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第278話:受け取るもの


「確かに、預かった」


古い竜の声が落ちた。


俺の槍を乗せた巨大な前脚が、

そのまま少し持ち上がる。


何千年も手元にあった重さがなくなった左手には、

まだ柄を握っていた感覚だけが残っていた。


変な感じはする。


でも。


自分で決めて、

自分で渡した。


それに、

目の前にいる奴らがどれだけ強いのかは、

ついさっき嫌というほど確かめている。


古い竜が顔を横へ向けた。


「ゼグ」


低い声に反応して、

少し離れたところにいた若い竜が顔を上げる。


俺と試し原で戦った奴だ。


「これを奥へ。

 目を離さぬよう、他の者も選べ」


古い竜が前脚を差し出す。


「分かった」


若い竜――ゼグは一度だけ俺を見たあと、

巨大な爪を慎重に伸ばした。


神器になった槍なんて、

竜からすれば細い棒みたいなものだ。


それでも乱暴には扱わない。


古い竜の爪から受け取り、

刃にも柄にも余計な力が掛からないよう、

爪の間へ挟む。


「……ん?」


ゼグが槍を持ち上げたところで、

ようやく引っ掛かった。


「何だ、お前ら?

 ちゃんと名前あるんじゃねぇか」


ゼグがこちらを見る。


「ある」


「今まで誰も名乗らなかっただろ」


「聞かれなかった」


「……」


そう言われると、

確かに聞いてない。


「っぷ」


後ろから、

ユーリスが小さく吹き出す声が聞こえた。


「…何だよ?」


「いえ。

 エアも似たようなこと言いそうだなと思いまして」


「言わない」


「言いますよ?」


「……」


俺は改めて、

目の前の古い竜を見上げた。


「じゃあ、お前は?」


金色の瞳が俺へ向く。


「何て名前なんだ」


少しだけ間があった。


「ガァナ」


「ガァナ?」


「…それが我の名だ」


今まで。


古い竜。


最も古く生きる者。

多くを覚えている者。


そんな呼び方しかしていなかった。


でも、

当然こいつにも、

こいつ自身の名前がある。


ダックじゃない。


今、

俺の目の前にいるこいつは、

ガァナだ。


「そうか」


一度だけ、

頭の中でその名を繰り返す。


「分かった。ガァナ」


名前を呼ぶと、

金色の瞳が僅かに動いた。


「俺はエアだ。

 忘れるなよ」


それ以上は何も言わない。


横では、

ゼグが俺の槍を持ったまま待っていた。


「……悪い。頼んだ」


「うむ」


ゼグは短く返すと、

槍を持ったまま翼を開いた。


―――バサァッ!!


風が吹き下ろす。


髪と腰へ巻いていた布が煽られ、

思わず片手で押さえた。


ゼグは地面を蹴り、

そのまま谷の上へ舞い上がっていく。


翼が大きく動くたび、

俺の槍も一緒に遠ざかる。


やがて、

岩壁の向こうへ姿が消えた。


「……」


これで。


本当に、

手元からなくなった。


しばらく、

ゼグが消えた方を見ていた。


ここから先、

どこに置くのかまでは聞かなかった。


竜達しか入れない場所へ持っていくのかもしれない。


それとも、

もっと別の場所なのかもしれない。


それでいい。


俺自身が知らない方が、

都合のいいことだってある。


もし誰かに捕まっても、

知らないものは吐きようがない。


「これで一つ終わったね」


隣でルクナスが言う。


まだ、

マリスの身体を借りたままだ。


「まだアンカーが残ってる」


「あ、そうだった」


「忘れるな」


「忘れてないよ」


そんなやり取りをしていると、

ガァナがじっと俺を見ていた。


「……何だ?」


返事がない。


金色の瞳が俺の顔から肩へ移り、

胸。


腹。


そのまま下へ降りていく。


「……」


俺も自分を見る。


上半身には、

ほとんど何もない。


試し原で燃えた。


服も。


革の装備も。


残っているのは、

ユーリスから渡された布くらいだ。


その上、

さっきまで持っていた槍もない。


「父」


「エアだ」


「エアよ。

 その姿で行くのか」


「っ、いまにゃ!?」


後ろで、

ミリカが吹き出した。


「やっと言われたにゃ!」


「笑うな」


「ずっと思ってたにゃ」


「言わなくていい」


ユーリスまで口元を押さえている。


セレスは、

こっちを見ない。


それはそれで腹が立つ。


「別に、戦えないわけじゃない」


自分の手を見る。


火はある。


土も。


水も。


槍がなくても、

試し原では最後に拳でゼグを倒した。


「素手でもやれる」


「ああ。知っている」


「ならいいだろ」


「よくはない…、これより先も戦うのだろう?」


少しだけ、

言葉が止まった。


「……まあな」


アンカーは、

まだ残っている。


ここへ来たのも、

槍を預けることだけが目的じゃない。


この先も、

アンカーを封じていく。


どこまで続くかは分からない。


影も来るだろう。


何も起きずに全部終わるとは、

俺も思っていない。


「ならば、来い。

 渡すものがある」


ガァナが巨大な身体を起こした。


「どこへ?」


「近い」


「……まだ何かあるのか?」


横でルクナスが少し笑う。


「貰えるものは貰っておいた方がいいんじゃない?」


「お前は黙ってろ」


「酷いなぁ」


ガァナは俺達を待たず、

谷の奥へ歩き出した。


一歩ごとに、

地面へ重い振動が走る。


仕方なく、

俺達もその後を追った。



ーーーーー


連れて来られたのは、

谷のさらに奥だった。


巨大な岩壁へ、

裂けるように穴が開いている。


洞窟というより、

山そのものが割れ、

その隙間が奥まで続いているような場所だ。


ガァナが入っても、

まだ余裕があるほど広い。


中へ進むにつれて、

外の風が遠ざかっていく。


代わりに鼻へ入ってきたのは、

乾いた石と古い埃。


それと。


「……鉄?」


ユーリスが小さく呟いた。


俺にも分かった。


錆とは少し違う。


長い間、

大量の金属が置かれている場所の匂いだ。


ガァナはさらに奥へ進む。


岩肌には、

巨大な爪で削ったような跡がいくつも残っていた。


その先。


少し広くなった場所で、

ガァナが足を止める。


暗がりへ目を凝らした時、

最初は岩しかないように見えた。


でも、

違った。


壁際。


岩の隙間。


いくつもの金属の形が残っている。


折れた剣。


潰れた盾。


大きすぎる矢じり。


柄のなくなった刃。


何に使ったのか分からない金具まで。


「……」


ユーリスの足が止まった。


ガァナが、

その中へ爪を伸ばす。


岩の陰。


何かを引っ掛ける。


―――ガラ……ガランッ。


硬い音を立てて、

一本の長い武器が俺達の前へ転がってきた。


「……」


近付く。


長い。


俺の身長より、

少し長い。


柄まで金属で出来ている。


色は黒に近い。


けれど、

角度によっては、

青みのある光が鈍く浮かんだ。


先端。


中央には、

槍よりも幅のある長い刃。


その根元から左右へ、

短い刃が外へ張り出している。


三叉槍とは違う。


三本の穂が並んでいる形に近い。


中央の刃を軸に、

相手へ食い込み、

引っ掛け、

抉るための刃が付いている。


「……矛?」


ユーリスが呟いた。


そのまま武器へ近付き、

刃や柄へ視線を走らせる。


「随分古そうですね!

 しかも……何か術式が!」


けれど、

すぐに表情が変わった。


「でも……人を相手にするには、

 大きすぎます……」


何かへ気付いたように、

ユーリスの声が曇る。


ガァナが答えた。


「人を相手にするためのものではない」


何となく、

俺も嫌な予感がした。


「…何を相手にした?」


ガァナは俺を見る。


「我らだ」


「……」


もう一度、

足元の武器を見る。


さっきまでとは、

少し違って見えた。


「竜を殺すためか…」


「人と我らが共に戦った時代、

 敵にもまた我らがいた」


巨大な爪の先が、

矛の刃へ近付く。


「鱗を抜き、

 肉を裂き、

 骨へ届かせるために人が作った」


「……随分直接的だな」


「必要だったのだ」


怒っている様子はない。


恨んでいるようにも見えない。


それが逆に、

少し重かった。


この矛で、

実際に竜が死んだ。


その記憶を受け継いでいる奴が、

今、

俺へそれを渡そうとしている。


「何で残してる?」


聞くと、

ガァナは武器の山へ一度だけ目を向けた。


「忘れぬためだ」


「……」


竜は覚えている。


でも、

全てがそのまま残るわけじゃない。


なら、

こういうものを残すことにも意味があるんだろう。


自分達が人と共にいたこと。


守るために戦ったこと。


互いに殺したこと。


そして、

人間が竜を殺すための武器まで作ったこと。


ガァナの爪が、

矛の柄をこちらへ押す。


「持て」


「俺に?」


「ああ」


「竜殺しだぞ?」


「なかなかの業物だ。

 我の鱗も切り裂ける」


「お前が言うなよ……」


ガァナは、

少しも気にした様子がない。


「槍を預かる。

 ならば、その代わりが必要だ」


金色の瞳が、

俺の空いた手を見る。


俺は足元の矛を見下ろした。


正直、

引っ掛かる。


ダックから続いた奴らの前で、

そいつらを殺すために作られた武器を持つ。


気持ちのいい話じゃない。


「嫌か?」


「……少しな」


「何故?」


「お前達を殺すために作ったんだろ?」


「ああ」


「それを、お前から受け取るのは変だ」


しばらく、

ガァナは俺を見ていた。


それから爪先で、

矛をもう少しこちらへ動かす。


「それは、我らを殺した。

 だが、今、何を殺すかは決められていない」


「……」


金色の瞳が、

真っ直ぐ俺を捉える。


「何を刺すかは、持つ者が決める」


俺は矛を見る。


そう言われると、

何も返せなかった。


俺の槍だって、

最初はただの鉄だった。


誰かの旗でも。


神器でも。


大勢を殺すための兵器でもない。


俺が持ち、

俺が使っていた。


それだけだった。


その後、

何に使うのかを決めたのは、

持った人間達だ。


なら。


こいつも同じか。


竜を殺すために生まれた。


でも、

今、

竜を殺すために使わなきゃいけない理由はない。


「……分かった」


しゃがみ、

柄へ手を伸ばす。


指先へ、

冷たい金属の感触が返ってきた。


長い。


太い。


力を入れて持ち上げる。


―――ギィッ。


思ったより重い。


でも、

悪くない。


腰を少し落とし、

中央の刃を前へ向ける。


重心は、

俺の槍より先にある。


振れば、

かなり持っていかれる。


けれど、

今の身体なら問題ない。


一度、

短く突く。


―――ブォッ。


大きな刃が空気を裂いた。


左右へ張り出した刃も、

余計にぶれることはない。


「……使える」


「そうであろう。

 ゼグを殴り飛ばせるのなら、

 扱えぬわけがない」


ゼグから聞いたのか。


それとも、

戦うところを最初から見ていたのか。


まあ、

どちらでもいい。


「重過ぎることもないな」


「そうであろうな」


もう一度、

矛を構える。


妙な武器だ。


俺の槍とは、

全然違う。


でも、

慣れればかなり使えそうだ。


そこで、

ガァナが今度は武器ではない方へ爪を伸ばした。


「まだある」


「……何が?」


金属の山。


その奥。


大きな爪が、

何かを引きずり出す。


―――ガラガラッ。


出てきたのは、

武器じゃなかった。


最初に見えたのは、

黒に近い布だった。


その上に。


胸や肩を守る薄い金属板。


腕。


腰。


脚へ巻くように作られた装具。


今の学院や冒険者が使っている防具より、

ずっと古い。


でも、

妙だった。


これだけ長く置かれていたのに、

布が残っている。


革らしき部分も、

崩れていない。


埃こそ被っているが、

腐った臭いもしなかった。


「……これ、服か?」


「服でもある」


後ろで、

ミリカが笑った。


「ちょうどいいにゃ」


「何が」


「今のエア、ほとんど裸にゃ」


「布はある」


「布しかないにゃ」


俺はしゃがみ、

黒い布の端へ触れた。


見た目より柔らかい。


厚手なのに、

動きを邪魔するほど硬くもない。


編み方も、

俺が今まで着てきた服とは違う。


「これも竜を殺しに来た奴のか?」


「我と戦った者が纏っていた」


「…」


ガァナはそのまま続ける。


「竜の火の中へ入るために作られた」


「火の中?」


「我らを相手にする者が、

 燃える物を身につけていては近付けぬ」


それはそうか。


もう一度、

手にした布を見る。


「燃えないのか?」


「燃えぬ、我の火でもな」


即答だった。


俺は眉を寄せる。


「本当に?」


「試せ」


「……いいのか」


「ああ」


言われた通り、

右手へ火を出す。


―――ボッ。


赤い火が手に灯った。


そのまま、

黒い布の端へ近付ける。


触れる。


火が布を包む。


「……」


燃えない。


煙も。


焦げた臭いもない。


しばらくそのまま当てても、

表面の色すらほとんど変わらなかった。


「おお……」


思わず声が出た。


ミリカが後ろから覗き込む。


「本当に燃えてないにゃ」


ユーリスも近付いてくる。


「少なくとも、

 普通の布ではありませんね……。

 魔力を通して防いでいる感じもしません」


俺は火を少し強める。


赤い炎が、

腕の周りまで広がった。


それでも、

布はその中で揺れているだけだった。


熱を受けていないわけじゃない。


触れば、

少し温かくなっている。


でも。


燃えない。


「……これなら」


試し原を思い出す。


全燃焼。


あそこまでやっても残るかは、

まだ分からない。


でも。


普通に火を使ったくらいで、

毎回服が消えることは少なくともなくなりそうだ。


「助かる」


本音だった。


後ろで、

セレスがようやくこちらを見る。


「嬉しそうだな?」


「調整間違えると、

 毎回燃えるんだぞ?」


「燃やしているのは貴様だ」


「好きで燃やしてない」


「全身を火にする奴が言うことか」


「あれは仕方ないだろ」


ユーリスが小さく笑っている。


ガァナは俺達のやり取りを気にせず、

装備を爪先で少しこちらへ寄せた。


「火だけではない。

 爪、牙、尾。

 その全てを受けるために作られている」


薄い金属板を見る。


確かに硬そうだ。


だが、鎧というほど重くない。


胸。


肩。


腕。


急所を守る場所だけに、

金属が使われている。


それ以外は、

今火を当てた黒い布。


竜と戦うため。


動けなければ意味がない。


だから、

重い鎧じゃない。


俺には、

そっちの方がいい。


「これも、忘れないために残したのか?」


「ああ」


洞窟を見回す。


剣。


盾。


矢。


矛。


防具。


ここは、

宝物庫じゃない。


墓にも近い。


残っているのは、

その時代の跡だ。


「使えるものを残した」


ガァナが言う。


「お前達はこれからも世界を巡るのであろう?、

 ならば使うが良い」


「ああ。

 まだやらなきゃならないことがある」


アンカーは、

まだある。


旅も終わっていない。


影も。


外側の奴らも。


俺達を放っておくつもりはない。


ガァナの金色の目が、

俺を頭から足まで見る。


「その姿よりはよいだろう」


「……」


否定出来ない。


手にした矛。


その横に置かれた、

火にも耐える古い装備。


さっき預けた俺の槍とは、

まるで逆だ。


人が俺を神として残した結果、

争いの中心になった槍を。


俺は竜へ預けた。


代わりに。


人が竜を殺すために作った矛と。


その火を越えるために作った装備を。


今度は、

俺が受け取る。


随分、

変な交換になった。


「……借りる」


ガァナを見る。


「矛も。

 この装備も」


「是非に」


短い返事だった。


俺は装備を持ち上げる。


黒い布。


古い金属。


何千年も前。


こいつを着た誰かは、

竜を殺すために戦った。


俺は、

同じものを着て。


別のものと戦う。


何を刺すのか。


何を焼くのか。


何を守るのか。


それは、

武器や装備が決めることじゃない。


俺が決める。


手の中の矛を握り直す。


まだ、

俺の武器って感じはしない。


この装備も、

俺のために作られたものじゃない。


でも。


この先、

アンカーを巡るなら、

何度も使うことになる。


竜を殺すために残されたものへ。


今度は俺が、

別の使い方を重ねていく。


いつかこれを見た誰かが、

何のために使われたものだったのかを考える時。


そこに残るものが、

昔と同じじゃなければいい。


そんなことを考えながら。


俺は、

黒い装備を手に取った。

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