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第285話:竜の朝食


竜達が空へ上がっていく。


教会の信徒を守るため、魔物と戦うことはあったが…。


まさか…竜と戦う日が来ようとは。


岩棚の縁から次々に翼を広げ、

山を越え、海を越え、それぞれ違う方角へ散っていく姿を私はしばらく見送っていた。


あれだけ大きな身体が空へ浮かぶ光景には、

何度見ても慣れない。


翼が一度打たれるだけで谷全体へ風が落ち、

外套が大きく揺れる。


飛び立った竜の影が岩肌を横切り、

そのまま小さくなっていくのを目で追っていると、

先ほどまで周囲にいた竜の数が随分減ったことに気付いた。


残っているのは、

主に洞穴の近くにいた竜達。


「……」


改めて見れば、

小さい。


いや。


小さいと言っていいのかは分からない。


私達よりは遥かに大きい。


首を上げれば頭は私の背丈を越え、

身体だけでも大きな馬より一回りどころではなく大きい。


それでも、

成長した竜達と並べば明らかに体格が違った。


鱗もまだ薄い。


角も短く、

翼も身体に比べてどこか頼りない。


中には翼を開いて何度か羽ばたいているものもいたが、

身体が少し浮いたところですぐに岩へ落ちている。


「子供か…」


口にすると、

近くにいたガァナがこちらを見た。


「まだ遠くへ飛べぬ者達だ」


「だから残っているのか?」


「飛べぬ者と、卵を守る者は残る」


なるほど。


飛べる竜達の多くは、

エアに頼まれてアンカーを探しに出た。


残ったのは、

この場所を守る竜と、

まだ遠くへ行けない子供達。


先ほどまでより谷が静かに見えるのも、

そのせいなのだろう。


そう思っていると。


遠くから、

また翼の音が聞こえてきた。


―――バサッ、バサッ。


探しに出た竜がもう戻ったのかと思い、

顔を上げる。


違った。


一頭の竜が、

山の向こうからこちらへ飛んでくる。


前脚に何かを掴んでいた。


「……大きいな」


ミリカが耳を立てる。


「あれ、食べ物にゃ?」


竜が岩棚の上を通り過ぎ、

そのまま谷の中央へ降りた。


前脚から落とされたものが、

地面へ重く叩き付けられる。


―――ズンッ!!


岩の上へ転がったのは、

獣だった。


いや。


あれを獣と呼んでいいのかは分からない。


全身を硬そうな黒い毛で覆われ、

頭には何本もの角が生えている。


人間なら一頭でも持ち運べないほどの巨体だったが、

竜からすれば狩りの獲物の一つに過ぎないらしい。


血の匂いが風に混じった。


それに反応して。


残っていた竜達が、

ゆっくり動き始める。


子供の竜達もだ。


一頭。


二頭。


岩棚の影から顔を出し、

獲物の方へ寄っていく。


だが、

その途中で何頭かが足を止めた。


「……?」


何を見ている。


視線を辿る…、エアだった。


「何だよ?」


本人も気付いたらしい。


新しい矛を岩へ立て掛けたまま、

竜達を見返している。


その足元には。


昨日と同じように、

火を起こした跡が残っていた。


「ああ……」


思い出した。


昨日、

エアが肉を焼いた。


結局エアは珍しがった小さい竜に肉を投げていた、

こっそりと。


どうやら、

覚えていたらしい。


一頭の小さな竜が、

落とされた獲物へ近付く。


大きな顎で肉を噛み千切ると、

そのままエアの前まで持ってきた。


―――ドスッ。


「……」


エアが肉を見る、

次に目の前の竜を見る。


「お前……これ、焼けってことか?」


子竜は答えない。


鼻先だけを、

肉へ向けた。


「いや、自分で食えるだろ」


言われても動かない。


すると。


後ろにいた別の子竜まで、

獲物の方へ向かった。


嫌な予感がした。


肉を咥える。


持ってくる。


―――ドスッ。


「おい」


三頭目。


四頭目。


次々に肉が運ばれてくる。


「待て待て待て!」


エアの声が谷へ響いた。


それでも止まらない。


昨日、

エアが焼いた肉の味を覚えたらしい。


小さい竜たちは、

まだ言葉を使わない。


だが。


食べたいということだけは、

十分過ぎるほど伝わってくる。


私達より遥かに大きな子供の竜が。


肉を口に咥え。


一頭ずつ。


エアの前へ並び始めた。


「何だ…これは…」


気付けば列になっていた。

一頭の後ろに一頭。


さらにその後ろ。


岩棚の上から降りてきた子竜まで加わり、

エアの前から獲物の近くまで、

巨大な身体がずらりと続いている。


エアはその列を見たまま固まっていた。


「……お前ら」


返事はない。


だが、

全部の目がエアを見ている。


「……仕方ねぇな」


諦めた声だった。


エアが頭を掻く。


「並べ。順番だ」


その一言で。

何故か本当に竜達がその場へ落ち着いた。


前の竜が一歩出れば、

後ろの竜が一歩詰める。


妙に行儀がいい。


「……何をしているのだ、あいつは」


思わず漏れた。


隣でユーリスが口元を押さえている。


「笑うところではないだろう…」


「す、すみません、でも」


肩が揺れている。


無理もない。


神話の神として語られている男。

この竜達から父と呼ばれている男。


その本人が今。


子供の竜達を一列に並ばせ、

肉を焼こうとしている。


それが妙に様になっていた。


「エア〜」


ミリカが近付いた。


尻尾が左右へ揺れている。


「私もお腹減ったにゃ〜」


「こいつらが先だ」


エアは地面へしゃがみ込み、

昨日使っていた石を用意しながら答える。


ミリカの耳がぴたりと止まった。


「何でにゃ!?」


「子供だから」


「私も腹減ってるにゃ!」


「ガキ共はちゃんと並んで待ってるぞ」


エアが竜の列を指差した。


確かに、

誰も割り込まない。


誰も先に肉を取ろうとしない。


巨大な子竜達が、

ただ黙って自分の番を待っている。


エアがミリカを見る。


「お前も姉貴の癖に、子供らより待てないのか?」


「ぐっ……」


ミリカの耳が横へ倒れた。


「……待てるにゃ」


「なら待ってろ」


「でもお腹減ったにゃ……」


「自分の分くらい自分で焼け」


随分雑な扱いだった。


だが。


エアはもう、

こちらへ構っている場合ではないらしい。


子竜が持ってきた肉は、

一つ一つが大きすぎる。


そのままでは焼けないため、

切り分け、

用意した大きく平らな石の上に並べる。


そして…。


―――ボッ。


一度火が上がると。


脂の落ちる音と共に、

香ばしい匂いが広がった。


―――ジュウッ。


途端に、

並んでいた竜達の鼻がほとんど同時に動く。


「……」


少し可愛く見えた。


相手は私より遥かに大きい。


口を開けば、

人間くらい簡単に飲み込めそうな上に、牙まで生えている。


それでも。


焼ける肉の匂いへ鼻を動かし、

自分の番を待っている姿は、

どうにも恐ろしい生き物には見えなかった。


「セレス、さん?」


ユーリスに呼ばれて、

そちらを見る。


「私達の分は……どうしましょう?」


エアを見る。


駄目だな。


一頭目の肉を焼いている間にも。


二頭。


三頭。


新しい竜が列へ加わっている。


しかも。


奥では別の子竜が、

また肉を千切ってこちらへ運んでいる。


あれが終わるのを待っていたら。


日が傾くかもしれない。


「自分達で用意した方が早いだろうな」


「ですよね……」


ユーリスも同じ判断らしい。


マリスは。


エアの近くで、

焼けた肉を子竜へ渡すのを手伝い始めていた。


「熱いから……待って」


竜へそんなことを言っている。


一方。


ミリカは焚き火の近くへ座り込み、

腹を押さえていた。


「お腹減ったにゃ……」


「自分で作れと言われただろう」


「火はエアの方にゃ」


「火を起こせるのはあいつだけではない」


言ってから。


周囲を見る。


料理に使えそうな場所はある。


石もある。


だが、

肝心の薪が足りない。


竜の火を借りるという手もあるが。


料理ごと消し炭になりそうなので、

やめた方がいいだろう。


「薪を集めてきます」


ユーリスが岩棚の奥へ目を向けた。


「向こうに木がありましたよね。谷の端の方」


「ああ」


竜達の領域とはいえ。


全てが岩だけというわけではない。


崖の隙間や、

水の流れる場所には低い木も生えていた。


その辺りなら。


落ちた枝くらいは見つかるだろう。


「私も行こう」


口にすると、

ユーリスが少し意外そうな顔をした。


「セレスさんもですか?」


「何だ?」


「いえ……怪我は」


「枝を拾う程度で倒れると思っているのか?」


「そ、そういう意味じゃありませんよ」


ユーリスが慌てて両手を振る。


「でも、マリスさんにもまだ治療の続きを――」


「後でいい。腕も動く」


聖杭槍杖を一度持ち上げて見せる。


痛みは残っている。


竜の一撃を逸らしたとは言え…、

凄まじい衝撃だった。


肩も。

腰も。


まだ少し鈍い。


だが、戦うわけではない。

薪を拾うくらいなら問題ない。


それに、

この場に残っても。


しばらくエアは、

竜の相手で手が離せそうになかった。


「なら、一緒に行きましょう」


ユーリスがそう言って、

向きを変える。


その時、

背後からエアの声が飛んでくる。


「どこ行くんだ?」


振り返る。


エアは片手で肉を返しながら、

こちらを見ていた。


その正面には子竜。


後ろには、

まだ長い列。


「薪を取りに行く」


「作るなら俺の分も頼む!」


「……仕方ない」


「助かる!」


随分軽い返事だった。


私がため息を吐くと。


横でユーリスが小さく笑う。


「行きましょうか」


「ああ」


二人で岩棚を離れる。


背後では。


「次の肉もってこい!」


というエアの声。


その直後、

重い足音が一つ前へ進む。


さながら、人気の屋台のようだ。


そんなことを考えながら。


私はユーリスと並び、

谷の端に見えていた木々の方へ歩き出した。

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