第282話:隣に立つために
朝だ…。
目を開けた時には、谷の上にもう光が差し始めていた。
岩壁の切れ目から入ってくる朝日はまだ弱く、
夜の冷たさが石の表面へ残っている。
少し離れたところでは、
何頭もの竜が身体を起こし始めていた。
翼を伸ばし、岩棚から飛び降りる。
昨夜の残りなのか、大きな骨を噛み砕いているものまでいる。
「……」
私は寝具代わりにしていた布から身体を起こし、聖杭槍杖へ手を伸ばした。
昨日。
私に試しを求めた竜も、
既に起きている。
少し離れた岩棚の上。
巨大な身体を伏せたまま、こちらを見ていた。
「……朝から見る顔ではないな」
思わず呟く。
逃げるつもりはない。
昨日、
自分で受けると言った。
それに。
あの竜に私達を次のアンカーまで運ばせる条件まで、すでに決まっている。
決めたのは主にエアだが…。
「……あの馬鹿め」
思い出すだけで腹が立つ。
人を勝手に条件へ使っておいて。
『嫌なら断ってもいいぞ』
などと。。。
あの状況で言われて、
断れるわけがないだろう。
周囲には竜。
しかも全員がこちらを見ていた。
あそこで、
『やはりやめる』
などと言えば、
私が怖じ気付いたようではないか。
……いや。
怖くないと言えば嘘になる。
昨日、
エアとゼグの試しを見ている。
竜の前脚一つで。
人間など簡単に押し潰される。
あの巨体から吐き出される火も。
爪も。
牙も。
全部。
人間やそこらの魔物を相手にするのとは違う。
私は自分を弱いと思っていない。
正統光火の中でも、
戦うために育てられた。
聖杭槍杖も勝ち取った。
火も、人間相手ならば、そう簡単に遅れを取るつもりはない。
だが…。
竜は……竜だ。
「起きてたか?」
背後から声がした。
振り返る。
エアだった。
昨日受け取った黒ずんだ装備を身に着け、
その肩には新しい矛がある。
まだ慣れていないはずなのに。
もう昨日より持ち方が自然に見えた。
「お前こそ早いな」
「向こうが起きてるからな」
エアが顎で示す。
私も同じ方向を見る。
昨日の竜が、
こちらを見ている。
「あの竜……随分やる気らしい」
「みたいだな」
「他人事のように言うな。元はと言えば貴様が――」
「やっぱ俺がやるか?」
「……何?」
思わず言葉が止まった。
エアはこちらを見ている。
冗談を言っている顔ではなかった。
「昨日考えた」
矛の柄へ片手を置く。
「別にお前がやる必要ないだろ?」
「……」
「運ぶ条件なら、俺が相手しても同じだと思う」
コイツは…何を、今更。
気まぐれな言葉に、苛立ちが止まらなかった。
「昨日は私を指差して、
『こいつが受けて立つ』とまで言っていた奴が何を言っている?」
「それは…悪かった」
「……随分素直だな」
「いや、でもあの時はお前もやるって言ってたし?」
「反省を取り消すな」
やはり馬鹿だ。
だが、
エアは笑わなかった。
一度。
私から視線を外し。
遠くにいる竜を見る。
それから、
またこちらへ戻した。
「昨日、ゼグとやったから分かる」
声が少しだけ低くなる。
「やっぱあいつら、人間がまともに受ける相手じゃない」
「……」
「お前が弱いって意味じゃないぞ?」
その言葉が、
少しだけ胸へ引っ掛かった。
「でも身体は普通の人間だ」
エアは続ける。
「爪でも前脚でも、一発まともに入ったら洒落にならん」
「私もそれくらい分かっている」
「分かってるなら俺に――」
「だから避ける」
「……」
今度はエアが黙った。
「何だ?」
「いや」
「言いたいことがあるなら言え」
「お前、そういうとこ結構意地張るよな」
「…貴様に言われたくない」
本当に、
誰が言っているのだ。
自分の身体を燃やして死んだ男が、
今でも危険があれば真っ先に前へ出る男が。
私へ、危ないから代わる、と。
「……」
胸の奥が。
僅かに熱くなる。
心配している?、
私を…エアが…。
『セレスは、セレスの火を使ってる』
そう言った。
『お前が使ってるなら、お前の火だろ』
眠る前にも。
何度か思い出した。
今まで、
私が生きてきた場所では。
火には正しさがあった。
白い火。
正統。
受け継がれた火。
それ以外は。
劣ったもの。
間違ったもの。
そう教えられてきた。
なのに、
その始まりにいる本人は、
そんなものは知らないと言った。
竜の火も。
私の火も。
それぞれの火だと。
あれだけでも、
十分だった。
その次の朝に。
今度は、心配している。
「……」
…どこか、浮ついた気がしたが。
すぐに腹が立った。
(私は、何を喜んでいる)
危ないからやめろと言われているだけだ。
つまり。
エアから見れば。
自分なら出来る。
私は危ない。
そういうことでもある。
「断る」
「……何を?」
「貴様が代わるという話だ」
エアの眉が寄る。
「いや、別に無理して――」
「無理ではない」
「セレス」
「ッ私は弱くない」
少し強く言った。
エアが黙る。
分かっている…、
そういう意味で言っているわけではないことくらい。
私を馬鹿にしているわけでもない。
むしろ逆だ。
…だからこそ。
余計に…、
譲りたくなかった。
聖杭槍杖を持ち上げる。
「新しい武器とはいえ、今の貴様と打ち合った」
「それと竜は違う」
「分かっている」
「なら」
「くどい!」
エアを見る。
「私がやる」
「……」
「それに」
一度。
岩棚の竜へ視線を向ける。
巨大だ。
近くで見れば、
昨日よりさらに大きく感じるかもしれない。
正直…出来るなら、
もう少し小さい奴がよかった。
だが、そんなことを口にする気はない。
「私が受けると決めた、私がやる」
エアはしばらく何も言わなかった。
あの顔、
何かを考えている。
だが、今回は。
何を考えているのか、
少しくらいは分かる。
多分。
まだ止めたいのだ。
「……危なくなったら止めるぞ」
やがて、
そう言った。
「好きにしろ」
「…好きにする」
「ただし」
私はエアを見る。
「私が負けると決め付けるな」
「決めてねぇよ」
「なら、その顔をやめろ」
「どんな顔だよ?」
「その力のない間抜けな顔だ」
言ってから、
少しだけ後悔した。
エアが。
一瞬、
変な顔をしたからだ。
「……分かるのか?」
「…分かる」
「そうか…」
それだけ。
やはりこいつは、
そういうところだけ妙に素直だ。
「……」
胸の奥が。
また、
少しだけ熱くなる。
困る。
こういうのは。
本当に。
困るのだ。
心配されるのが嫌なわけではない。
むしろ…嬉しい。
だが、
だからといって。
守られているだけにはなりたくない。
エアの後ろで、
危険だからと残される女にも。
戦えないからと代わられる女にも。
…なりたくない。
私は、こいつの隣に立ちたい。
そのために、
ここまで来た。
「セレス」
「何だ」
「本当に無理するなよ」
「しつこい」
「昨日のお前、竜が動いた時ちょっと下がっただろ」
「……」
体が止まった。
エアを見る。
「見ていたのか…」
「見えるだろ、あれは」
「……忘れろ」
「嫌だ」
「エア」
「何だ?」
「今すぐ忘れろ」
「何でだよ」
「忘れろ」
「怖かったんだろ?」
「違う」
即答した。
「じゃあ何だ」
「距離を取っただけだ」
「一歩後ろに?」
「戦う前の間合いだ」
「槍も構えてなかったぞ」
「……」
こいつ、本当に。
余計なところだけ見ている。
「エア」
「何だ?」
「今日の試しが終わったら覚えていろ」
「何で俺が怒られるんだよ!?」
その時。
―――ズン。
地面が揺れた。
二人で顔を向ける。
岩棚の上にいた竜が、
ゆっくりと立ち上がっていた。
翼が広がる。
朝日を受け。
巨大な影が谷へ落ちる。
「……」
私は、聖杭槍杖を握り直した。
大きい。
やはり。
大きい。
一度、息を吐く。
「火よ」
白火を。
聖杭槍杖へ流す。
―――ボッ。
朝の谷に。
白い火が灯った。
「行ってくる」
横を通り過ぎる。
その時。
エアの声が背中へ届いた。
「セレス」
足を止める、
だが振り返らない。
「何だ」
「無茶だけはするな」
「……」
まただ。
胸の奥に、
余計なものを残す。
私は、
小さく息を吐いた。
「貴様にだけは」
聖杭槍杖を肩へ乗せる。
「言われたくない」
そのまま。
竜の待つ場所へ歩き出した。




