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第291話:生まれ、続く命


出発の準備は、

思っていたより簡単だった。


荷物をまとめ、

必要なものを背負う。


それだけなら、

いつもの旅と大して変わらない。


違うのは、

その先で巨大な竜が身体を伏せて待っていることだった。


昨日、

セレスと試しをした竜だ。


『約束は守る』


そう言った通り、

次の場所まで俺達を運ぶために来てくれている。


翼を畳んでいても背中は十分に広く、

俺一人なら何処へ座っても余裕がありそうだった。


だが今回は、

ユーリス、セレス、ミリカ、マリスも一緒だ。


「……全員乗れるのか?」


背中を見上げながら聞くと、

竜がこちらへ顔を向ける。


「問題ない」


「お前からすればそうだろうけどな……」


昨日、

若い竜へ勝手に乗せられた時とは違う。


今回は荷物もあるし、

五人全員が落ちないようにしなければならない。


ユーリスはすでに竜の背中を眺めながら、

どこへ座れば翼の動きを邪魔しないのか考えているらしい。


「首に近い方が揺れは少なそうですけど……翼の付け根には近付かない方がいいですよね」


「端がいいにゃ!景色がよく見えそうにゃ!」


竜の横へ回り込んだミリカが、

背中の端から下を覗こうとする。


「落ちるぞ」


「じゃあ真ん中にするにゃ」


「早いな」


マリスは竜の鱗へ指先を触れさせ、

表面を確かめるように何度か撫でた。


「……硬い」


「昨日乗った奴もそんな感じだったぞ」


「…滑る?」


「思ったよりは滑らない。ただ、掴む場所は少ない」


「……じゃあ、何か結んだ方がいい」


「私もそう思います」


ユーリスが荷物の中から縄を取り出した。


どうやら、

出発までもう少し掛かりそうだ。


その周囲には、

見送りなのか何頭もの竜が集まっている。


少し離れた岩棚、

さらに高い場所にも、

大きな翼や長い首がいくつも見えた。


もしかすると、

この辺りにいる竜の大半が集まっているのかもしれない。


普通なら、

それだけで足が止まりそうな光景だ。


だが、

ユーリス達も何日かここで過ごしたせいか、

今では巨大な竜達に囲まれたまま普通に荷物の相談をしている。


一番近くにいるのは、

ガァナ。


そして、

ゼグ。


昨日俺を勝手に背へ乗せた若い竜と、

風のおかしな場所を見つけてきた緑の竜。


その後ろには、

肉を焼いてから妙に懐いてしまった子供達まで集まっていた。


若い竜が俺を見つけると、

すぐに首を伸ばしてくる。


「父。飛ぶ?」


「今日はこっちだ」


俺達を運ぶ竜を指差すと、

若い竜はそちらを見てからまた俺へ顔を戻した。


「父。飛ぶ」


「お前とはまた今度な」


「肉?」


「ったく、食いしん坊め」


喉の奥から、

楽しそうな音が漏れる。


「帰ってきたらな」


そう言った途端、

後ろにいた子供達の首まで一斉にこちらへ向いた。


「……なんだ?」


低い鳴き声が重なる。


その様子を見ていたガァナから、

呆れたような声が落ちてきた。


「…余計な約束をしたな」


「別に構わんさ」


「…父は甘い」


「昨日も言われたよ、それ」


ガァナへ返しながら、

ユーリスから縄を受け取った。


その時だった。


―――ガリッ。


岩を引っ掻く音がした。


最初は、

近くにいる子供の竜が爪でも立てたのかと思った。


だが、

もう一度。


―――ガリ……ッ。


音の方を見る。


「……ゼグ?」


黒に近い鱗を持つ巨体が、

少し離れた場所で身体を低くしていた。


いつもとは明らかに違う。


前脚が岩を強く掴み、

太い爪が表面を削っている。


翼も完全には畳まれず、

半端に開いたまま何度か震えていた。


「おい、ゼグ?」


返事がない。


大きな腹が深く上下するたび、

喉の奥から押し殺したような低い音が漏れている。


さっきまで普通に立っていたはずだ。


「どうした?」


持っていた縄を手放して歩き出す。


昨日の試しで傷めた場所でもあったのか。


俺と戦った時の傷が残っていたのなら、

マリスかユーリスに診てもらった方がいい。


だが、

近付こうとした俺の前へガァナの翼が伸びた。


「…父よ、近付き過ぎるな」


「何でだ?苦しそうだぞ?」


「…問題ない」


「問題ないように見えんが…」


ゼグの後ろ脚へ力が入り、

巨体がさらに低く沈む。


―――ガリッ。


爪が岩を削った。


「怪我ならマリスかユーリスに――」


「…怪我ではない」


ガァナの声だけは落ち着いている。


そこで初めて周囲を見ると、

他の竜達も騒いでいなかった。


むしろゼグの周囲へ集まるのではなく、

少しずつ距離を空けている。


さっきまで肉のことで騒いでいた子供達まで離れ、

揃ってその場へ座っていた。


「じゃあ何だ?」


ガァナはゼグから顔を逸らさずに答えた。


「…産むのだ」


「……」


一瞬、

意味が分からなかった。


「何?」


「卵を産む」


「……卵?」


もう一度ゼグを見る。


荒い呼吸。


岩を掴む前脚。


力の入った後ろ脚。


それが頭の中でガァナの言葉と繋がるまで、

少し時間が掛かった。


「ちょっと待て」


ゼグを見る。


ガァナを見る。


もう一度、

ゼグ。


「ゼグ……お前、メスだったのか!?」


苦しそうにしていたゼグの大きな目が、

こちらへ動いた。


「……今更、何を言う……父よ」


「分かるわけないだろ!」


見た目では全く分からなかった。


声を聞いても分からない。


そもそも俺は、

竜のオスとメスの見分け方なんて知らない。


「じゃあ……」


別の疑問が浮かぶ。


卵を産む。


なら…。


俺は自然とガァナを見た。


「……」


ガァナも俺を見る。


「…何だ?」


「いや……」


「…何故、我を見る?」


「ゼグと一緒にいること多かったし……、

 その……、お前が父親か?」


「…違う」


即答だった。


「なら、相手は?」


ガァナが少しだけ首を傾けた。


「…相手とは?」


「だから、つがいだよ」


「…いない」


「いない?」


「…我らは、つがいを持たぬ。

 …昔から変わらぬ」


ガァナはゼグの様子を確かめながら、

当たり前のことを説明するように続けた。


「…時を迎えた者が卵を産む。

 …つがいにならねば産めぬものではない」


「一頭で?」


「…そうだ」


俺が知っている生き物とは、

そもそもの増え方が違うらしい。


横で話を聞いていたユーリスが、

何かを思い出したように声を上げた。


「……あ」


「何だ?」


「輸送鳥です」


「輸送鳥?」


「そういえば輸送鳥も、つがいを作らないんです」


「……あいつらも?」


ユーリスは一度ゼグを見てから、

俺へ説明を続ける。


「はい。輸送鳥は人の生活とずっと関わってきたので、繁殖についても記録があります。

 成熟した個体が卵を産みますけど、オスとメスをつがいにして増やす、という飼い方はしません」


「じゃあ……」


言葉が止まった。


輸送鳥。


竜。


どちらも元を辿れば、

ダックから続いたものだ。


「昔から変わらないって……」


ガァナを見る。


「…始まりより、そうであったと伝わっている」


その言葉を聞いた時。


頭の中に、

昔の景色が戻ってきた。


ーーーーー


すべてを終えて、

村へ帰った後。


ダックの様子がおかしかった時期があった。


いつもなら、

小屋の奥で大人しくしているような奴じゃなかった。


外へ出れば走る。


俺が何処かへ向かえば付いてくる。


食べ物の匂いがすれば、

勝手に頭を突っ込んでくる。


そんな奴だったのに、

あの時だけは小屋の奥からほとんど出てこなかった。


『……ダック?どうした?』


呼んでも、

少し顔を上げるだけだった。


身体が重そうで、

動くのも面倒そうに見えた。


俺は弱っているんだと思った。


リル達も、

俺よりずっと早く死んだ…。


だから、

ダックも歳なのかもしれない…。


病気なのかもしれない…。


そう思って、

近くへ水を置いた。


食べ物も、

動かなくて済む場所まで運んだ。


ダックは食べた。


けれど、

いつものように俺の手から奪い取るほどの元気はなかった。


『……ゆっくり休め』


頭を撫でた時の羽毛の感触は、

今でも覚えている。


少し硬くて。


それでも、

今触れている竜の鱗なんかよりずっと柔らかかった。


あの後。


俺は最後の戦いへ向かった。


そして、

そのまま戻らなかった。


だから俺は。


ダックがその後どうなったのか。


どうやって次の命を残したのか。


その続きを見ていない。


ーーーーー


「……そういうことだったのか」


目の前では、

ゼグがあの時のダックとよく似た姿勢で身体を低くしている。


弱っていたんじゃない。


少なくとも、

俺があの時見たダックも。


こうして卵を産もうとしていた可能性がある。


ガァナの言う通り、

それが始まりから変わっていないのなら。


きっと…そうだったんだ。


「エア?」


ユーリスの声が聞こえる。


「……昔な。

 …ダックが、小屋から出なくなったことがあった」


「ダックが?」


「ああ。俺は……弱ってると思ってた」


あの頃は、

身体に何が起きているのかも分からなかった。


その後を見ることも出来なかった。


なのに何千年も経った今、

その答えが目の前にある。


ゼグの爪が岩を強く掴んだ。


―――ガリッ!!


喉から、

それまでより深い声が漏れる。


反射的に前へ出ようとした俺の前へ、

またガァナの翼が伸びた。


「…待て」


「でもよ…」


「…手を出すな。ゼグがする」


その声で足を止める。


代わりに動いたのは、

周囲にいた竜達だった。


何頭かが前脚で砂を掻き集め、

ゼグの後ろへ厚く寄せていく。


別の竜は身体を横へ入れ、

興味を抑えきれず近寄ろうとする子供達を下がらせていた。


誰かが命令したわけじゃない。


それでも全員、

自分が何をすればいいのか知っている。


「いつも、こうなのか?」


「皆…そうだ」


ガァナが答える。


「…産む者がいれば、周りが守る」


「その後は?」


「…幼き者も、皆で守る」


思い返せば。


ここへ来てから見てきた子供達にも、

いつも同じ成竜が付いていたわけではない。


狩りへ行く者。


周囲を見張る者。


幼い竜達の近くへ残る者。


必要に応じて、

それぞれが動いていた。


親子ごとに分かれて暮らしていたわけじゃなかったのか。


「……父って呼び方も、

 俺が思ってるのとは少し違うのか」


独り言のつもりだったが、

ガァナには聞こえていたらしい。


「…父は父だ」


「だから、その説明が大雑把すぎなんだって」


返事はなかった。


その時。


ゼグの呼吸が大きく変わった。


身体がさらに沈み、

太い尾が岩の上を擦る。


周囲の竜達も動きを止めた。


俺達も言葉を失う。


岩棚の上にいた何十という竜が、

同じ場所を見ていた。


高い岩場にいた者まで首を下げ、

翼を畳んでいる。


さっきまで響いていた子供達の鳴き声も消えていた。


聞こえるのは、

岩山を抜けていく風。


遥か下で海が崖へぶつかる音。


そして。


ゼグの深い呼吸だけだった。


巨大な身体へ、

…何度も力が入る。


爪が砂へ沈み。


翼が震え。


ゼグの喉から、

低く長い声が漏れた。


ユーリスが俺の横で息を止める。


ミリカは耳を伏せて固まる。


マリスも。


セレスも。


誰も動かない。


俺も、

ただその光景を見ていた。


何も出来ない、

する必要もない。


それでも、

目を離せなかった。


何千年も前、

俺が拾った一つの卵。


そこから続いた命が。


今。


目の前で、

また次へ繋がろうとしている。


風が岩山を抜けた。


ゼグの翼の間を通り、

集まった竜達の鱗を撫で、空へ抜けていく。


その時。


ゼグの身体へ、

ひときわ強く力が入った。


―――ゴロッ。


厚く集められた砂の上…、

…大きな卵が落ちた。


「……」


陽の光を受けた殻が、

淡く輝いている。


白だけではない。


黒と灰色の模様が混じり、

ゼグの鱗をそのまま薄く移したようだった。


人間なら、

両腕で抱えても持ちきれないほど大きい。


その卵が砂の上へ落ち着いた瞬間。


周囲の竜達から。、

低い声が上がった。


一頭ではない。


ガァナの近くから。


高い岩棚から。


さらに遠くからも。


―――グォォォッ


吠える声とは違う。


争う時の声でもない。


腹の奥へ響くような低い音が、

いくつも重なり、

岩山の間を渡っていく。


海の上へ。


空へ。


島の向こうまで。


まるで、

この場所に新しい命が一つ増えたことを、

竜達全てが確かめるように。


俺は、

その中心にある卵を見ていた。


何千年も続いてきたものが。


今また一つ…。


ここに生まれた。

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