第284話:翼の向かう先
セレスの試しが終わってから、
俺達はもう一度ガァナのいる岩棚へ戻った。
朝から照りつけていた陽はすでに高く上がり、
岩肌に残った白火の焦げ跡からは、
まだ細い熱気が揺らいでいる。
さっきまで戦っていた竜も、
離れた場所で身体を休めていたが、
こちらを見る目は試しの前とは少し違っていた。
一頭だけではなく。
岩棚を歩いていると、
近くにいた竜が顔を上げる。
上の岩場で翼を休めていた奴まで首を伸ばし、
聖杭槍杖を肩へ担いだセレスを目で追っていた。
昨日までは俺と一緒に来た、
ただの人間として見ていたはずだ。
だが今は。
白い火を使い、
自分達の仲間と正面から試しを終えた者として見ているらしい。
「……何だ」
セレスも当然気付いている。
振り返れば竜。
前へ向き直っても、
その先の岩棚から別の竜が見ている。
鬱陶しそうに眉間へ皺を寄せているのを見て、
少し笑いそうになった。
「今度はお前が人気者になったな?」
「誰のせいだと思っている…」
「俺じゃない。戦ったのはお前だ」
「そもそも貴様が勝手に条件へ加えたからこうなっているのだろう!」
「でも最後は自分で――」
「はいはい、そこまでです」
間へ入ったユーリスが、
俺とセレスを交互に見ながら両手を上げた。
「セレスさんは怪我をしたばかりなんですから、エアも今は余計なことを言わないでください」
「俺だけか?」
「貴様が余計なことを言うからだ」
「ほら、セレスさんも言ってるじゃないですか」
納得はいかない。
とはいえ。
セレスの頬には、
さっき飛んだ石で切った細い傷が残っている。
マリスに治療された肩も動かせてはいるが、
竜の前脚を逸らした時の衝撃まで、
消せはしないだろう…。
歩き方に違和感がないか見ていると、
銀色の目がこちらへ向いた。
「……何だ」
「いや」
「…なら見るな」
「怪我が残ってないか見てただけだ」
「先ほども見ただろう!」
今度は本当に怒られた。
さっき竜に向かっていた時より元気そうなので、
多分大丈夫なのだろう。
「……まあいい」
「何がだ?」
「…何でもない」
これ以上続けると聖杭槍杖が飛んできそうなので、
ガァナの方へ身体を向ける。
こっちには、
こっちで聞いておかなければならないことがあった。
ガァナは岩棚の縁近くに伏せている。
俺達が戻ってきた時から動いていないが、
こちらの話は聞いていたらしく、
顔だけが少し下がった。
「それで、ガァナ」
「何だ」
「次の場所なんだが……」
そこまで言ったところで、
自分の中にある情報を一度思い返す。
アンカーを封じる。
それ自体は決まっている。
今まで回った場所で見た構造も覚えているし、
何をすればいいのかも大体分かってきた。
ただ。
肝心なことが、
一つ抜けていた。
「……次がどこにあるか分からん」
少しの間、
誰も声を出さなかった。
ガァナの巨大な瞳が俺を見ている。
隣ではユーリスが瞬きをし、
ミリカの耳が横へ傾く。
マリスはいつも通り表情を変えなかったが、
セレスだけは明らかに顔が険しくなった。
「……待て」
嫌な声がした。
振り返ると、
聖杭槍杖の石突きが乾いた音を立てて岩へ落ちる。
「昨日、貴様は次のアンカーまで運べと竜へ条件を出していなかったか?」
「出したな」
「場所も知らずにか?」
「そうなる」
「貴様……」
聖杭槍杖を握る指へ力が入った。
さっき竜と戦ったばかりなのだから、
もう少し休んだ方がいいと思う。
俺を殴る元気があるなら、
心配はいらない気もするが。
「全部の場所を最初から知ってたわけじゃないんだ、仕方ないだろ?」
今までだって、
最初から地図に印が付いていたわけではない。
ルクナスから聞いた話。
土地に残った記録。
実際にそこへ住んでいた奴らから得た情報。
そして、
近くまで行って初めて分かった異常。
そういうものを繋ぎ合わせながら、
辿ってきた。
世界をここへ留めているものなのだから、
全部同じ形で山の頂上にでも立っていてくれれば楽だったのだが、
実際にはそんな親切な造りではない。
「方角くらいは分かるんですよね?」
ユーリスが少し呆れた顔で聞いてくる。
「俺は知らん」
答えたところで、
すぐ隣からマリス……ではなく、
ルクナスが口を挟んだ。
「大方の位置はわかるよ。
でも僕も何本どこにあるか知らない。
まぁ、近くに行けば流れで分かると思うけど?」
「流れ…って」
ユーリスがそちらへ向き直る。
雰囲気が変わる。
今度はマリスだ。
自分の腕に浮かぶ青い紋様へ一度目を落とし、
それから周囲の岩場を見るように顔を上げた。
「水だけじゃない…、アンカーの近くは、流れが少し変になる」
セルネレイアでも、
マリスは俺達が気付くより先に水の異常を見つけていた。
俺には見えないものを、
こいつは身体で拾っている。
「マリス…お前、近くまで行けば分かるのか?」
「うん……多分」
「水だからか?」
「……それもあると思う」
マリスがこういう時に口にした感覚を、
俺は軽く扱う気にはならなかった。
俺一人で世界中を歩き回って探すよりは、
ずっと当てになる。
そこで、
周囲にいる竜達へ目を向けた。
岩棚。
谷の上。
さらに、
その向こうの山。
翼を広げれば、
あれだけの巨体が一気に空へ上がる。
竜が一日に進める距離は、
人間とは比べものにならない。
それに…ここにいるのは一頭ではない。
「お前ら、結構遠くまで飛ぶんだよな?」
ガァナの鼻から熱い息が漏れ、
足元の砂が薄く動いた。
「狩りで海を越える者もいる」
「なら、頼みがある」
近くにいた何頭かの竜が、
こちらへ顔を向けた。
離れた岩棚で寝ていた奴まで、
片目を開けている。
「アンカーを探してくれないか」
「アンカー…」
ガァナが、
聞き慣れない言葉を確かめるように繰り返す。
「俺達はそう呼んでる。古い杭みたいなものなんだが……」
説明しようとして、
少し困った。
これまで何度も触れてきた。
壊れかけたものも見た。
その向こう側から何かが干渉していることも、
ルクナスから聞いている。
だが。
『ではアンカーとは何だ』
と聞かれた時、
俺自身が全部を説明出来るわけではない。
「世界を、ここへ留めてるもの……らしい」
横から視線を感じた。
ユーリスだった。
「らしいって…」
「俺が造ったんじゃないんだから仕方ないだろ」
「確かにそうですけど……」
納得しきれない顔をされても困る。
正確な仕組みまで知りたいなら、
ルクナスを引っ張り出すしかない。
だが今は、
マリスの身体を借りて出てくる気配もなかった。
説明はこっちに任せるみたいだ。
ガァナは、
しばらく考えるように黙っていた。
「形は同じか?」
「いや、場所によって違う。
ただ、かなり古い。
少なくとも今の人間が最近造ったものとは違うはずだ。
アルケシアにあるデカい塔みたいなのとか、後は人と変わらないサイズの祠とかか?」
「あなた達に火が分かるなら、近くに行けば……流れで分かると思う」
マリスも説明へ加わる。
「全部を探す必要はない。
何か変な場所があったら、教えてくれればいい」
俺がそう言うと、
ガァナは一度マリスを見た後、
周囲の竜達へ低く声を掛けた。
そこから始まったやり取りは、
人間の命令とは少し違っていた。
ガァナが一方的に行き先を決めるわけではない。
一頭が北の山について何か言えば、
別の竜が首を振る。
東へ行ったことがあるらしい竜が声を出すと、
離れた岩棚から別の一頭まで会話へ加わってきた。
それぞれが、
自分の知っている土地を出し合っているように見えた。
竜だからといって、
世界の全てを知っているわけではない。
長く生き。
遠くまで飛べても。
自分が行ったことのない場所まで、
知っているはずがない。
考えてみれば、
当たり前のことだった。
その中で、
ひときわ大きな影が立ち上がった。
さっきセレスと試しをした竜だ。
折り畳まれていた翼が開き、
その風だけで足元の砂が細く舞う。
セレスも気付いたらしく、
そちらへ顔を向けた。
「お前も行くのか」
「…探す」
短い返事だった。
竜はセレスを見ると、
続けて聖杭槍杖へ目を落とす。
「…見つければ、お前達を運ぶ」
セレスの眉が少し動いた。
「約束は覚えているのだな」
「…我は忘れぬ」
それだけ言うと、
竜は岩棚の端へ向かった。
セレスは何も返さなかったが、
肩へ担ぎ直した聖杭槍杖の動きは、
さっきまでより少しだけ軽く見えた。
やがて数頭の竜が、
それぞれ別の岩棚へ移動する。
巨大な身体が崖際へ立つだけで、
周囲の空気が押されるように動いた。
次の瞬間。
―――バサァァッ!!
いくつもの翼が、
同時に開いた。
一度打たれただけで、
谷の底から風が吹き上がる。
服が強く身体へ張り付き、
舞い上がった砂が頬を打つ。
ミリカが耳を伏せ、
ユーリスも髪を押さえながら空を見上げていた。
一頭。
また一頭。
あれだけ重そうな巨体が岩から離れ、
陽の中へ浮かび上がっていく。
北へ向かうもの。
東の山脈を越えていくもの。
海の方角へ大きく旋回するもの。
翼の音が遠ざかるにつれて、
その影も少しずつ小さくなっていった。
人間なら何日掛かるのか分からない距離を、
あいつらはあの翼で見に行く。
その姿を眺めているうちに、
つい口から出た。
「……便利だな」
「父よ」
すぐ横から、
ガァナの低い声が落ちた。
嫌な予感がして振り返る。
「何だ」
「我らは、運ぶために翼を得たのではない」
巨大な顔が、
真っ直ぐ俺を見ている。
「分かってるよ。言ってみただけだ」
ガァナは、
それ以上何も言わなかった。
それなのに。
何となく、
竜に怒られたような気がした。




