なら新人はEかDから始まりますが……」
ロアンが、金属のプレートを取り出す。
細長い金属片。
刻印。
そして表面に一本の傷。
「現在、エアさんはCランク扱いになります」
ロアンが口笛を吹く。
「いきなりCってのは、新人にしちゃ破格だな」
フィアは静かだ。
受付は続ける。
「渡りの風は全員Cランクです。
個人ランクとは別に、パーティーランクが算定されます」
「現在の実力値と実績から、
あなた方はBランク依頼まで受注可能です」
ユーリスがフィアの手から逃れ、小さく胸を張る。
「えへん」
ガルドがぼそり。
「油断はするな」
受付はプレートをカウンターに置く。
「保証人がいる以上、
私も甘い判断はしません」
真面目な目。
「お二人とも、それだけの覚悟はありますよね?」
「フィアに迷惑をかける気はない……今のところな?」
フィアは迷わず頷いた。
「ええ」
俺はその金属片を見る。
Cランク。
一本の傷。
最初から、少し高い位置。
……なるほどな。
「面倒な制度だ」
「だから面白いんだよ、冒険者ってのは」
ロアンが笑い終えたところで、
掲示板へ向かおうとしたそのとき。
「……その前に」
フィアが静かに言った。
視線は、俺。
頭からつま先まで。
ボロボロの服。
獣の毛皮。
即席で削った枝の柄。
金属片から叩き出した鉄の刃の槍。
沈黙。
ロアンが吹き出しかけて、
ガルドが咳払いで止める。
フィアは真顔だ。
「……まず装備ね」
ユーリスがこくこく頷く。
「はい。さすがにそれでBランク依頼は……」
俺は槍を軽く持ち直す。
「問題あるか?」
「大ありよ」
即答だった。
受付も苦笑する。
「正直、街の中でそれは少し目立ちますね……」
ロアンが腕を組む。
「フルで揃えると結構飛ぶぞ?」
ガルドが現実的に言う。
「今は資金に余裕ねぇ」
フィアは一瞬考え、
それから受付に向き直る。
「素材と押収品、今日入った分ある?」
受付が瞬きをする。
「え?」
「卸す前のやつ」
少し困った顔。
「それは……原則、店を通して――」
「わかってるわ」
フィアは一歩近づく。
「でも、そこをなんとかお願い」
静かな声。
「魔石も素材も、うちはちゃんと持ち込んでるでしょう?」
ロアンがにやりと笑う。
(……魔石?)
「売上貢献度はそこそこだぜ?」
受付はうーんと唸る。
「規定上は……難しいです」
周囲の冒険者も少し視線を向ける。
「前例があまり……」
そのとき。
二階から重い足音。
階段を降りてくる影。
「騒がしいと思えば」
低い声。
全員が振り向く。
大柄な男。
灰色の髪。
腕を組み、こちらを見下ろす。
胸に輝くプレートがあり、
すべは読めなかったがヴェルナとマスターという文字が刻まれていた。
「フィア」
わずかに口元が緩む。
「帰ったか」
フィアが軽く頭を下げる。
「えぇ、戻ったわ」
マスターはロアンとガルドを見る。
「中央は面倒だったろう?」
「クソだった」
ロアンが即答する。
マスターは鼻で笑い、
そして俺を見る。
一瞬で測るような視線。
「新人か」
「ええ。保証人は私」
マスターは受付に目をやる。
「ほう……それはまた稀有な」
「実は、卸す前の押収品と素材を見せてほしいと……」
「許可する」
受付が目を丸くする。
「渡りの風は信用できる。
それに前回、無理を言って仕事を引き受けさせた」
視線はフィアに。
「その借りはまだ返していない」
ロアンが小声で笑う。
「ほらな」
マスターは俺に向き直る。
「特別だ。勘違いするな。
だが金は払え」
フィアが即座に言う。
「わかってる。必要分は私が出す」
ロアンが片眉を上げる。
「お、太っ腹」
ガルドは何も言わないが、少し不満そうな顔だ。
俺はそこで、さっきの引っかかりを思い出す。
「……さっき言ってた魔石ってのは何だ?」
ロアンが振り向く。
「は?」
受付もきょとんとする。
フィアが目を細めた。
「知らないの?」
「あぁ」
一瞬、沈黙。
ユーリスがそっと言う。
「魔物の核、みたいなものです……」
受付が補足する。
「討伐対象から採取できる結晶体です。
属性や大きさで価値が変わります」
ロアンが笑う。
「依頼報酬より安定して稼げる時もあるぞ」
俺は顎に手を当てた。
「……あれのことか」
全員が止まる。
「森で狩りをしてたとき、獣の中に石があった」
ロアンが目を見開く。
「は?」
「そこそこ大きいのを、いくつか持ってる」
静寂。
ユーリスの口が開いたまま止まる。
フィアがゆっくり聞く。
「……いくつ?」
「数えていない」
「全部持ってきたの?」
「いや」
俺はあっさり言う。
「何個かは置いてきた」
空気が凍る。
ロアンが固まる。
「置いてきた……?」
ガルドの眉がぴくりと動く。
受付が声を失う。
「お、置いてきたって……」
ユーリスが震え声で言う。
「……それ、換金できますよ?」
「そうなのか?」
本気で知らなかった。
ロアンが額を押さえる。
「お前……ほんと、どこの生まれだよ……」
フィアがこめかみを押さえる。
「大きさは?」
「拳より少し小さいくらいのが三つ」
完全に沈黙。
受付が震える声で言う。
「それ……C級魔物以上の可能性があります……」
ロアンが俺を見る。
「森ってどこの森だ? まさか……」
「お前達と会った所だ」
ガルドが低く呟く。
「……おい」
フィアは深く息を吐く。
「とりあえず、持ってる分を見せなさい」
俺は懐から布袋を取り出す。
中で硬い音が鳴る。
カウンターに置く。
袋を開ける。
透明感のある結晶。
淡く色を帯びた核。
受付が息を呑む。
「……本物」
ロアンが吹き出す。
「資金問題解決だな」
マスターが静かに近づく。
一つを手に取り、光にかざす。
「ほう……悪くない」
視線を上げる。
「これなら装備一式は十分賄える」
フィアが小さく笑う。
「ほら」
俺は首をかしげる。
「そんなに価値があるのか?」
ロアンが肩を叩く。
「お前、森でどんな生活してたんだよ」
ユーリスが真顔で言う。
「もったいないです……置いてきた分……」
ガルドが低く言う。
「……今度案内しろ」
ヴェルナの喧騒が戻る。
だが今、
カウンターの上の魔石だけが、
静かに光っていた。




