第280話:その先…名前を付ける前
「エアは……この旅が終わったら、どうするんですか?」
口にしてから、
自分でも少しだけ変な聞き方をしたと思った。
エアの槍は、
もう預けた。
なら残るのは、
世界を巡りながらアンカーを封じていくこと。
その旅が終わった後、
エアが何をするのかは知っている。
ルゥさんを探す。
それはずっと前から変わっていないし、
私もそのためにエアがここまで来たことを知っている。
それなのに。
さっき、
卵の殻を見ながらルゥさんとダックの話を聞いているうちに、
その先のことが頭に浮かんでしまった。
アンカーのことが終わって。
ルゥさんを見つけて。
今のエアがやろうとしていることが、
全部終わったら。
その時。
この人は、
どこにいるんだろう。
「……この旅が終わったら、か」
エアは、
すぐには答えなかった。
大きな翼の下に並ぶ卵を見たまま、
何かを考えている。
「まずはルゥを探す」
「それは知っています」
「じゃあ……」
そこで言葉が止まった。
エアがこちらを見る。
「その後か?」
「はい」
私が聞きたかったことを、
ようやく理解したらしい。
「アンカーのことも全部終わって、ルゥさんを見つけたら……。
その後、エアはどうするんですか?」
「……」
今度は、
さっきより長く返事がなかった。
エアは少し先の暗い谷へ顔を向けた。
考えている時の顔だ、
何を考えているのかまでは分からない。
けれど、
答えを探しているのは分かった。
「……考えてなかったな」
やがて、
そんな言葉が返ってきた。
「やっぱり……」
「何で分かる?」
「エアは自分のことになると、あまり先を考えませんから」
「そうか?」
「そうです」
これは、
迷わず言えた。
誰かを守る時。
何かをしなければならない時。
エアは驚くほど早く決める。
危険でも、
自分が傷付いても。
必要なら、
そのまま前へ行く。
なのに、
その後で自分がどうなるのかとなると、
途端に何も考えていないことがある。
今まで何度も、
そういうところを見てきた。
「何でそんなこと聞いたんだ?」
エアの声は、
ただ疑問に思っただけのものだった。
「……別に、大したことじゃないです」
そう答えてから、
少しだけ言葉を探した。
最初は、
本当にそれだけだった。
今は旅をしている。
同じ目的があるから、
一緒に歩いている。
でも、
いつかそれは終わる。
「今は一緒に旅してますけど、
全部終わったら……エアがどこかへ行くかもしれないなって思っただけです」
「……」
エアは何も返さなかった。
また、
考えている。
横顔を見れば、
さっきより少しだけ眉間に力が入っていた。
多分。
エア自身も、
ルゥさんを見つけた後のことなんて、
本当に考えたことがなかったんだと思う。
そのまま歩く。
足元で小石が鳴り、
少し離れた岩棚では、
眠り始めた竜の翼が夜風を受けて緩く揺れていた。
もし、
本当に全部終わったら。
エアは。
ルゥさんを見つけて、
そのままどこかへ行って。
私達とは別の場所で暮らす。
そういうことだって、
あるのかもしれない。
「……」
考えた途端、
胸の奥へ重いものが落ちた。
…嫌だ。
それは、
普通に嫌だった…。
もし…エアがいなくなったら、
もう会えなくなったら。
「……嫌、ですね」
自分でも気付かないうちに、
声に出ていた。
「何が?」
エアがこちらを見る。
「あ……いえ」
少し迷って、
誤魔化すほどのことでもないと思い直す。
「エアがいなくなったらです……」
「……そうか」
それだけだった。
エアは、
それ以上何も聞いてこない。
何で嫌なのか、
その時どうするのか。
そんなところまで考えて質問する人じゃない。
それが今は、
少し助かった。
でも。
自分の中では、
そこで終わらなかった。
もし本当に、
突然。
エアが何も言わずにいなくなったら…、
私はどうするんだろう…。
最初は待つと思う。
一日。
二日。
それでも帰ってこなかったら、
ロアン達に聞くかもしれない。
師匠にも。
学院にも。
エアが行きそうな場所を調べて、
知っていそうな人を探して。
それでも分からなかったら。
「……」
多分。
探しに行く。
そこまで考えて、
足が止まりそうになった。
…探す?。
私が?エアを?。
何のために?…。
答えは、
思ったより簡単に浮かんだ。
会いたいから。
もう一度、
そこにいてほしいから。
「……」
すぐ近くを歩くエアの背中が、
急に意識へ入ってきた。
肩には、
さっき竜から受け取った大きな矛。
その下には、
見慣れない古い装備。
何千年も前を生きた人。
竜に父と呼ばれ、
神話の存在だと改めて突き付けられて。
それでも、
私にとっては…。
いつものエアだ。
文字を知らなくて、
今の魔術も知らなくて。
説明が足りなくて。
自分のことになると妙に雑で。
何度言っても、
勝手に危ないことをする。
そのエアがいなくなったら。
私は…探す。
きっと、探してしまう。
そこで、
ルゥさんのことが浮かんだ。
エアも、
ずっと探している。
一度死んで。
時代まで変わって。
それでも、
ルゥさんを。
何故?。
…そんなこと。
考える必要もない。
好きだったから。
大切だったから。
家族だったから。
だから、もう一度会いたい。
失ったままでは、
終われなかったから。
だから、
エアは探している。
なら、
私は何で。
どうして、
エアがいなくなったら探しに行こうと思ったんだろう。
「……」
胸の奥が、
さっきより重くなる。
違う。
別に。
誰かを探すことが、
全部同じ意味になるわけじゃない。
師匠が突然いなくなれば、
私だって探す。
ロアン達だって。
大切な人なら、
探すことくらいある。
だから、
これだけで何かが決まるわけじゃない。
分かっている。
そう考えれば、
ちゃんと説明は出来る。
なのに。
その説明をしたところで、
胸の重さは少しも消えなかった。
頭の奥へ、
もう一つ。
さっきのエアの顔が浮かんだ。
『……俺も大概だな』
あの時。
少しだけ、
苦しそうな顔をしていた。
何を考えていたのかは聞かなかった。
でも。
あの顔には、
覚えがある。
村で、
エアがセレスのことを考えていた時。
ルゥさんを重ねてしまったことを、
セレスを傷付けたことを。
それを、自分でも分かっていた時の顔。
「……」
胸の奥が、
さらに重くなる。
月明かりの下。
エアとセレス。
…触れた唇。
その後、
エアが漏らした。
『やっぱり……』
あの夜。
私は何も出来ずに、
二人を見ていた。
苦しかった。
胸が痛かった。
でも、
怒る理由なんてないと思った。
セレスが悪いわけじゃない。
エアが誰を好きになるのかも、
私が決めることじゃない。
ルゥさんだって、
何も悪くない。
そうやって、
何度も考えた。
考えれば考えるほど、
誰も責められなかった。
だから、
自分の中に残ったものについては、
考えないことにした。
そうするのが、
一番簡単だった。
でも。
今。
エアがいなくなったら、
私は探すと思った。
エアがセレスのことを考えている顔を見れば、
胸が重くなる。
ルゥさんの話を聞けば、
エアがそこまで探す理由を知りたいと思う。
なのに同時に。
その場所へ自分は届かないような気がして、
少し苦しくなる。
一つ一つなら、
理由を付けられる。
仲間だから。
大切だから。
心配だから。
もっと知りたいから。
でも、
全部を一つに集めた時。
それだけで、
本当に足りるんだろうか…。
「……これは」
声が漏れかけて、
止めた。
何なんだろう。
ずっと、
分からなかった。
尊敬なのか。
憧れなのか。
それとも。
もっと違うものなのか。
そこまで考えた時。
頭の中へ、
一つだけ。
今までより近い言葉が浮かびかけた。
「……」
私は、
それ以上考えるのをやめた。
違う、
と否定したわけじゃない。
そんなはずがないと、
笑うことも出来なかった。
ただ。
今はまだ、
その先まで考えたくなかった。
さっき、
エアが話していた。
名前を付ければ区別が生まれる。
区別すれば情が湧く。
だから、
ダックへ名前を付けたくなかったと。
今なら、
少しだけ。
その感覚が分かる気がした。
名前を付ける前なら。
まだ、
今までと同じでいられる。
エアの隣を普通に歩ける。
名前を呼べる。
昔の話を聞ける。
無茶をすれば怒れる。
いなくなると言われれば、
嫌だと言える。
でも。
もし…。
この感情に、
何か一つの名前を付けてしまったら。
同じことをしていても。
全部…、少し違って見えてしまう気がした…。
セレスがエアを見る時の顔も。
あの夜、
二人が触れたことも。
ルゥさんが、
ずっとエアの中にいることも。
今までより、
ずっと近いところへ入ってきてしまう。
それが少し、
怖かった。
私は、
今の距離が嫌いじゃない。
むしろ。
これを失う方が、
嫌だった。
だから。
まだ…いい。
今すぐ決めなくても。
今すぐ名前を付けなくても。
少なくとも、エアがいなくなるのは嫌だ。
一緒にいたい。
今はそれだけ分かっていればいい。
「ユーリス?」
エアの声で顔を上げる。
少し先で、
こちらを振り返っていた。
「どうした?」
「……何でもありません」
「そうか」
本当に、
それだけで前を向く。
いつも通り。
何も気付いていない。
その背中を見ながら。
胸の奥に残ったものへ、
もう一度意識が向く。
名前は、
まだ付けない。
でも…そこに何かがあることまで。
もう、なかったことには出来なかった。




