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第283話:白き火の人


竜の前まで歩いていく。


昨夜、岩棚の上から見下ろされていた時にも、

大きさは分かっていたはずだった。


だが。


同じ地面へ立ち、

真正面からその巨体を見上げると、

感覚がまるで違う。


前脚一本だけでも、

私の身体より太い。


地面へ食い込んだ爪は、

僅かに体重が移るだけで石を軋ませ、

こちらへ頭を下げれば、

その眼だけでも私の胴ほどの大きさがあった。


聖杭槍杖を握る手へ、

自然と力が入る。


「……」


逃げるつもりはない。


そう決めて、

ここまで来た。


恐れてなどいない…と、


言い切れれば格好もつくのだろうが…、

…さすがに少しくらいはある。


昨日。


エアとゼグの試しを、

目の前で見てしまった後なら尚更だった。


地面が沈み、

岩が割れるほどの前脚を、

あの男は正面から受け止めた。


押し潰されるどころか、

そのまま押し返してみせた光景は、

嫌でも頭に残っている。


「……真似をする必要はないな」


口にしてみると、

余計な力が少し抜けた。


私はエアではない。


同じ身体でもなければ、

同じ力も持っていないのだから、

あの男と同じ戦い方をする理由など最初からない。


聖杭槍杖を両手で握り直す。


穂先に灯した白火が柄へ細く伸び、

表面に刻まれた溝を伝いながら形を整えていく。


その白を目にした瞬間、

昨日聞いた竜達の声が頭を過った。


『父の火とは違う』


『人が変えた火』


『偽りか』。


そして、

それへ返したエアの言葉も。


『セレスは、セレスの火を使ってる』


「……」


昨夜から何度思い出しているのだ。


今はそんなことを考える時ではない。


意識を正面へ戻すと、

竜が伏せていた身体を起こした。


畳まれていた翼はまだ背中へ収まったままだが、

それだけで朝日に照らされていた地面へ巨大な影が伸び、

私の足元まで呑み込んでくる。


「白き火の人よ」


「セレスだ」


昨日から何度もそう呼ばれている。


別に悪い呼び名ではない。


だが、

いつまでも火だけで呼ばれるのも落ち着かなかった。


竜は一度だけ瞬きをした。


「セレス」


「ああ」


「我は、お前を知りたい」


「昨日も似たようなことを聞いたな?」


「人が父と並び、父と刃を交えた」


巨大な瞳が私から聖杭槍杖へ落ち、

穂先に揺れる白火をじっと見つめる。


「その火も、力も。我自身はまだ知らぬ」


「……分かった」


どうやら、

本当にただ勝ち負けだけを求めているわけではないらしい。


昨日、

ゼグがエアへ求めたものと同じなのだろう。


今の私がどう戦い、

どんな火を使うのか。


それを自分で確かめたい。


なら、

やることは変わらない。


「殺す気はないのだな?」


「ない」


「なら私もだ」


周囲を確かめる。


いつの間に起きてきたのか、

岩棚には何頭もの竜が集まっていた。


ゼグもいる。


ガァナも、

少し高い岩の上からこちらを見下ろしている。


反対側には、

エア達。


ミリカはこちらへ大きく手を振っているし、

ユーリスは杖を握ったまま、

何か言いたそうに口を閉じていた。


マリスはいつも通り表情を大きく変えず、

私の身体と竜を交互に見ている。


そして。


エア。


新しい矛の石突きを地面へ置き、

片手を柄へ掛けたまま、

こちらを見ていた。


目が合う。


何も言わない。


だが。


立っている位置も、

矛の持ち方も、

ただ見物しているようには見えなかった。


何かあれば、

すぐに動けるようにしているのだろう。


「……まったく」


あれだけ言ったというのに。


それでも…、

…嫌ではなかった。


「始めるぞ」


竜の声で、

意識を引き戻す。


「来い」


答えた直後、

巨体が一歩前へ出た。


―――ズンッ!!


まだ攻撃ではない。


ただ前脚を一つ運んだだけなのに、

地面を伝った振動が靴底から脚へ上がり、

腹の奥まで揺さぶってくる。


肩が沈んだ。


来る。


「ッ!」


考えるより先に、

横へ跳ぶ。


直後。


私が立っていた場所へ、

巨大な前脚が落ちた。


―――ドォンッ!!


岩が割れ、

砕けた石片と土が横殴りに飛んでくる。


頬の横を掠めた小石の痛みを感じながら、

着地と同時に竜の肩を見る。


速い。


あの巨体でありながら、

踏み込みから着弾までの間が短すぎる。


だが。


見えないわけではない。


昨日、

ゼグとエアの試しをずっと見ていた。


前脚を振るう直前、

肩が沈む。


反対側の脚へ体重が移り、

爪が地面を掴んでから力が前へ流れる。


攻撃そのものを見てから動けば遅い。


なら、その前を読む。


竜の顔がこちらへ向いた。


首が動く。


だが、違う。


次は――尾。


「――ッ!」


振り返るより早く、

身体を低くする。


直後。


頭上を巨大な尾が薙いでいった。


―――ブォンッ!!


触れてすらいないのに、

巻き起こった風が髪を荒々しく持ち上げ、

身体まで横へ押そうとする。


腰を落として耐えながら、

そのまま私は竜の懐へ踏み込んだ。


距離を取れば、

長い脚も尾も好きに使われる。


力も間合いも、

向こうが上。


ならば、

勝負をする前に、こちらから潰す。


「火よ、示せ!」


聖杭槍杖へ流していた白火を細く絞る。


狙うのは、

硬い鱗そのものではない。


翼の付け根。


身体を動かすたび、

幾重にも重なった鱗の間が僅かに開く場所。


そこへ穂先を滑り込ませる。


―――ギィンッ!!


硬い。


金属を岩へ叩き付けたような衝撃が柄から両腕へ返り、

指の骨まで痺れた。


深くは入らない。


「これはどうだ!!」


接触している一瞬だけ。


白火を強める。


―――ボッ!!


鱗の隙間で白い火が弾け、

竜の巨体が僅かに揺れた。


「……!」


効いている。


大きな傷ではないが、

これならこちらの攻撃が届く。


それが分かれば十分だ。


「なるほど…」


頭上から低い声が落ちる。


「恐れず、入るのか」


「向かい合って、貴様らと力比べをするほど馬鹿ではないからな」


言い返した途端、

竜の胴が大きく捻れた。


鱗の動きに合わせて背中が盛り上がり、

畳まれていた翼が開いていく。


まずい。


―――バサァァッ!!


一度、

大きく振られた。


次の瞬間。


風というより、

壁に近い圧力が身体へぶつかってきた。


「くっ……!」


踏ん張った足が、

地面から浮きそうになる。


聖杭槍杖を咄嗟に地面へ突き立て、

穂先から流していた白火の一部を足元へ落とす。


―――ボッ!!


爆ぜた火の反動で身体を横へ逃がしたが、

完全には殺しきれない。


肩から地面へ落ち、

そのまま数度転がった。


硬い岩が、

背中と腰を打つ。


痛みを確かめる暇もなく顔を上げると、

すでに竜の前脚が視界を覆っていた。


「ッ!!」


聖杭槍杖を引き抜く。


受ける?。

…無理だ。


エアなら、

あれを正面から受けられる。


なら私は…逸らす!。


落ちてくる前脚の内側へ穂先を添え、

力そのものへ逆らわず斜めへ滑らせる。


接触した瞬間だけ、

白火を爆ぜさせた。


―――バァンッ!!


「ぐっ……!」


両腕が一気に沈む。


肩の奥まで軋み、

握った指が外れそうになるほどの重さが圧し掛かる。


それでも。


ほんの少し。


軌道がずれた。


―――ドォォンッ!!


巨大な爪が私のすぐ横へ突き刺さり、

地面が大きく沈み込む。


跳ねた石が頬を切り、

砂埃が視界へ入った。


だが。


竜の前脚は、

まだ地面へ沈んでいる。


「取った!」


一歩踏み込み、

聖杭槍杖を回す。


狙うのは、

前脚の付け根。


「火よ!」


穂先に集めた白火を、

一点だけへ圧縮する。


広げない。


必要な場所だけ。


細く。


鋭く。


―――ドッ!!


白い閃光が、

鱗の隙間へ突き刺さった。


焼けた鱗の匂いが鼻へ届き、

竜の身体がこちらから分かるほど傾く。


「小さき身で……これほど届くのか」


低い声が降りてきた。


「当然だ」


平静に返したつもりだったが、

呼吸はもう浅くなっている。


まだ数度、

攻防しただけ。


それなのに、

腕は痺れ、

肩も重い。


一つ判断を間違えれば、

次の瞬間には身体ごと潰される。


エアが心配した理由くらい、

嫌というほど分かる。


だからといって。


それは、

私が弱いという意味にはならない。


エアのように前脚を止められないなら、

止めなければいい。


私には私の身体があり、

その身体で積み重ねてきた戦い方がある。


そして、

私には私の火がある。


昨日、

あの男がそう言った。


なら、

今ここで使えばいい。


竜が一度、

距離を取った。


次の動きを読むために肩と脚を追うが、

どちらにも先ほどまでの兆候がない。


代わりに。


頭が持ち上がった。


喉元の鱗が僅かに広がり、

その奥から赤い光が透け始める。


空気が変わった。


熱が届くより先に、

乾いた岩と土の匂いが濃くなる。


「……来るか」


昨日。


ゼグがエアへ吐いた火。


あれを私は、

真正面から受けるつもりなどない。


聖杭槍杖へ集中させていた白火を分け、

足元へ薄く流す。


竜の胸が大きく膨らんだ。


口が開く。


―――ゴォォォォォッ!!


赤い炎が、

一息に視界を覆った。


「ッ!!」


横へ走る。


背後からではない。


横からでもない。


目の前そのものが、

火へ変わったような熱量だった。


頬の表面が焼け、

吸い込む空気まで熱い。


しかも、

炎の幅が広すぎる。


普通に走るだけでは抜けられない。


白火を足元へ叩き込む。


―――バンッ!!


爆発の反動で身体を横へ弾き、

炎の端へ向かって一気に距離を稼ぐ。


熱が頬を撫でた。


まだ終わらない。


竜が首をこちらへ回し、

吐き続ける炎そのものを追わせてくる。


「……なら!」


進んでいた方向とは逆へ聖杭槍杖を突き、

もう一度白火を爆ぜさせる。


足裏が岩を擦り、

身体が急停止した。


そのまま切り返す。


炎は、

私が進み続けると読んだように、

少し先の地面を舐めていった。


竜の首が、

横へ伸び切っている。


こちらに戻るには、

僅かだが時間がいる。


「今だ!」


地面を蹴る。


炎の外を回り込み、

首が戻るより先に正面へ踏み込んだ。


巨大な頭。


眼。


喉。


狙える場所はいくつもある。


どこへ穂先を入れても、

先ほどよりは深い傷になるだろう。


だが。


あえて狙わない。


聖杭槍杖を両手で押し出し、

竜の鼻先へ穂先を向ける。


白火を一点へ絞る。


そして。


寸前で止めた。


「……」


穂先と鱗の間には、

指一本ほどの隙間しかない。


白い火が照らす巨大な瞳の中に、

私の姿が小さく映っていた。


息が荒い。


腕も脚も痛い。


転がった時に打った肩も、

今になって熱を持ち始めている。


それでも、立っている。


「どうだ…?」


自分でも意外なほど、

声は普通に出た。


長い沈黙が落ちる。


竜の鼻から熱い息が吹き出し、

前髪が揺れた。


それから巨体は攻撃を続けることなく、

ゆっくりと頭を持ち上げた。


「…知った」


「……何を」


「…お前は、父ではない」


「当たり前だ」


「…父のようには戦わぬ」


「当然だ。あれと一緒にするな」


後ろから何か言われそうな気もしたが、

今は無視する。


竜は少しだけ頭を傾けた。


「人の器は脆いのだな…」


「……」


否定はしない。


実際。


一撃を受ければ終わる。


力で押し合えば負ける。


竜から見れば、

人間の身体など驚くほど脆いのだろう。


その巨大な瞳が、

次に私の聖杭槍杖へ向いた。


白火は、

まだ穂先で燃えている。


「…だが」


前脚が地面を掴み、

石の割れる小さな音が足元へ伝わった。


「弱くはない…」


「……」


胸の奥に、

重さとは違う何かが落ちた。


褒められたくて戦ったわけではない。


竜に認めてもらうためだけに、

ここへ立ったわけでもない。


それでも。


悪い気はしなかった。


「当たり前だ」


聖杭槍杖を肩へ戻す。


腕が痛み、

普段より少しだけ持ち上げるのに時間が掛かったが、

表情には出さない。


「私は弱くなどない」


竜が頭を小さく下げた。


「約束は守る…」


「次の場所まで運ぶという話か?」


「そうだ…」


その言葉で、

ようやく試しが終わったのだと実感する。


張り詰めていたものが緩むと同時に、

今まで無視していた痛みが一斉に戻ってきた。


肩。


腕。


転がった時に打った腰。


頬へ当たった石の傷。


どれも、

動けないほどではない。


歩ける。


私は竜へ背を向けた。


岩棚では、

それまで黙って見ていた竜達が低い声を交わしていた。


何を話しているのかまでは、

聞き取れない。


ただ。


昨日まで私達へ向けられていた視線とは、

少し違う。


少なくとも。


もうただの竜達の言う「父と共に来た人間」を見ている目ではないように感じた。


「セレス!」


ミリカが大きく手を振っている。


「すごかったにゃ!意外とやるにゃ!」


「意外は余計だ」


声を返す。


もう慣れたやり取りだった。


その横で、

ユーリスが杖を握っていた手を下ろした。


肩から力を抜くような仕草を見れば、

心配はされていたらしい。


マリスは何も言わずにこちらへ近付くと、

最初に私の肩を見た。


「……痛い?」


「少しな」


「…見せて」


「後でいい」


「今…」


「……分かった」


聖杭槍杖を下ろすと、

マリスが肩へ手を添えた。


淡い水の光が身体を包み、

打った場所へ冷たさが染み込んでくる。


熱を持っていた筋肉が緩み、

痺れていた腕にも少しずつ感覚が戻った。


以前の私なら。


他の種族に、

こんなふうに無防備に身体を任せるなど、

考えもしなかった。


ネレイディア。


獣人。


教会の外にいる者達。


教わったものだけを信じていた頃なら、

同じ旅をしている姿すら想像出来なかっただろう。


だが…今は。


「助かる」


自然に、

その言葉が出る。


マリスは私の肩へ水を流したまま、

小さく頷いた。


「うん……」


その奥に。


エアがいた。


新しい矛を地面へ立て、

こちらを見ている。


「……」


さっきから黙っている。


治療が終わり、

マリスから離れて近付くと、

エアの視線が肩から腕へ落ちた。


次に頬の傷へ移り、

最後には足元まで確かめるように見ている。


分かりやすい。


「何だ、その顔は?」


「いや」


「負けると思っていたのか?」


「思ってない」


「なら何だ?」


「無事か見てる」


「……」


あまりにも普通の声で言われて、

返事が一拍遅れた。


さっきまで竜と戦っていた時より、

こういう時の方が、

どう返せばいいのか分からなくなる。


「見れば分かるだろう…」


「見ただけじゃ分からんだろ」


「歩けている」


「無理して歩く奴もいる」


「貴様が言うな」


即座に返す。


エアの口が止まった。


少し考えたあと。


自分でも思い当たるものがあったのか、

視線を逸らす。


「……それは、そうだな」


本当に、

妙なところだけ素直だ。


「で」


エアが、

今度は私自身を見る。


「戦ってみて、どうだった?」


「何がだ?」


「竜だ」


一度だけ振り返る。


試しをした竜は、

岩棚へ戻る途中だった。


大きな背中と畳まれた翼を見ただけでも、

先ほどまであれを相手にしていた身体が少し強張る。


「強い」


「ああ」


エアが頷く。


「俺も大変だったからな」


「竜と力比べをする奴と一緒にするな」


「受けられたから受けただけだ」


「そこだ、バカ者め」


思わず聖杭槍杖の石突きで地面を突いた。


乾いた音が、

一つ響く。


「…私には私の戦い方がある。

 貴様のように正面から全部受け止める必要などない」


「ああ、確かに」


返事が、

思ったより早かった。


「分かったよ」


からかっている様子はない。


少し前まで。


まだ学院にいた頃なら…。


エアと同じことが出来ない自分を、

どこかで比べていたかもしれない。


だが。


今はもういい。


私には私の体がある、

私が積み重ねてきた戦い方がある。


そして。


私の火があり、竜に届いた。


「…無事でよかった」


不意に、

エアが小さく息を抜きながら言った。


「……」


また、

それか。


昨日から、

この男は何なのだ。


こちらが弱くないと示そうとして。


実際に竜と戦い、

最後には向こうから認めさせて戻ってきたというのに。


最初に口から出てくるのが、

それなのか。


「……当然だ」


何とか、

それだけ返した。


エアは私の返事で十分だと思ったのか、

それ以上何も言わない。


そのことにも、

何故か少し腹が立つ。


「セレス」


「今度は何だ?」


「やっぱり、お前は強いな」


足が止まった。


遅い。


それを言うなら、

最初に言え。


そう思うのに。


さっきまで白火を流していた時とは違う熱が、

胸の奥から上がってくる。


竜に「弱くはない」と言われた時とは。


まるで違う。


同じような言葉のはずなのに。


エアから言われただけで。


こんなにも。


「……そうか」


これ以上、

顔を見ていたくない。


見ていれば。


今は出さなくていいものまで、

顔や声に出てしまいそうだった。


マリスの方へ身体を向ける。


「あっちで続きを頼む」


「うん……」


歩き出そうとすると、

後ろからまた声が飛んできた。


「どこ行くんだ?」


「治療だ」


本当に…、

何も分かっていない…。


「……馬鹿が」


「何か言ったか?」


「何も言っていない」


振り返らず、

そのまま歩く。


頬が熱い。


少し前まで竜の火が近くを通ったのだから。


きっと。


それだけだ。

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